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アパートの思い出

 私がかつて住んでいた超弩級アパートが改装されてしまう夢を見た。

改装されたら、そこはカプセルホテルのような仮眠スペースになるらしい。

新しく立ち上がった暁には往年のAV嬢が遊びに来るという、何だかむちゃくちゃな夢だった。


が、その夢のおかげで、かつてお世話になったあのアパートを思い出した。

超弩級のあのアパート。。


もう、何年前のことになるのだろう。

 そのアパートを選んだのは、それまで住んでいた家から近かったこと、そしてお値段が安いことが魅力だった。どのくらい近かったかと言うと、歩いて200m程度しか離れていなかったのである。お陰で引越しは殆ど自力で行い、業者を頼んでの引越し作業なんてのは、冷蔵庫などの大き目の物体に限定されたので、お値段的にも破格の安さで出来た。

 家賃は一ヶ月でン万円だったが、近隣の相場と比較しても、かなりリーズナブル。しかし、安いのにはそれなりの訳があった。

昭和40年代築、木造モルタル2階建。壁の厚さは多分薄い。気にしなければ気にならないレベルだが、隣の音もそれなりに聞こえてしまう。そんな生活臭が妙にジャストフィットしてしまった。


ただ、困ったことがひとつだけ。それはそのアパートの名称であった。


「菖蒲荘」


この名前だけならまだしも、私の契約した部屋は、102号とか203号とかではない。


「芍薬号」


だった。

この名称、電話で住所を語ると必ず聞き返される厄介なものだった。


「それでは郵便で手配しますので、お客様のご住所をお願いいたします」


「東京都○○区○○町○-○○、アヤメソウ…」


「えっと、アヤメは…」


「ショウブとも書きます」


「え・・・あ、はい。それでお客様の号室は?」


「芍薬号」


「は?」


「シャクヤクです。薬草にも使うアレです」(多分、そういう問題じゃない。)


「え?」


「だからシャクヤク。」


「あのぉ、号室は…?」


「んなモン、ありません。あるのはシャクヤクです、シャクヤクゴウです」


 まるで旅館のように大きく出た名称の我が家は、しかし木造モルタル昭和40年代。

ロマンを感じるかどうかは別としても、自分でその名称を書くのも一苦労だ。友人と一緒に住所を書き始めると、いつも私が何時までもペンを握っていることになる。

「菖蒲…」から始まって、「芍薬」に至るまで、実に5文字が「草冠」オンパレードなのが凄い。ちなみに私の隣は「菊号」で、反対隣が「向日葵号」、下の部屋は「土筆号」であった。多分、この住人の皆さんは等しく住所を書くのにご苦労なされたに違いない。 只一人、一階の入り口付近の世帯の方は「葵号」の筈だが、郵便受けにも玄関ドア先にも、葵の文字を隠すようにして「101号」と上書き保存していたので、その部屋は101号で通したに違いない。頭脳犯だね。


結局、私はそのアパートに6年くらい住んだ。

慣れてしまえば、それも都だ。


時々給湯器が火を噴いて壊れたこともあった。

お風呂の釜が火を噴いて止まったこともあった。

洗濯物干し竿の止め具が外れて、物干し竿が下に落下したこともあった。

ある日押入れを見たら、その壁に「さゆり命」らしき落書きもあった。

何処をどうしたのか、天井には足跡らしき「汚れ」が点々と続いていた(寒気がした)。

窓を開けると隣の家があるのだが、そこに住んでいる人たちはブルジョアっぽかった。

夜中に良い気分で歌っていると、下の階の人から「うるさいぞ!今何時だと思っているんだ!」と、怒鳴られた。2時だった。


そういや、洗濯機の排水口が外れてしまって水がどばっと出て漏水事故を起こしてしまい、下の階の人に物凄く迷惑をかけたこともあったっけ。翌日にそうめんを3000円分購入して、侘びを入れに行ったです。

「昨日は、大変ご迷惑をおかけして、すみませんでした(ぺこりっ!)」

「い、いやいや、分かってもらえればいいんだよ」

「これは、ほんのお詫びなのですが」

「そ!そんなことしなくても良いのに!」

下の階に住まうご老人、「そ!」といった瞬間に、入れ歯が外れてしまったっけなぁ…。


私の隣の部屋には、日本人が住んでいるのだけど、私が知る限りでは、3人以上違う方がその部屋に住んでいたような気配がある。誰が主なのかさっぱりわからないが、ある日のこと、そのうちの一人が私の部屋をノックしてきて、

「すみません、ちょっと、助けてください」

と、ヘルプ出しをしてきた。

聞けば、トイレの水が流れっぱなしで止まらなくなってしまったそうだ。

とりあえずスパナとペンチは常備していたので、そいつで何とか修復をしてあげたこともある。お返しにカステラを頂いた。


洗濯物が下に落っこちた時には、律儀にも下の階のおじいさんが

「これ、落ちたよ」

と、持ってきてくださった。

お礼に、ワンカップを差し出した。


新聞の勧誘で困ったこともあった。

宗教の勧誘で困ったこともあった。


でも、今となれば、どれもこれも懐かしい思い出だ。

思うに、状態の芳しくない住処には、人のぬくもりのようなドラマが絶えず用意されているように感じる。新しい近代的な超スーパーな小奇麗住処では、こういうことは無かったと思う。ビンボーでよかった


なぁんて、思わねぇぞ!


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