四拾弐 緣(えにし)の始まり-甲賀三郎兼家
甲賀市水口。からくり時計の近く、大岡寺の前の小さな駐車場の隅に、鴨長明筆『甲賀三郎兼家』の碑がひっそりと立っています。
平安時代末期の天仁二年(千百九年)に起きた源義忠暗殺事件では犯人とされた源義綱が甲賀郡に入り、討伐しにきた源為義と各所で激戦した末に、大岡寺にて出家している。元久元年(1204年)には鴨長明が当寺で出家している。
将門との戦いを前にして、秀郷に呼ばれた時のことを、千常は思い出していた。古能代ひとりが庭に控えていた。それが初対面だった。
将門暗殺を指示した後、
『手柄として朝廷に報告することは無くとも、そのことは麿が覚えておる。そして、もし麿に万一のことがあった時には、この千常が引き継ぐ。どうじゃ? 』
秀郷は古能代にそんな言い方をした。
古能代が下がった後、千常は秀郷に尋ねた。
「父上、なにゆえ、あのような言い方をされたのですか? 物でも土地でも身分でも、もっと分かり易く約束してやった方が、効果が有るのでは…… 」
「もし、あの者が首尾良く将門を殺したとして、手柄として朝廷に報告することは出来ぬ」
「ですから、父上からの褒美として…… 」
「手柄を公に出来ぬ以上同じだ。理由が分からぬのに多くの褒美を得たとしたら、他の者達がどう思う。妬みを買うだけであろう。まして蝦夷の出と知れた時、呰麻呂のようなことにならぬとは言えぬ。それは、古能代に取っても麿に取っても、有ってはならぬことじゃ」
「そこまでお考えで御座いましたか」
「だが、郎等として手許には置きたいと思っておる。あの男は使える」
「それだけで満足致しましょうか? 」
「分を超えた望を抱かぬ限り、出来る限りのことは聞いてやるつもりだ。だから、そなたを同席させた」
「『分を超えた望』とは? 」
「位階が欲しいの、領地が欲しいのと言い出した時は、始末する他有るまい。ま、そんな男では無いと見るがな」
「分かりました。しかし、戦で将門を討ってしまえば良いこと、要らぬ煩いで御座いますな」
「そうじゃ。そのつもりでおる。だがな、こちらに思惑が有れば、敵にも思惑は有る。どちらの思惑が当たるかは読みの深さだけでは無く、時の運と言うものが有る。それが外れた時どうするか、そこまで考えねば将は務まらぬ。良く覚えておくが良い。弱気な将など話にならぬが、強気なだけで考えが浅ければ滅びる。小娘のように怯えてあれこれと案ずることも必要なのだ。だが、その顔を周りの者に決して見せてはならん」
「はっ。お教え肝に命じて置きます」
と答えたが、この時の千常は、その意味を本当に理解してはいなかった。
将門を討って北山の戦いに勝利した後、秀郷の処遇がどう審議されたかは、既に述べたが、当然のことながら。秀郷は貞盛や兼家を始めとして、手柄を立てた者達の恩賞をも太政官に願い出ていた。その結果、貞盛の恩賞については、なぜか思ったほどの結果を得られなかったが、望月兼家に付いては、存外の結果を得ることが出来た。やはり、将門が兜を脱ぎ棄てる切掛けを作ったことが評価されたのだ。
兼家は近江国・甲賀郡の十六カ村の郡司と成った。
秀郷が従四位下に上り、下野守、武蔵守並びに鎮守府将軍を拝命したと聞くや、祝いの宴も待たずに、兼家は、驚く程の祝いの品を持参して駆け着けて来た。
「大そうな祝いの品、頂戴し、痛み入る」
並べられた品々を見渡しながら秀郷が言った。
「何の、僅かばかりの手柄により、過分な恩賞を賜ったのも、偏に秀郷殿のお口添えが有ったればこそ。改めて御礼申し上げる」
「いや『僅かばかりの手柄』などでは無い。命の一打ちが将門に兜を脱がせることとなったのだ。
貞盛殿の一矢で落命したのも、将門が兜を脱ぎ捨てていたればこそのこと。大手柄ではないか。麿の方からも、郡司就任の祝いを致さねばな」
兼家は急に生真面目な顔になり、姿勢を正し、
「実は秀郷殿に、ひとつお願いの儀が御座います」
と言った。
「はて? 何かな」
「人を所望しとう御座います。北山の戦の折、手前配下にお着け下された郎等衆の働き誠に見事で御座いました。腕の方もさることながら、その手綱捌きの見事さに依って将門の郎等を麿に近付けさせませんでした。お陰で将門と打ち合うことが出来たのです。
ご承知の通り我が家は朝廷への貢馬を行う家柄。信濃十六牧の筆頭『望月の駒』に依って望月の姓を賜り、滋野家より別れた家柄です。あの者達の手綱捌きに、その麿が見惚れたのです。中でも大道古能代殿は、抜きん出た腕前。大事なご郎等のひとりとは存ずるが、そこを曲げてお譲り頂く訳には参りませぬか? 」
「古能代を譲れと申されるか? 」
「はい。他には何も要りませぬゆえ、それだけご承知願えまいか」
「ふ~ん…… 」
秀郷は泥鰌髭を右手で捻り考え込んだ。同席していた千常は、
『譲る訳には行かないだろう』
と思った。
秀郷自身もそう思っていた。だが、あっさり断る訳にも行かない。この時の秀郷の課題は、朝廷との鬩ぎ合いの中で、ひとりでも多くの味方を確保して置くことだった。それも、時勢を見て擦り寄って来る者などでは無く、真の味方が必要であった。兼家を味方にして置くと言うことは、海野、根津の二家をも味方にして置くことになる。
滋野三家と呼ばれたこの三家は、強い絆で結ばれていた。この願いの為に過分な祝いの品を持参したとすれば落胆させたまま帰す訳には行かないのだ。兼家が京に近い近江国・甲賀郡の郡司に成ると言うことは、何かの時に、京の情報を更に取り易くなることでもある。
「実は、古能代は、或る郷長の嫡男でのう。いずれ跡を継がねばならぬ身なのじゃ」
「左様で御座るか…… 」
兼家は、明らかに落胆の表情を見せた。
「他の者達ではいかんか? 」
「後の四人の中の誰かということですか? 」
「四人纏めてでも良い」
「あ、はい。古能代殿が駄目ということであれば、他の者達も中々の者、喜んで、四人揃って我が郎等とさせて頂きます」
「あの者達には良きお話しかと存じます」
秀郷の命に古能代は快く応じ、四人を説得した。
「何よりもまず、兼家様が汝達の働きを認め、殿に譲り受けたいと申し出て下さったこと、それが大事だ。汝達が望んでいた通り正式な郎等としてお迎え下さる。それに近江国は京にも近い所だと言う。どうだ、悪い話ではなかろう。蝦夷と知れることも無い」
支由威手達四人は、それぞれ、大道国影、駒木時影、広表忠影、広岡義影として下野を離れ、兼家に従って旅立って行った。
ところが、秀郷の思惑がひとつ狂った。
「その方は郎等として当分、麿の側に置く」
と伝えた秀郷の命を、喜ぶどころか古能代は断ったのだ。
余りのことに秀郷は、一瞬、
「うっ」
と言葉を詰まらせた。言葉には出さぬが
『恩賞の代わりとして、この我儘お聞き届け下さい』
と古能代の目がそう言っていた。
「郷に戻りたいのか? 」
ややあって秀郷が尋ねた。
「いえ、祖先の地を訪ねてみたいと思います。殿が鎮守府将軍と成られれば、逃げ隠れせずに陸奥に行くことが出来るようになるかと思いまして…… そのお許しを頂ければと思います」
一度目を閉じた秀郷が、カッと目を開いて古能代を見た。
「分かった。落ち着いたら手配しよう」
三月ほど後、
『この者、我が郎等に付き、宿食の手配、万端遺漏無きよう』
と言う、秀郷直筆の木簡と、路銀として一袋の金の粒が古能代の許に届けられ、古能代は陸奥に向けて旅立った。そして、七年の後に郷に戻ったのである。
「祖真紀。隠居の件、まずは。古能代と話せ。明日、父上がお越しになり、千寿丸の元服を執り行うことになっておる。忙しいのだ」
秀郷は、祖真紀にそう言った。
「えっ! それは誠で御座いますか? 殿。しかし、今は年の瀬、正月に致しては…… 」
声を上げたのは、朝鳥だった。
「実は、十四のうちにと父上にお願いしておったのだ。漸くお許しが出た。そんな折、たまたま郷から使いが参ったので、日取りを明日に決めた」
「兄上有難う御座います。お気遣い頂き厚く御礼申し上げます」




