包丁
連続ラジオドラマの内容は、少年少女からなる
アイドルグループが奮闘するというストーリー
だった。
人型なぞ断片たりとも存在しない世界が舞台で、
ジジイはその世界観にどっぷりとハマっていた
そして、主要人物の一人である
"朗々たるテノールボイス"の
キャラクターを追いかけていた
多いとは言えない彼のセリフを注意深く
拾うジジイ
。。。。。。。。。。。。。。。。。
「普通のおっさんじゃねえか!」
「こ...これが本場ロサンゼルスの」
「バッハじゃないよ、モーツァルトだよ」
「ほら、輪郭がボウっと....
これね、基〇外の顔ですわ」
。。。。。。。。。。。。。。。。。
やがて、クライマックスシーンを迎える
いつも通りの展開なのだが、最後に
アイドルグループのメンバーたちが合唱した
いかにも若者受けしそうな
キンキンアニメボイスの男女混成合唱の中、
朗々たるテノールボイスのオペラ声が
異質に思える.....
ラジオドラマが終わり
しばらく余韻に浸かった後、ジジイは
操舵室の窓から前の船首のほうを眺めた
白い髭を右手で撫でながらつぶやく
「思った以上に大漁だったみてえだ」
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魚庫の中のイセエビは100匹は居ると思えた
ジジイは、ブリッジの中の操舵室から出てきて
船首の魚庫を見下ろして言った
「なんだこりゃ!
こんな大漁のイセエビ、見たことねえぜ!
やっぱり、漁場はここがいいな。
それにしても良くやったな、リナ、リサ」
隣で、孫のヨッシーが相槌を打った
「ああ、全部20センチを超えてて大物だ!
なんだか年々、
海が豊かになってるみてえだな。
沖合のイワシ漁もすげーことに
なってるしよ」
リナとリサの双子姉妹は、
船首の甲板に上がっていた
頭をすっぽりと覆っていた黒いフードを脱いで
水を含みながらもフワリとした
ミディアムロングの髪を振りながら、
リナが答えた
しかし、それは、ジジイに対してではなく
ヨッシーに対してだ
「そうだね、もっと小さいのなら岩の隙間に
びっしりと居たよ。
来年か、再来年くらいにはそいつらも
食べ頃のサイズになると思う。
漁も更に楽になるだろうね」
ジジイのほうではなく、
ヨッシーのほうを向いて答えるリナ
妹のリサも、ジジイのほうではなく
ヨッシーのほうに視線を向けている
ジジイは、そんな双子姉妹の態度に
構うことなく言った
「本当によくやった、これから他の船が
早朝に仕掛けた刺し網を回収する仕事が
あるんだが、その前に昼飯にしよう。
ジジイが、お前たちが採ったエビを捌いて
食わせてやるからな」
すかさずスミレが言った
「んじゃあ、囲炉裏に火を入れるね!
リナねぇも、リサねぇもご苦労様...
ほら、にぃ、準備しようよ」
スミレがヨッシーに向けたそのこすからい
鋭い目は、どこか困っているように思えた
ヨッシーも同じような視線をスミレに返す
そして、ジジイとヨッシーとスミレの
小島一家3人は、
魚庫から数匹のイセエビを取り出すと、
船尾のほうへと移動した。
エンジンルームのさらに後方の船尾には
木製の箱のようなものが置かれ、鉄製の蓋が
被せられている
蓋を開けると、そこには小さく窪んだ空間に
灰が敷き詰められていた
3人は、テキパキと囲炉裏に薪を置いて
瓶に入れた”魚油”を注ぎ、火を起こした
「島」にとって、沖合漁業で採れるイワシは
とてつもなく重要だった。
それは、単に食料になるだけではなく、
「魚油」と「肥料」という重要な生産物が
手に入るからだ
小さな島の中では、火を焚くための燃料と
農作物を育てるための肥料を手に入れることは
難しい。
しかし、沖合で大量に採れるイワシは
それらをもたらしてくれるのだ
ただ、おかげでとてつもなく臭い.....
大量のイワシを肥料にするために
天日に晒している島の中は、
常に腐敗臭が漂っている
そして、この「つぎはぎ丸」においても、
魚油を燃やす時の独特の臭みが漂い始める
......
双子姉妹はシャワーを浴びていた
シャワーとは言っても、ブリッジの左舷後方
から突き出した金具に細長いポリタンクが
取り付けてあって、ポリタンク下方の
蛇口を捻って中の清水を出すだけの簡易な奴だ
ウェットスーツ姿のまま、塩分を洗い流す姉妹
妹のリサは、そのままそそくさと船尾へと
向かったが、姉のリナは足元の雑具箱の中を
探った
そして、一振りの包丁を取り出す
「.......」
包丁を持ったリナの視線の先には、
囲炉裏を囲む4人の姿
ストレートの長髪を無造作に後ろで束ね、
Tシャツと茶色のショートパンツ姿のスミレ
フワリとしたボブショートの髪に、卵型の
パッチリした目にウェットスーツ姿のリサ
変態巨根少年のヨッシー
3人とも、囲炉裏の中の火を見つめている
そして、リナは切れ長の目を険しくして
最後の一人を睨みつけた
こちらに背を向けて長身を屈め座り込んでいる
ジジイの禿頭....
包丁を持ったまま、無言で向かう
ジジイは、じっとしていた。
リナは、ジジイの背後で立ち止まった
一呼吸の間の後、ジジイは振り向いて言った
「お、包丁を持ってきてくれたか!
ありがとうなリナ。
ほら、火に当たって身体を暖めな、
今から伊勢海老汁を作ってやるからな」
そして、白い髭に覆われた口元の端を上げて
ニヤリと笑ったのだった