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藤原千方伝・坂東の風  作者: 青木 航
幼年編 第一章
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四拾四 二荒山大明神

 少し時刻をさかのぼる。その日の朝餉あさげを終えた時刻。田沼にある秀郷の舘を訪ねる者達が有った。

 それは、武蔵国・草原郷かやはらごう郷長さとおさ草原久稔かやはらのひさとし。その娘であり千方の母である露女、その弟であり千方の叔父に当たる豊地とよちの三人である。三人は、秀郷の郎等に案内あないされて舘に入った。

 奥の間に通され少し待たされたが、やがて秀郷が現れる。

「良う参った。久稔殿」

 秀郷は、まず久稔に声を掛けた。

「こたびは思いも掛けぬことでお招きに預かりまして、望外の喜びを感じております。これもひとえに将軍様のお陰。この久稔、生涯この御恩を忘れることは御座いません」

 秀郷はとっくに鎮守府将軍の職を離れている。正確には『さきの将軍様』と呼ぶべきであろう。しかし、当時の習慣としては、このような場合、配下の者は、面と向かっては『さきの』などとは付けない。それ以上の職に就かない限り、いつまで経っても『将軍様』と呼ぶのである。

「大袈裟なことを申すな。実はな、これ全て千常の段取りよ。千寿丸を迎えに行った直後から準備を始めておった。麿のところへも何度来居(きお)ったことか…… 」

「左様で御座いますか。では、千常の殿にも厚く御礼を申し上げねばなりませぬな」

「露女」

 ふいに秀郷が呼び掛けた。

「久しいのう。いや、一瞥いちべつ以来と申すべきかな? 」

「はい。殿にお会いするのは、これで二度目で御座いますから」

 おもてを上げた露女が答える。

「恨んでおるのか? 」

 露女はゆったりとした表情で微笑んだ。

「何でお恨みすることが御座いましょう。千寿丸がご一族として認められ、立派に元服すること。この十四年間持ち続けた唯一の望で御座います。それがかなおうとしている今、何の不足が御座いましょう」

「そうか。捨て置いたにも拘わらず、それで他の男に嫁がなかったという訳か…… 」

「はい。嫁げば、千寿丸は、そのかたのお子ということになってしまいますゆえ」

「強い女子おなごじゃ。全ては子の為という訳か。寂しいとは思わなんだか? 」

「千寿丸だけでは御座いません。父に取っても郷に取ってもそれが幸いとなります」

おのがことは考えぬか? 」

「考えます。殿方は、弓矢で周りの者達を護ることで心が満たされることが御座いますでしょう。わらわ女子おなご殿方とのがたのようには弓矢は使えませぬ。おのが出来ることで役に立てればと思うております。それで心が満たされます」

天晴あっぱれな物言いよのう。…… のう久稔殿」

「恐れ入ります。このようにずけずけと物申す娘ゆえ、もう、ぐっしょりと冷や汗をかいております。申し訳も御座いません」

「ふふふふ。考えて見れば、村岡五郎のせいかも知れぬな。あの折、村岡五郎が乱に関わって来ておれば、麿も、もっと足繁く草原かやはらに通っておったかも知れぬ。遂にあの男が腰を上げなかったばかりに、草原かやはらとも露女とも疎遠になってしもうた。千寿丸にしても、近くにおりながら気持ちの中では彼方かなたに置いてしもうた。許せ」

「もったいない。この度のことで、何もかもむくわれます。重ねて御礼申し上げます」

「暫し休むが良い。今日のうちに宮に参る」

 立ち上がり歩き出した秀郷が、ふと立ち止まって振り向いた。

「露女…… 」

「はい」

 おもてを伏せて秀郷を見送ろうとしていた露女が顔を上げる。

「この舘に移る気は無いか? 」

「…… もったいないお言葉では御座いますが、どうか、草原かやはらに捨て置かれますよう。その分、千寿丸のこと、宜しくお願い申し上げます」

「ふん…… そうか。今更よのう。あい分かった。思うままに致せ」


 三刻(一時間半)ほど後、秀郷は数人の一族の者、郎等、草原かやはらの者達を引き連れて宮(現・宇都宮)に向かった。

  二荒山大明神ふたあらやまだいみょうじんは下野国・河内郡かわちごおり池辺郷いけべごうみやの地に在り、現在の宇都宮市の中心部(馬場通1の1の1)、うすヶ峰(標高約百三十五メートル)の山頂に鎮座する。

 仁徳にんとく天皇四十一年に毛野国けののくに下野国しもつけのいくに上野国こうづけのくにに分けられた際、下野国・国造くにののみやつこに任じられた奈良別王ならわけのきみが曽祖父・豊城入彦命とよきいりびこのみことをこの地域の氏神としてまつったのに始まると伝えられる。

 宮は二荒山大明神の門前町として栄えていたが、まだ、後の下野の覇者宇都宮氏の影は無い。因みに、二荒山ふたあらやまとは日光の男体山のことであり、『宇都宮』とは『移しの宮』から来ているとも言われる。

 宮の戦いを前にして、秀郷は二荒山大明神に戦勝祈願をしている。その折、陸奥国の黒川で打たせた毛抜形太刀けぬきがたのたちを奉納したが、その時、宮司みやのつかさは、

「『吾霊力わがれいりょくこの太刀に込めん。なんじこの太刀振るわば怨敵おんてきの首を得ることになろう』

との御神託ごしんたくが有り、大明神様はこの太刀を改めて秀郷殿に与えるとのしに御座います」

と言って、太刀を返して寄越した。

 そして、秀郷はその太刀を使って将門の首を討った。戦勝後、秀郷はこの神社に、大枚たいまいの寄進をした。そういうことで、秀郷に取ってこの神社は縁もあり縁起の良い神社なのである。


 折り返しも無く一直線に山頂まで続く長い階段を一行は登って行く。

「ふ~っ。麿も歳かのう? 息切れするわ」

 中段に差し掛かった時、秀郷が言った。

「何の…… 殿に着いて行くのは大変で御座います」

 国時が秀郷以上に息切れしながら答える。

 やっとのことで山頂に着き神門を潜ると、冬と言うのに薄らと滲んだ汗を拭き、続く者達の到着を待った。

 広場を挟んで一対いっつい狛犬こまいぬが護る神明造しんめいづくりの社殿がそびえる。

 神明造は奥行きより幅が大きく、高床式倉庫から発展し、穀物の代わりに神宝を納めるように変化したと考えられている。左右対称で、左右方向には偶数本の柱が配されており、柱と地面の間には礎石も土台も無く掘立柱。屋根は茅葺かやぶきである。

「千寿丸と申す子のこと、五郎(千常)は随分と力を入れておるようですな」

 秀郷のすぐ下の弟であり、秀郷に最も忠実な弟でもある高郷たかさとが言った。

「武蔵守も退任した今、太政官は、武蔵からも、この秀郷の影響力を排し、下野一国に封じ込めようとしておる。くさびを打ち込んで置く必要がある」

大田郷おおたごおは兎も角、確かに草原かやはら郷に付いては今のままでは心許無こころもとないい状況ですな。そこで、落しだねのことを思い出したという訳か。兄上、あの折、作っておいて良う御座いましたな」

 高郷は可笑しそうに笑った。風貌は秀郷と良く似ている。

「勝手と思う者もおるであろうな」

「露女と申しましたな。あの女子おなごで御座いますか? 」

「うん。不満は申さぬが、心の底は分からぬ。この度の元服に付いても、五郎はえらく熱心であったが、ずっと捨て置いたことが気に掛かって、すぐには返事せなんだ」

「これは兄上らしくも無い。打つべき手を打つに当たって女子おなごのことなど気になさるとは。露女とて、子の元服をこのように立派にして貰えるのですから不足は御座いますまい」

「全て読んでおるのよ。あの女子おなごはな…… 」

れなさったか? 」

「うん? 何を申すか、たわけたことを。もはや色気など無いわ。…… ただ、側に置いて色々話してみるには面白い女子おなごかも知れぬと思ったまでよ。だが、断られた」

「はっはっはっは。兄上の申し出を断るなど…… それを聞いただけでも、並の女子おなごでは無いことは分かりますぞ」

「もし、麿が腹を立てて、首()ねると申したら、表情も変えず

左様さようで御座いますか』

と首差し出すやも知れぬ女子おなごじゃ」

「これは、また…… 」

 高郷が驚きとも笑いとも取れる複雑な表情を見せた。

 その時、禰宜ねぎと数名のはふりを従えて宮司みやのつかさが走り出て来た。

「これは将軍様。このように早いお着きとは思わず、階下までお出迎えもせず申し訳御座いませんでした」

「何、気にすることは無い。年を取ると気がいてな。約束の刻限よりも大分早く来てしもうた。この階段を登って、やはり歳だなと思うたぞ。戦勝祈願に訪れた時には苦にもならなんだのにな」

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