幕末の忍び
京。
以前より懇意にしている商人の家屋を定宿として、二人の男が膝を突き合わすようにして語らっている。
見た目には、隠居する老商人とその跡継ぎの倅。引き継ぎの挨拶まわりにという名目で滞在している二人だが、そのじつ彼らは忍び。黒脛巾の末裔であった。
「どうにも落ち着かぬ」
「何か事が起きたか、蔵人よ」
「いや、翁。まだだ」
蔵人と呼ばれた若い方の男は、座りが悪いというふうに身じろぎした。
「まだ何も起きていない。今は、まだ」
「ふむ。まだ、とは穏やかではないな」
翁は顎に手をやった。
「蔵人、我らが殿はまもなく入京なさるぞ、不安の芽は摘んでおかねばならん。おぬし、いったい何を懸念しておるのだ」
「……わからぬ。わからぬが、落ち着かんのだ」
蔵人は、手早く見聞きした事項を述べていく。
将軍警固を目的とした『浪士組』なる集団、京にやって来たはよいものの、内で随分もめているらしい。そもそも元が寄せ集め、もめて当然と言えばそれまでだが。
「それが、どうにも嫌な気がするのだ」
「ふむ」
十四代将軍上洛に従う主君に先んじて、京に入った忍び二人。京にやって来た経緯こそ浪士組と似たようなものの、立場や内情は似ても似つかない。おもに火種となりそうな、浪士組主要人物の動向をひととおり聞いて、翁はひとつ大きく息をついた。
内でもめるというのは、統制をとれる者が誰もおらぬということだ。
すなわち、牙を持った獣が飼い主もなく、ただ野放しになっている。
「恐ろしいな。肚の底が疼きよる」
「だろう。攘夷だなんだと五月蝿いところに、血気盛んな有象無象だ。まるで落ち着かぬ」
恐ろしい、落ち着かぬと言いながら、互いに不敵な目が合った。
「ああ。これも血筋かのう。蔵人よ」
儂ら忍びは、所詮乱れた世にしか生きられぬ。大嵐の前触れに、忍びの血が騒ぎおる。
そう囁いてにやりとわらった翁に、蔵人もまた口角をあげた。
「翁の場合、年寄りの冷や水にならねばよいがな」
「ぬかせひよっこが。若い者になんぞまだまだ負けん。熟練の手管とはどういうものか見せてやるわ」
煽られて、俄然はりきった翁に、蔵人は目をすがめた。
「待て翁、何をするつもりだ」
「なに、儂ら本来の仕事じゃ。流言飛語を以て、かるく一騒動起こすのよ。どこの誰が何を考えてどう動くか、情報を集めるのにこれほど容易いこともあるまい。さてさて何が釣れるやら」
「火のないところに煙を立てる、か」
「なに、こういうことは大火事になる前に、小出しに抜いてやるのが肝要なのよ。少なくとも、殿が無事京を離れるまで、最小の騒動で最大の成果を得ねばならん」
翁は膝に手をついて、よっこらしょと立ち上がる。
そのとき、二人はかすかな物音を耳にした。
「尾けられたな蔵人」
「ほざけ。翁が下手を打ったのであろうよ」
刹那。
叩ききられた障子を左右に分かれ、二人は商人の服を脱ぎ捨てた。
舞った衣を刺突が貫く。
「はは、さっそく騒動か。我ら腕の見せどころというわけだ」
蔵人は低く構えると、現れた刺客にすばやく視線を走らせた。
この敵、死に慣れている。躊躇がない。
「企み聞かせてもらった。お主らどこの者だ」
すでに構えられた真剣から殺気が滴っている。しかし、どんな手練れに誰何されたところで答えられようはずもない。
「お互い、名乗りあっては支障が多すぎると思わんか?」
翁の言葉を聞いて、刺客の頬に凄惨な笑みが浮かんだ。
「よかろう。ならば斬るのみ」
先制、的確に狙いうたれた手裏剣は僅かな動きですべて回避される。
あえて大きく動いて誘った蔵人だったが、刺客の素早さは予想を上回った。接近を許し、間合いに踏み込んでしまう。
ふりおろされた刀身。
匕首で流す、が、重い。腕が痺れる。
すぐ真横から襲ってくる返しに、蔵人は低く前へ飛んだ。
回転して起き上がれば、避けたと思った切っ先がすでに鳩尾の正面にある。
あえて心の臓腑を差し出すように、蔵人は身を捻った。
ぐっ
呻いた声は誰のものか。
そのまま顎へ跳ねあがる刃を、のけ反ってかわす。片手でその身を反転させ後ろへ。
瞬時には届かない距離が開いた。
「たしかに仕留めたはずだが」
いぶかる刺客に、蔵人は微笑んだ。懐から取り出した手裏剣には、受け止めた凶刃の痕がくっきり残っている。
「成る程。次は無い」
床を蹴ったのは同時だった。
横に一閃。
床に突き立てられた忍刀が鋭刃を止める。
ガキィィィンッ!
続けて襲いくる刀は、しかしむなしく残像を斬った。
「……上か」
蔵人が引きつけている間に、翁は梁の上へたどり着いていた。
そこには、もとよりいくつかの道具が用意済み。
梁をまたいで片側に錘のついた縄を投げた翁は、無事に蔵人を引き揚げることに成功した。
刺客の目がギラリと光る。まだ諦めていない目だ。
「急げ」
幅五寸もない梁を、大きく二歩で駆ければ直後。
裂帛の気合とともに、今の今までいた場所を刀身が通りすぎていった。風が起きる。木っ端が飛散する。
「呵々、梁を斬りよったわ」
「翁、早く」
蔵人は有りったけの撒菱を豪快にぶちまけた。
手裏剣を投げ、牽制する。
上から下へ狙うのだ、外すほうが難しい。
キンッ!キンッ!
高い金属音。手裏剣は刀に弾かれた。が、蔵人は間段なく手裏剣を放つ。
さしもの刺客も、その刀で叩き落とすので手一杯になる。
「よし、開いたぞ」
屋根の脱出路を確保した翁が、外をうかがう。
「……下に三人だ」
「面倒だな」
刺客の仲間が待機していたようだ。
「ふむ、風が厄介だが仕方あるまい」
煙玉を使う、と指示され、牽制を続けたまま蔵人は微かにうなずく。
慣れぬ土地ゆえうまく風が読めればよいが。煙が風で消えてはたまらんの、とぼやく翁である。
二人が屋根の上に躍りでると、さすがに気付かれた。軒下が殺気立つ。
「何奴!」
「不審の輩め!」
「名を名乗れ!」
翁の読みどおりに、そのときちょうど風が止んだ。
足元に叩きつけた煙玉から、あたり一面、煙が朦々と立ちこめる。徐々に視界がなくなっていく。
先に行く。正午、第三会所。
また落ち合おう、と短く告げた蔵人の姿は、一瞬後には濃い煙の中に溶けた。
蔵人には刺客を引きつけてもらったが、翁は未ださしたることもしていない。先に行かせることに否やはない。
蔵人の逐電から、多少の時間は稼いでやろう。
翁は居直り、騒ぐ敵方に親切にも答えてやることにした。
「さて、問われたゆえに返答する。尊皇も攘夷も儂らは知らぬ。我が殿の望みは、ただ、飢えも病も無い世それのみ」
尊皇だの攘夷だのと大層なこと、一介の忍びには荷が勝ちすぎる。
しかし、己が眼で見てきたことならばわかる。覚えている。
多くが死んだ天保年間のあの大飢饉も、未だ尾を引く安政の虎狼痢の蔓延も。
殿のそばで、翁はずっと見ていたのだ。
大飢饉のときも、流行り病のときも、打ち出された策が大した成果も得られなかったこと、遅きに失したこと、いくらでもある。それでも、彼らの主が諦めたことはない。飢えに死す者を見れば飢えがなければよいと願い、病に侵された者を見れば病がなければよいと願っている。
心ある人であれば、それは自然の思いかもしれない。
しかし、その思いを現実にするのは、尊皇より攘夷より、なにより困難なことだ。
まだ騒がしい軒下を無視して、煙の中、翁は身を翻してひとりごちた。
「そう考えるとなかなかどうして、儂らは欲が深い」
かつて翁と蔵人の祖先である忍びは、きっと、戦に苦しむ者を見て戦の無い世を望んだのだ。
なのに、そうして訪れた太平の世の終わりで、今また更なる世を夢見ている。
微風が煙幕を散らしたとき、忍び二人の姿はもうそこに無かった。
お読みいただきありがとうございます。
しばらく前、忍者ショーを見ました(数年ぶり二度目)
忍者ショーは殺陣がメインだと思うので、ストーリーが毎度似たようなテンプレでも良いんですよ。
良いんですが、ちょっとは違ってもいいんですよ?
と思って書いた、反省はしている(史料ひとつも読まなかったので!)
忍者ショーっぽく書けてるでしょうか?




