第3話 水渦瀑布!! 水の亡霊
「おい、お前が植え付けたアトラムが消えたぞ」
「はぁっ?」
崩れかけた大屋敷。そこはここ、金識町の中でも一際有名で、かつ誰一人近づこうとしない場所だ。かつて大富豪が所有していたとされているが、今では枯れた蔦が這い、夜な夜な叫び声や呻き声が響く幽霊屋敷として構えている。
そしてその地下深く、誰も近寄らない事を好都合に魔物達は蠢いていた。
「まった錬生術師!? なんなのよ彼奴等、ほんっと邪魔ばっか!! このっ、このっ、このっ!!」
壊れかけだったワインセラーが、少女の蹴りに耐え切れずとうとう崩れてしまった。それを見ていた男は割れて溢れたワインボトルを拾い上げ、溜息を吐く。
「セレスタ、ものに当たるな。折角飲もうと思って冷やしてたんだぞ。200年前から」
「うぁぁぁもうっ! ガーデル! 蹴るの、蹴るのないのっ!?」
透き通る様な青白色のショートカットに対し、薄く濁った目。細く流れる様な身体つきを彩る、髪と同じ色をした宝石が装飾された黒いワンピースドレス。ヘッドセットやピアスにも同様の宝石が煌めく。
そんな可憐で美しい容姿とは裏腹に、セレスタと呼ばれた少女は尚も倒壊したワインセラーを踏みつけ続けている。
対する男性は白色と茶色、毛先が緑という統一感のない天然パーマ。少女同様の濁った瞳と、少女程ではないが華奢な身体つき、それらを包む黒いタンクトップと破れたジーンズという装い。首には髪と同じ色の宝石を繋いだネックレスをかけている。
「仕方ないな。ほら、俺のお気に入りのクマちゃん貸してやる」
「うぉらぁくたばれクマカスゥ!!」
ガーデルが投げ渡したクマの縫いぐるみを、セレスタは意気揚々と蹴りつける。彼女の矛先をクマに引き受けて貰い、ガーデルは本題をもう1人の仲間へと投げる。
「バレない様に種を仕込むのは楽だが、奴等も芽を刈るのに必死だ。数打ちゃ当たる戦法はそろそろ限界じゃねぇか、モルオン?」
「ん〜、まだその辺は心配ないよガーデル」
全ての光を吸い込む漆黒の長髪、伏せがちな瞼から僅かに濁った目。2人よりも大柄な身体だが優しげな表情をした顔。黒いスーツを身に纏った姿は紳士らしさを醸し出すが、腕輪と左薬指の指輪には漆黒の宝石が在る。これらがモルオンという男の闇を物語る容姿。
「僕達も大変だけど、あちらはもっと大変さ。なにせ後継者が不足しているからね。今時、直系の血筋で継承を続けているのは水の錬生術師くらい。手が回り切るとは思えない」
「そうかよ。なに、傷を事前に取り除かれて植え付ける事も出来ない日があってな。ちょっと不安だったんだ」
「心配しなくても、そろそろ君の種が芽吹こうとしているじゃないか」
「ん? ぉ、本当だ」
ガーデルが身につけた宝石の1つが輝きを増している。これは心に巣食っていたアトラムが外に出る機会を得た証。
それを聞きつけたセレスタは突如、クマの縫いぐるみを蹴る足を止めた。
「あー、あたしのはまだ出てないっぽい……萎えた」
そういうと隅に置かれたベッドに身を投げ、数秒と立たないうちに寝息を立て始めた。
「んじゃ、様子見てこようかね。セレスタのアトラムやった奴も気になるし」
「いってらっしゃい」
ガーデルの姿が一瞬にして消失する。静けさが戻った幽霊屋敷。彼等が思い思いに過ごす部屋の奥には、他の部屋へ続くものよりも二回りほど巨大な門が聳えている。
鉄杭の様な閂が十字に刺された向こう側で、不気味な笑みを浮かべた口元の様な紋章が輝いていた。
学校から帰宅する通学路の途中。普段は左に曲がる交差点を、今日は右へ曲がる。
ユナカから渡されたチラシを見ると、今日も店は定休日らしい。少し前にこの金識町にオープンしたパン屋であるジュエルブレッド。パンの味もさることながら、カフェスペースでの休憩が出来る点も評判となっている。
噂ではジュエルブレッドのパンを食べると嫌な事を忘れられるらしい。最初は信用していなかった晶だったが、店主の正体を知ってしまっては信じざるをえなくなってしまった。
「……っと、ここだ」
本来の入り口には、
《本日定休日 またのお越しをお待ちしております》
の張り紙。そして側には可愛らしい小さなカラスの置物があった。ここから入るのかと、ノブに手をかけようとした時、
『ゴァッ、ゴァッ!!』
「うぎゃっ!?」
飾りだとばかり思っていたカラスの置物が突然鳴き出した。可愛らしい容姿とは裏腹に、野太く本物に近い迫力の声に驚いていると、更に奇怪な現象が起きる。
『入る時は横のドアから入りたまえ。天河晶くん』
カラスの声は女性の声へと変わり、店の入り口にあるものの隣にあるドアがひとりでに開く。防犯システムの類にそんなものがあるとは思えないので、晶の警戒心が徐々に強くなっていく。
しかしここまで来て引き返せば、またあの怪物に襲われた時にどうしようもなくなってしまう。自分と文香を助けてくれたあの2人が何者であろうと、恩人であることには変わりない。
意を決して中へ入る。石階段を登り、ごく一般的な扉を開くと、不思議な空間が広がっていた。
壁はいくつかの扉を除き、本棚と器具棚、冷蔵庫など、とにかくもので敷き詰められている。しかし乱雑さを感じさせないのは、部屋の中にある机達の上も含めて綺麗に整頓されている為だ。
そして部屋の中央に位置した巨大な装置。それが一際晶の目を引いた。立方体の箱の様なもの中心には穴があり、そこから赤い溝が幾つも枝分かれして天面の端まで伸びている。
「これは、何だろう……?」
近づこうとした時だった。扉の一つが軋んだ音を立てて開く音が聞こえる。2人の内、どちらかが来たのだろうか。
「あ、すいません、勝手にお邪魔、うわぁぁぁっ!?」
「うん? おぉ、君か! 待っていたよ天河晶くん!」
2人の内の女性の方、ザクロが嬉々とした表情で現れた。
バスタオル1枚で湯気が立つ身を隠した、あまりにもあられのない姿のまま。
「な、なん、なん、何で裸……!?」
「何でって見れば分かるだろう。シャワーを浴びていて今出たからさ」
「いや見ません! 絶対見ませぇん!!」
素足が木の床を踏む音が近づいてくる。それはつまり、バスタオルだけで晶の元へ近づいているという事。壁際に寄って目を力一杯閉じていても分かってしまう。
「この際私が裸でも構わない、早く君の目を見せてもら──」
「良いわけあるか」
ザクロの肩が後ろに引かれる。同時にバスタオルが床に落ちるが、構わず元いたシャワー室に押し込められた。下着と部屋着をセットで押し付けられて。
「何をするユナカ!」
「服を着ろ。着たら出してやるから」
「そんな時間は無駄だ、私は早く彼の目を……あ、開かない? おい、まさか扉の前に何か置いたのか!? 勝手に物の場所を移動させるなと常日頃──」
ザクロの口が一度開けば、しばらくは閉じない。再び裸のまま解き放たれない様に箱をしっかり固定し、ユナカは晶の肩を叩いた。
「いや、すまない。とりあえず俺から話をするからそこに座ってくれるかな」
「は、はい……」
床に落ちたバスタオルを拾い上げながら、ユナカは机に椅子を2つ置いた。
晶がユナカと向かい合う様に座ると、水と小さなパンが差し出された。
「あ、ありがとうござ……え、あれ? ユナカさんさっきまで水とパンなんて……」
ならばこれを差し出したのは誰なのか。その方向へ目を向けた。
晶の掌ほどしかない小さな死神が、盆を支えていた。ご丁寧に目があった晶へ一礼までする。
「……」
「流石にもう驚かない?」
「ここが普通じゃないのを、やっと少しだけ理解出来てきたので……」
「良かった。これからはこういう事に少しずつ慣れていって欲しい」
《リーパー・フラグメント!!》
ユナカが試験管の様なものを左右に振ると、小さな死神は中へと吸い込まれて消えた。
「丁度良い。まず君の目の話をする前に、俺達が何者なのかについて話そうか」
右手をかざすと、ユナカの手首にあの装置が浮かび上がる。
「俺とザクロは、《錬生術師》なんだ」
「あの……え、錬生? 錬金術師じゃなくて?」
錬金術師。かつて鉛や石から金を作り出そうとした者達。彼等の悲願が叶う事は無かったが、彼等の研究成果が今の科学に繋がっている。晶は歴史の授業でそう教わった。しかしユナカの言う《錬生術師》という存在は聞いたことすらない。
「錬金術師と本質は似ているけど、やっている事はまるで違う。鉛や石じゃなくて人間の心の傷を、金じゃなくてフラグメントに変える。それが俺達の仕事」
「心の傷を……フラグメント、に?」
首を傾げる晶へ、ユナカは手にした試験管を手渡した。死神を模した蓋の下では、透明な液体に包まれた灰色の結晶が浮いている。
「この、中にある結晶みたいなのが?」
「あぁ。それが──」
「フラグメント。心の傷を取り除いて、この工房で抽出、精錬したものさ。それを専用の容器に閉じ込めたのが、君が持っている《フラグメント・V》って訳だよ」
ユナカの言葉を遮ったのは、扉の向こう側から響く声。それを聞いたユナカは一度話を中断し、扉の前に置いた収納棚を退かした。
「着替えたか?」
「あぁもちろん。どうやら私の美しい身体は晶くんには刺激が強すぎた様だね。いやすまない」
扉を開けて出てきたザクロはきちんと服を着ていた。胸に大きく《ジーニアス》と描かれたオレンジ色のTシャツと、太腿が半分も露出したハーフパンツという、およそ年頃の女性が外では出来ないような格好。自室なのだから部屋着でいても良い事は晶も理解はしているのだが。
「え、えっと、ヴィトロ?」
「ガラス管という意味だよ。そしてそれを扱う為のアイテムが、ユナカの手首に付いた、私の最高傑作! その名は《フラグメントゲート》!! 先程錬金術師なんていう歴史の浅いカルト集団の話をしていたがね晶くん、奴等が目指した賢者の石なんて妄想の産物なんかとは比べ物にならないものなのだよ! 分かる? 分かるだろう!?」
「へ、へぇ……あ、あの、でも確かそれ、アルケミックなんちゃら〜、って……アルケミックって、錬金……」
「わ、か、る、だ、ろ、う!?」
熱弁するザクロに圧倒され、晶は困った様な笑みを返す事で精一杯だった。一体錬金術師に何の恨みがあるのかは知らないが、彼女が相当の自信家な事だけは理解出来た。
「何せフラグメント・Vと組み合わせる事で、肉体の組成変化と魂のエネルギーの物質化を可能にする! こんな事、今までもこれからも成し得る者は出ないだろうさ! ハッハッハッ!!」
「す、凄い、ですね……それを使ってあの怪物をやっつけるのが、ザクロさん達の目的なんですか?」
高らかに笑うザクロへ問いかけると、突如笑い声が止まった。口元に浮かぶのは先とはまた違う、艶のある笑み。
「まぁ、それもあるがねぇ。あくまでそっちは過程で必要なだけ。本当の目的は2つ」
そこから先はユナカの口が告げた。
「ダルストンズに辿り着く事と、ソウリストゲートを見つける事。それが俺達の目的なんだ」
「ダルストンズに、ソウリストゲート? また知らない単語が……」
更に深く尋ねようとした時だった。
《エクストラクト フラグメント!!》
真後ろの大きな机が突然発光。焼き上がったトースターのパンの様に試験管が射出され、晶の食べかけのパンへ突き刺さった。
「いやぁぁぁ!?」
「おぉぉぉっ、 遂に出来たぞぉ! イッヒヒヒ!!」
試験管、フラグメント・Vを手に取るザクロ。中に詰まった結晶はユナカが持っていたものとは違い、黒い上に凹凸が大きく出ている。そして蓋は岩で出来た人形の顔と腕らしき物で象られていた。
「ほうほうほう、炭素をベースにしたゴーレム。良いじゃないか、早速次の戦いで使うとしようか! というわけで……」
ザクロはフラグメント・Vを持ったまま再度別室へ姿を消した。かと思えば、ものの十数秒で出会った時と同じ服装、セーターと赤黒のチェックスカートに着替え終わっている。
「街へ繰り出すぞ! ぼさっとしてないで早く準備したまえ!」
「晶くんの目の事は……」
「そんな事はいつだって話せるさ! それにおあつらえ向きに……」
『ゴァッ、ゴァッ!! アトラム出た! アトラム出た!』
と、部屋に飾ってあったカラスの置物が騒ぎ立て始める。ユナカの顔が張り詰めたのを見て、晶も思わず身体が緊張する。
「ほらユナカ。正義の味方なら早く行かないと、ね?」
「あぁ、分かってる」
街へ出たユナカ達は急ぎアトラムの捜索を開始した。探知機の役割を持つあのカラスを数羽放ち、戻ってくる合間に足で捜索を行う。
ユナカは1人で、晶とザクロはペアで街を駆ける。
「あ、あの、僕がいて大丈夫なんですか!?」
「アトラムを探しながらでも君の疑問に答えられる機会だ、構わないよ。そんな事よりも君の目について少し話をしようじゃないか」
ザクロは走りながらもその饒舌を途切らせることはしない。晶はというと既に少し息が上がっている為、ここは聞き役に徹する。
「私達にとっては特別でも何でもない。錬生術師を継いだ人間は皆、師から力と一緒に紋章を受け継ぐんだ。まぁ私とユナカはまた少し混み入った関係なんだが……君の場合はもっと特別だ」
知らずうちに晶の手は右目に触れる。違和感が心なしか増している気がした。
「簡潔に言えば、君は誰から受け継いだわけでもないのに錬生術師の目を持っている。それも特別な、《光》の右目を」
「光って、まさか、うわぁっ!?」
走りながら話に夢中になったあまり、向かいから来た人とぶつかってしまった。晶は尻餅をついたが、ぶつかった人物はよろめいただけの様だ。
「ご、ごめんなさい!」
「こっちこそごめんね! 急いでて……」
見上げた先にいたのは背の高い女性だ。青みがかったセミロングの髪と、深海の様なディープブルーの目。凛とした顔つきと、細い身体つきを包む黒いジャケットとレディースデニム。
「あ、っと……」
「大丈夫? 怪我はない?」
屈んで晶の服についた埃を払う女性に一瞬見惚れてしまっていた。それを見ていたザクロは大きく溜息を吐いた。
「構っている暇があるなら早く行ったらどうだい? 何か探し物をしてる様だったが?」
「……それも大丈夫」
女性の声が小さくなったかと思うと、振り向いた先を指差した。
「見つかったから」
「っ、ザクロさんあれ!」
道端で蹲る学生服を着た少年と、彼へ日本刀を突きつける怪物の姿があった。
怪物は戦国大名の様な重鎧を身に纏い、肩には鬼の様な骨細工が牙を剥いている。足には人骨で組まれた具足を履き、顔面は口から上が骨になった般若そのもの。加えて背中には夥しい数の日本刀を担いでいる。
「ぅ、うぅ……返せよ……それはじいちゃんの……!」
「ふん。このような鈍、何の価値もない。だが刀は何かを斬って初めて価値が生まれるものよ」
するとアトラムは刀を晶達へと向けた。夕日を受けて輝く刀身を見つめ、舌舐めずりをする。
「丁度良い、試し斬り様の人形が3体もいるではないか」
「やめろ!! じいちゃんの刀で人を斬るなんて、ぁ、がぁぁぁ……!!」
少年に巻き付いた首輪が黒ずんでいく。あの刀が少年の心の傷に関与している事は明白だった。
「……あなた達はここから逃げて」
「そんな、お姉さんも逃げないと!」
晶が女性の手を引こうとした時だった。
女性が掲げた右手で水が渦を巻く。やがてそれは、晶も見たあの装置へと姿を変えた。
「え、それって……」
「フラグメントゲート……なるほど、君が現代の《水の錬生術師》か」
《レイス・フラグメント》
穴だらけの布を纏った亡霊の蓋をしたフラグメント・Vを装填。続いて青く美しい水の精霊の蓋をしたフラグメント・Vを装填する。
《アクアウンディーネ・フラグメント》
《リアクション!!》
フラグメントゲートから飛び出した亡霊と水の精霊が、目の前に出現した巨大門へ吸い込まれる。
晶は眼帯を少しだけずらし、女性の目を見る。やはり同じだ。ユナカと同じ様に、しかしユナカや自分とは違う紋章が浮かんでいた。
「変身」
装置天面を展開し、揺蕩う水を纏った青い門を左手で優しく押した。
《ゲート・カイホウ!!》
《水渦・カタラクト!! アクアレイス!!》
渦巻く水流の様な青いボディ、夜の水面に映る三日月の様なアイレンズ、端が欠けつつも優雅な雰囲気を醸す蒼灰色のドレスアーマー。波飛沫の様に白いベールを被ると同時に、身体に埋め込まれた青い結晶が眩い輝きを放った。
《レイス・ウンディーネの方程式》
「お主、錬生術師であったか」
「覚悟しなさい」
《錬生錫杖 ヴィトロスタッフ!》
左手から流れ出た水流が形作る青い錫杖を手にし、水の錬生術師 ── 《レイス》はアトラムへ宣告した。
続く