前
運命の伴侶を探してるんだ、と、かれは言いました。
* *
ルクレナ島は、ココナッツの実のような形。
島で生まれ、島で過ごし、ここ以外を見たことのないアレイナは知りませんが、船でここを訪れる旅人はみな、口々にルクレナ島を誉めそやします。
風は年中穏やかで暖かく、日差しは燦々と。
雨はしょっちゅうですが、お陰でわずかですが島の真ん中にある森は潤います。流れる川は清く、湧き水豊かです。
島は大きくありません。
ほぼほぼ大人の足で砂浜をぐるりと一周しても、一日とかかりません。
近くに冷たい海流と温かな海流のぶつかるところがあるらしく、魚も豊富だと聞きます。これは、漁師たちの会話からの受け売りですが。
アレイナは、森と川、それに白砂がうつくしい海沿いしか歩けません。船でごった返す港や人家にはあまり近づけないのです。
アレイナは、人間ではなかったので。
「きみ、人じゃないんだね。妖精? ……違うな、幽霊みたいだ。あっ、ごめんね。見たことはないんだけど」
ある日、一人の青年が森に迷い込みました。
船乗りや漁師のわりには細身です。一目で外の人間だとわかりました。
アレイナは、棲みかの泉に身を浸していました。
こうしていると、ときどき湧き水を求めて人が来るのです。
でも、島の人間は誰もアレイナに気づかないので。
(この人、わたしが見えてるんだわ……!)
自分のことをわかる人間、というのはとても新鮮でした。それで、つい近づいてみたのです。
案の定、青年はびっくりしていました。
それでも少しずつ、外のことや自分のことを話してくれました。
「僕はユーリ。ここには、わけがあって……その……」
「?」
泉の縁に腰かけ、緑の影が二人の頬や髪を彩る昼下がり。
アレイナの目線に合うよう、片膝をついた青年は静かに告げました。
――定められた、伴侶を探しに来たんだ、と。
* *
『はんりょ』ってなぁに? と首を傾げる少女が、ふわふわと腰まで届く金の髪をなびかせました。
風は、いつも南の海から。
二人はいま、それを額に受けて川沿いを歩きます。右側からは、沈みそうな夕陽が長い長いオレンジの光を投げかけていました。
“こっちに島の人間が集まる市があるよ”と教えてくれた、アレイナの助言にしたがってのことです。
ユーリは、たった一人で島の北側に上陸した、外つ国からの漂流者でした。
乗ってきたのは屋根のない小舟で、嵐に遭って転覆しなかったのは奇跡でした。
とにかく真水が欲しくて森のなかに入ったんだ、と、ほんの少し顔を赤らめる様子は可愛らしくて、アレイナは思わずにっこりと笑ったものです。“水ならいくらでもあげるわ。でも――”
まじまじ眺めてみると、ユーリはひどい格好でした。
元は白かったのでしょう。肌は、長く陽に晒されたせいでひりひりと痛そうに灼けています。
焦げ茶色の髪はパサパサ。着ている服も高波を被ったのか生乾き。これは、ただ真水を分ければ良い、というものでもなさそうだとアレイナが判断するまで、そう長くはかかりませんでした。
ここは、身分の高い人間が休日を味わうための別荘を建てたり、船が水や食料の補給に寄港する島です。きっと集落に行けば身なりを整えることも、ちゃんとした食事をとることもできるでしょう。ずいぶんと長く旅をして求めたという『はんりょ』にだって、会えるはずです。
半透明の体と、光を織りあげたような金の髪の向こうに夕空を透かし見て、ユーリは複雑そうにほほ笑みました。
「伴侶、というのは結婚相手のことだよ。僕の国では、偉い占い師が王にさまざまな進言をするんだ。王は――僕の父でもあるんだけど」
滑るように水面を歩きながら、アレイナはぱち、と目を瞬きました。
(ということは、あなたは王子様なのね)
心に浮かべた言葉は、やはり伝わっていたようでした。ほほ笑みが、ほろ苦い笑みに変わりました。
「そう。いちおう、世継ぎの王子だったんだ。でも『定められた運命の伴侶を得られなければ、この者は王にはそぐわない』と言われて。……国中の乙女と見合いさせられて。それでもわからなかった。僕の他にも王子はいるから。『見つかるまでは帰ってくるな』って、旅に出させられたんだ」
アレイナは、人間の女の子であれば「まぁ」と言いそうな表情をしたあと、つ、と指先でユーリの後ろを差しました。
ささやかですが毎日市の立つ、島では一番大きな集落です。広場に品物を広げたテントはまだ残っていますし、村の長に話を通せば滞在も許してくれるでしょう。
アレイナの言いたいことを汲んだ青年は、ほっと瞳を和らげて水上に浮かぶ少女に礼を告げました。
「ありがとう」
手を振り、離れる背中をほんのり寂しい気持ちで見送ります。アレイナは(きっと、ユーリは探し物を見つけるわ。そうしてわたしを忘れちゃうんだわ)と、ちょっぴり拗ねて森へと帰りました。
清らかな水のあるところ。島の周辺の浅瀬。
アレイナにとっては、そこがすべて。
どれだけ心惹かれるものがあっても、人の暮らす世界には近づけないのです。
やがて、蛍がちかり、ちかりと夕闇に光り始めました。
自分と似た光です。
まるで(かなしまないで)と言ってもらえている気がして、アレイナはほんのりと笑みました。
自分ではわかりませんでしたが、それは、先ほどのユーリのようなほほ笑みでした。