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藤原千方伝・坂東の風  作者: 青木 航
幼年編 第一章
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参拾四 承平五年二月

 ここで、平真樹たいらのまさきに付いて少し補足して置かなければならないだろう。そして『野本の戦い』の前後を護の視点から少し見てみよう。

  真樹は高望流・坂東平氏では無い。

 常陸太守ひたちのたいしゅ四品しほん弾正尹だんじょうのかみ人康親王さねやすしんのうの姫を母に持つ、高棟たかむね流の時望ときもち伊望これもち兄弟の異母弟が真樹の父だったのではないか?

 高望王の父・高見王の兄・高棟王は天長てんちょう二年(八百二十五年)に賜姓ちょうせいを受けて臣籍降下し、平高棟たいらのたかむねとして公家くげと成り、正三位しょうさんみ・大納言にまで上った。しかし、その流れが全て公家と成れた訳では無い。主流から外れた者達は代を重ねるごとに身分も低くなって行き、下級官吏に成るか本家や他家の家臣と成って行く。本家の荘園の管理者として坂東に赴任した真樹の父は、独自の新田開発をして勢力を伸ばして行った。

 平真樹も歴史的には源護同様、チョイ役でしか無いが、新治郡にいはるごおりに有る筑波山の西北の大国玉おおくにたま(現・筑西市下館)に住み、真壁まかべ新治にいはる筑波つくばの広い範囲に領地を保有していたと言われ、護と土地を巡る確執から度々争っていたとされる。

 真樹はこの紛争の調停を将門に頼んだのではないかと言う説がある。

 しかし、それは変だ。調停とは、格上、或いは力の有る者が間に入ってこそ成り立つものだ。武蔵竹芝むさしのたけしば興世王おきよおう源経基みなもとのつねもととの争いに介入した時の将門は既に大物だったが、この時点での将門は、源護、平真樹の両者と比べて遥かに小者だったと思われるし、娘婿の甥などの調停とあっては、格下過ぎて、護に鼻の先で笑われてしまうだろう。真樹が将門に調停を頼むはずが無い。

 将門記の巻頭部分は失われていて詳細は分からないが、承平の乱の始まりは『女論にょろん』であったとされている。女論とは何であったのか? 護の四番目の娘を巡る争いとも、将門の別の妻が真樹の娘であったとも、良兼の娘であった将門の妻を巡る良兼との争いとも言われるが、どうもしっくり来ない。

 そこで、こんな推論をしてみた。

 将門の妻の母は良兼の先妻であり、護の娘ではない。名も素性も不明だが、仮に平真樹の姉であったとしたらどうだろう。この乱の始まりを女系から見ると、無理の無いストーリーが現れて来る。


 真樹は領地を巡って何年にも渡って護と争っていた。将門の伯父のひとり・良兼は真樹の姉の夫であったが、真樹の姉の死後、護の娘を娶ったことに寄り、護陣営に移っていた。

 護の力が増し、真樹は劣勢に立たされていた。そんな折、父の遺領を巡って良兼を始め伯父達と揉めていた将門が、真樹の姉と良兼の間に生まれた娘を、良兼の反対を押し切って奪い、強引に妻にした。

 真樹は姪の夫となった将門を自陣営に誘う。伯父達から領地を取り戻すことに力を貸す代わりに、護との領地争いに加勢して欲しいと言うことだ。

 これは、姉の死後、護側に寝返った良兼への報復でもあり、真樹、将門、両者の利害が完全に一致する同盟関係である。そこで将門は戦支度いくさじたくをして真樹の許に向かう。

 しかし、この情報は護側に漏れていた。たすくら護の三人の息子達は、真樹と合流する前に将門を討ち取ってしまおうと、野本(現・筑西市)で将門を待ち伏せたのだ。


 こう考えると、将門が最初に本格的な戦闘をしたのが、伯父達では無く護の息子達だった理由が見えて来るような気がする。

 地理的に言っても、護の勢力範囲は筑波山の西麓(現・茨城県笠間市、筑西市、桜川市が、その領域として比定される)であり、筑波山の西北に勢力を張る真樹とは領地を接する部分が多いので争いが生じていた訳だ。

 護の領地の南には将門の伯父のひとり・平良正の本拠地である水守みもり(現・茨城県つくば市水守)が有る。現在、国道百二十五号線が走っている南の辺りだ。将門の当時の本拠地・下総国・相馬郡そうまごおり豊田とよだ(現・茨城県常総市豊田。平安時代には常陸ではなく下総に含まれていた)は更にその西南にある。

 現在の交通であれば豊田から戦闘場所である野本(現・筑西市)までは、国道二百九十四号を真っ直ぐ北上すれば良いのだが、当時の道程としては、良正の領地・水守の西、そして、護の領地の西を通って衣川きぬがわ沿いに北上し、護の領地の西を過ぎた辺りで東に曲り込んだことになる。そこで扶達が待ち伏せたということは、やはり、真樹と合流する前に討ってしまおうと言うことだったのではでは無いだろうか。


 どれほど悔いても悔い足りない。舘の焼け跡に亡霊のように立ちして、護は想っていた。

『これが夢で有ってくれれば。いや、夢であってくれ! 』

 甦って来るのは、息子達の在りし日の姿だ。


「父上! ししを獲りましたぞ」

 扶の声がする。狩から戻った息子達が喧しく話しながら庭に入って来る。

「これ、喧しいぞ。考え事をしておったところじゃ、もそっと静かに致せ」

 えんに出て行った護が叱る。

「これは父上、申し訳御座いません」

 隆、繁の二人が声を揃えて言い、頭を下げた。

「父上、狩りは戦の鍛錬に御座います。成果は上々、このまま押し出して、真樹の奴にひと泡吹かせて参りましょうか? 」

 扶は能天気なことを言っている。

たわけたことを申すな。戦は人と人との命のやり取り。狩とは違う。軽々に動くと思わぬことになる。気を着けよ」

 この長男をもう少し厳しく躾けるべきであったかと、その時、護は思った。幸い兄弟仲が良いのは救いだ。


 劣性を挽回しようと真樹が慌ただしく動いているという情報は、兼ね兼ね得ていた。あちこちの土豪に声を掛け味方に誘っていると言う。そうした中、将門が真樹の誘いに応じ準備をしているという情報が入って来たのは、前日のことである。

「明日にでも出立しそうとのことで御座います」

 郎等の一人がそんな報せを護にもたらした。

「将門…… 確か、国香殿達と揉めている甥であったな。国香殿の処へ使い致せ。ご相談したきことが有るゆえお越し頂きたいとな」

「はっ」

 郎等は早速出て行った。

「父上、国香殿と何をご相談されるのですか? 討ってしまいましょう。真樹め、味方を掻き集めているようですが、将門が真樹の所へ入る前に討ってしまえば出鼻を挫けます。揉めているということですから、姉上方もお悦びになるでしょう。それに、我等だけでやってしまえば、国香殿、良兼殿、良正殿に恩を売ることも出来ましょう。正に、一石二鳥どころか一石三鳥の名案とは思われませぬか? 」

「うん。だが、将門という男、どんな男なのか国香殿に確かめてみねばな」

「大した者ではありますまい。同じくみやこに上っていた国香殿のご嫡男・貞盛殿が七位を得て左馬允さまのじょうに成っているのに引き換え、令外官りょうげのかんである滝口武者たきぐちのむさ止まりだったと言うではありませんか。長年、みやこに在りながら、結局官位ひとつ得られなかった無能な男です」

「違う。滝口武者に成ったということは、位階は無くとも武勇を認められたということだ。みやことは違い、この坂東では武勇がどうであるかの方が大事だろう」

「たまたま、小盗人か何か斬ったようです。検非違使けびいしを望んだがそれは叶えられず、滝口武者しか得られなかったとか。同じ無冠でも検非違使なら、名の知れた賊を捕らえれば出世の糸口ともなります。滝口武者では、そんな機会も滅多に有りせん。結局出世など出来なかったと言うことです」

「誰から聞いた」

「ふふ。父上は麿のことを、ものを考えずに動く者とお思いのようですが、見損なっておいでです。真樹が将門を誘っていると聞いた時、ちゃんと調べさせました」

「そうか」

 護は少し安心した。だが、

『それが甘い判断だったとは…… 』

 僅か数日前、

『軽々に動くと思わぬことになる』

たしなめた護自身が、その怖さを本当には分かっていなかったということになる。

 承平じょうへい五年(九百三十五年)二月四日のことであった。

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