一つの破滅 (雫視点)
イツキの周りにはいつも女子がいた。教室では派手な女子グループがべったりと彼を取り囲み、教室の前の廊下にも一目イツキを見ようと女子たちが群れをなしている。彼がクラス外でつるむ男子にしても同じ生徒会の軽音部や体育会系の派手な人たちばかりで、割って入れる気がしない。
何より問題は私にあった。ずっと一緒にいた幼馴染なのに緊張してしまって彼に話しかけることができないのだ。見た目だけじゃなく態度や顔つきすらもイツキは以前とは別人のようだった。今の彼は堂々としていて、ずっと下をむいておどおどしたかつての面影はどこにもなかった。
今の彼のスペックを並べるならこうだ。比類なき顔立ちをした高身長の人気モデル。学力は常に学年トップクラスの秀才。生徒会に入っていて交友関係も広い。まさにスクールカーストの最頂点に立つ男子。緊張しないほうがおかしい。
私も何もしなかったわけではない。私のことを思い出してもらうために過去に彼が受けたいじめを自作自演してみたり、下校する彼の背中を追ってみたり、彼の家の前に手紙付きのプレゼントを置いてもみたけど、どれも無駄に終わった。ずっと一緒にいたのが嘘みたいに、彼は遠い遠い存在に見えた。
ただ希望がなかったわけではない。イツキが雑誌のインタビューで尊敬する人は?という質問でこんな答えを返していたのだ。
「同じ学校に通う女子。優しさと厳しさの両面を持った人で自分を成長させてくれるし尊敬もしています」
優しさと厳しさを兼ね備えた女子といえば私しかいない。いじめから救ったのは私だし、あの土下座や彼に課したたくさんのルールも厳しかったけどなんらかの形でイツキを成長させていたのだ。そしてイツキが私を尊敬してくれていると知って私は嬉しくなった。やっぱり彼の中には私がいるんだ。
そう思っていたのに過酷な現実を突きつけられる審判の日がやってきたのだ。
「雫、あなたの元カレ停学になったみたいね」
朝の教室、久しぶりにクラスメイトの浜川美奈に話しかけられた。
元カレが停学?イツキのことか?教室を見回すとイツキがいない。最近、仕事が忙しく学校を休むこともあるけど彼に何があったのだろうか。しかし浜川美奈が話す元カレとはイツキとは違ったようだ。
「一条君、チア部のキャプテンに振られた上に激昂して押し倒そうとしたそうじゃない。彼程度で付き合える人じゃないのに本当に最低な勘違い男」
なんだあの男の話か。
確かに粗暴なとこがあるのは知ってたし、イツキの人気が出てきた頃からなぜだかずっとイライラしていたのも気になっていた。でも本当にあのスペックで清水結衣に突撃するとは思ってもいなかった。
「で、何が言いたいわけ? 振った男だし。私には関係ない」
「振った? みんなの認識だとあなたが振られたことになっているんだけど。雫、強がっているんじゃないの」
露骨にマウントを取ってくるこの女には苛立つしかない。前々からこの女はこういうとこがあるのだ。そもそもあの猿顔に三年も恋をしていたのはお前じゃないか。
浜川美奈は顔を近づけ、耳元で囁いた。
「聞いたとこによると身体も許したんだよね。ねぇ、あんな性犯罪者まがいのクズにやり捨てられるってどんな気分? 最低? それとも最高?」
もう我慢の限界だった。気づくと「私はあんな奴と本気で付き合ってたつもりないから! 私の本当の恋人は佐々木イツキだし! 彼は私のこと尊敬もしてくれているんだから!」声を荒げていた。
教室内はさっと静まり返り、浜川美奈は目を丸くした。
「だって雫、あなたずっと一条くんとみっともないくらいイチャイチャしていたじゃない。それで本当の恋人はあの人気モデルの佐々木イツキ君? なに言っているのか理解不能なんですけど。二人が話すのも見たことないし、いわゆる妄想ってやつ?」
教室に波紋のように失笑が広がる。
今のうちに笑っていろ下民ども。こいつらは私とイツキの関係を何もわかっていない。私は最強のリバースカードを持っている。私とイツキのメッセージのやりとりを見せたら二人の関係は一目瞭然。私はスマホを取り出し、メッセージアプリを開いて浜川美奈に差し出した。
「これを見れば二人の深い関係がすぐにわかると思うけど」
怪訝な顔つきで浜川美奈は私のスマホを手にした。
私はお前みたいな最近イツキの魅力に気づいたニワカとは違うんだ。何年の付き合いがあると思っているんだ。
私のスマホをスクロールする浜川美奈の表情はみるみるうちに変わっていった。そうだ驚け、そして私を敬え、浜川美奈。今や浜川美奈は呆気にとられたような顔つきだ。ただその様子がおかしいことには私も気づいていた。
「ねぇ、し、雫」浜川美奈の声は震えていた。「こんなのよくないよ」
うん?どういう意味だ?
「会いたいだの、返信してだの、一方的に大量のメッセージを送りつけている上に既読すらされてないじゃない」
頭が真っ白になった。そうだ、最後にチャットしたのはイツキにブロックされた日。返信がこなくて不安でメッセージを大量に送りつけたんだった。やばい、あんなメッセージが見られたら生きた心地がしない。
「違うの、それは! ほかにもいっぱいイツキとはたくさんやりとりしているから、そっちを見て!」
浜川美奈は首を振ってスマホを返してきた。
「まさか雫がこんなことしているとは思ってもみなかった。これは恋人とは程遠い関係。ストーカーの迷惑行為と言うのよ」
「黙れ! すぐに分からせてやるから!」
クラスの視線が私に集中する中、私は必死にスマホを操作した。「メッセージの送信を取り消しました」「土下座しろ」「返信三分ルール違反。とりあえず死ね」「何事も原因があって結果がある。つまり、土下座な」二人の親密さを示すやりとりはなかなか出てこなかった。
全身から汗が噴き出す。何かイツキとの関係を見せつけられる決定的なものが欲しかった。すると普段あまり教室で発言しない男子が声を発した。
「そういえば、俺、桐崎さんが佐々木君の上履きに画鋲みたいなのを入れているのを見たことがある」
その一言に教室はさらにさっと静まり返った。
浜川美奈でさえ青ざめた顔をして何も言葉を発せない様子だ。
クラスでも賑やかな金色の髪をした女子が代わりに声をあげた。
「桐崎さん、本当にそんなことしたの。イツキくん、画鋲のこと気にしてたよ。誰かに付きまとわれているとも言ってたけどそれももしかして桐崎さん? 一条くんに振られて自暴自棄になっているんじゃないの。悩みがあるなら私たちが聞くから」
その女子のいかにも心配してますみたいな表情にイラつくしかなかった。
「うるさい! 頭が空っぽのあんたは何もわかっていない! 私とイツキは特別な関係なんだ!」
またスマートフォンを操作しようとした時、浜川美奈は私の指を制した。
「雫、いい加減見苦しいよ。だって噂だとイツキ君の彼女はあなた程度じゃ到底かなわない人なんだから」
そう言って浜川美奈は今度は彼女のスマートフォンを目の前に差し出した。
ディスプレイに映るのは清水結衣のSNS。「エリカの家に遊びに来たよ」そのコメントとともに映し出される二人を見て私は絶句した。
肩を並べて高級ホテルにあるようなソファーに座るのは佐々木イツキと桃園エリカ。別に二人が並ぶ姿はお弁当を食べてた時にみている。
問題は幼馴染の見たことのない表情にあった。
あのイツキが大きく口を広げて笑っていたのだ。見るからに幸福そうな顔。長い間一緒にいたのに一度も見たことのない一点の曇りもない無邪気な笑顔だった。
隣に座る桃園エリカも同じように笑っていた。この女の顔をしばらく見て不意に理解した。そうか、私は最愛の幼馴染を奪われたのだ。そして全ての始まりはこの女。この女が私の最愛の幼馴染佐々木イツキを遠いところへ連れて行ってしまったのだ。
朝、マンションから出て学校に向かう二人を追った。遠目に見ても二人は楽しそうに談笑しているのが分かる。そして二人の手はいつのまにかガッチリと繋がれていた。
嫉妬心で胸が張り裂けそうになる。彼の繊細な手は私のもの。私だけのものだったのに。
思わず瓶を握る力が強くなる。
私の父親は大学で研究職をしていて、この瓶はこの前ラボを見学した時にくすねたものだ。父親によればこの瓶がなくなったことで大学ではひと騒動起きたらしいけど、私が盗んだことまではばれなかった。
瓶の中には濃硫酸が詰まっている。これを頭の上からかけてやればあの女はその瞬間、無価値の存在となる。外見、人気、仕事、フォロワー、そしてきっと私の最愛の幼馴染佐々木イツキも失うことになるのだ。
もちろん本当はこんなことしたくない。こんなことしたら私自身が破滅するに決まっている。でも内奥から巻き起こる衝動で、私は歯止めが効かなくなっていた。長年かけて私が育てきた佐々木イツキを奪われたことで何かを考える余裕がなかった。
私は静かにその時を待った。桃園エリカと二人っきりになれるその瞬間を。そして祈った。その前にイツキが破滅の道から私を救い出してくれることを。




