としごろ
ベランダのプランターに「二十日大根」の種を撒いてから十九日経っても芽は出てこず、二十日目にして漸く出てきた。「二十日」ってそういう意味だったっけか?と空を見上げてました。
それはそうと、さっき「めぼしをつける」という言葉が出てこなくて「何をつけるんだっけ?えーっと、め、め、 めはな!」とか言ってしまった。
一旦「めはな」と言ってしまうと不思議なもので「めはな」呪縛にかかってしまい、「めぼし」は何処かにすっとんでしまいます。恐ろしいことですね(単なる物忘れですね)。
咄嗟に名前やら言葉やらが思い出せなくなったとき、目をつぶって、深呼吸して、関連する単語や言葉を考えると、思い出すことが出来るらしい。そんなことを何処かで聞いたけど、咄嗟の時にそんな悠長なことは出来ないですよね。
集まりの席で言葉が思い出せなくて、場がシーンとなってしまうほど息苦しくなることはありません。必死になって思い出そうとすると、いよいよその気持ちに煽られて思い出せなくなるものです。
以前、酒の席で盛り上がって外タレ大物ミュージシャンの話題になったとき、中々「ビリー・ジョエル」って名前が出てこなくてね(しかもお互いに)、
「あれ、あれだよ、えーっと、なんてったけな?スティービーじゃなくて、、えーっと、ストレンジャーとかが売れたミュージシャンで…」と振るも、相手も、
「ああ、あれね、シルベスター・スタローンに似てるあいつでしょ?」と切り返してきて、
「そうそう、スタローンに似てる奴~」と応答し、最後までビリー・ジョエルは「スタローン似の外タレ」で終始してしまった。年頃だね~
そういや、山口百恵さんに「としごろ」という歌がありましたな。デビュー曲でしたっけか?
『めざめてくる としごろよ~♪』っての。
そのン倍強の歳を重ね、いまや違うものにめざめてきたみたいで、胸がときめくというよりもざわついとるわ。