七拾七 帰路 1
南股川を渡ると、貞盛の郎党と人足達が待っていた。
公務でも無い千方一行に貞盛が便宜を計らうのは、もちろん、陸奥守・鎮守府将軍としてでは無く、秀郷との個人的な誼に寄るものである。
だから、郎党も官職を兼ねて居ない者を差し向けているし、人足も、貞盛が個人的に手配した者達である。
だいぶ早く来て待っていたものと見え、車座になって寛いでいたが、川向こうに一団の姿が見えると、物を食っていた者は慌てて頬張り、川岸に近付いて整列し、千方達の到着を待った。
「主の言い付けにて、お待ち申し上げておりました。麿は、陸奥守・貞盛の郎党にて、多岐葛良と申します。お見知り置きを。下野まで、お供させて頂きます」
千方が舟を降りるのを待って、郎党姿の男が挨拶した。
「これは、ご丁重なことで恐れ入る。陸奥守様のご好意にこれ程までに甘えてしまっては、父に叱られるかも知れませぬ」
「何の。主と前将軍様とは昵懇の間柄。出来るだけのことは致すよう、言い付かっております。どうか、お気になさらず、何なりとお申し付け下さいませ」
「お世話を掛ける」
「何の」
多岐葛良が笑顔を見せて言った。
その日は栗原まで進み、夜は、嘗て伊治君・呰麻呂が乱を起こし、大和と蝦夷の間の三十八年戦争の端緒となった伊治城で一泊。
翌日は十宮(現・宮城県黒川郡富谷町)の鹿嶋天足別神社に泊まる。全て貞盛が手配してくれていた。
伊治城は呰麻呂の乱に際し炎上したが、その後再建されていた。
三日目の昼近くには、多賀城に向かう脇海道との追分まで辿り着いた。
「麿と、ここにおる朝鳥は、陸奥守様に御挨拶してから参るゆえ、他の者達と先に行って下され」
千方が多岐葛良に告げた。
「承知致しました」
葛良が答える。
「朝鳥、参るぞ」
そう言うなり、千方は駆け出していた。
「やれやれ、何をそう急がれるのかのう、六郎様は…… 多岐殿、御免! 」
と言った朝鳥が、今度は全力で駆け出して行った。
夜叉丸と秋天丸は、思わず顔を見合わせた。そんな朝鳥を見たことが無かったのだ。
「ぷ~っ、なんじゃあれは…… 」
秋天丸が思わず吹き出しながら言った。
「さあな。まだ若いところでも見せたいのかのう、あの親父殿」
と夜叉丸。
驚いたのは千方だった。気持ち良く駆けていると、蹄の音がする。振り向いて見ると、朝鳥が全速力で駆けて来る。そして、千方を抜き去って行ったのだ。
「何~ぃっ? 」
思わずそう呟いていた。夜叉丸や秋天丸と、こんな風に競ったことは何度も有るが、まさか朝鳥が馬で挑んで来るとは思ってもいなかった。
朝鳥の背中を見送った千方だったが、なんだか嬉しくなって来た。すぐに鞭を当て、これまた全速力で駆け出す。
そして、遂に抜き返して、ちらっと振り返った時、朝鳥は急に速度を落とした。
「どうした。ここまでか? 」
速度を落とした千方が朝鳥に言った。
「やはり、すぐに誘いに乗る御性格のようですな」
「何? …… また説教か? いや、麿には、負け惜しみとしか聞こえぬわ」
「いつか思い出して頂くことも御座いましょう。戦の折に…… その時は本気でお諫め申しますぞ」
「分かった。その時は、本気で聞いてやる。せっかくだ。多賀城まで走るぞ」
「心得ました」
全速では無いが、早足でまた二人は走り始めた。朝鳥の顔にも笑みが溢れる。
多賀城は相変わらずの賑わいを見せていた。
歩を緩め二人は、真っ直ぐに貞盛の居る国司舘に向かった。
門番に取り次ぎを頼むと、すぐに館諸忠が出て来た。
「お帰りなさいませ。報せを受け殿もお待ち申し上げておりましたが、唯今、御用の為、表の舘におります。暫し居宅の方でお待ち下さいませ」
「御用繁多の処をお邪魔して申し訳有りません」
千方が言った。
「いえ、殿はお話を伺うのを楽しみにしているように御座います」
「左様ですか」
貞盛を待つ間、千方は頭の中で想定問答を繰り返していた。
世話になった都留儀や忠頼の不利に成るような話は慎まなければなら無い。もちろん、貞盛にも世話に成っている訳だが、謀るという意識は無かった。
一方、朝鳥も、貞盛が何をどう聞いて来るか気には成っていた。千方はまだ、状況を考えずに物を言うところが有る。確かに不用意な処は有るが、それを意識させる為に、繰り返し嫌味紛いのことを言って来た。こんな時にそれを忘れているほど千方が虚けだとは、朝鳥も思って居ない。
それに、都留儀とて、本当に貞盛に知られてはまずいことは、言っても見せても居ないはずだ。
これから千方には、交渉術を身に着けて貰わなければならない。その第一歩として、器量を見るには良い機会だと思っている。だから、今更、老婆心を起こして、あれこれ注意するつもりは無かった。
「待たせて申し訳無い」
いい加減待ちくたびれた頃に、貞盛がそう言いながら現れた。
「いえ、御用繁多な折、お邪魔を致しまして、こちらこそ申し訳無く思うております。また、陸奥守様には、この度は一方ならぬ御厚情を賜りまして、御礼の申し上げようも御座いませぬ」
「何の。秀郷殿と麿の仲じゃ、身内がしたことと思うて、気にされることは無い」
「有り難きお言葉、痛み入ります」
「良い。…… ところで、胆沢はいかがであった? 」
「中々良き土地に御座いました。冬は厳しいとは聞きましたが…… 」
「そうよな。陸奥は、冬に来る所では無いな。風邪を引いて死んではつまらぬからの」
そうなのだ。この時代、風邪で人が死んだのだ。インフルエンザが有ったかどうかは分からない。
住まいに保温効果は無いし、綿入れの衣服も無い。拗らせて肺炎でも起こせば、即、死に到る。
「安倍はどうであった? 」
「並々ならぬ心遣いをして貰いました。陸奥守様のお口添えが有ってのことと思うております」
「存じておるとは思うが、麿も、ついこの間、胆沢に行った」
「はい、聞き及んでおります。北に住む蝦夷が大和に降り、その儀式を行ったとか」
「都留儀は何か申しておらなんだか? 」
「はい、申しておりました。式に向かう前に、式の次第などを話してくれました」
「戻ってよりは、何と申しておったかな? 」
「特に…… と申しますより、あの晩は話す機会が御座いませなんだ」
「安倍には色々と苦労を掛けておる。国府としても、何かしてやれることが有ればと思うておる。
困り事や意に添わぬこともあろう。かと言って、そう簡単に苦衷を訴えては来ぬであろうから、もし、何か気が付いたことが有れば、教えて貰えれば、力を貸してやれることが有るやも知れぬ」
「安倍は、信頼されて任されていることに誇りを持っております。そして、陸奥守様のお手を煩わせることが無いよう、必死に努めております」
「左様か。…… 三月の間、安倍の愚痴や不満を聞いたことは無いと申されるか」
「はい。仰せの通りに御座います」
「朝鳥。そのほうも無いか」
「さて、…… そう言えば申しておりましたな」
『何を言い出すのか? 』
朝鳥の言葉で、千方は緊張に襲われた。
「何? 」
と貞盛が反応する。
「鎮守府将軍でもあられる陸奥守様が、胆沢城に有る鎮守府にお入りになったのは、こたびが初めてのこととか…… 」
「それが、どうかしたか? 」
「出来るなら、もっと早くお越し頂きたかったと申しておりました。不満と言えば不満に御座いましょうな、これも」
貞盛の目に落胆の色が浮かんだ。
かと言って、粗を探してことを起こそうと思っている訳では無い。兎に角、蝦夷社会についての情報が無いのだ。何かの動きを見逃して失態を演じることが恐い。蝦夷社会に細作を入れることはほぼ不可能に近い。千方の滞在に寄って得られる情報が有れば、聞き出したい。それだけのことだ。
「他には…… 」
「左様で御座いますな。いずれ、忠頼殿に、坂東や京を見せてやりたいものだと申したことが御座いましたな。単なる願望でしょうが…… 」
「そうか。越訴でもしようというので無ければ、麿の在任中なら、何とかしてやっても良い。少し細工が要るがのう」
「まさか。安倍が越訴などする訳が御座いません。かの者達は、騒ぎを起こさぬことが、己達の利を図る最良の策だと良う心得ております」
朝鳥が答える。
「であろうな。麿もそう思うておる」
「そのお言葉を聞けば、都留儀殿や忠頼殿もさぞかし安堵することと思います」
「千方殿。十五であったのう。十五にしては中々の受け答え。さすが、秀郷殿のお子じゃ。…… それとも、朝鳥。そのほうの教えか? 」
「飛んでも無い。手前ご覧の通りのがさつ者。武より他にお教えすることなど御座いません」
「そうか。…… でも無さそうじゃがのう」
「相当に口煩そう御座います」
ニヤリとした千方が言った。
「…… 六郎様。裏切りはいけませんぞ。全く…… 」
口を曲げた朝鳥が横を向く。
「朝鳥。千方殿に一本取られたのう」
貞盛は、そう言って愉快そうに笑った。そして、急に真顔になり、
「金の採掘は見られたか? 」
と千方に尋ねた。
「採掘というより、探索に同道させて貰いました。金を取るということは、恐ろしく手間の掛るものだと分りました。あれだけの手間が掛るから貴重な物なのだなと思いました」
「手間が掛るから値打ちが有るとばかりは言えぬが、値打ちが有るから手間を掛ける甲斐が有るとも言えるな。…… で、その時は良き場所が見付かったのか? 」
「いえ、残念ながら、その日は見付かりませんでした」
「そうか…… うん。成る程。面白き話を聞かせて貰った。麿も来年で陸奥守・鎮守府将軍の任が明ける。常陸に戻れば、又、秀郷殿と親しく話す折もあろう。会う機会が有れば、宜しくお伝え下され」
「こたびは、陸奥守様には一方ならぬお世話になりましたゆえ、兄ばかりでは無く、父にも会ってその旨伝えたいと思うております」
「それ程のことはしておらぬ」
「御用繁多のところを、お邪魔致しました」
「道中気を付けて行かれよ。」




