九拾弐 先駆け 1
「皆、聞いてくれ! この将門、たった今、謀叛人と成った。
成ってしまったものは悔いてみても仕方が無い。もはや、この命捨てたも同然。だが、捨てた命なら己の思ったように使いたい。日頃、そう思いながらも、出来ぬと諦めていたことをやる為にこの命使いたいのだ。
京から遣わされた受領共が、坂東の民が汗と涙を流しながら生み出した米や布を、京に運び去って行く。それを、日頃、苦々しく思いながらもどうすることも出来なかった。いや、諦めていた。だが、命は捨てたと覚悟すると、出来ぬことは無いと思うに至った。麿がそれに値する者かどうか皆に問いたい。
この坂東から受領共を追い出し、坂東の地が生み出す富は、坂東の為、坂東の者達の為にのみ使う! そう言う政がやって見たくなったのだ。
皆も知っての通り、麿は帝の血を引いている身だ。一時坂東を支配し、誰もが喜ぶ政をこの坂東の地で行い、京の帝に、そのような政が出来ることをお見せしたい。そして、日の本の全てがそのようになるようお願いしたいと思う。
例えこの身が謀叛人と呼ばれようとも、それまでは麿は死ぬ訳には行かぬ。捨てた命を生きる。この坂東を真に坂東の者達のものにする迄は死なぬつもりだ。
だが、それは麿ひとりで出来ることでは無い。下総の者、常陸の者、民であろうが官人であろうが、国府軍として麿に対した者であっても構わぬ。麿と共に、この坂東を我等のものとする為に共に戦ってくれる者であれば拒まぬ。皆、麿に力を貸してはくれぬか! …… もう一度言う。坂東の富を京から来た者には渡さぬと言う気概を持ち、この将門と共に戦ってくれる者有らば、声を挙げよ! 」
一瞬の静けさの後、将門軍から
「うお~っ! 」
と言うどよめきが上がっただけでなく、運良く国衙に逃げ込めた常陸の農民兵や土豪達の中からも、賛同の雄叫びが上がった。
常陸の在地官人の中にも、顔を紅潮させる者が多く見える。
京から派遣された受領である維幾は、部下達までが将門の熱気に冒され、異様な雰囲気が作り上げられて行くのを肌身で感じ、正に失神寸前となっていた。突然、周り中が敵となってしまった恐怖。恐らく、革命やクーデターに晒された古今東西の王や独裁者が突然襲われる恐怖心に似たもので有っただろう。たった今まで、敵味方に分かれていた者達も、殆ど全てが、この坂東の地で生まれ育った者達なのだ。不満の大小、また、それを声高に叫ぶ者、じっと堪えて来た者、農夫と官人、様々な違いを超えて
『坂東の富を京から来た者には渡さぬ』
と言う将門の主張が人々の心を捕らえた瞬間だった。
この様子を、満足げでありながら、どこか冷た表情を浮かべて見守っているのは興世王である。しかし、その表情の奥に、僅かな嘲笑が入り混じっていることに気付いた者は居ない。
興世王は、将門にこれ程の檄を飛ばす才が有ったことに少し驚いていた。
素直に見事と思った。人間、切羽詰まった時には意外な力が出るものだなと思った。己自信が京から遣わされた受領であり、ついこの間、不法な搾取をしようとして武蔵竹芝と諍いを起こしたことなど微塵も気にしてはいない。将門の言葉ひとつで動かされた多くの者達に、ひたすら関心を寄せていた。
だが、興世王の感覚からすれば、檄を飛ばすことは民心を操る為に必要なことではあるが、それは飽く迄、計算されたもので無くてはならない。ところが、将門は、己自身がそれに酔ってしまっている。将門の性格からすれば、発した言葉にいつ迄も引き摺られるに違いない。それが少々面倒だなと思った。
民の為などでは無く、興世王の本音としては、将門には、興世王の描く夢の為に働いて貰わねば困るのだ。そう言う立場からすれば、将門の言葉は両刃の剣だ。いずれ、この有象無象共と将門を引き離す策が必要になると思った。
こちらは、都。
坂東から馬を乗り継いで駆け付けた使いの者。息も絶え絶えで馬から転げ落ちそうになったのを、師輔の家人二~三人が受け止めて水を飲ませる。
「これを、これを…… 中納言様に…… 」
懐から取り出した書状を家人のひとりに差し出す。
「天下の一大事! 少しも早く、中…… 中納言様に…… 」
裏を返して見ると『武蔵守・百済王・貞連』とある。
家人は家司の許に走り、
「百済王・貞連殿からの急使。天下の一大事とのことに御座います! 」
と叫んで書状を渡す。
家司はこんな時でも足音を立てず、小走りに摺り足で昼の御座に向かう。
「貞連より危急の報せに御座います」
師輔が自ら御簾を跳ね上げ廂に出た。家司が差し出す文を引っ手繰るように手にすると急いで開く。
「う~む。抜かった。これほど早く…… 」
「何が起きまして御座いますか? 」
家司が尋ねる。
「悪狐が野犬をけしかけおった。将門が常陸の国衙を襲い、印鎰を奪った。謀叛じゃ! 直ぐに参内する。支度せよ」
同じ頃、太政大臣・忠平の許にも同じ報せが届いていた。
「ええ~い。戯け! 戯け! 大戯け者めが! 」
文を叩き付け、将門に対する怒りと失望を顕わにして叫ぶ忠平に、忠平の家司は、まるで己が怒りの対象となって居るかのように身を固くしていた。
まさか将門がこのような戯けたことを仕出かすとは、忠平の思いの外であった。無骨で気が利かぬ男。何かを企むような男では無い。ついこの間、謀叛の疑いを掛けられて弁明し、経基の誣告であることが分かって、濡れ衣を晴らせたばかりではないか。それが、今、なにゆえこんな真似を…… と思う。
「あ奴か! 」
興世王に思い当たった。その興世王が将門の許に転がり込んだと言う報せは受けていた。
「矢張り、すぐさま召喚すべきであった」
忠平は唇を噛んだ。
師輔の言うことが本当なら、将門を操るなど、興世王に取っては赤子の手を捻るに等しきこと。将門に最も近付けてはならぬ者であったのだ。
時期も悪い。前伊予掾・藤原純友と言う男が海賊を率いて瀬戸内を支配し、京に圧迫を加えており、おまけに、四月以来、出羽の秋田城に対する俘囚の反乱が続いている。朝廷はそれらの対策に苦慮していたのである。
そこへもって来て、坂東で将門が謀叛を起こしたと言う。正に四面楚歌、朝廷の危機とも言える状況なのだ。
忠平は、己が判断を誤ったことを悟った。だが、太政大臣たる者、何が有っても己の判断の間違いを認める訳には行かない。
参内すると、帝に形ばかりの報告をし、
「御懸念には及びませぬ。じきに鎮めますゆえ、御心安らかにおわせませ」
と自信たっぷりの様子で御前を下がる。
そして忠平は、左大臣である兄の仲平と大納言である長男の実頼を呼び密談をする。
「今、追討軍を送ることは出来ぬ。純友の動きを警戒せねばならぬからな。京の目の前じゃ。手は抜けぬ。坂東に付いては、火が燃え広がらぬうちに近隣諸国の国司共をして、速やかに将門を捕らえさせる。兄上、そのように議を決し、早々に奏上するようお願い致す」
「うん。その様に致そう。実頼手配致せ」
忠平の意向を受けて、左大臣・仲平が実頼に、公卿、参議の招集を命じる。




