言葉の伝わり方の妙
さて、「最近読んでいる本はなんですか?」と聞かれたら躊躇なく「取扱説明書」と言ってしまうのが妙に恥ずかしい私ですよ、こんにちは。
私の先輩からお聞きした話なのですが、その先輩のご友人(っていうのだから、殆ど私からすれば他人ですね)が、生まれて間もない子供に対して、一生懸命に言葉を教えようとしたそうな。
先ずはベーシックに「パパ」という言葉を認識してもらおうと、その子に向かって自分の鼻を人差し指で指しながら「パパ・・・パパ・・・」と繰り返していたようです。
その後、「パパ」と呼びかけたら、その子は「自分の鼻」を指さすようになってしまったそうで。
誠に言葉を伝えるのは難しい。
言葉といえば、日本語には当て字というのがありますよね。
先般、イチョウの葉のお茶を頂きました。イチョウの葉は漢方でも良く使われるアイテムです。購入した所の店員さん曰く、「銀杏はイチョウと言うくらいですから胃腸に良いのですよ」と駄洒落とも何ともつかない面白いことを仰っていました。でも、そんな風に聞いてしまうと何やら本当に胃腸にいいような気がしてくるのだから不思議です。
当て字の表現というのは、上手く使うとこの上なく気持ちのいい響きをもたらしてくれますね。
例えば豆腐。
「豆腐」と書かずに「豆富」と書くと、何か幸せな気分になります。
ちょっとずれるけど「肝心要」。
その昔は「肝腎要」と書いていたそうな。
肝臓と腎臓は密接にリンクしている臓器同士ということからそういう表現ができたらしい。が、それがいつの間にか「とても大切」の意味合いが「つながり」よりも「ポイント」になってしまったようで、そこで腎臓が心臓にとって代わられた様です。んー、つながり重視のほうが個人的には好みなんだけどなぁ…等と。
そういや「卵」と「玉子」。いつも使い分けで悩むわ>我
日本語が面白いというよりも、外国語との違いが著しいのがその「文法」。
以前、お付き合いしている銀行の担当チームの中に、帰国っ子の若い人材がいました。
帰国とはいえ、まだ日本語がままならない彼。
ある日私がその銀行に電話をしましたところ、彼が電話口に出たのです。
ちょっと難しそうに日本語をしゃべる彼。
日本人だったら「どちらさまですか?」と尋ねるところを、
「私は誰と話しているのでしょうか?」と彼は尋ねてきました。
しばらく私も一緒になって考えました。