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第34話 運命転落 最愛の代償

 

「そんな……ありえない……」

 ユナカに巻きついた首輪、そしてそれから遙か彼方へ伸びている鎖を見た灰簾は力無く呟く。ザクロの次に錬生術師の知識に長けた彼女にも、ユナカに起きた異変が理解出来なかった。

「錬生術師にアトラムが寄生するなんて……」

「正直、理論を聞いた今でも信じられない……だがこうして現実に起きてしまった以上、議論している場合じゃない」

 未だに優れない顔色のまま、ザクロはユナカを彼の部屋へ押し込んだ。

「貴女の怪我は良いの?」

「別に問題ない。掠っただけだ」


 ザクロの身体の中にはある特殊なフラグメントが眠っている。それは彼女の死を引き金に起動し、身体機能の蘇生を開始する。重傷を負わされて放置されるくらいならば、一度死んだ方が安全なのだ。

 しかしこれは奥の手。一度使えばしばらくは使えない。だからこそ情報を不用意に漏らさない様にしている。


 アンフィス攻略の糸口すら掴めないまま、ユナカが魔の手にかかってしまった。皆の表情が暗くなっていく。

「……ねぇ、炎の錬生術師」

 そんな中、灰簾は口を開いた。

「あなた、ユナカくんの心の傷について何か知ってるんじゃないの?」

「急にどうしたんだね」

「まずはユナカくんを助けるのが先。その為には彼の傷がなんなのかを知らなきゃいけない」

「錬生術師の悪い癖だ。職業柄仕方がないとはいえ、人の過去を安易に探ろうとするものじゃない」

「ほんとはユナカくんの口から聞かなきゃいけない事は分かってる。でも今の彼にそれを聞いたら……」

 灰簾は思い返し、小さく震える。あの時のユナカは、今にも消えかけている蝋燭の灯火の様だった。一刻の猶予もない。

「お願い、あなただってユナカくんを助けたいのは一緒でしょ」

「……聞いた所で、どうにか出来るとは思えないがね。まぁユナカはずっと喋らないだろうし……」

 ザクロの視線は、琥珀と翡翠へ向く。

「知っておくべき人間もいる事だ」




 ユナカとほたるは、幼い時に両親を亡くし、しばらくは施設で、ユナカが小学校に入る時に里子として引き取られた。金識町にやって来たのもその時である。

 里親の夫妻はユナカとほたるを実の子供の様に溺愛し、おかげで彼等は伸び伸びと育った。


 やがてユナカが大学へ進学したタイミングで、夫妻は2人と別居する事となる。それは2人がより自由な人生を歩める様にという心遣いであった。が、同時にユナカとほたるにとっても、恩人が自由に人生を謳歌出来る機会が出来たと思えた。


 やがて大学を卒業したユナカは、自身の夢であった夫妻が営んでいたパン屋を引き継ぐべく歩み始める。そして時を同じくして、ほたるが高校を卒業した日に事件は起きた。


「お兄ちゃん、進路決まった!」

「遅くないか?」

「良いでしょ別に! 夢に遅いとか早いとかありません!」

 ほたるは夕飯を頬張りながらご機嫌な様子で笑う。ユナカは空いた食器を片付けながら小さく笑い返す。

「それで、何にするんだ? 困った人を助けるヒーローに憧れるほたるちゃんの進路は」

「また子供扱いするー! そんなんだから彼女出来ないんだぞー!」

「ぐ……自分は琥珀くんがいるからっていつもそれだな……」

 得意げな顔をするほたるに辛酸を舐めさせられる。片時も離れたことのなかった兄妹の、何気無いいつもの会話。

 ずっとこんな日常が続くと思っていた時だった。

「やっぱり、これかなって!」

「どれど……」

 紙に書いてあった文字。海外復興支援団体。それも紛争地帯に赴く事もあるグループ。テレビでその活動内容が特集された事もあった為、ユナカは知っていたのだ。

「困ってる人達を助ける仕事について相談したら、先生が教えてくれたんだよ!」

「そう、か……でも、難しいんじゃないか? そういうのって大学に行かないと……」

「だと思うじゃん? なんと、うちの先生の知り合いがここに入ってるみたいでさ、紹介してくれるんだって!」

「……まぁ、ほたるがそこまで言うなら」

 ユナカは頷いた。決して納得したわけではない。


 きっと断られる。少なくとも即決とはいかない筈。その間にまた考え直すだろう。そう思っていたから。


 だが、しばらくした後、それは覆る。

「お兄ちゃん! 私、海外行ってきます!」

 ほたるの言葉と、掲げられた採用通知。洗濯をしていたユナカはカゴを取り落とした。

「奇跡だよ奇跡! うちの先生が推薦してくれて、面接めっちゃ頑張って! 試験もお兄ちゃんと琥珀が教えてくれたから合格!」

 目を輝かせて、声を張って。夢が叶ったことをこんなに嬉しそうに語ってくれているのに。

 ユナカは、笑えなかった。

「お兄ちゃんと琥珀と離れ離れになるのは寂しいけど……大丈夫、ちゃんと帰るから!」

「……」

「お兄ちゃん……?」

 ほたるは俯いたまま無言になっているユナカに気付き、表情が曇っていく。

「だ、大丈夫? まさかそんなに寂しがるなんて」

「ダメだ」

「……ぇ」

 ユナカははっきりと口にした。否定の言葉を。ほたるは初めて耳にした。今まで自分が選んだ事を尊重してくれていた兄からの、否定の言葉を。

「ダメ……って、なに?」

「辞退してくれ」

「は、はぁ……? 何言ってるの?」

「人を助けるだけならもっと別の仕事があるだろ、なんでわざわざこんな……」

「こんなって何? あの時は認めてくれたじゃん!」

「すぐに考え直すって思ってたんだ」

「……いやだ」

 それに対し、ほたるもまた拒絶の言葉を返す。

「私が自分で叶えた夢だもん!」

「お前ほんとに分かってるのか!? 死ぬかもしれないんだぞ!?」

「そんなのどの仕事だってそうだよ!」

 分かっていた。ユナカがどんなに理不尽な屁理屈を並べているのかは、ユナカ自身が。

「じゃあ……お兄ちゃんもパン屋さんになるの諦めてよ。そうしたら私も諦める」

「っ……」

「ほら出来ないじゃん! お兄ちゃん自分がどれだけ理不尽なこと言ってるか分かってる!?」

「俺は、お前の事を……」

「考えて、って言いたい訳?」

 ほたるは採用通知を床に投げ捨てると、踵を返した。

「琥珀は応援してくれたよ。お兄ちゃん、そう言って自分の事しか考えてない」

 扉を叩きつける様に閉めると同時に放たれた言葉は、ユナカの心を穿った。


 そう、このまま終わっていれば良かったのだ。ただの喧嘩のまま終わらせるべきだったのだ。


『……いくらご家族の願いでも、本人の意思を尊重すべきだと私は思うのですが』

「自分でも分かっているつもりです。それでも……」

 その次の日の夜、ユナカは海外復興支援団体へ連絡を取った。ほたるの採用を考え直して欲しい旨を伝える為に。

『……お気持ちは理解できます。一度、お兄様とほたるさんと面談を行いましょう。双方の理解が得られるよう、私共も努めますので』

「分かりました……」

 電話が切れる。深い息を吐き出し、ふと視線を逸らした時だ。


「……」

「ほたる……!?」


 そこには目を見開き、唇を振るわせるほたるの姿があった。足元には紙袋からはみ出した2つのプリンが飛び出し、空いた蓋から中身を散乱させている。

「……そうまでして」

「ほたる、違う……俺は」

 しかしユナカの弁明を待つ事なく、ほたるは飛び出して行った。目元から溢れ落ちた雫の行き先には、紙袋に入っていたであろう手紙が落ちていた。


《お兄ちゃん 昨日はごめんなさい。ちゃんと話し合うべきだったのに、あんな突き放した言い方しちゃって。今日の夜はプリンでも食べて、明日いろいろお話しようね!》


 取り返しのつかない事をした。ほたるはずっと自分を信じていた。それを、妹と離れたくないという独りよがりな願いの為に裏切ったのだ。

「ほたる! ほたる!!」

 がむしゃらに走り回る。日が瞬く間に落ちていく中、それでもほたるは見つからない。

(何処に……っ、まさか)

 ユナカは1つだけ思い当たる。幼い時、そして大人になった時、いつも遊びに行っていた場所。

(金識広場!)

 ユナカは走る。自分の正直な気持ち。裏切ってしまった事に対する謝罪。夢を応援するという約束。

 それらを伝えるべく。


 だが、


「ほたる! ……ほたる?」

 その背を、金識広場で遂に見つけた。だがその姿は今にも消え失せそうな程に薄く、ドス黒い霧止めどなく流し続けていた。

「ほたる!! どうしたんだ!?」

 すぐに駆け寄り、身体を抱き上げる。だがまるで重さを感じない。閉じられていた目が薄く開くが、光は無い。

「お兄、ちゃん……」

「な、何が起きて……どうすれば、くっ!!」

 ユナカはほたるの身体から溢れる黒い霧を止めようとする。しかし手を擦り抜けるばかり。

「待ってろ、今助けるから! お前に伝えなきゃいけない事が沢山あるんだ、だから、だから!!」

「……」

 ほたるはユナカの手を握る。溌剌としていた彼女からは想像出来ないほどに弱々しく。

「止まらない…………消えないで……まだ傷つけた事、謝ってない……! まだこれから、お前と楽しい思い出を作りたいのに……こんな別れ方……嫌だ!!」

「……ぃ、ちゃん」

 透き通った手が、ユナカの頬を撫でる。


 その時、ほたるの口が小さく動いた。聞き取れない程に小さな声で、何かをユナカに伝えて。


 ユナカの腕から、ほたるの姿は完全に消えてしまった。


「はぁ、はぁ、はっ……っっっ」

 内側から何かが砕けていく様な感覚に支配され、その場に倒れ込む。まともに息も出来ず、呻き声すら出せない中、


「──────っ!!!」


 ユナカは声にならない叫びを上げた。やがて空から無数の雨粒が降り始める。あの時のほたるの涙、そして今のユナカの涙に応えるように。

 そして雨と涙で霞む視界の中、ユナカは眼にする。


 自らへ手を振る、異形の怪物の姿を。




「そんな、事が……」

 ザクロが話し終えた後、灰簾は苦しげに息を漏らした。

「私もユナカから聞いただけだがね。けれどユナカの性格を考えるに、必要以上に自分を貶める言い方こそしていたが、真実で間違いないだろう」

「ユナカさんの、妹さんが……」

 晶は未だ信じられない様子で呟いた。仲が良かった兄妹が、すれ違いで最悪の別れを遂げる。改めてアトラムという怪物が恐ろしい存在であると思い知らされた。

「それで、私が気になるのは君達2人の感想なんだが」

 ザクロは琥珀と翡翠へ視線を送る。


 琥珀は最初、怒りに満ちた顔で歯を食い縛っていた。だが何かに気づいた様な表情を浮かべると、今度は悲しげに俯いた。


 そして翡翠は、

「そういう事だったんだ」

 ただ一言、そう呟いただけだった。

「意外だな風の錬生術師。君に関してはユナカの妹が行方不明な事すら知らなかった筈では?」


「知ってたよ、最初から全部。ほたるちゃんが消えた事も、それがアトラムの所為だって事も」


 それを聞いた琥珀が顔を上げた。だが彼より早く、晶が問いを投げかける。

「誰がそれを翡翠さんに教えたんですか」

「元スポンサー、かな。……でも、私は言うつもりなかったけど」

 何処か物悲しそうに、翡翠はユナカの部屋を見る。

「先輩が自分から話してくれるまでは、さ」

「なるほど、水の錬生術師より礼儀を弁えてるじゃないか。感心だな」

「もう何とでも言えばいいわ……とにかく、ユナカくんに憑いたアトラムをどうにかする手を考えないと」

「何とかするったってねぇ」

 ザクロは席を立ち、ユナカの部屋の扉を開く。

「こんな状況は私も初め……」


 ザクロは思わず閉口する。


 ユナカの姿は、何処にもなかった。



続く

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