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伍拾壱 貞盛の憂鬱

「これが多賀城か! 」

 千方が興奮気味に言った。

 見回りから戻った兵達の列が、足早に追い越して行く。仕事を終えた職人達ものんびりと話しながら通り過ぎて行く。

 陸奥国は大国たいこくであり、養老律令の官位令が定める大国の官位相当は、かみ従五位上じゅごいのじょうすけ正六位下しょうろくいのげ大掾だいじょう正七位下しょうしちいのげ少掾しょうじょう従七位上じゅしちいのじょう大目だいさかん従八位上じゅはちいのじょう

 職員令が定める定員は、かみから少目しょうさかんまで各一人、計六人である。

 国司には含まれない史生ししょうの定員は養老令では三人だが、延喜式では五人である。他に国博士一人、国医師一人、学生がくしょう五十人、医生十人が定員として置かれていた。

 南北大路に沿って右側には川が流れており、それが少し先でほぼ直角に左に曲がり大路と交差する。その手前左側には、碁盤の目のように路が走る街並みが有る。

 左折し、四丈(十二メートル)幅の路を進むと、二区画目左に陸奥大掾むつのだいじょうの住む国司舘こくしやかたが有る。次の区画の右側にあるのが介の住む国司舘だ。陸奥守の住む国司舘は右側の更に四区画先に有り、政務を司る建物も敷地内に有る。通常の政務は内郭の内にある政庁では無く、陸奥守の屋敷内にある舘で行われていた。

 佐野を発つ時、千常から渡されていた絵図を基に、一行は貞盛の居る国司舘に向かった。

 貞盛は秀郷の後、天慶てんぎょう十年(九百四十七年)より鎮守府将軍を務めていたが、陸奥守を兼ねている為、多賀城に滞在していた。

 築地塀ついじべいに沿って進み、門を入るとほぼ正面に政務を執る為の舘が在り、左手奥に回廊で繋がった居宅きょたくが有る。その周りには、幾つかの建物が回廊で繋がれている。

 門番に案内あないを乞うと、少し待たされて正面の建物内に案内された。

 千方が下座正面に控え、後ろには、左から朝鳥、古能代、夜叉丸、秋天丸が横一列に並んで貞盛の出座を待った。やがて、貞盛がゆっくりとした歩みで現れると、一同、両のこぶしゆかに着き頭を下げる。

 貞盛も既に五十になる。若い頃、明るく快活であった面影は無い。一度立ち止まって、なんと無く憂鬱そうな眼差しで一同を見渡した後、席に着く。

「秀郷殿から書状を頂いておる。長旅、大儀たいぎで御座ったな」

「お初にお目に掛かります。秀郷が六男、六郎・千方と申します。こたびは、お世話をお掛け致します」

「何の。秀郷殿には色々と世話になっておる。ろく持成もてなしも出来ぬが、ゆるりとされよ。武蔵で育ったそうじゃな。幾つになる? 」

「はい。十五になります」

「十五? …… そうか、あの乱の折に生まれたのか。秀郷殿も、色々と忙しいことであったのじゃな。…… 」

 そう言って貞盛は僅かに笑った。

 その後貞盛は、朝鳥に視線を移し

「おう、朝鳥と申したな。覚えておるぞ」

と言った。

「陸奥守様に覚えていて頂けたとは、真に恐縮に御座います」

「下野・藤原家の日下部朝鳥くさかべのあさどりと言えば音に聞こえた荒武者じゃ。忘れるものか。あの折、麿と共に本陣を飛び出しおって」

「恐れ入ります」

「隣の者も見た覚えが有るのう… 」

 古能代に視線を移した貞盛が、その顔を凝視している。

『これか! 』

 そう思って、朝鳥は緊張した。太刀を抜くには左側に居る方が有利である。そう思って朝鳥は、古能代の左側に席を取っていたのだ。

「いえ、お人違いかと」

 古能代が平然と答えた。

「手前、取るに足らぬ者で、郎党の末席をけがしておる者。陸奥守様へのお目通りは初めてのことに御座います」

「…… ふん、そうか。秀郷殿に、そう申せと言われておるのか? 」

「そのようなことは、御座いません」

 古能代は、そう無表情に答える。

「あの折、将門の許に使いした郎党に良く似ておるな…… 」

 貞盛は探るような眼差まなざしをした。

 そして、

「ま、良い。別人ということにしておこう」

と言って千方に視線を戻すと、

「千方殿、麿はまだ、少しせねばならぬことが有るゆえ、済まぬが中座ちゅうざする。全てこの者に申し付けてある。不自由があったら、何なりと申し付けられるが良い。後程のちほど宴を共に致そう」

と言って立ち上がった。

 かたわらに控えていた郎党が、頭を下げる。

御用繁多ごようはんたなところ、お出まし頂き有り難う御座いました。お言葉に甘え寛がせて頂きます」

 千方が貞盛に向かって頭を下げると、後ろの四人も同じようにならった。

 朝鳥がふーと息を吐いた。


 居室に戻った貞盛は人を遠ざけ、虚空を見詰めながら、親指の爪を噛んでいた。

『秀郷殿は、なにゆえ今頃、あの男を寄越したのだろうか? 』

と考えていたのだ。

『麿に“恩を忘れるな" と言いたいのか? 』 

そう思った。

 将門に向けて矢を放った後、その矢が、将門に払い落されたのを確かに見た。しかし、

『しまった! 』

と思う間も無く、将門が馬から雪崩なだれ落ちた。はっとして右手を見ると、離れた所に、四~五人の郎党達の姿が有った。その先頭に居たのがあの男だった。

 その手には、半弓が握られていた。

『確か名は、大道古能代』

 将門の許へ使いに出した郎党の名を聞いた時、秀郷が答えたのを、貞盛は覚えていた。それほど気になる男だったのだ。

『射落としたのはあの男の矢ではないか? 』

 そう考えているうちに、将門の許に駆け寄った秀郷が、いきなり、倒れている将門の頭を踏ん付け、刺さった矢を抜き、辺りに散らばっている矢の中に、抜いた矢を放り込んだ。そして、

『皆、聞け~っ! 謀叛人・平将門は、左馬允さまのじょう平朝臣たいらのあそん太郎貞盛たろうさだもり殿が射落とし、下野押領使しもつけのおうりょうし、この藤原朝臣ふじわらのあそん太郎秀郷たろうひでさとが首討った』

と叫んだのだ。

『いや、違う』

とは言えなかった。もう、そんなことを言える雰囲気では無くなってしまっていた。

『あの時から麿は、秀郷殿に首根っこを押さえられてしまったのだ。そして、あの時から麿は憂いの中で生きている』

 まず始めに、

『将門を射落としたのは、貞盛殿では無い』

と言い出す者が出て来ないかと案じた。あの雰囲気の中で気付いた者が居なかったのか、或いは、気付いていて『それで良い』と思ったのか、幸いにも、そんなことを言い出す者はひとりも居なかった。

 つわものの矢には、名前や本人と分かるしるしが書いてある。恩賞を願い出る時の証拠とする為だ。しかし、秀郷は、証拠の矢を抜くなり、散らばった矢の中に放り込んでしまった。そして、大声で宣言することに寄って、周知の事実としてしまったのだ。それに異を唱えることは、秀郷に反抗するということになってしまう。

 太政官への恩賞申請に際して秀郷は、野犬を射て血塗りを付けた貞盛の矢を提出していた。


 次に貞盛の心を悩ませたのは、弟の繁盛だった。

「兄者はひとが好過ぎる。口惜くちおしくは無いのか? 将門を射殺したのは兄者で、秀郷殿は、死人しびとの首を獲っただけではないか! それなのに、秀郷殿は大出世をし、兄者は僅かな昇進にとどまっている。きっと、秀郷殿が己の手柄を都合良く太政官に申し立てたのだ」

「繁盛! 滅多なことを申すな。秀郷殿は、そのようなおかたでは無い。元はと言えば、麿が秀郷殿を頼って、助力をお願いしたのだ。そして、軍勢の粗方あらかたは秀郷殿の兵であったのだ」

「そんなもの、既に崩壊しておったでは無いか。それに、兄者の持っていた将門追捕の官符が無ければ、軍をおこすことも出来なかったはずだ」

 正に、繁盛の言うことに違いは無い。将門を殺したのが貞盛であれば…… 。だが、例え弟であれ、真実を言うことは出来なかった。

「おかみにも色々とお考えのあってのご措置だ。不服を申してはならぬ。公卿方はちゃんと考えていて下さる」

 繁盛をなだめる為に言った言葉だが、嘘では無かった。


 貞盛は、恩賞の沙汰の後、権中納言ごんちゅうなごん藤原師輔ふじわらのもろすけに呼び出された。

「貞盛、こたびの御沙汰さぞかし不満であったであろうな」

 家司も同席していない二人だけの部屋でのことである。

 師輔はそう言ってから、かまち近くの下座に控える貞盛を、閉じた扇で差し招いた。

「近う。もそっと近う参れ」

「ははっ」

と返事をし、貞盛は部屋の中ほどまで進み出た。

「もそっとじゃ。もそっと近う参らねば話せぬことじゃ」

 貞盛は更に近くまで進んだ。

 そして、

「不満など一切御座いませぬ。身に過ぎたものと、御沙汰には深く感謝致しております」

と言った。

「欲の無い男じゃのう。じゃが、これだけは覚えて置くが良い。我等、そちの働きを秀郷より下と見ている訳では決して無いぞよ。色々と考えが有ってのことじゃ。処遇については、いずれ得心出来るように致す。暫し時を待て。麿が朝堂に在る限りは案ずるには及ばぬ。任せておきゃれ」

「ははっ。元より不満などは御座いませんが、権中納言様、直々にそのようなお言葉を頂き、この貞盛、只々恐悦至極きょうえつしごくに存じまする」

 貞盛は大袈裟に身を伏せた。


 そのことを話すと、繁盛の怒りも少しは収まった。

「ふ~ん。そんなことが有ったのか。…… だが兄者、みやこ公卿くぎょうの言うことなど信用出来るのか? 」

「分らん。分らんが、そう思うて下さっていることは確かだ。信ずるより他に有るまい」

 貞盛はこの時、繁盛には話さなかったが、実はこの話には続きが有った。


「貞盛。秀郷とは昵懇じっこんに致せよ」

「はっ」

と返事はしたが、その真意が読めない。

「親しく付きうて、見たこと聞いたこと、全て麿に報せよ。良いな」

と言った師輔の目が鋭く光った。

 ここに来て師輔が自分を呼んだ意図を、貞盛は初めて悟った。

 立ち上がった師輔が、平伏している貞盛に近付き、その周りを、ゆっくりと廻りながら話し始めた。

「貞盛。位討くらいうちと言うのを知っておるか? 」

「はい」

「うん。人には誰しも生まれながらに持った”ぶん” と言うものが有る。その” 分” を超えていきなり出世すると、己を見失って自滅するものじゃ。そちは、あせらず、一歩一歩上って参るが良い。その為には、まずは、しっかりと働くことじゃ。期待しておるぞよ」

「ははっ」

 これが、貞盛に取って最大の苦悩の元となった。


 元々貞盛は、要領は良いが、狡賢い人間では無い。若い頃は、明るく爽やかで誰にも好印象を持たれる若者であった。

 将門を恨んだのも、最後にしつこく追い回されるようになってからである。父・国香の死に付いても、将門が意図的に討ったものでは無く、たまたま巻き込まれただけと知ってから暫くは、討とうと言う気さえ無かったのだが、周りの状況から次第にそういう立場に追い込まれて行ったのだ。

 秀郷に助けを求め、秀郷がそれに応じてくれたお陰で、臆病者との汚名を晴らすことが出来た。それには恩義を感じている。秀郷が自分を、将門を射落とした者と宣言してしまったことに付いては、有り難く思わなければならないのかも知れないが、一方で、

められた』

と思わない訳でも無い。何しろ、この秘密に因って、貞盛は一生、秀郷に頭の上がらない立場となってしまったのだ。

 その秀郷を裏切れというのが、師輔のめいである。

 この時から、明るかった貞盛が次第に変貌して行った。苛立いらだちから、感情を爆発させて部下に当たることも度々有った。ひとの心を読むことが快感だった貞盛の心が、次第に鈍になって行き、己の中に籠るようになってしまったのだ。


 長い間、貞盛は人払いをした部屋でひとり爪を噛んでいた。師輔には、秀郷の動向についての報せは送り続けていたが、たまに入る秀郷の不穏な動きについての情報は、他から漏れる心配が無ければ、握り潰していた。

 古能代の印象的な顔が、又、あの頃の苦しみを思い起こさせた。

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