四拾参 父と子
「何としても、吾は隠居するべきと思うておる」
郎等長屋で祖真紀と古能代が対座している。
「なにゆえ? 殿はお許し下されたではないか」
古能代が言った。
「『祖真紀ともあろう者が抜かったな』
とも仰せになったであろう。それに、六郎様の剣の腕を鍛えたのは朝鳥殿だ。吾では無い」
「吾には郷長など無理だ。務まらん」
古能代は、そんな話題は終わらせたかった。
「我等と下野藤原家との繋がりが出来たのは吾の父の代のことだ」
祖真紀が問わず語りに話し始めた。
「偶然郎等のひとりに、郷のことが嗅ぎ付けられてしまったのだ。郷では戦おうという声が多くを占めた。
『大和に下ることを拒んだ杜木濡の意志を継ぐべきだ』
と多くの者が思っていた。しかし、杜木濡の時代からすれば世の中も変わっていたのだ。
『戦っても滅びるのみ。何としても蝦夷の血を残せ』
と命じた阿弖流爲の心を汲むべきだと父は皆を説得して回った。確かに、大殿の父上・下野大掾・藤原村雄様の力に逆らってこの下野で生き残ることは不可能であったろう。それが、だんだん皆にも分かって来た。かと言って他国に逃がれて、また同じような場所を見付け出せる見込みはなかった。郷人の全てを説得することは出来なかったが、大方の同意を得て、父は村雄様の許に出頭した。元より自らの命は捨てるつもりでおった。
しかし、村雄様は郷人全てを捕えて朝廷に報告すると言われた。ところが、同席していた若き日の大殿が、
『この者達のこと、麿にお任せ下さい。朝廷にもご報告は無用に願います』
と申し出られたそうだ。ふ、ふふふぁっふぁっ」
と祖真紀は急に笑い出した。
古能代は訝しげに祖真紀の顔を見た。
「その頃の大殿はな。鼻摘まみ者だったのよ。大掾の嫡子でありながら『官人と揉め事は起こすわ、朝廷への不満は言うわ』で、村雄様もほとほと手を焼いておられたそうじゃ。当然、村雄様は
『引っ込んでおれ』
と怒鳴り付けた。そうしたら大殿はな、何と、
『ならば、この者達と郷に立て籠もって父上と一戦交えます。宜しいか? 』
と言ったそうじゃ。それも、どう見ても本気としか思えぬ表情でな。
その時の村雄様の表情は、何と言って良いか、何とも言い表せぬお顔をされたそうじゃ。まさか、現職の大掾ともあろう者がそんなことで息子と戦をする訳には行かぬ。制圧したとしても責任問題が起こって来る。大殿を兵に捕えさせて牢に押し込めることも出来たろう。しかし、村雄様はそうしなかった。
『勝手にせい! 』
と言うことになった。なにゆえであったのかな? その時大殿は、父に
『命らの力、我が夢のために使う。麿のために働いてくれるか? 』
と仰せになったそうだ。『命』と呼ばれて父は大そう驚いたそうだ。それ以来、大殿から命と呼ばれることは無かったが、『夷俘』と呼ばれたことも一度も無かったと何度も聞かされた」
実は、蝦夷を呼ぶのに頭に『夷俘』と付けることは疾うの昔に朝廷も禁止していた。
弘仁五年(八百十四年)十二月一日、嵯峨天皇は次のような勅を発した。
『帰降の夷俘、前後数有り。仍りて便宜を量りて安置す。官司・百姓、彼の姓名を称せずして、常に夷俘と号す。既に皇化に馴れて、深く以て恥と為す。宜しく早く告知して、夷俘と号すること莫かるべし。今より以後、官位に随いて称せ。若し官位無ければ、即ち姓名を号せ』
つまり、
『降伏して来た蝦夷がこのところ多く居る。そこで、彼等が生活し易いように便宜を量ってやっている。ところが、官吏や良民達は、彼等の名前を呼ばずに、常に夷俘と呼んでいる。既に朝廷の治めるやり方に馴んで来ている者達に対して、このような呼び方は誠に恥ずかしいと思う。速やかに皆に知らせて、夷俘と呼ぶことの無いようにしなければならない。今後、官位のある者は官位で呼べ。官位が無ければ名前で呼べ』
と言うことである。
この時代でも差別用語禁止という通達は存在したのだ。しかし、誰もゴミを捨てないところに
『ゴミを捨てるな! 』
と書かれることは無い。皆が『夷俘』と呼ぶから、蝦夷がそれに反発して政情が不安定になることを恐れて朝廷はそういう呼び方を禁止した訳だ。だが、その通達が守られることは無かった。
そんな情勢の中で、秀郷は先代の祖真紀を、同等の相手に対する敬語である『命』と呼んだのである。
「父はえらく感激して、自らの命も郷の運命も大殿に賭ける決心をしたと言っておった。そして、吾もその父の想いを引き継いだという訳だ」
正に秀郷は"人誑し" の名人と言える。言葉ひとつで、強力な配下を手に入れてしまったのだ。そして村雄も秀郷の傍若無人振りに手を焼きながらも、どこかに才気を見出しており、只の愚か者とは思っていなかったのだろう。そうでなければ、例えどんな経緯であろうと、祖真紀一族をそっくり預けたりはしなかったはずだ。
その後、暫くして藤原村雄は亡くなった。
後ろ盾を失った秀郷は、たちまち国府から圧迫を受けるようになる。しかし意外なことに、秀郷は破れかぶれになるようなことは無く、それにじっと耐えながら徐々に実力を蓄えて行ったのである。暴れ者でありながら策士でもあるという二面性が秀郷には有った。
「吾にもその想いを継げと言うのか? 」
古能代が祖真紀に問う。
「いや、汝は汝の考える祖真紀に成れば良い。大殿と殿に恩を売ったのは汝だからな」
「何のことだ? 」
「親を甘く見るな。疾うに知っておるわ。北山でのこと…… 」
「誰が言った! 」
「誰も言うてはおらん。支由威手も他の三人も何も言うてはおらんぞ。口止めしたのであろう。だが、吾は知っておる。この祖真紀を甘く見てはいかん。それはそれとして、喋らぬことが殿や大殿の信頼を得ておるのだ。何が有ってもそれは守らねばならぬ。だから、吾もこのことは今後一生口にせぬ…… 汝が祖真紀を継げば御二方も安心される」
「どこまで読んでおるのか? …… やはり親父は空恐ろしい男だ」
祖真紀と古能代がそんな会話を交わしている頃、舘の奥の間では、千常と千方が対座していた。
「明日、父上がこの舘にお見えになるのですか? 」
と千方が聞いた。
「いや、元服は宮(現・宇都宮市)の二荒大明神(現・二荒山神社)で執り行う。父上もそこにお見えになる」
「暗い気持ちで佐野まで参りましたが、まさかこのようなことが待っていようとは、思うてもおりませんでした。兄上、本当に有難う御座います」
「暗い気持ち? なにゆえだ」
「郷の者を殺してしまったのです。あの、腹からはみ出した腑が目に焼付いて離れないのです。それに、あのことで祖真紀が何らかの責任を問われるようなことになるのではないかと心配でした」
「千寿丸よ。体は見違えるほど大きくなり、腕も上がったと見えるが、心はまだじゃな。
『体も心も強くならねば生きて行けぬ』
そう申したであろう。覚えておるか? 」
「はい。覚えております」
「襲われたら、相手を殺すか己が死ぬかだ。例えその相手が麿であったとしても、躊躇無く殺せ。それが生き残る術だ。祖真紀のことは案ずる必要は無い。麿に任せて置け」
「はい…… 」
「修羅じゃよ。修羅だ。京の公家共は、『穢れ』と言って血を嫌う。そして、『穢れ』は全て我等に押し付けて来る。まるで、我等を犬ころか何かのように思うておるのよ。坂東武者はな、例え目の前で親が死んでも、その屍を乗り越えて戦う。そんな我等が、なにゆえ腰抜け公家共に扱き使われているか分かるか? 」
「朝廷の権威というもので御座いますか? 」
「権威とは何か? 」
「さあ…… 帝で御座いましょうか? 」
「そればかりとも言えぬな。だが、将門はきっとそう思ったのであろうな。だから、己が帝になれば世の中を変えられるとでも…… 。だが、将門のやろうとしたことは朝廷の猿真似だ。兵は戦だけで無く、あらゆることに於いて兵で有り続けなければならんのよ。いずれ、我等の前に京の公家共が膝を屈する日が必ず来る。我等はそう思うておる。だから、我等はいかなる時にも強くあらねばならぬ。いつの日か、我等の世を作り上げる為にな。だが、今はまだ、朝廷の権威というものも利用せねばならん。今の我等の力は朝廷の権威には遠く及ばぬ。坂東武者の力は未だ蟷螂之斧でしか無いのだ。…… 尤もこれは、父上の受け売りじゃがな」
「父上がそう仰せられているのですか? 」
「他言は無用じゃ。漏れればやっかいなことになる」
「はい。しかと肝に命じて置きます」




