つぎはぎ丸
早朝の海原を走るその船は異様な外見だった。
それは木造なのだろう、荒い塗装ごしに
横に流れる細い板の段々が見受けられる
そして、船首寄りの部分に
一本のマストが立ち、マストから後方に
台形のガフセイルが張られ、
船首からマストの頂きに渡されたロープに
三角形のジブセイルが張られている
つまり、一本のマストに2枚の縦帆が張られた
スループ帆船と呼ばれているタイプだ
ただ、異様なのは、船尾寄りの部分に
漁船のブリッジと、その後方に高さ1メートル、
長さ2メートルくらいの鉄箱、
つまりエンジンルームがあるのだ
それは、戦前の日本で多く就役していた
”機帆船”と呼ばれた船によく似ている
ブリッジ、つまり操舵室からジジイが言った
「ヨッシー、スミレ、風上に向かっているぞ
タッキングの準備はいいな!」
ヨッシーとスミレは、ブリッジのすぐ前方の
右舷と左舷にあるシート操作用ビットの側で
スタンバイしていた
やがて、左舷寄りにピンと張っていた帆が
バタバタとはためき始める。
2人の兄妹は、
ガフセイルを操作するためのメインシートと
ジブセイルを操作するためのジブシートを
慌ただしく調整して、帆の向きを入れ替えた
こうして、風上に対して
ジグザグに帆走しているのだ
やがて、「つぎはぎ丸」の帆走は安定し、
ヨッシーはようやく一息つく
本来なら、15歳のヨッシーは
今の時期は中学の卒業式を迎える頃だ。
そして、来月から高校生になるはずだった
(でも、結局俺は、中学も高校も行くことは
無かったな...まあ、それはスミレも同じか。
あいつだって、本来なら来月から
中学2年生だもんな)
右舷のほうに立つ妹に目をやる
自分と似て、こすっからい目をした
残念な娘だ。
小島家特有のこの目つきは、
ジジイとヨッシーとスミレに脈々と
遺伝している
ジジイの年齢くらいになると、この目つきも
渋みを帯びて魅力的に見えるのだろうが、
10代の兄妹にはちょっと残念すぎると言える
13歳のスミレは、ストレートの長髪を後ろで
無造作に束ね、
Tシャツと茶色のキャンバス地の
ショートパンツ姿だ
Tシャツごしに薄っすらと水着のラインが
浮いているが、
それは、双子姉妹を真似ているのだ
再び、ブリッジからジジイの声が言った
「速度は4ノットか...まあ、上等だな。
貴重な軽油を消費するわけにもいかねえから
帆走だけで行くぞ、
この調子だと後、1時間と言ったところだ
リナとリサにはまだゆっくりとお休みして
貰うが、お前たちは次のタッキングだぜ、
ほら、ケツを上げねえか!」
ジジイは、2人の孫にテキパキと指示を
出したのだった
.........
陸地が見えてきた頃、「つぎはぎ丸」は帆を畳んで
ようやくエンジンを始動させた
深青色の3月の海の先に見えるのは、
ゴツゴツした黒い岩肌とその奥の緑色の木々。
漁船に驚いたのか、所々で魚が水面から
ジャンプしはじめる
ジジイは独り言を言った
「人間の活動が停止して3年、
海は急速に豊かさを取り戻している...
本当に、人間ってのは自然界にとっては
とてつもない害悪だったんだろうな」
....だとしたら、自分たちは
どうして生きているのだろう?
あんなことをしてまで、なんで自分たちは
生き残っているのか?
ジジイは、自分の左腕を見つめた
それは義手だった
それも、とてつもなくハイテクな義手で、
3本指のロボットアームだった
メタリックに輝く白い腕の部分には、
「ビーグル社」のロゴが入っている
ふと、ヨッシーの声でジジイは我に返った
ブリッジの左右は出入り口なのだが、
その左舷のほうから
ヨッシーが身を乗り出してこちらを
見ていた
「おいジジイ、そろそろあの姉妹を
起こしていいだろ?
今度はあいつらにたっぷり働いてもらうぜ」
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ヨッシーの目から見えるジジイは、
背が高く、禿頭で、白い髭が顔半分を
覆っている
左腕の3本指のロボットアームは
舵輪を操作し、
右腕はアクセルレバーの上に置かれている
そして、ブリッジの前方の窓の部分には、
齧られたリンゴのロゴが入った
タブレットPCが2台、並べて置かれていた
それは、「ビーグル社」が提供する
GPSシステムによって
船の位置が詳細に把握が出来て、
まるでカーナビのように
最適進路や風向き情報を提供してくれる
さらに、「リバーサイド.ラジオ」の受信も
出来るのだ
ヨッシーは思った
(これから、いつも通り、
連続ラジオドラマを楽しむんだろうな
....ジジイ)
ヨッシーが言葉をかけると、すぐに
鋭い目つきがヨッシーのほうを向いて言った
「ああ、リナとリサをそろそろ起こして
差し上げないとな....
ヨッシー、ご機嫌を損ねないように
柔らかく接しろよ!」
そう言って、ジジイは白い髭に覆われた
口元の端をニヤリと上げたのだった