王家の紋章
凡そ少女マンガに手を染めた人なら、たとえその内容は知らなくともタイトルだけは深く心に刻み込まれているであろう「王家の紋章」。
かつて私もこの作品を読んだことがあるけど、今じゃ遠い記憶の彼方へ吹っ飛んでるです。それが、ひょんなことから単行本を何巻か入手してしまい、この機会に今一度復習することになっちゃいました。それに先立ち、ビックリしたのは、この作品まだ「現役」であるということ。足掛け何年になるんだ?>紋章
お話しを要約すると、主人公のキャロルという考古学好きなアメリカ人の女の子がエジプトは王家の墓に訪れ、呪いをかけられ3000年昔にタイムスリップ。んでもって過去(エジプトの王朝が栄えていた頃ね)と現代を行き来しながら古代エジプトの王様と恋に落ちる…。そんなステージをベースにしています。
で、その流れはというと「逃げる→捕まる→ナイルに落ちる→現代に戻る→また過去に行ってしまう→トラブる→逃げる→・・・」をひたすら繰り返すわけ。
このパターンが、10巻近くまで読んできた現在までずぅーっと続いている。もし40巻くらいまでこの繰り返しで行くとなると…かなりハードコアだな。
太古の昔に主人公は行ってしまうが、折を見て「その頃20世紀では・・・」というCM(?)が1ページくらい挿入されているのも気配りだ。
主人公は物凄く色んな事件に巻き込まれながら日々を過ごしているんだが、その間にあっても20世紀の現代(今では21世紀ですね)では、ひたすら行方不明になっている主人公を捜し続けているシーンだけが紹介される。
「お~い、キャロル~!どこだ~!!」の1コマが欠かせない。まるで現代では時間が止まっているのではないかという錯覚すら覚えてしまう。すごい呪いの漫画だ。
漫画家の世代のせいなのか、時々懐かしすぎる言葉使いが出てくるのもポイント。
「おのれ!たばかったな!」みたいな。
今では中々出会えないフレーズだ。50歩譲っても「くそう!だましたな!」が精一杯ではないだろか…あ、でも、舞台が古代エジプトだから昔風の言葉使いを18~19歳の青年が使ってもおかしくないのか。
「けどられぬようにしろ!」ってのも最初読んだときには意味を掴めなかった。
それにしても古代エジプトとはいえ、昔風の言葉使いが日本で言うところの「時代劇風」な言葉を援用しているのがなんとも趣深い。
そんな古代エジプトが舞台であるこの作品を読んでいて、連想ゲーム的に「ファラオの墓」という漫画も今一度読みたくなってしまった。竹宮恵子作品のその漫画もかつて読んで感動したのを覚えている。しかし、「紋章」と同じく既に記憶の彼方へうっちゃられてしまった…。
さて、エジプト王朝ものに限らず、最近の少女・少年マンガなどを見てると、かつてのような「時代モノ」の作品群が少なくなってきているように思うねー。過去よりも現代を好む傾向になっているんだろうか(それとも、そういうネタで描ける作家がいなくなってしまったのか)?
そういや、昔の少女マンガなどに出てくる登場人物には、やたら外国人名がつけられてたことが多かったっけ。
今じゃ、外人の名前がついてるやつに出会うことの方が珍しい。日本人名による少女マンガが主導権を持つようになったのは、ある意味喜ばしいことですよね。それって少女マンガのステージが「標準」になったんだものね。
かつては、日本国民が欧米の「家庭スタイル」に物凄く憧れていたんでしょう。その為にそういう風潮(少女マンガでも欧米を意識して)が出来上がっていたのかもしれません。
で、少女マンガの名前の付け方って、外国人名が流行った頃には面白い傾向があったよね、という話し。
前段の「紋章」では「キャロル」がそうであるように(あ、紋章は現役でしたね、失礼)、「ジャン」とか「ミッシェル」とか「エレン」、「ジル」、「サニー」…色んな名前の外国人の登場人物がいるが、外国人の名前の一般傾向って物凄く偏見じみていて楽しい。(中には、今ではこっ恥ずかしい名前もあった…「ビッキー」とか、「リミィ」とか…「名前で呼んで!」とビッキーに言われても「ねぇビッキー」なんて、こっぱずかしくて言えないわ)
「ジョニー」。「誰」の「どんな」作品であれ、ジョニーという名の人物は比較的不良青年でバイクなどのマシンが好きだったりすることが多い。
「カトリーヌ」になると、どんな作品でも可愛らしい、綺麗な女性に命名される。
「ビル」という脇役はやたら聞くが、主人公で「ビル」と言う名前の作品には一度もめぐり合っていない。「ビル」はいつも主人公の相対する(ライバル)グループのメンバーだったりする。
「トム」とか「サム」で頭脳明晰な方に会ったことがない。申し訳ない。
「ロバート」と言われると、何故か顔が面長だ。
「スタニスラス」には、英語の教科書以外で出会ったことはない。