漁
仮眠室から少女3人が出て行ってから、
ヨッシーは腕の中に埋めていた顔を上げた。
一息ついてボソッとつぶやく
「あぶねー」
エンジン音が消えていて、
船の揺れが感じられる
股間の冷却も終わったので、
ヨッシーは仮眠室から出た
四つん這いで操舵室まで出たが、ジジイは
居なかった
そして、ブリッジの出入り口から
左舷のほうに出てみると、
ジジイはエンジンルームの更に後ろの
船尾のところにじっと立っていた
長身に禿頭と白い髭のジジイは、
両腕を組んで、ただでさえ鋭い目つきを
更に鋭くさせてじっと陸のほうを見ている
「あそこは地獄だ、
俺達が立ち入っちゃあいけねえ
いわゆる外界ってやつだ」
ジジイの言葉に釣られて、
ヨッシーも陸のほうを見た
切り立った黒々とした岩肌と、
その上部に見える緑色の木々
全くもって、のどかで正常な風景に見える。
”それ”さえ存在していければ....
「でもよ、そこで生き残ってる連中も
居るんだろ?
チョコボーラーにリバーサイド同盟に」
ヨッシーは未だに”それ”を生で見たことは
一度も無かった
3年前だって、いち早く
漁港町から島に避難していたし、さらに
島でゾンビパンデミックが起きたときも、
母親と妹と共に家に閉じこもって
大人たちが”それ”を処分するのを待っていた
誰が言い出したのかは知らないが、
いつの間にか”それ”は
”人型”と呼ばれるようになった
....人型は本当に恐ろしい存在だ
なぜならそれは、ヨッシーにとっては
スーパーマンに見えるジジイの左腕を
かっさらっていったのだから
「ああ、その通りだな...」
ジジイはヨッシーの言葉に短い相槌を打つと、
黙って陸のほうを見続けている
そして、船首のほうに目をやると、
リナとリサの双子姉妹が
Tシャツを脱いでいるところだった
ジジイは陸を見続けていることで、それとなく
彼女たちのほうから目を反らしているのだが、
ヨッシーは遠慮なく彼女たちを眺めた
眩いばかりの競泳水着だけの姿になった
リナとリサ
2人は身体をくねらせたり屈伸したりして
準備体操をしている。
そして、妹のスミレが、
それぞれのウェットスーツを姉妹に手渡した
すぐに、双子姉妹は
小学校の時にTVでよく見ていた
戦隊シリーズの雑魚戦闘員のような姿になった
頭まですっぽりと覆った間抜けな黒一色の
ウェットスーツに、潜水眼鏡
そして、ようやくジジイが船首のほうを向いて
言った
「リナ、リサ、ここはお前たちにとって
初めての漁場だ。
まあ、釈迦に説法かもしれんが
カレントに気を付けろ、そいつに遭遇したら
流れに逆らうんじゃなくて
横切るようにして逃げろよ。
後、潜水病にも気を付けろ...」
長々と注意を並べ立てるジジイの言葉を
尻目に、姉妹は黙々と潜る準備をしている
スミレが、船首の格納庫の中から
次々とエビカゴを取り出している。
ヨッシーもそれを手伝いに向かったのだった
........
伊勢海老漁は、エビバサミとエビカゴを持った
双子姉妹が、素潜りで岩の隙間に居るエビを
捕まえるという単純なものだった
「つぎはぎ丸」の少し先の海面には
発泡スチロールの浮き輪が浮いていて
それは、船とロープで繋がっている
さらに、その浮き輪から海中に居る
双子姉妹にもロープが繋がっている
ふいに、海面から潜水眼鏡を付けた
黒くて丸い頭部が出現し、
ヨッシーにエビカゴを投げてよこす
ヨッシーは、すぐに新しいエビカゴを
投げ返した
後ろでは、スミレがエビカゴに入った
伊勢海老を、船首の甲板下の魚庫に
入れている。
そこには、おが屑が敷き詰められていた
(本当に、天才スイマーだな...
たいしたもんだぜ。
本来は、こんな田舎でエビなんて
採ってないで大都会で金持ちの親の元、
何不自由なく暮らし、
華々しい世界大会に向けて水泳に打ち込んで
いたろうに...
どうしてこうなっちまったんだろ)
本来なら自分と姉妹は会うことも、
ましてや、こうして
一緒に漁をすることもなかった立場なのだ
しかし、ヨッシーも、
おそらくは姉妹も知っていた
こうして、生きて食料を得ていることが
いかに幸運なことなのかと
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その頃、ジジイはブリッジの中の操舵室で
一人の時間を得ていた
目の前には、齧られたリンゴのロゴが付いた
タブレットPCが2台。
横置きの大型のやつと、縦置きの小型のやつだ
大型の奴には船舶用のビーグルマップが
表示されていて、GPS機能によって
船の位置が分かるようになっている
ジジイは、小型の奴の画面を指で操作していた
もう、いつでも死ぬ覚悟は出来ていて、
自宅のパソのDドライブも初期化してある
しかし、こうしてわずかな楽しみを持つくらい
天は許してくれるだろう
「リバーサイドラジオ」から流れるのは、
若い女性パーソナリティの
キンキンとした甲高い声だ。
しかし、ジジイのお目当ては、
連続ラジオドラマの声優の一人である、
魅惑的なテノールボイスを持つ男の声だった
ジジイの年頃になると、
耳に響く女性のアニメボイスよりは、
落ち着いたテノールのほうがいいのだ