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藤原千方伝・坂東の風  作者: 青木 航
幼年編 第一章
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参 隠れ郷 2

 着いたのは、山に囲まれた猫のひたいほどの盆地だった。

 二十~三十軒の家が点在し、僅かな畑が囲む。家の作りはいわゆる竪穴式たてあなしきである。中心の柱から円錐状に、かやを懸けた屋根が地表まで届いている。

 畑や家の中、或いは草陰から、湧き出るように人々が集まって来た。中には、山から馬を駆って駆け降りて来る者も居る。老若男女合わせて七十~八十人にもなった。

 一行が中心の広場に着いた頃には、皆、ひざまづいて迎えていた。幼い子供達だけが、物珍しそうに見たり、駆け回っては互いに顔を見合わせたりして、意味も無く笑い転げている。

 妙な違和感を、千方は覚えていた。武蔵や他の下野しもつけの民とはどこか違う。着ている物や持ち物も見慣れない物が多い。山の民だからだろうかと、千方は思った。

「殿。ようこそおで下されました」

 おさらしき者が進み出て、深々と頭を下げる。

「うん。皆、息災そくさいか。食に不自由はしておらぬか」

 千常が馬上から、鷹揚おうように尋ねる。

「いえ.お陰様で、皆不自由無く暮らさせて頂いております」

重畳ちょうじょうじゃ」

 千常が馬から飛び降りると、ひとりの若者が走り寄って、馬のくつわを取る。千方と朝鳥も下馬し、それぞれさとの若者に手綱を手渡した。

「お疲れになりましたで御座いましょう。まずは、お休み下さいませ」


 奥の小高い所に、防風林のように周りの木を残し、林を切り開いたのであろう一角が有り、木々の間から、床も周りの柱も有る建物が見える。掘立小屋に近い造作だが、竪穴式住居ばかりの郷の中では特別な建物なのであろう。郷長さとおさの住まいか、あるいは千常が訪れた時の為に、特別に建てられたものなのかも知れない。

「ではご案内仕あないつかまつります。どうぞ、こちらへ」

「いや、済まぬがゆっくりもしておられぬのだ。色々と忙しゅうてな。早々に立ち帰り、段取り致さねばならぬことも有る」

「このような山深き所までお運び頂き、おもてなしも出来ぬままお帰りとあらば、心苦しゅう御座います。夕餉ゆうげには、心ばかりの粗肴そこうも用意致しますゆえ。ごゆるりとお過ごし頂ければ」

「済まぬ。そうもしておれんのじゃ。こう見えて、なかなか忙しゅうてな」

「ならば、山里のことゆえ、にわかなことには猿酒、山の木の実などしか御座いませぬが、せめて、一口なりとお召し上がり頂ければ」

「うむ。馳走になろう。ここで良い」

 早速、郷長の指示でむしろが敷かれ、女達は舘に走り、そこに用意してあったものを持って戻って来る。膳が用意されたとは言っても、言葉通りささやかなものだ。

 千常と朝鳥の膳には、木の実を盛った”かわらけ” (土師器はじきの皿)、木をくり抜いた荒削りなわんに猿酒。千方の膳には多めの木の実と水の入った椀が並べられた。もちろん、この時代、未成年飲酒禁止と言った法が有った訳では無いが、子供の飲むべきものでは無いと言う認識は有った。

「川の魚など、すぐに焼かせますゆえ、暫し、お待ち下さいませ」

「いや、それは良い。また馳走になろう。日の暮れぬうちに戻らぬとな」

左様さようで御座いますか…… 」

 郷長が至極残念そうにそう言ったとき、山から迷い出て来たのか、一羽のうさぎくさむらから現れ、体を丸くし、立ち止まって辺りを見回している。

 皆がそれに気付き、千方は『かわいいな』と思った。

 猿酒を口にしていた千常が不意に言った。

「走っている兎を馬上から射ることが出来る童はおるか? 」

 一度頷いた郷長がひとりの童と視線を合わせた。そして右手で合図すると、後ろの方に控えていた男が、すぐに兎の後方に木の枝を投げた。驚いた兎は村の中心に向かって走り出す。

 と思うが早く、郷長が目配めくばせをした童。即ち先ほど馬で山から下りて来た中のひとりの童が、ひらりと馬に跳び乗り、兎を追うように走り始めた。山で狩りでもしていたのか、その手には既に半弓が握られていた。

 兎は急に走る方向を変えたりして、何とか逃がれようと必死だが、馬上の童は上手く誘導し、皆の良く見える場所に追い出した。そして、放った矢はたがわず兎の首を射抜いた。

むごいことを』

と千方は思ったが、女達も含めて、皆、大喝采である。

 童は馬から跳び降り、兎の首を貫いているやじりを折り、矢を抜いた後、それを自らのひたいに当てて天を仰ぎ、祈りでも捧げるように片膝を突いたまま暫く項垂うなだれていた。そして立ち上がると、左手で馬のくつわを取り、右手で耳を持って兎をぶら下げたまま歩いて戻って来た。

「見事であった。名は何と申す」

 童は言いよどんでいる風に見えた。

「姫王丸に御座います」

 他の童が、大声で言った。姫王丸は、その方向を見て、キッと睨んだ。

「何? 姫王丸とな」

 千常は思わず吹き出しそうになったが堪えた。その童、鋭い目をした色黒の子であったのだ。

「わっぱ。その名は気に入っておるか? 」

 童は黙っている。すると、さっき姫王丸と教えた童が、

「この間、つい邪揄からかって『姫』って呼んでしまったら、本気で殺されそうになりました」

と言った。あちこちで笑い声が起こった。

「そうか。いずれ郷一番のたけき者に成るであろう男には、ちと似合わん名じゃのう。麿が名を付けて遣わす。今日よりは『夜叉丸』と名乗るが良い」

「やしゃまる? 」

「そうじゃ。気に入らぬか? 」

「いえ、気に入りました」

 姫王丸、いや夜叉丸は力強く答えた。

 本人以上に喜んでいると見えるのが、先程の童だった。

「名は? 」

と千常が聞く。

「犬丸」

 童は顔中で笑った。当時としては、良く有る名だ。

「そうか。良い名じゃ。犬は強き者を表す」

 犬丸は照れて、

「いや~ぁ…… そんなに強くはありませぬ」

「そうか、では、夜叉丸の次に強いのは誰か? 」

 犬丸ばかりで無く、子供達が一斉にひとりの童を指差した。だが、その先に居たのは、小柄で風采ふうさいの上がらぬ童だった。童は、少し得意げに心持ち顔を上に向けた。

「そうか。そちゃ強いか」

と千常は納得の行かぬ様子だ。

「人は見掛けだけでは分かりませぬ」

「なんと…… 言いおるのう、小童こわっぱ

「これ! 」

と郷長が慌てて童を制し、

「申し訳も御座りませぬ。世間知らずの山童やまわらべのことゆえ、どうか、お許しを」

と取りつくろった。

「いや、構わぬ。面白きわっぱじゃ。名は? 」

 見掛けに寄らず、利発な子だと思った。

「しゅてんまる」

 本来は『秋天丸しゅうてんまる』なのだが、その父がなぜかそう呼んでいたので、本人も含めて、いつの間にか皆が『しゅてんまる』と呼ぶようになってしまったのだ。

酒呑丸しゅてんまる? これは又、荒々しき名よのう」

 千常にはそう聞こえた。そう思い込んだのは、猿酒を飲んでいたせいであろうか。

 大江山から出て、当時、都を荒らし回っていた盗賊の頭、鬼とも呼ばれる『酒呑童子しゅてんどうじ』のことが頭をよぎり、千常には、そう聞こえたのだ。

「ところで、夜叉丸。見事であった。何か褒美をやろう。欲しい物は無いか? 」

いくさに出たい」

「そうか。いずれ望は叶うであろう。今はこれを遣わす」

 千常は、小刀を腰から外し、左手で差し出した。

 兎をそこに置き、進み出た夜叉丸が、両手で受け頭を下げる。

 夜叉丸は、千常に背を向けて元の位置に下がりながら、その小刀を縦にし、横にして眺め、抜いて見つめた後、鞘に戻した。

「これで、敵のおさを突きます」

 夜叉丸は、千常の方を振り返り、貰った小刀を、横にして前に突き出し、強く言った。

 表情の乏しい童だったが、それでも誇らしげな気持ちが読み取れた。

 代わって郷長が進み出る。

「殿、夜叉丸に代わり、厚く御礼申し上げます。必ずや、殿のお役に立つ男になりましょう」

「いや、夜叉丸ばかりでなく、酒呑丸しゅてんまるも犬丸も、この千寿丸の役に立たせたい。既に伝えてある通り、千寿丸を三年の間このさとに預けるゆえ、夜叉丸に負けぬ男に育てて貰いたい。おさ、宜しく頼み置く」

 千方は驚いた。父との対面どころでは無く、三年もの間、自分はこんな所に置き去りにされるのか。そう思うとひどく気持ちが滅入った。

「承知致しております。朝鳥殿と力を合わせ、必ずや、ご期待に沿うように致しましょう」

 千方より驚いたのは、朝鳥の方だった。

「長、麿と力を合わせてとは、どういうことか? 」

 郷長は、千常の方を見て、どう答えるべきか目で問うた。

なれもここに残れ」

「飛んでも無い。殿おひとりでこの山里からお帰し申す訳には参りませぬ」

「朝鳥よ。今日より、その方のあるじは千寿丸じゃ」

「殿~っ」

 珍しく、朝鳥は必死になった。

「朝鳥殿。殿はさとの者共がお送り申し上げますゆえ、ご案じ無く」

 そう、郷長が口を挟んだ。

「黙れ、いや、口を挟まんでくれ長。…… 殿! こんな所に三年もの間おったのでは、ほうけてしまいます。なんぞ、この朝鳥にお気に召さぬ処でも御座いますのか」

 珍しく剥きになっている朝鳥の顔を、千常は静かに見詰めていた。

 そして、やがて言った。

「朝鳥、三郎のこと、気の毒であった」

 そう言われて朝鳥は、虚を突かれたように戸惑った。


 天慶てんぎょう三年(九百四十一年)二月一日のことである。千常二十四歳。秀郷軍は、常陸掾ひたちのじょう藤原玄茂ふじわらのはるもち率いる将門軍の先鋒と対峙していた。


 千常は、尿意を催し、陣幕を潜って裏に出た。気付いた日下部くさかべの三郎・是光これみつがそれを追って陣幕を潜った時見たものは、小用しょうようす千常の後ろから忍び寄る敵の姿だった。

「殿~っ! 」

と叫びながら走り寄り、振り向いた敵のひとりを斬り伏せたが、もうひとりに斬り掛かられ、やいばを合わせた途端に、三人目に脇腹から深く刺し抜かれたのだ。

 是光の声を聞き、陣幕を引き倒して、武者達が駆け出して来た。数人は千常を囲んで守り、他の者は敵に討ち掛かって行った。そして、五人居た敵をことごとく討ち取り、残敵を求めて、草原に分け入り、林の中に入って行った。

 千常を守る為に取り囲んだ武者達の中に、朝鳥も居た。千常に走り寄る時、血に染まって倒れている我が子をちらと見たが、五人目の敵が倒されるまで、朝鳥は千常の傍を離れなかった。

 その直後、敵が逆落さかおとしに攻撃を掛けて来た為、悲しんでいる間も無かった。朝鳥は鬼神の如く敵を斬りまくった。

 その姿を見て、若き日の千常は胸が張り裂ける思いだった。おのが油断の為に、朝鳥に取って、掛け替えの無い子の命を失わせてしまった。それだけでは無い。是光は、幼き日の千常の遊び相手でもあったのだ。

 だが、他の遺族に対する弔意と同じ程度の言葉を掛けたのみで、ことさら、大袈裟に詫びることは出来なかった。

 一度、いくさに出れば、己自身をも含めて、誰もが常に死と向き合っている。現に、周りにも、身内を戦で失った者は居る。それぞれの身内に取って、失われても良い命などひとつも無いのだ。だが、将としては、それを、数として見なければならない。少ない損害で、いかにして勝利を得るかを考える。他の者の手前、朝鳥のみを特別扱いする訳には行かなかった。死者の出ない戦など有り得ないのだから。

 一方、身内に取っては、その死が、千人の中のひとりであろうと、五人の中のひとりであろうと、身内が死んだことに変わりは無い。

 少ない損害での大勝利に湧く中で、恨み言も言えず、じっと堪えるのが良いか、負け戦の中で、多くの人々と悲しみを分かち合うのが良いか、身内を失った者にしてみれば、言葉に出来ぬ気持ちのわだかまりも多いに違いないと千常は思った。いちいち泣いて見せる訳にも行かない。

 怖いもの知らずだった千常に、おのが行動に付いての慎重さが出て来たのは、それからだった。


「もう、九年になるか。是光の働き見事であったな。この命救われた。麿の油断であった。許せ」

 そこまで言ったのは初めてだった。千常の心の内を朝鳥は知った。

 だが、朝鳥は黙っていた。

 千常は兼ね兼ね気になっていた。三男を討死させた後、まるで死に場所を求めているかのように思えるふしが朝鳥には有ったのだ。

 二人の娘は、朋輩ほうばいの子とめあわせ、子も出来てそれなりに暮らしているが、朝鳥には、男子の運が無かった。

 長男は子供の頃川で溺れて死に、次男・是貞これさだは十七歳でやまいの為早世(そうせい)している。そして、三郎の戦死。その上、その半年後には、長年連れ添った連れ合いも病の為亡くしていた。

 承平じょうへい天慶てんぎょうの乱以降、いくさと言えるものこそ無かったが、他氏との揉めことや小競こぜり合い、更には群盗との戦いなど日常茶飯事であった。そんな時、若い者を後目しりめに、朝鳥は真っ先駆けて飛び込んで行くのだ。元々剛の者ではあったし戦功も多かったが、千常は危ういものを感じていた。

「三郎を帰してやることは出来ぬが、この千寿丸を三郎と思って、もう一度育ててみてはくれぬか」


 涙こそ見せないが、朝鳥は感じ入った様子で黙っていた。感激して、礼の言葉を重ねるなどということをする男では無かったが、千常は朝鳥の気持ちを充分に察していた。

「殿、お受け致します」

 千常もくどくは言わない。

「そうか。頼むぞ。では帰る。馬を引け! 」

 千常はもう立ち上がっていた。千常の行動は素早い。そして、人に任せられることは任すが、自分でやった方が良いと思うことは、些細なことまで自分でやる。そのせいで、いつも、やたらと忙しく動き回っている。この日の段取りも、使い役の郷の者を使って、郷長にはその意を充分に伝えてあったものと見える。だから、それ以上の話は必要無いのだ。千常の心中に有った目的は、既に果たされていた。

 慌ただしく、千常は帰り支度に掛かる。若者の一人が急ぎ足で、千常の馬を引いて現れ、他に六人の郷の男達が騎馬で現れた。

 乗馬しようとする千常に、朝鳥が駆け寄った。

「殿」

「まだ何か有るか? 」

「もし、千寿丸様が、殿に弓引くような男に育った時は、いかが致しましょう? 」

と小声で言った。

 千常はにやりと笑った。

「今日より、千寿丸が主ぞ。朝鳥。その時は、千寿丸共々この首取りに参るが良い。だが、麿はそんな心配はせぬ」

「千寿丸様をどうお使いになるおつもりか? 」

「麿の懐刀ふところがたな。武蔵国に打ち込むくさび。そんな答で満足か? 」

「ははっ」

 郷長に促された千寿丸が近寄って来た。気持ちはやはり沈んでいるが、もはやあきらめてここに残るしかないと覚悟を決めていた。

「兄上、お気を付けて」

「うん。千寿丸。如何なる時も、父上の子であること。そして、この千常の弟であることを忘れるで無い。良いな。さらばじゃ」

 郷長はまた深々と頭を下げる。


 去って行く一団を見送りながら、千方、朝鳥、それぞれの胸にそれぞれの想いが渦巻いていた。そして、この郷での三年の歳月が、このようにしてゆっくりと流れ始めた。

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