宛名のない手紙
「ちょっと時間がかかる用事があるので先に帰ってて。ちなみに夕食はエリカ特製のすき焼き! 楽しみにしててね」
桃園エリカが誰かに付きまとわれていることもあっていつもは二人で下校するのが最近の習慣だった。でも今日は彼女からそんなメッセージが届いたので、いい機会だと思い、僕は久しぶりに自分のアパートへ立ち寄ることにした。
アパートへ行くと予想通り、郵便受けはパンパンに膨れ上がっていた。雑多な紙の束を抱えると、自宅の鍵を回すのさえ一苦労だ。
(なんだ、これ?)
アパートの居間で支払票やリサイクルショップとか水道屋といったなんでもないチラシを選別していると、雑多な郵便物の中に宛名のない封筒が紛れていた。切手は貼られていないから、直接誰かが郵便受けに入れたと言うことになる。
封筒の中の手紙を開いたとき、懐かしい文字が目に飛び込んできた。この文字、間違いなく雫の字だ。そこには不思議なことが書かれていた。
「私を破滅の道から救えるのはイツキしかいません。どうか私を救ってください。心の底からそう願っています」
破滅の道?雫を救えるのは僕しかいないってどう言うことだ?この手紙はいつ投函されたものなのだろう。雨に当たって一度乾いたからか、手紙は少し凸凹になってて、インクも滲んでいる。投函されてから時間がそこそこ経っているということか。
手紙は他にもあった。
「今日は小学生の頃、イツキとよく遊んだ公園に行きました。イツキが家に帰りたくないとグズついて、二人で時間を潰したタコの滑り台。あの頃に戻ってまた二人で過ごせたらどれだけ幸せなんだろう」
「イツキに投げかけた悪い言葉の数々はひるがえって私に全て帰ってきました。私は無能で、無価値で、醜い人間です」
綴られる言葉の全てが雫らしくないもので、僕は戸惑うばかりだった。雫はどんな気持ちでこれらの手紙を投函したのだろう。
一つ言えるのは間違いなく、雫が思い悩んでいて、クラスメイトが言うとおり、精神的におかしくなっているということ。桃園エリカは一条ユウトと雫の間で何かあったか知っているようだったけど、きっと幼馴染のメンタルを崩すほどの事情があるのは間違いない。
僕はスマホを取り出し、久しぶりに雫とのチャット画面を開く。「何か悩み事でもあるの?」などと送ったら彼女はかえって激怒するだろうか。むしろ僕に怒りをぶつけることで、彼女のメンタルが上向きになるならそれもいいのか。そんなことを考えながら、過去のチャットを眺めてるうちに、一つの違和感を覚えた。
「今までしたことすべて謝りたい。そして全てなかったことにしてまた仲良く一緒に過ごしたい。なんていったら都合良すぎるかな。とにかく話がしたいです」
彼女が送ってきた最後の誤爆メッセージが取り消されていない。他の誤爆メッセージはこまめに消されているのに、この雫らしくない文章だけはそのままなのだ。
どういうことだろうと頭を捻らせていると、スマホが震え始めた。ディスプレイには清水結衣の名が表示されていた。
電話を取った瞬間、混沌とした言葉が耳に飛び込んできた。
「イツキくん、大変なの! エリカが! その、アクシデントが起きて!」
清水結衣は取り乱していて、半分泣いているような状態だ。
「エリカ、大怪我を負って! 救急車が来て、病院に運ばれて。今、学校は大騒ぎで」
桃園エリカが大怪我? 頭が真っ白になった。耳元で繰り返される清水結衣の言葉がぐにゃぐにゃととろけていく。
ほんの一時間前には僕も学校にいたのに、その間に何が起きたのだ?僕は清水結衣をなんとか落ち着かせるけど、何があったかさっぱり分からなかった。一つ分かったのは僕の恋人の生き死に左右するほどの出来事が起きたということだった。彼女が運ばれたという病院名を聞き出し、すぐにアパートを飛び出した。
タクシーで病院へと向かっている間も、悪い夢を見ているようだった。震える手でなんとか桃園エリカにメッセージを送り、電話をかけた。
何かの間違いであってほしい。すがりつくような気持ちで彼女の声を待った。
「なーに、不安がってんの? イツキには私がいるじゃん」
そんないつものあっけらかんとした彼女の声を耳に入れて安心したかった。
僕のそんな希望とは裏腹に呼び出し音は永遠かのようになり続けた。渋滞にはまるタクシーは遅々として進まない。窓の向こうの風景を不意に眺めると、夕方の街は血のように真っ赤に染まっていた。




