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今、何故、寺内タケシなのか!

その昔、ご縁ありまして「寺内タケシ&ブルージーンズ」のコンサートにご招待いただいたことがあったです。

寺内タケシさんをご存じの方って、このサイトをご覧になってる方たちの中でどれほどいるのかなぁー?でも、凄いんですよ、寺内タケシ。

当時「ホームページ(古っ)」なんてなものを運営してた私は、その模様をレポートして記事にしたことがあるんですよ。で、何故か今それを猛烈に復習したくなりまして、バックアップデータをひっくり返して、探しまくって(ちゃんと整理してないから昔のデータを引っ張り出すのにえらい苦労する)、やっと見っけた!のでした。2007年11月。


・・・


『今、何故、寺内タケシなのか!』


私が時々お邪魔して、元気を頂戴しているライブハウスのボーカリストさんのご紹介に預かり(硬い表現だなー)、この度そこのベーシストさんの恩恵で「とある」バンドのコンサートにご招待していただきました。ありがとうございました!


そのバンドというのは、泣く子も黙る(と思う)「寺内タケシとブルージーンズ」。


2007年11月28日(水曜日)於「よみうりホール」

『寺内タケシとブルージーンズ 結成(概ね)45周年記念コンサートツアーファイナル』だ。


まさかこの私が寺内センセをナマで観覧するとは、今の今まで想像だにしていなかった。


 自分の先入観を恥を忍んで言ってしまえば、寺内タケシと言えば、イコール加山雄三であり、ベンチャーズだった。エレキ・バンドのさきがけとしていち早く、そしてもっとも長きに渡って活躍されている「エレキの神様」。テケテケサウンドの御大である。

 ある種この認識は誤ってなかったと思うのだが、実際に生演奏に触れて見ると、どうしてどうして、そんなに単純に割り切ってしまうと言うのは非常に失礼に値すると実感してしまった。

 なわけで、結構衝撃が走ってしまったのでそのコンサートの模様を自己流ながら(脱線しつつ)ここに備忘記録したくなってしまいました。



午後6時半「第一部」開演。

 会場は私の仕事場からそれほど離れていない所だったので、そこには余裕を持って到着できると思っていたのだがこれが結構ギリギリ状態だった。キヨスクでウィダー・イン・ゼリーを買って、それを胃袋に流し込みながら入場した私。扉を開けたらほぼ同じタイミングでコンサートが開始してしまった。


 寺内センセはきらびやかな紫の衣装に身を包み、サングラスをかけ、もうその出で立ちからはオーラ・バリバリの図。自分の先入観とは恐ろしいもので、「ブルージーンズ」と言うくらいだから、みんなジーンズを穿いているものと思っていたんだけど、それは大きな誤解でした。みなさん基本的に白の「かっちょいい系」のスーツに身を包み、寺内センセを囲むように配置されている。バンド構成は大所帯かと思いきや、これまた自分の先入観の誤りで、左右袖にキーボード、そして寺内センセの向って左にベース、右にサイド・ギター(ベンチャーズ風に言うならリズム・ギターか)、背後にドラム。センセ含めて6人編成のほぼ一般的なロックバンドの布陣なのである。


(へぇぇ、なるほどね~)


 曲を聴く前に、バンド全体を俯瞰してしまうのは私のクセである。先ずインパクトが大きかったのは寺内センセの出で立ち。そして、センセの足元に「でんっ!」と構えている「ラック」だった。恐らくエフェクター・ボードなんだろうけど、そんなに大きなボードは私、今の今まで見た事ありません。


 舞台の両袖にキーボードがいらっしゃる。こう言うシンメトリックな設定に私は弱い。もうそれだけで光景が美的に見えてしまう。これってば、かつて「キャメル」というバンドのライブに行った時に感じたことの再来だった。


 ドラムは、ツインバスに銅鑼を背後に背負っている。これまた重厚な構成だ。シンバルは肉眼で確認する限り7枚もある。ただのGSレベルならそこまでのシステムは必要ないはず。もうこの絵からして、ブルージーンズは単なるGSバンドではない事が伺えた。各パーツに其々マイクが一本づつつけられているのだけれど、それらのシールドが黒ではなくて赤なのである。シールドまでもがステージを装飾するツールになっている!これは勉強になった♪


 ベーシストは、以前当人とお話しが出来た事があったりもして、不思議と親近感を覚えて目に飛び込んできた(別に友達になれたわけじゃないのにね~)。とにかく白の衣装が眩しいじゃありませんか。しっかりとリズム体を支えるベース・プレイ。安定感は言うまでもなく素晴らしい。ちょっと抑えていらっしゃる?(^^;

 サイドギターの方は、時には寺内センセ以上に一生懸命に弾きまくっている。。。


(あれ?)


 よく見ると、寺内センセのギターはモズライト(マイ先入観です)ではない。・・・というか、形状が寺内センセとサイド・ギター、ベース・ギター、みな同じような形ではないか!?うーむ。そういった細かいところにも視覚的なバランス感覚を宿しているのか、やるな、ブルージーンズ!

これって、何と言うメーカーの何と言うギターなんだろう?

興味が湧いたので検索を走らせたら、、見っけました。「テリー&ブルージーンズ・カスタム」と言うらしい。「TBJ-CST」だ。当人とヤマハの共同開発によるモデルで、それはそれは細部にこだわりが詰まっているようだ。

高級ギターじゃないかーーー!

ヤマハは更にそれを忠実に再現したモデルを市販(注文販売か?)しているようですが、

100万円(税抜き)!

すっげーーー!!!

『注記:当時はこのお値段でした。今は違うよね、多分』


ところで、テリーと言うのは寺内センセの事を指しているようでして、このことについてはMCで当人がおっしゃっておりましたが、ガイジンさんは「テラウチ」と発音しづらいようで、当初「テリウチ」と発音していたそうな。それが進化(?)して「テリー」となったそうです。


さて、演目コメントです。


 華々しくオープニングを飾ったと思ったら、早速にベンチャーズの「キャラバン」が演奏された。「キャラバン」はベンチャーズ(ファン)にとってはとても「美味しい曲」で、当のベンチャーズはこの曲をアンコールの最後に持ってくるのが常なんだけど、寺内センセはステージの前半からこの曲を選んできた。まさに大盤振る舞いだ!


 ベンチャーズの「キャラバン」は、ライブでは間奏部分のドラム・ソロが「売り」である。スティック片手にドラマーがドラム・セットから出てきて、床を叩いたり、ベースと遊んだり、果てはスティックでリズムを取りながら会場に乱入したりする「見せ場」がある。さて、ブルージーンズはここをどのようにアレンジするのだろう?

見事、それらの部分は全て寺内センセのギター・ソロに取って変わった。

さすが御大、自己責任と自己主張は傑出している。


で、ここで再びビックリした私。

 寺内センセは、ギターをアンプ一発で演奏しているものと私の先入観は定義していたが(エフェクター・ボードの存在からして既に「それは間違っていたな」と感じてたけど)、まさかソロの部分でディレイをバッチリ効かせて「一人多重録音」というか「一人ハモリ」のトリッキーな技をご披露してくるとは思ってもいなかった。クィーンのブライアン・メイもビックリな和音メロディだ。間違いなく上を行ったね。そもそも大体が、クィーンの「ブライトン・ロック」のギター・ソロ部分はオン・ビートの三味線チックなフレーズである。オン・ビートで三味線チックとあらば、三味線の名手を母に持つ寺内センセの右に出るはずもなかろう!(よいしょーっ!)


「キャラバン」の後にはムード・ミュージック仕立の「スター・ダスト」が続いた。

ここで更にビックリ。

 寺内センセ、今度は何とライト・ハンド奏法をご披露である。誠に多芸!これがあと何年かすれば70歳に手が届いてしまう人の演奏とはとても信じられない。どうだい?エディー!


そして曲は「枯葉」へと続く。

見事にジャズ風味をブルージーンズ色に再構築し、哀愁たっぷりに仕上がっている。

 思えば、今回のステージ、ベンチャーズの曲は「キャラバン」だけだった。「ダイヤモンド・ヘッド」、「アパッチ」、「パイプライン」等も演奏するに違いない(個人的には「10番街の殺人」を聴きたかったが)と思っていたが、寺内センセはそんなにベンチャーズベンチャーズしている人ではなかったのだ。


 考えたら、一頃はブルージーンズのコンサートの前座にベンチャーズがあてがわれたりしていたんだから、当然と言えば当然なのだよね。。


 6曲ほどの演奏の後(ここまではほぼノン・ストップで演奏が進んだ)、MCとメンバー紹介が行なわれた。各パートの皆さんは、紹介を受けると数小節ずつソロ演奏でご挨拶にかえる。

 先ずはキーボード、彼女は琴の音色に音を仕立てて「さくらさくら」を演奏。風味、オッケーでした。

 そして、ベース、いきなりファンキーにスラッピングをご披露!この数小節に彼は賭けていたと思えるほどにエネルギッシュだ。その瞬間だけ「今日は何のコンサートに来たんだっけか?」と錯覚した。

 ドラムスも重装備を卆なくこなしてキレのあるドラミングをご披露。

このリズムユニットは、実はソウルフルでファンキーなのを好んでいるに違いないと確信した私だ。

 サイド・ギターは「しぃらかばぁ~、あおぉ~ぞぉぅら~…♪」をインストで、そしてもう一人のキーボードは「赤とんぼ」を演ってくれた。「赤とんぼ」・・・私の一番好きな童謡だ。ニッポンの抒情詩はここに凝縮されているね~。


そうして次の曲、「別れの朝」となる。

 ペドロ&カプリシャスの代表曲である「別れの朝」。寺内センセ、歌うのかと思いきや、やはりそこはエレキの神様、存分にインストで勝負である。くだりのサビの部分では「これでもか!」という位にばっちりディストーションを効かせて、アーミングまで試みる。6弦開放、アーム・ダウンでギンギンに歪ませたサウンドは…ジミ・ヘンでないの!?

「別れの朝」ってこんなにも盛り上がるダイナミックな曲だったのか!知らんかった。。。

そうこうする内に、第一部が終了間近となった。

 寺内センセ、舞台の袖からスタッフのメッセージが来たとMC。どうやら「どん帳」に不具合発生で、幕が降りなくなってしまったらしい。このためラストの曲が終わっても幕が降りず、非常に締まらないから『皆さん、曲の最後の部分で各自でゆっくり目を閉じてください。』と、リクエストをふってきた。

ナイス!

座布団あったら投げちゃうところでした。


そんな条件を提案して第一部ラストの曲、「ブルー・スター」が演奏された。

 主旋律を奏でる寺内センセのギターにはディレイ処理が施されているのだけれど、これがまたマニアックな音処理で、デジタル・ディレイではなく(いや、デジタルなんだろうが)往年のテープ(アナログ)・ディレイを意識したような加工だ。スタッカート風味で弾きつつアナログなディレイがかかると、テケテケポコポコと転がるような雰囲気が増長され、そこにボリューム処理が次第にクレッシェンドするような格好が加わり「ブウォ~ンッ!」と内耳を撹乱してくれるのだ。実に心地よい。

いい気分になっていたら、幕が降りてきた。

・・・なぁんだ、壊れてなかったじゃないの!

やられた。


第一部終了(午後7時30分)後、15分間休憩。

休憩時間を使って、場内アナウンスが響き渡る。

「本日はご来場いただきまして、誠にありがとうございます。只今受付ロビーにて寺内タケシ&ブルージーンズの記念CDを販売しております。どうぞこの機会にお買い求めになっては如何でしょうか?CD、2,500円にて発売中でございます。「シーディー」も「シーデー」も2,500円でございます・・・。」

凄い、熟年軍団の客層を確実に掴んでいるとしか言いようのないセールス・トークじゃないか。休憩時間も気を抜く事が出来ない企画になっていることに舌を巻いてしまった。。


第ニ部スタートは7時45分頃でした。

 今度は寺内センセ、真っ白な「洒落た」スーツ姿で登場だ。サングラスも外していらっしゃる。大分雰囲気が違う。第一部がソリッドとすれば、第二部は柔和な雰囲気だ。

スクリーン・ミュージックをさらりと弾き、聴衆はあっという間に引き込まれてゆく…。


ややっ!ステージ上で変化が生じたぞ!

 第一部では殆ど動きを止めていたかのように演奏していたブルージーンズの面々。見れば、何やら揺れ始めているではないか?

リズムに合わせて皆が揃って右に一歩、左に一歩と、足踏みと言うよりも身体の向きを左右に揺らし初めて「動きのあるステージ」がとうとう始まったのだ!

そうだ、それでこそブルージーンズだ!

曲に合わせて右に左にと向きを返るステージング、これぞ王道である。

今まで全くのように動きがなかったせいか、これだけの変化で物凄くアクティブな第ニ部になったと思える。これこそが噂に聞いたブルージーンズ・マジックなのかっ!

おそるべし、BJ!


午後8時05分、ステージに一人の女性がボーカルとして参入。

 お名前は「岩澤あゆみ」さんと仰っしゃる。遠目に見ていたので容貌は不明であるが、黒と銀の「光もの」コスチュームに身を包み、シルバー系のハイヒール、ソバージュのようなカーリー・ヘアーのような髪をカチューシャでまとめ上げていらっしゃる。うん、60'sな雰囲気が一目で分かる。そこで先ず歌ったのが、やはり!「悲しき16才」だ。「ヤヤヤ~ヤ、ヤヤヤヤッ!(ツクツンツンツン!)♪」だ。そして続いて「可愛いベイビー」。

ボーカル岩澤さんは、ステージを右端から左端へとゆっくり歩きながら、時々くるっと回って見せたりして(前転・後転ではないです)、中々キュートである。そんなこんなで岩澤さんコーナーは3曲続いた。

そして、彼女のMCとなる。


 話の内容はさておき、彼女が会場に向って話していらっしゃる最中、かの寺内センセ、さらりとアルペジオを弾きながら岩澤さんのトークを演出していた。しかもそのアルペジオが、聞き間違いでなければ「チェット・アトキンス」ばりの奏法なのである。ニクイッ!何処までも多芸な寺内センセである。


その後「栄光の架け橋」(原曲:ゆず)を岩澤さんが熱唱するのだが、その前段で寺内センセが会場に語りかけてきた。その内容が私の胸を打った。


 寺内センセがギターを手にしたのは、今からおよそ63年前のことらしい。幼少期から電気関係の事業を行っているご家庭で(父親のもとで)育ったことから、エレキ(電気)に対する好奇心は非常に強力なものがあったらしく、それが効してエレキ・ギターの製作やアンプやエフェクターなども自作しては楽しんだり現場で使って見たりと、精力的にギターのテクニックのみならず音の幅を追求されてきた寺内センセ。その過程でヤマハとは色々あったようだが、エレクトーンの開発・発表は寺内センセがいたからこその成し得た快挙だったのは紛れもない事実だ。

 1960年代初頭。寺内センセがエレキバンドとして活躍していた時代。それと前後して海外からも沢山のバンドが来日してきた。勿論、ベンチャーズもその中のひとつ。日本のGSブームは恐らくこの辺りから本格的になってきたのだろう。

 それと平行するかのように、教育現場からは「エレキ=不良」の烙印が押されるようになった。青少年育成にエレキは害毒とまで言われるようになった。さすがに私はその時代は学生どころか生まれてもいなかったが、先輩達の話を聞くとエレキと言う楽器はそれはそれは強烈な迫害を受けていたらしい。寺内センセはエレキ禁止令を受けて悲痛な叫びを上げる学生達の手紙を読み、学園祭などへの参加を試みることを決意する。しかし、あくまでも頭の硬い教育者達は、ブルージーンズの学園祭参加をことごとく門前払いしたそうだ。

 21世紀になった今、若者達は何不自由なく洋楽にロックにと触れる事が許されている。しかし、60年代の教育現場では不良の代名詞と定義されたエレキは、ただギターを学校に持ちこんだだけでも停学処分にしてしまうほどの偏見に満ちていた。

何を根拠にそこまでエレキを目の敵にしたのだろう?エレキの何が悪いのだろう?

音か?音色か?ステージングか?


 70年代後半、漸く学生っぽくなった私の時代においても、そういった偏見に満ち溢れている教育者の残骸が生きていました。音楽の先生は「ロックは雑音だ」と一刀両断し、進路指導の先生(ホントは先公と言いたい)は、「そんな下らない音楽にうつつを抜かしているから、成績が伸びないんだ!」と鼻でせせら笑われた事がある。

屈辱だったなー。思い返してもムカムカしてくる。

でも浪人してしまったんだから、言い返せない自分も恥ずかしいか(^^;。

 浪人中は思いっきり髪を伸ばして「自己流」を貫いたつもりだったけど、それも屁のツッパリ程度だったかもしれないな。。。でもさ、言わせてもらえればさ、体育会系の部活をやっている方が好青年という判断は決定的に間違っているよ!それこそ偏見さぁ!おっさんレベルになった私が思いっきり言ってやろう!現時点での当時の同級生を集めて、誰が今どんな状況にあるのかをとくとご覧頂きたい。貴方々が当時「優秀」「好青年」と太鼓判を押していた人達は、すべからく私よりも人間的に素晴らしい状態になっていますか?どうなんです?

 確かに私は、音楽室でボストンの「宇宙の彼方へ」を思いっきり大音量で聴いて怒られました。文化祭で電気楽器を大きな音で演奏してちょっと破壊的な展開をしたら、その後でお目玉くらいました。。そんな私だって、ちゃぁんとこうして頑張っているのさ!常識だってわきまえているぞ(たぶん)!当時、貴方々が評価バリバリだった私の同級生が今、どうしようもなく非常識なやつになっているのがそのへんにごろごろしていませんか?体育会系を否定するつもりは毛頭ございません。しかし、体育会系特有の上下関係からマナーを学ぶには、時に限界もあるのです。自分が上位に立った時、下位に対してどのようにふるまうでしょう?協調性を発揮する人もいますでしょう。しかし、トップ・ダウンで我侭に走っている人もいるのです。

 「和」と「互いの緊張感」を重んじるバンドなどの場合、上下関係よりもさらにデリケートな人間関係を肌で学んでいかなければなりません。それで泥沼になってしまうこともありますし、お互いが刺激しあって成長していく場合もあります。バンドってのは、それはそれで社会の縮図でもあるんですよっ!

・・・あ、思わず熱くなっちまった。本編とは全然異なる話になってしまいました。

すんませーん。


・・・そ・そんなわけで(?)、寺内センセはそんな私の状況よりもはるかにヘヴィな状況で、果敢に教育現場に足を運んだんですね。エレキの良さを伝えようと、エレキを愛する学生達を救済すべく足を運んだそうです。しかし、教育現場はおろか、世間全体がエレキに対する抵抗感を強めて行ったようです。


 やがてGSのブームは去り、はたと見渡せばエレキ・バンドはブルージーンズだけになってしまった時代もあったそうです。


ところがそんなセンセに転機が訪れる。

センセはある日、エレキに対して否定的立場を貫く方々に対して尋ねたそうです。

「貴方がお好きな曲は何ですか?あなたにとっての好ましい音楽とは何ですか?」と。

「そりゃ、クラシックでしょう!クラシックこそが音楽です」と答える人もいれば、

「日本人なのだから民謡に決まっているじゃないですか」と答える人もいたようです。

「ならば、この寺内がクラシックや民謡を演ったら貴方々はどうするかっ!」

寺内センセはその後、発表した「運命」や「津軽じょんがら節」で多大なセールスを記録するとともに、多くの賞を受けることになる。そしてそれに追随するように世間からの評価は手の平を返したように高まっていきました。

そう、そこでセンセは肌で感じた。

大人の心(態度)はコロコロ変わる。

少年達よ屈することなく素直ぐであれ!と。


 ゆずの「栄光への架け橋」はそんな若者のストレートな感情が投影されている曲のひとつとして、寺内センセは機会ある毎に演奏されているようです。センセは青少年の心強い味方なのである。それが60年代からこの2000年代においても継続して現役なのだ。その心意気、ポリシーには脱帽せざるを得ない。半端な気持ちでは出来ることではないです。


 かくして、第二部の最後には「運命」と「津軽じょんがら節」の怒涛の演奏が続いた。もう、センセのエピソードを聞いた後の展開なだけに、聴きながら「じぃーん!」としてしまった。10小節くらいのベース・ソロも聴き逃しません!(笑)、チョッパー来るかと思っていたけど、ここはひとつ和太鼓を連想させる「どん・べんっ!」な雰囲気でステージを装飾する。オッケーです♪


 寺内センセの座右の銘は「ギターは弾かなきゃ音が出ない」。これは有名なフレーズですが、額面でしか捉えていなかった私にとって、その深読みに「能書きたれずに、やることやってこや!」というのがあるのを知って、唸ってしまわざるを得なかった。


 寺内タケシ・・・単なるギター・プレイに留まることなく、音の追求、生き様、若者や後輩を育成して行くことの前向きさ、逆境を克服して行く強固な信念と行動力、そう、ハードの面でもソフトの面でもこれだけの功績を残し、しかもまだ現在進行形で進んでいるエレキの神様。あと10年と言わず、30年、50年と記録を伸ばし続け、聴衆を大衆を活性化させ続けて行って欲しい。そう願って止まない。

 ロックの三大ギタリストに「ジミー・ペイジ」「ジェフ・ベック」「エリック・クラプトン」と言うのがあるけれど、世界の三大ギタリストとして「レス・ポール」「チェット・アトキンス」「寺内タケシ」と言うのがある。誇大表示でも何でもなく、正にその通りだと感じるコンサートを体感させていただきました。

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