私にはあの女に復讐する権利がある(雫視点)
マンションのエントランスから出てくる二人を私は呆然と見つめた。朝の光に包まれる二人は恋人同士にしか見えない。この頃、イツキが家に帰っている気配がないのは覚えがあったけど、まさかあの女の家で暮らし始めていたとは想像の上をいっていた。
高校生で同棲なんて不健全の極みだし、何より最愛の幼馴染を連れ去ってしまったあのクソビッチだけは許せない。発作的に最近ダウンロードしたばかりのアプリを開き、桃園エリカのSNS に飛ぶ。
「人の男に手を出す尻軽ビッチ」
「貞操観念とかこの女は持ち合わせてないのかな」
「性病を撒き散らす正真正銘の性悪女」
あの女にふさわしいコメントを書き連ねた。
あの女のSNSのコメント欄は「えりたん、可愛い」とか「新しい髪型好きすぎる」とか、ふざけたコメントで埋められているけど私だけは違う。私だけはあの女の本性を知っている。あの女は裁かれなければいけない
そう、目には目を、歯には歯をだ。人の所有物を盗んだら報いを受けなければならないのは何千年も前から社会のルールとして決められていることだ。私にはあの女に復讐する権利がある。
そもそもあの売女の価値なんて少しばかり整った顔と細長い足、あとは胸がでかいくらいなもの。つまりはうわべだけの薄っぺらい女。見た目が損なわれたら産廃同然の代物になる。
私はバッグに入った瓶を握る。あの女のせいで私は全てを失った。私はこれを行使する権利がある。そして私はイツキからブロックされた日以来続く苦境を思い返してきっと唇をかんだ。
あの日の夜、イツキにブロックされた上に着信拒否された私は彼のアパートにすぐに向かった。不在なのはすぐに分かった。スマホを見ると夜の九時。イツキはこんな時間に何をしているのだろう。まさか女と会っているんじゃ。そう思いついて、すぐにその可能性を消す。そんなことあるわけない。冷静になれ桐崎雫。所詮イツキはイツキじゃないか。
私はとぼとぼと来た道を引き返しながら、冷静になって考えてみた。そうだ、いくら外見が変わろうが中身はあのうじうじした内気な陰キャのまま。きっと父親が久しぶりに帰ってきたとかで二人で食事にでも行ったのだろう。
結局のところは中身は陰キャ。時間が経てば高校内のイツキの人気も急落するはず。あの桃園エリカだって興味本位でイツキとご飯を食べただけで、性格を知ったらイツキのことなんて嫌悪の対象になるに決まってる。そしてその時がチャンスだ。陰キャに戻り、ひとりぼっちになったイツキに優しく接すれば私が謝罪などしなくても元の関係に戻れる。
今思えば、この判断が私の失敗のもとだったのだ。
それから教室で、イツキが何やら課外活動のようなものをやり始めたという話を耳をかすめることが増えた。私は一条ユウトとも距離をとりはじめてたし、浜川美奈とも疎遠になっていたからクラスで話し相手が一人もおらず詳細は知らなかった。
教室で女子たちがこんな話をしていた時も、私は何のことか分からなかった。
「イツキ君のあれ見た? メホール・ベンガンザとのコラボ。やばくない?」
メホール・ベンガンザ、確か派手な人たちに人気のファッションブランド。その存在はファッションに疎い私でも知っていたけど、私の幼馴染と何かの繋がりがあるようにも思えない。
気がかりではあったので、家に帰った後、そのブランド名を検索してみた。次の瞬間、ディスプレイに映し出された画像は私の世界を逆さまにしてしまった。
一番よく知っている人なのに、頭がバグを起こしてうまく認識できない。スマートフォンのディスプレイに映る、洗練された服をまとうITSUKIという名のモデルが幼馴染の佐々木イツキ自身だと理解するまでに時間がかかった。顔の作りは馴染みがあるのに、表情はプロのモデルそのもので何度見ても彼だとは思えない。
時には気だるそうに、時には挑発するように、カットごとに表情は変わるけど、どの写真にもあの泣き虫で内気な私の知る幼馴染はいなかった。
あどけない少年なのにどこか大人びていて、服を引き剥がしたくなるくらい淫らでもあり、すべての画像からは暴力的ともいえる魅力を放っていた。
ページをスクロールするたびに涙が溢れてきた。嫌だ、こんなの嫌だ。
「こんなの嫌だ、嫌だよ。イツキ、遠くに行かないでよ。私から離れていかないでよ」
カットが変わるごとにイツキがみるみる遠い存在になっていき、寂しさで胸がはちきれそうになる。
思えば私はずっと知っていた。イツキは見た目だけじゃなく人の目を惹く特別な才能があることに。いつもは内気で、下ばかり見ているのにスポットライトを浴びた途端、誰もを引きつける光を放つ才能があることを私は昔からよく知っていた。
この前の生徒会選挙演説だってそうだ。あいつが慣れない場に立つというもんだから、どんなみっともない光景が待っているのかと心踊らせていたら、ボサボサの髪型が気にならないくらい、イツキは言い得ぬ魅力を放ちながら選挙演説をやり遂げた。
もっと古い記憶もある。小五の学芸会の時。端役だった彼がセリフを放った途端、クラスの女子が言葉を失った瞬間を私はよく覚えていた。あいつに恋をする女子が続出し、ある女が本気でイツキに恋した時は徹底的にイジメたこともあった。
そうだ、ずっと昔から私は怖かったんだ。自分がイツキには見合っていないこと。そしていつかイツキが自分から離れていってしまうことが怖かったんだ。だからいつもいつも罵倒し、自信を失うようなことを言って、彼が自分の才能に気づかないよう見張っていたんだ。
ディスプレイにはファッションショーでランウェイを歩くイツキが映し出されていた。会場にいる女子全員が彼を見つめて、上気し、欲望にかまけて彼の名前を叫んでいた。
なんでこんな人がずっとそばにいてくれたのに私はつまらない男と浮気なんかしてしまったのだろう。なぜ彼をもっと大事にしてあげなかったのだろう。
私はユウトに別れのメッセージを送った。ユウトからはすぐに返信があった。
「俺はお前以上の女と付き合えるから良いけどよ。まっ後悔しても知らねえからな」
相変わらずの勘違いっぷりだけど、もはやこいつのことはどうでも良い。私の望みは幼馴染の許しを請い、元の関係に戻る、それだけだった。
でも私の望みとは裏腹にイツキと接触するのは想像以上に難しいことだった。




