情けない男子
一条ユウトはいつの間にか髪の毛を茶色に染めていて雰囲気も以前と少し違っていた。
そして、桃園エリカの表情も気になる。彼女のあんな冷たい表情は見たことがない。
一条ユウトはあの日と同じようにニヤニヤとした笑みを浮かべた。
「ここに来ると思い出すな。佐々木イツキが浮気を突きつけられてブルブル震える哀れな様。まじ情けねぇの。あいつってえりたんの想像しているような奴じゃねぇから」
桃園エリカは表情一つ変えないまま言った。
「まず、馴れ馴れしくえりたんって呼ぶのやめて。初対面でしょ」
一条ユウトから笑みが消えた。「はぁ?」
「ここに来たのは一つ聞きたいことがあったから。率直に聞くけど、君は本当に桐崎雫と付き合ってたの?」
「はぁ? 何いってんだよ」
「いや単純に疑問に思って。一度、イツキの教室で桐崎雫と男子が並んでいる姿を見たことがあるけど、心が通っている関係に見えなかった。少なくとも桐崎雫はその男子のことが目に入っていないようにすら見えた」
桃園エリカは何を言っているんだろう。あの二人が相思相愛だったのは誰もが知るところだ。でも一条ユウトがどういうわけか少し動揺しているように見える。「べ、べつにあの馬鹿女のことは関係ないだろ」
桃園エリカはしばらく一条ユウトの表情を見定めた。
「なるほど、今の反応で色々理解した。もう話すことはないから、とりあえず告白の返事しとく。もちろん君なんかと付き合えるわけがない。いつもはもっと丁寧に断りを入れるけど、君は別。世界で一番大好きなイツキを貶されるのはただただ不快でした。じゃ、生徒会があるんで」
「おい、なんだよ、俺の話聞けって!」
そう言って一条ユウトは桃園エリカの肩を掴もうとしたので、彼女を助けようと出て行こうとしたら僕の手を握る清水結衣の力がぎゅっと強くなる。「大丈夫だよ、エリカなら」
その言葉通り桃園エリカは一条ユウトの手をさっと避けた。まるで何度も繰り返してきたような慣れた動きだった。
「暴力は良くないな。まぁ、愚かな行動をとる君の気持ちはわからないでもないよ。桐崎雫が自分勝手な理由で君と付き合い始め、君を雑に扱い、そのことがどれだけ君のプライドを傷つけたかはなんとなく想像できるし、気の毒だとも思う。でも一度冷静になりなよ。停学中なんでしょ、次は退学だぞ」
「あの女のことなんてもうどうだっていいんだよ! なぁ、佐々木なんかより俺の方がカッコよくないか。髪も茶色に染めたんだ」
桃園エリカは「イツキと比べることすらおこがましいだろ」と小さくつぶやいてから、制服の胸ポケットからスマートフォンを取り出した。「ねぇ、これに気づいてなかった?」
「どういうことだよ」
「君の気持ち悪い噂は聞いてたので、告白前からずっと撮影してました。もちろん、セクハラまがいの言葉を吐く君の姿も」
一条ユウトの表情はその言葉にさっと曇った。「撮影?」
「そして、これは最後の忠告。先生に見つからないうちに今すぐ家に帰った方がいいよ。素直に従ったら君の動画も消してあげるから」
「ふざけんな、今消せよ!」
再び掴みかかろうとする一条ユウトの手を桃園エリカはスクールバッグで防いだ。
「さすがにこれはアウト。生徒会長としては改心して欲しかったけど、あとは教師に任せるね」
次の瞬間だった。
「一条ユウト! お前、ここで何やってんだ!」怒声が裏庭に響いた。
血相を変えて、裏庭につかつかと現れたのは生徒指導担当の体育教師だ。
一条ユウトは顔面蒼白、スクールバッグから手を離し、その場にへなへなと座り込んだ。その後教師に叱責されると、一条ユウトは泣き出してしまい、引きずられるように連れて行かれた。
「あの先生は最後の保険ってとこか。ほんと、エリカは敵にしたら怖いとこあるよな」
僕の横で清水結衣は呑気につぶやいた。
桃園エリカは一条ユウトをひきずる体育教師を見送ると、こちらを向いた。「ねぇ、そこにいる仲の良いお二人。途中から気づいてたんですけど」
そう言って、こちらに向かってきて、僕と清水結衣の手を指差し、ニコッと笑った。
「なんで、彼女の前で二人はずっと手を繋いでるのかな?」
その瞬間、今の状況に気づいて、慌てて手を振りほどこうとするけど、清水結衣はがっちり手を握り返してきた。
「へへ、今度は二人で手を繋いで校内を歩いたから、噂が広がっちゃうかもね。佐々木イツキの本当の恋人は桃園エリカじゃなくて、清水結衣だって」
「ああもう、油断も隙も無い。結衣はほんと小悪魔すぎるよ」
桃園エリカはそう言って僕と清水結衣の手を解いた。
「それに、結衣、部活は? 大事な大会の前なんでしょ。キャプテンが遅れたらしまらないでしょ」
その言葉に清水結衣は声をあげた。「あっ! そうだ! イツキくんと一緒にいるのに夢中ですっかり忘れてた」
清水結衣は笑いながら手を振った。「イツキくん、今度はデートしようね! もちろんエリカ抜きで!」
その言葉に最後まであたふたするしかないけど、二人きりになると桃園エリカは問い詰めるような顔で僕の顔を覗き込んだ。
「結衣は小悪魔だし、イツキはやっぱり魔性だな」
そう言って、桃園エリカは僕の胸に顔を埋めた。「君は無意識に人を傷つけるところがあるよ」
「結衣さんは、エリカさんの場所を教えてくれただけで、ほんとになんでもないんです」
「知ってるよ。でも許さない。今夜はいっぱいいじめてほしい」
「な、何を言っているんですか!」
「さっきの男は、毎晩イツキが暴君に変身して、ベッドの上で私をいじめまくっているのを知らないんだな」
「そ、それは普段のキャラと違ってエリカさんがそういうのが好きだからじゃないですか!」
普段は僕を抱きしめたり女王のような振る舞いをする桃園エリカが、そういう時にまるっきりキャラが変わると知った時はかなり驚きだった。
「はは、そうだね。あっやば、かなりの遅刻だ。急ごっか」
桃園エリカは僕の手を握って歩き始めた。
「それにしても結衣の話以上の告白だったね」
「そうでしたね。ところでエリカさん、そういえば、なんで雫のことそんなに詳しいんですか? 雫は一条ユウトに何をしたんですか?」
何気ない質問のつもりだったのに、桃園エリカはわざわざ足を止め、柔らかな眼差しで僕を見た。
「イツキは特殊な状況に長くいたから、人の心の機微を読むのが苦手なんだよ。でも少しずつ成長しているよ。それに今、君が置かれている状況を知ると、君はひどく傷つくかもしれないから、むしろいいことかもしれない」
「どういうことですか? 傷つくって。僕、 何かしたんですか?」
桃園エリカはいつものカラッとした笑みを浮かべた。
「そんな不安な顔しない。君には私がいるんだから。あと、これは未来の君のために言っておく。今のイツキは精一杯正直に生きてます。何があっても気にすんな」
桃園エリカは「流石に走ろ」と言って僕の手を引いた。彼女と手を繋いで走る夕方の校舎。夕日が桃園エリカの艶やかな髪を染めた。通り過ぎる生徒は皆一様に僕らを眺めていた。本当に、桃園エリカと会う前はこんな高校生活が待っているなんて想像もできなかった。
でもなぜだろう。ただただ幸福な時間のはずなのに、胸の奥の奥の方で、不安のようなものが渦巻いてることに、僕は少し戸惑っていた。




