久しぶりの大学
新しい朝が来た。絶望の朝が。
昨日は深夜のテンションで大学に行くなんて言ってしまった。今思うとなんであんなことを言ったのか、後悔しかない。低血圧も影響してか、いつにも増して憂鬱な気分に押しつぶされそうだ。
それに何?
娘の未紀が俺の彼女役として一緒に大学に行く?いやいや、ないわ。こんなキモオタみたいな男とロリっ娘が一緒とか通報されてもおかしくない。
戻ることが出来るなら戻りたい。しかし現在、未紀が選んでくれた服を着て登校中であります。もちろん手を繋ぎながらね。まったく、恥ずかしいことこの上ないですよ。
太陽の日差しが目に刺さる。闇の住人には辛い。太陽の光に当たると灰になる吸血鬼の気持ちも今なら分かるような気がする。いいや、いっそ灰にでもなってしまいたいね。
「お父さん、今日は良い天気だね」
ご機嫌な未紀は、ニコニコと話しかけてくる。
「あのさ、外ではお父さんはやめような。変な誤解を招きかねないぞ……」
「それもそうだね!じゃあ、とっしーって呼ぼうかな」
人差し指を立てて、そう提案してくる未紀。恥ずかしいからやめて欲しい。と思ったけれど、設定が恋人同士だからそれが自然なのだろうね。
「分かった。それで行こう」
「私のことは、みっきーって呼んでね。とっしー?」
「分かったよ。み、みっきー…」
恥ずかしさから、どうもぎこちなくなってしまう。外でイチャイチャ出来るカップルのメンタルは一体どうなっているのだろう。今に限っては尊してしまう。それも愛の力ってやつなのか…?なんて一人で考えこんでいるとあっという間に大学が見えてきた。ええい、もうどうにでもなれ。
家から大学は歩いて15分ほどで着く距離にある。通いやすいようにって家賃が少々高くても、あの部屋に住まわせてくれた両親の優しさも意味をなさず、すぐに引きこもりとなってしまった。
「場所は2201教室だって。どこにあるの?」
「2階の教室だな。こっちだ」
未紀の手を引いて階段を上る。これから受ける講義は最初に通っていた頃に一度受けたことがある。途中で周りの人と話し合ってください。なんて言われて一人、誰とも話せなかったっけ。だが今回は彼女役でもある"みっきー"がいる。それだけでもやはり心強い。
教室に着く。後ろの席はほとんど埋まってしまっている。周りに人が居るのも嫌なので、空いている前の方に座ることにした。
「へー、ここが大学の教室なんだ」
珍しそうに未紀は辺りをキョロキョロと見回している。
「あまりキョロキョロするなよ。変に思われるだろ?」
小声でそう伝える。
「あはは、そうだね。ごめんごめん」
少しも悪びれる様子はなく、楽しそうに謝る。
間もなくして、教室に教授が入ってきた。騒がしかった教室が静かになる。なんだか緊張してきた。教授がこちらを見てるような気がする。未紀が大学生じゃないってバレたのか…? しかし、見たのは一瞬ですぐに他の場所へ視点を移したようだ。
講義の内容は途中からだしサッパリわかんねー。ということもなく、身近な環境についての内容だった。この教授は学生同士で話し合いをさせるのが好きなのか、
「みんなが何か環境問題について取り組んでいることがあるか周りの人と話し合ってみて」
またしても、ぼっち殺しの呪文を唱えるのであった。昔の俺なら即死間違い無しだっただろう。だが今の俺はぼっちではない。こんなの今の俺にかかれば余裕のよっちゃんなのだ!
「あー、最低3人で話し合うように」
最後に余計な条件を付け加えるこのジジイ。今日ほど殺意を覚えた日はない。
「3人だって。どうしようか」
未紀はそれほど動じるわけでもなく。俺に訊いてくる。
「うーん。どうしよう」
なんて腕を組み、考える振りだけの返事を返す。
「あっ、向こうの前の列に一人で座っている女の子がいるよ」
未紀が小声で俺に囁いてくる。これは俺が声を掛けろということなのだろう。コミュ症の俺にそんなこと出来るわけねーだろ。って言おうとしたけれど、そんな甘えてばかりでいいのか、と心の中の俺に叱咤される。確かにな。相手もぼっちなんだし、なんだか行けそうな気がしてきた。よし、とっしー声を掛けます!
「あのー、こっち2人なので、よかったらー、どうっすか?」
途切れ途切れの変な声の掛け方になってしまったけれど、前の席にいた女の子は助かったーって顔を見せてくれた。
「あっ、お願いします」
彼女は俺達の席の近くに移動してきた。まずは軽い自己紹介から始まった。
「私、橋本玲香っていいます」
「俺は青井利雄」
「私は青井未紀です」
「えっ、2人とも青井さん……?」
まずい。同じ苗字言っちゃいけないでしょ……。
「あ、えっと、私、この方と苗字同じなんですけど、漢字が違うんですよー」
「そ、そうなんだよー」
苦し紛れの言い訳。しかもこの方とか言っちゃっているし、恋人設定めちゃくちゃだよ。
「へえ、そうなんですか」
怪しむような様子はなく、意外にも納得してくれたようだ。この子、意外と単純なのか?
「環境について取り組んでいること。でしたよね?」
最初に玲香さんが話し始めて、次に未紀が話し始めた。未来と今じゃ勝手も違うから恐らく作り話なんだろうな。なんて思っていたら俺の番だ。ヤバい、何も考えていなかった。
「ええっと、俺は……」
くそう、思い浮かばない。何か、何かあるはずだ。…よし、これでいこう。
「俺はトイレットペーパーをなるべく少なく使うようにしてます」
考えるよりも先に口が動いていた。2人の反応は正直微妙だったが、まあ一応環境に関係するしいいだろう。
「じゃあそこまで」
教授の声が響く。話し合いも終わり、ようやく一息つける。玲香さんは、ありがとうございましたって言って、元の席へ戻って行った。いい子だったなあ。
さすがに一回の講義に何回も話し合いをさせるようなことはしないはずだ。
俺の思った通り、その後に話し合いをさせるようなことはなく。教授は淡々と話し始めた。その話がとにかく退屈で時間がなかなか進まない。椅子に黙って座るなんてことも久々で腰が痛い。
さらに、緊張からだろうか。お腹が痛くなってきたのだ。周りは真剣に教授の話を聴いているようで、途中退出が出来るような雰囲気ではない。しばらく悶々としていたのだが、お腹のガスが外の世界に旅立ちたいという意志をお腹に感じ始めた。身体の主である俺としてもその旅立ちは祝福してあげたいというのが本音である。幸いなことに俺の後ろには誰も座っていない。だが、旅立ちの副産物として祝福のラッパが響く可能性があるのを忘れてはならない。俺は震える手でペンを持ち、紙に文字を書いて未紀にSOSを求める。
『数秒間でいい。何か音をたててくれ』
『まかせて』
理由も聞かずに了承する。なんとも頼もしい娘なのだろうか。未紀はカバンの中を漁り始めた。静かな教室にガサガサと音が響く。俺はすかさずゲートを開放する。祝福のラッパは、見事に未紀の立てる音に掻き消されたのだった。未紀はなんの為にこんなことをしたのか分からないようだったが、少しして顔を歪ませる様子を見ると、漂ってきた臭いで察したようだ。
ーー数時間後。
最後の講義の終わりを告げるチャイムが鳴る。
退屈で憂鬱だった講義は一通り終わった。やり切ったという気持ちと疲れて早く家に帰りたいという気持ちが入り混じったこの感じ。高校時代を思い出すな。
「お父さん、やり切ったね!」
「ああ。それと、とっしー、だろ?」
日はまだ高く、再び未紀と手を繋ぎながら帰路に着く。
俺もやれば出来るじゃん。なんて思い始めていた。




