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藤原千方伝・坂東の風  作者: 青木 航
幼年編 第一章
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七 朝鳥と祖真紀

「良う兎を召し上がられましたな」

と言う朝鳥の言葉を期待していたのかも知れない。

 千方は褒められながら育って来た。何かに付け、

「良うお出来になりました。さすが六郎様」

と言う言葉を郎等達や豊地の口から聞かされて来た。母は厳しかったが、それでも、良く出来たと自分でも思う時には褒めてくれた。

 しかし、祖父・久稔は近頃良くこう言っていた。

「六郎、覚えて置くが良い。他人に褒められて、すぐその気になる者は長生き出来ぬ。まず、相手が何故なにゆえ褒めているのか考えるのだ。郎等達が褒めるのはみことが麿の孫であり、それに加えて、安蘇の将軍様のお子だからじゃ。もし、奴婢ぬひの子であったなら、同じ事をしても誰も褒めぬ。豊地らが褒めるのは、麿の立場とこの草原かやはらを思うてのこと。人には、それぞれ立場と思惑が有る。それが分からず、すぐ有頂天に成る者を、うつけと言う。虚けは騙され易く、それゆえ長生き出来ぬ。今のみことには分からぬであろうが、意味は分からずとも、この言葉覚えて置くが良い。他人に褒められたら、まず、なにゆえめるのかを考えよ。…… 但し、顔では思い切り喜んで見せよ。敵を作らぬ為にな」

 正直、なんとひねくれた爺様だろうかと思った。何で褒めているのか考えながら笑顔など作れるものかと思った。又、そんなことが出来る人間には成りたくも無かった。


「今日はお疲れで御座いましょう。早く休まれるが良い。麿はこれから郷長の所へ行って、猿酒の残りなど出させて、大人の話でもして参ろうと思います」

「大人の話? 」

「はい。連れ合いに先立たれて大分だいぶになりますので、どこぞに若い後家でもおらぬかと、探りを入れてみたいと思いましてな」

 この男何を考えているのかと、また腹が立って来た。

「早う行け! 」

と怒鳴っていた。

「では、御免蒙ります」

 千方に頭を下げはしたが、別に気にする様子も無く立って、朝鳥は入口の方へ歩いて行く。

 そして、出掛けに急に振り向いて

「そうそう、このような所では、良く梁にかがしが絡んでおりましてな。時々落ちて来ることがありますゆえ、明るいうちに良く見ておかれた方が宜しいですぞ」

と言った。

 千方は円座まろうだを投げ付けてやりたくなった。


 外に出た朝鳥に、木陰から現れたひとりの男が近付いて来た。

「ご案内致します」

「頼む」

 それだけの言葉を交わしただけで、ふたりは歩き始めた。舘からの道を下って郷中へ向かう。薄暮れの野道の両側には、地まで届いた萱葺かやぶきの屋根が三つから五つ程のかたまりとなって散在している。近い血縁者同士が寄り添って住んでいるのであろう。雨水が家の中へ流れ込まないように、どの家も周りに排水溝を設けている。

 広場脇の一画に他の屋根の数倍の大きさの屋根がひとつ。郷長の住まいであろうと朝鳥は思った。


 こう書いて行くと、何か蝦夷えみしだけが竪穴式住居に住んでいると思うかも知れないが、この時代、畿内きないの民以外の庶民の殆どが竪穴式住居に住んでいたのだ。構造が少しだけ違うくらいか。


 郷長の住まいも周りの住居とは少し違っていた。円錐形の屋根では無く、片側三本、計六本の柱を梁で繋ぎ、両側の梁を支点に、上から地上まで斜めに木材を組んである。丁度、屋根だけが地上に置かれている感じか。もちろん萱葺かやぶきだ。塀や垣根などは無い。

 かや束を積み上げた壁に、丁度、人が少し屈んで入れるくらいの入口が有る。

「長がお待ちしています」

 入口でそう告げると、男は去って行った。

 潜ると三段ほどの、下りの土の階段が有り、長の祖真紀が待っていた。

「お待ち申しておりました。さ、どうぞ。むさい所では御座いますが、どうぞ奥へお進みください」

 薄暗い中で、朝鳥は屋内を見回した。

 入口を降りた右には石臼いしうす。その奥には、皿、壺などのカワラケ類を置いた棚。棚と言っても吊り棚ではなく、足の付いた置き棚である。太い木を三分の一ほどの厚さに割った面を上にしてカワラケを並べてあり、木の足が付けてある。下には大小の壺が置かれており、その奥には土で固めたかまどが有る。上には煙り抜きの穴も空いている。

 奥に向かって、右の壁沿いにはすきなどの農具、左の壁沿いには、弓、矢などの武具が並べてあり、その奥には、萱で編んだむしろを丸めて束ねた物が積んである。その更に奥には、し子の衣類もいくつか掛けてある。

 又、一番奥の中程は、土で固めた炉。周りには、四方にむしろが敷かれており、正面の席は、その上に熊の毛皮が敷かれている。あるじの席なのであろう。

「さ、さ、そちらへ」

 祖真紀は朝鳥に正面の熊の毛皮が敷いてある席を勧める。

「いや、ここで良い。麿もみことも、同じく藤家とうけつかえる身ではないか」

 朝鳥はそう言って、左側の席に腰を下ろした。

「恐れ入ります。では、失礼ながら対面とさせて頂きます」

 祖真紀は右側に席を取った。

「さすがで御座いますな」

「何が? 」

「多くの大和人やまとびと達は、我等を人と見てはおりませぬ。呼ぶ時は、『夷俘いふ』と呼びます。『みこと』などと呼ばれることはまず有りませぬな」

 赤銅色のひたいには、くっきりと横一本の深い筋が刻まれている。最初、朝鳥は刀傷かと思ったが皺であった。

「我等とて、都人みやこびとからは東夷あずまえびすと呼ばれておるわ。まして、この郷に暫く厄介になる身。何故なにゆえ、そのように呼ぶことが出来よう」

「恐れ入ります。幼い頃、亡き父が良く言っておりました。将軍様も我等を夷俘いふと呼んだことは一度も無いと。朝鳥殿とは、上手くやって行けそうですな」

「そう在らねば困る。お互い大事な役目を果たさねばならぬ身であるからな」

「千寿丸様のことで御座いますな」

ねておられるわ。麿が褒めんかったからな。大事にされて育って来たお方じゃ。ちやほやして欲しいという気持ちが強い。…… 果たして、夜叉丸の半分ほどにも強く出来るものかな。正直、気が重いわ」

「難しゅう御座いますな。中々」

「おい、おい。長は安請け合いしたではないか」

 朝鳥が少し慌てた。内心、祖真紀を頼りにしていたのだ。

「そう言わぬ訳にも参りますまい」

 祖真紀はしらっとした表情でそう言った。

「自信が有った訳では無いのか。中々の狸よのう」

「いや、朝鳥殿ほどでも御座らぬ。大体始めてお会いした千寿丸様がどんなお子か分かる訳も御座いますまい」

「いや、負ける。すっかり騙されたぞ。ふふ、ふふ。ふぁっはっはっ」

 大笑いした朝鳥の顔がすっと素に戻った。

「…… しかし、長。分かっているとは思うが、これは、単に、童ひとりを育てるということでは無いぞ」

「承知しております。駄目な時は、この命ひとつ捨てる覚悟さえ有れば、怖いものは御座いません。幸い、未熟ながら倅も、歳だけは何とか長の務まる歳になっておりますでな。さっき、ご案内して来た男で御座いますよ」

「そうか。あれが倅殿か。良き若者であるな。逆に麿には、失うものは無い。あのお子に賭けてみるつもりじゃ。もはや捨てて惜しい命では無いが、そう簡単に捨てる訳にも行かぬ」

「猿酒の残りでも召し上がりますか? 」

「おお、おお、それよ、それ」

「人払いして置きましたが、女共を呼びます。明日は競馬くらべうまなどご覧頂きましょう。千寿丸様のご様子も見に行かせましょうか? 」

「いや、その必要は無い。まだ拗ねておられるのか、或いはひとりになっておびえているのかは分からぬが、所詮、どこへも行けぬ。放って置きましょうぞ」

「食えぬお方じゃ、朝鳥殿は」

「お互いにな」


 酔い心地の朝鳥が長の家を後にしたのは、足許がやっと見えるほどに陽も落ち掛けた頃であった。

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