バトルオブヘイロー
空が極彩色だった。大小無数の魔法陣が犇めき、蠢き、脈動し『呼吸』する。
ーー大天蓋。
どこかの大天才か大馬鹿が張った、禁呪のような空の蓋はなお輝き増し太陽を消し、地上を照らす。ともあれ邪魔である、邪魔であればこれを破壊するのが帝国連合艦隊、空陸一体の立体艦隊戦最強であればいかな神秘の一つや二つ、砕いて見せよう勝って見せよう何するものぞ。天上皇帝たる者の剣たれば、天蓋ごときで空を失うことなどありはせず、不当な空の蓋にはこれに落ちて貰おうと咆哮するのが礼儀というもの。旗艦“皇帝陛下の斧”は発光信号を送る。大提督エンリコの手で、世界各地の軍港から集められた最も偉大な連合艦隊全艦に突撃を命じられたのだ。
白波勇ましく海を割る鉄甲の水上戦艦部隊が、帆を畳み煙を吹き、旧式であれば斉射した衝撃で戦艦の巨体さえも捻じ曲げる波を放ち、主砲が黒煙、そして炎を噴き白い溜息を零す。数十の分厚さの鋼板を射抜く装弾筒付被帽徹甲弾は細く、硬く、極めて高速に風を置き去り遥か天上大天蓋に食いつくも、衝撃の瞬間にヴォイドの壁が煌めき青い稲妻が輪形を作るものに止められた。鐘を打ったような音が鳴らされ、それは教会の荘厳さを想起させる幻想の鐘色ではあるが揚弾機には既に装薬と弾頭が昇っている。
「次弾装填作業中、引き金引き、座標修正だ」
“マグノリア”艦長フランシスカ公の声が伝声管を震わせる。ベールに隠れた彼女の瞳はしかし、大天蓋から染み出す影を見ており対空戦を命令させる。空へと産み落とされた翼背の人型は遠目には天使と見紛うばかりの幻想であるが幻想にすぎず、水兵達は歯軋りと眉間の皺でその不快な音、腐った肉と糞尿をかき混ぜるがごとき風切りに向かって、あるいは黙らせる為に砲台を回す。投石機、投槍機には既に弾を載せ、祝福された射石と射槍はそして空へと解き放たれる。雷の衝撃波に鋼を包み、天使擬きが舞う黒い空へと紫電の花を咲かせた。雷は大気を焼き、天使擬きを焼き、バタバタと落ちる羽虫のように地上あるいは海へと叩き落としたが、しかし雷槍に串刺されず幾万もの第一陣と近接戦に入り込む。抜刀の叫びと裸足の水兵が銛に鯨包丁に鉤縄に、獰猛に天使擬きを引き摺り落としては息の根を止めた。
時に、人の身にはあまりにも巨大すぎる陸海の鯨達と死闘を演じる水兵らが今更、天使如きに臆することなどあろうか。肉を貫き、鉤が翼を舞わせ堕とし、躊躇いのない一撃のみが死のひと撫でを潜らせる。
空は落とした、潰れぬ心が不沈を支える。
大天蓋が空を低くし、輝く。極燐はアストラルゲートを開き、どこか、いつか、なにかからの何かを通過させ続けた。人型、あるいは怪異、黒々とした広がる肉の雲が降らせるのは死であり、戦いの傘は敵を殺してしか守る術なし。
「艦長、敵が取り付きつつありますが」
「それで?何か問題が?」
「いえ、召喚獣およびアレは予測を立てた通りの状況で推移しています」
「犠牲は想定のどちらに?」
「上でも下でもありません、艦長」
「よろしい。束ねよろしいですわよ、お空の連中には梅雨払いが引き寄せ次第連絡を。軟弱な戦艦乗りに頼み込むのは面白くないけど、大天蓋には届かないから仕方がないわね」
分厚い昼戦艦橋の中で、フランシスカ艦長は視線を飛ばす。戦闘の真っ最中、席から立ち上がることはなく逆に深く座り込み、ただ波に委ねる様は昼行灯のような頼りなさを歴戦兵に与えそうなものであるが、誰も彼もがその程度の些細で疑う者はいない。
白い翼が翻り、空からは死体を捏ねくり作られた天使擬きの群れが空をその群集団で霞のように覆い迫る。対空投石投槍を飽和させ、“マグノリア”から三隻先で対空を射ていた戦艦“プルトン”に突き刺さる。巨艦が左右に揺れ、無数の羽音は不快さを振り撒き、天使擬きが過ぎる時には“プルトン”はデッキを血肉と炎で焼きながら横転し沈みつつあった。
「“プルトン”の穴に“カエサル”が踊り出る!援護してやれ、天使擬きを叩き落とせ」
波を立て“カエサル”の巨体が曲がり、炎上する“プルトン”を越え陣の穴を埋める為、対空制圧を射かけつつ前へ。
“プルトン”の艦長ジバが曲刀を鞘より弾き出したが、それは決して指揮杖としての役割ではなかった。程なく返す翼の天使擬きの群れと最正面での交戦に突入し、白が空より落ちてきた。
緑の海が白い天使擬きの群れが浮かび染め上げられる一方では、空では巨顔の浮遊鉄塊との矢合わせが交えられる。
巨顔にはいくつもの、そしてやはり巨大なフジツボ状の膨れた穴が開き、赤い瞳と赤い舌が不気味に身悶えする。
魔導コンバーターと冷却システムが白熱する程の砲火は、打撃巡洋艦が備える魔導砲群による集中砲撃であるが、鉄塊はこどごとく弾き、体当たりで艦体を二つに折り、震える舌で掴んでは仄暗い底へと呑み込んでいく。
「天使無しでも、これか!」
舵輪を回し打撃巡洋艦“カスター”が艦体を震わせ、巨顔の鉄塊を躱し、擦れ違いに風を切る赤い舌の束を近接兵科諸兄が斧を盾をに叩き切る。棘だらけの舌が甲板に組み付けば、水兵は間断開けず大振りの重量斧を振り下ろし叩っ斬る。鮮血が噴かれ筋肉の塊が暴れ水兵を薙ぎ倒すが、それでも怯まず、傷は達し遂には両断するのだ。
「怪球がトーガの阿保共と元老院に召喚されてより五十年。大天蓋が浮かんで三〇時間……今でもあの白服共の首を引き千切ってやりたいよ」
打撃巡洋艦カスターの艦長は擦れ違う怪球の鉄塊に対して防御隊による開口部への集中的な攻撃を命じ、身悶える舌や目に無数の重矢、赤熱石弾が射込まれ、怪球の舌は傷口を守るように反転し、血飛沫をあげながら海へと落ちていく。沸騰したように海が沸く中、空にも血風が吹き荒れる。
天使擬きが水上艦隊へと下り、空では怪球の群れと空中艦隊が激突する。祝福された弓矢が流星の輝きで貫いて見せれば、一方では艦体に侵入してきた突撃個体と密閉空間で斬り結ぶ装甲歩兵が四肢を捥ぎ取られた。直刀が天使擬きに押し込まれ、こぼれた臓腑が磨かれた装甲を汚す。
「おぉ!?」
兜を被らぬ装甲歩兵、髭豊かなカースチンが水上戦艦の通路で戦斧を振るう。冷たい刃は左右上下の壁を紙一枚の踏み込みで火花散らしつつ、翅をおとした四本腕の天使擬き突撃個体を両断する。バイザーなどない顔には返り血が染まり赤く、しかしカースチンの瞳は増して赤く、心は憤怒で燃える益荒男。
隔壁を喰い破るケダモノを蹴り出し、骨を踏み砕き、ガントレットが折った鼻で赤茶ける。通路には人間とケダモノが推し詰め、寸分隙間なく埋まり骨肉一掴みで一歩を進退する。裂かれた鋼は捲りあがり、悍ましい鉤爪の指が生え、引き裂かれ、雄叫びは悲鳴に混じり、死は勝利を隠し敗北は次の死に繋がる輪転は続く。戦士と共にある武具が電熱を発し、神経系に流れた闘争の信号は思考を、末端反応を加速し、音と共に来たるものを捉えさせる。だが、だがやはり足らぬ、人の身がゆえに、人ではないがゆえに、戦士達は切り刻まれ肉塊へと、ドロドロに溶けたタール状のものへと変わっていく、変えられていく。
大天蓋から無尽蔵に召喚されていく何かは、現実世界を塗り潰す、外敵を排除するまでどこまでも、どこまでも、撃破されればさらに強大となり、より大きく、より大規模に……だが抗うものも世界中から続々と集結し、大天蓋を砕かんとするハンマーは日に日に、そして今も巨大になりつつある。空中艦隊が一つ、火炎と波間に消えれば、新編された艦隊が到着する。犠牲のない平和は存在せず、人類の生存とは夥しい犠牲の上で始めて保証されるのだ。人海が並ぶ、ドックに注水され新型艦が海へと出る、工場では昼夜を問わず、ただ一戦への勝利の為だけに砲弾、機械、服、食料が製造される。際限はない、どこまでも、どこまでも……もし、これに限界が、人間に限界を迎えたときは、それは人類の破滅を意味しており、空で、陸で、海で、戦いは今も続いている。




