手術の思い出
病院でオペの最中にBGMを流すというスタイルが、最近では多くなってきてるらしいです。
患者の精神的負担を和らげる意味もあるそうで、『なるほどそれはいいかも!』と思った。
でもこの間、友人が言ってたけど「猪木のテーマ」で執刀医入室で、『それでは、これより開始いたします』と同時に「キューピー3分間クッキング」になったらどんだけRockなのさ!と思っちゃいました。選曲、大事ね。
そういや随分昔の話だけど、釘の出た椅子に座って尾てい骨をどうにかしてしまい、腫れちゃってさ(声が出ないくらい痛かったんです…なので、中学校の美術の教室を今でも恨んでる)、部位が部位だけに恥ずかしくて病院に行けなくてね、放っておいたらシコリになっちゃった経験があるんです。
その後、社会人になる前に、就職内定先から「社会人になってからまとまって休むと、人事考課に響きかねないから『そういうの』は、今のうちに除去しとくことをお勧めします。」と言われてね、『仕方ない、やるか』と、日赤病院でオペしたことがあるんです。自分史の中で初めてのオペでした。
手術着になって、ストレッチャーに乗り、部位が部位だけに下半身は裸状態で俎板の鯉で手術室に入室。
そしたら、高校の同級生が看護婦でそこにいてね、
「あれ?〇〇ちゃんどうしたの!?」と聞かれたっけ。
「どうしたもこうしたも、手術しにきたんだよ。」そう答えるのが精一杯でした。
秘部を全部見られた。
恥ずかしさが緊張感を超えた一瞬だったな。。
その当時は、さすがにオペ中のBGMとかはなかったけど、執刀医のフランクさには驚いたというか、心配にもなったっけ。
「この間さぁ、馬券、外しちゃってね、えらい損しちゃったんだよー。」とか言いながらオペされたのよね、私。
「あ、〇〇さん、痛いですか?」
「そ、そんな気もしますが。。」
「そんな筈ないでしょー、大丈夫、痛いはずない。」
こんな会話もしました。
麻酔が切れた後の地獄は強烈だったし、それより何よりぶっとい針金上の脊椎注射を刺された時の激痛と言ったら自分史上最強クラスでしたな。
あ、そうだ、大部屋に入院してたんだけど、他の5人とも随分会話しました。
隣の人はトラックの運転手。大腸かなんかのオペ。「いてぇんだろうねぇ、やだなー!」と、ガタイはすごい立派なんだけどものすごくビビっていたのが印象的。
かと思えば、結構な年配の方でやたらと腹の傷跡を披露する方がいて、「そんなのちいせぇちいせぇ、俺なんか24針だぜ!」と自慢しておりました。
皆さん、今でも達者でおられることを祈ってます。
なんか、色々思い出しちゃったわい。