六拾壱 日高見の伊吹 2
もうひとつ、慌ただしい足音が響いた。
「お舘様。ご挨拶が遅れて申し訳ごいざいません」
古能代であった。
「相変わらず融通の利かぬ男よの。ゆるりとしておれば良いものを」
「この度はお世話をお掛け申し…… 」
「良い、良い。親子じゃ。堅苦しい挨拶などやめておけ」
古能代の言葉を遮って都留儀が言った。
「しかし…… 」
「しかしも、暫しも、無いわ。対屋に戻るが良い。のちほどゆっくりと話そう」
「忠頼殿と同行することお許し下さい」
都留儀は渋い顔をした。
「やはり、気付いたか。着いたばかりではないか。今日くらいゆっくり致せ」
「何卒」
「千方様を放って行くつもりか? 」
「…… 」
「都留儀殿。我等も同道してはご迷惑ですか? 」
と千方が言った。
「六郎様! 」
そう声を発したのは朝鳥だ。
「見てみたいのだ。陸奥国の在りのままを」
「戦いは見世物ではありませぬぞ。第一、不作法に御座います」
「ま、ま、日下部殿。そう仰られては千方様もお立場が無かろう。
陸奥国の在りのままを見たいと言うのならばそれも良かろうとは存じますが、危ういことも御座いますぞ」
「元より、それは覚悟の上に御座います。兄とて、物見遊山の為に麿を陸奥に寄越した訳では御座いませぬ。兵の子なら、己で生き残る術を身に着けよと兼ね兼ね言われておりまする」
「己で生きる術を…… 成る程」
そう言って都留儀は笑った。
「しかし…… 」
朝鳥は渋い顔をしている。
「六郎様は、我等が命に代えてお守り致します」
そう言ったのは夜叉丸だった。
「日下部殿。若いということは、血の気も多いということですな。いかが致しますかな? 」
「ふ~ん」
と息を吐き出した朝鳥が、
「ご迷惑で無ければ、忠頼殿と同道させて頂いて宜しいでしょうか? 麿も参ります」
と都留儀に言った。
「どの道、古能代を止めることは出来ませぬ。皆様もお出でなさるが宜しかろう。それでは、具足の用意をさせましょう。千方様には五郎の物が良かろう」
千方は奥に案内され、他の者達は武器蔵に向かった。
支度を整え庭に出ると、慌ただしく兵達が出陣の準備に追われている。
「もたもたするな。遅れればそれだけ味方の犠牲が多くなるのだ。急げ、急げ! 」
忠頼は乗馬用の鞭を振り回して兵達を叱咤していた。あと僅かで出陣可能な体勢は出来ていた。
「忠頼殿、同道させて貰う」
古能代が言った。
「古能代殿…… 。いや、それは困る。父にもきつく言われておる」
「そのお舘様よりお許しを頂いた。案ずるな、邪魔はせぬ」
「いや、邪魔などとは思わぬ。古能代殿が一緒ならば心強いが…… 帰られたばかりで、姉上や子らとゆっくりして欲しいと思っていたのに…… いや、この騒ぎでは気付くわな。気付けば後には退かぬ義兄者。父もそれが分っていて許したのであろう。分かり申した」
「済まぬが、我等も同道させて貰うことになった」
そう言った千方の方を、忠頼は驚いた様子で見た。
「しかし、それは…… 」
「お邪魔は致さぬ。我等のことは気にせんで下され」
「そう言われましても…… 」
「我等からもお願い致す」
そう言ったのは古能代だ。
「しかし、万が一のことでも有れば…… 」
「我等が責任を持つ。迷惑は掛けぬ。…… と言ってもやはり迷惑ではあろうが、そこを曲げてお願い申す」
「万一、麿に何か有ったとしても、それは麿の天命じゃ。我が父や兄が、忠頼殿や都留儀殿の手落ちと責めることは無い。それはお誓い申す」
「御曹司がそこまで言われるのなら…… 」
「忝い。ついでに、その『御曹司』はやめて下され。麿は公家の子では無い。六郎とお呼び下さい」
「分かり申した、六郎様。やはり、前将軍様のお子ですな。肝が坐っておいでじゃ。但し、くれぐれも見るだけにして下されよ。お願い致します」
「元より、邪魔は致さぬ」
ほどなく五十名ばかりの郎党達が整列を終え、出陣となった。
一行は忠頼を先頭に二列となって舘の庭から駆け出して行く。
山裾を廻り集落に掛かる度に従う者の数が増え、いつの間にか百を超す集団に膨れ上がって行く。
千方も朝鳥もその数に驚いた。これ程短い時間で百名もの郎党を集められることに驚いたのだ。千方は、安倍氏の勢力に驚愕していた。正確にその力を知っている訳ではないが、強力と言われている武蔵の村岡氏をも凌ぐのではないかと思えた。そして、なぜか血が騒いでいた。
山中の路を抜け、一刻(三十分)程も駆けただろうか。郎党の数は更に増えている。行く手に集落が見え、近付いて行くと十人に少し足りない程の人影が見えた。
「どうした? 」
手綱を引き絞った忠頼が男達に尋ねた。ひとりの騎馬武者と残りは郷人らしい風体をした男達だ。
「荒らし廻った後、さっさと引き揚げました。今、追っております」
と騎馬武者が答えた。
「少数での深追いは危険だ。急がねば…… 。案内せよ! 」
「はっ」
合流した武者の案内で、一行は更に山道に分け入って進む。路は狭く、分かれ道も有るが、回りの草が薙ぎ倒され、至る所で小枝が折れているので進む道に悩むことは無い。
やがて峠に出て、見晴らしが開けた。
「止まれ~! 」
忠頼の声が響いた。向いの山々から木霊が帰って来る。
見渡すと遥か下に縦に伸びた二塊の人馬の群れが見える。先を行く塊はもうじき小さめな山の山裾に掛る処だ。その山頂には舘らしき物が見える。
「よもや、あのまま追うことは有るまいが、高旨先に参れ」
「はっ」
と一言発すると、案内して来た武者は駆け出して行った。
「我等も急ぎ参りましょう」
忠頼が千方に言った。
「いかにも。我等のことは気にせず、お急ぎ下され」
「続け~! 」
振り上げた鞭を前に振って馬の腹を蹴り、忠頼が駆け出すと共に、一団は早足となって坂道を下り始めた。既にその数は百二十を超えている。急な坂に差し掛かると馬を抑えながら曲がりくねった道を一列の長い帯となって下って行く。
下り切り、谷川を渡って、今度は緩やかな上り坂を進む。やがて、五十人ほどの武者達が見えて来た。その一団の中から高旨が戻って来る。
「吾が着いた時には、既に追うことはやめておりました」
戻った高旨は忠頼にそう報告した。
「うん。良かった。これより先は死地となる」
「忠頼殿。死地…… とは? 」
千方が尋ねた。
「木々の間に堤が見えましょう。あの手前は深い堀となっております。それが、この山の周りを一周しているのです。入口はひとつ。うっかり踏み込めば、両側から石や丸太を落されます。ですが、それは皆存じていることゆえ、これ以上追うことは無いと思っておりましたが、万一を考えました」
「失礼ながら、忠頼様はお若いのに中々の方とお見受け致しました。お舘様が安心して任せておられるのも、成る程と思われます」
そう言ったのは朝鳥だ。
「いや、そのように言われると面映ゆい。ただ、少し心配症なだけです」
「朝鳥は麿に言い聞かせているのですよ。皆知っているはずだからそのまま追って行くことなど有り得ないと決め付けてしまってはならない。最悪の事態となった時どうするかまで、常に考えて置かなければ将は務まらないと言いたかったのでしょう」
「その通りで御座います。少しは分っておいでになったようですな。堀を渡る前に追いつけると思い込んで勢いに乗って踏み込んでしまうとか、ここで手柄を立てなければという想いが強くなり、周りが見えなくなってしまうとか…… 戦場では思いも寄らぬことがしばしば起こりまする。それを後から、『まさかそんなことが』と悔やんでみても仕方がありません。気付かなかった己が悪いのですから」
「分った、分った。朝鳥。もう、それくらいに致せ。忠頼殿の前、しかもこのような場所で…… 」
「はははっ。いや、六郎様は良き一の郎党をお持ちじゃ。今、この場をどうすることも出来ぬ。我等も朝鳥殿の話を一緒に伺うと致しましょうか」
「いえ、滅相も無い。飛んだ出過ぎたことを申しまして…… いやはや……何と申し上げて良いやら…… 」
朝鳥は何とも跋が悪そうに、口をもぐもぐさせながら周りを見回した。
夜叉丸と秋天丸は、吹き出しそうなのを堪えて千方の顔を見た。古能代はと言うと、いつものように、しらっとした視線でちょっと見ただけで、辺りを見回しながら何か考えている。
「どうする? 忠頼殿」
古能代が言った。
「逃げ込まれては、百五十を越える兵を以てしてもどうにもなりませんでしょう。秋を待って山ごと焼くしか方法は無いか? それまでは、見張りを厳重にして出て来ぬようにせねば。取り敢えず百ほど残して見張らせましょう。食糧と必要な物は後で運ばせます」
古能代が黙って頷く。
「あの山を攻めることは、それほど難しいのですか? 」
帰路、ゆっくりと歩みながら、千方が忠頼に馬を寄せて尋ねた。
「あの山は、山ごとそっくり砦なのです。山頂に狐支紀の舘が有り、部下の者達もその周りに住まいおります。斜面や台地に畑も作っているので、食糧も或る程度は確保出来ます」
「山頂に舘が有るようですが、坂東では見たことも聞いたこともありませぬ」
「左様で御座いますか。奥六郡では珍しいことでは御座いません。攻めるのに手間が掛かります。しかし、騒ぎを起こす者達を見過ごす訳には参りませんので、日々その鎮圧に追われております」
「なにゆえ騒ぎを起こすのですか? 」
忠頼は、ちょと笑った。
「一言で言えば蝦夷だからです。もちろん我等も蝦夷に変わりは御座いませんが、大和は敵だと未だに強く思い込んでいる者もおります。それ程で無い者達の中にも、心の中のどこかにそれを秘めている者達は大勢おるのです。何か不満が有れば、それが爆発致します」
「不満とは? 」
「例えば祖米。不作の年などは納め切れぬ村が多く出ますが、比較的余裕の有る村にはそれを補う為の負担をして貰わねばなりません。
ところが、全体のことを考えず、なにゆえ他の村に課されている分まで負担しなければならないのかと思う者も多いのです。遠い古より多くの部族に分れていた為、その考えが抜け切らんのです。
『日高見国はひとつ』との想いを植え付けて行くにはまだまだ時を要すると思います。不満を抱く者達は、我等を大和の手先と思うております」
「成る程…… 」
舘に戻り都留儀に挨拶を済ますと、そのまま軍議となる模様だったので、古能代を除く千方主従は遠慮し退席した。
「逃げ足の速い奴よのう」
顎に手を掛け捻りながら都留儀が言った。
「捕り逃がし、申し訳も御座いません」
忠頼が頭を下げる。
「いや、やむを得ぬ仕儀じゃ。う~ん、秋まで待たねばならぬか…… 」
「お舘様。毎夜火矢を射掛けてみてはいかがでしょうか? 」
そう言ったのは古能代だ。
「しかし、大した効果は期待出来ませぬでしょう」
と忠頼。
「もちろん。秋の枯草のようには行きません。多くの矢は岩に当たったり、土に突き刺さったりするのみでしょう。しかし、叢に刺さった矢でも、そのままにして置けば、露を含んだ青草でさえ、やがては燃え上がらぬとは限りません。たまたま木の幹にでも刺されば尚更です。
見張りの者達も放っては置けますまい。火を消す為に走り回ることとなります。雨の日以外、それを毎夜繰り返すのです。兵達が疲れ果てるばかりで無く、上からも火は見えますから、狐支紀らも、おちおち寝ては居られなくなります」
「ふ~ん。やってみる価値は有りそうだな」
と都留儀が頷く。
「さすが、義兄上。やってみましょう」
忠頼も乗り気となった。




