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藤原千方伝・坂東の風  作者: 青木 航
幼年編 第一章
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弐拾六 牧 1

 千方は古能代このしろに着いてゆっくりと馬の歩を進めている。郷から周回路を進んで、山に懸かり進んで行くと、途中一か所だけ分岐する場所がある。普段高速で駆け抜けている道なので気が付かなかったが、ゆっくり進んで行くと、大岩の陰にやや細いが馬一頭が通れるくらいの道が分かれている。曲がるとその先は谷間のようになっており、少し先に柵が見えた。

 一旦馬を降り、古能代が柵を開ける。その先で急角度に道は曲がっている。曲がるとその先には、かなり広い馬草場まぐさばが開けていた。そして、数十頭の馬が駆け廻っている。

「なんと! 」 

 千方が驚きの声を上げた。三方は低い丘に囲まれており、反対側は崖になっているようで柵が組まれている。

 千方は最初その広さに驚いただけだったが、少しして、或ることを思い出した。最初にこの郷に来た日のことだ。

「ご覧なされませ。田は無く、畑も僅かでござる。木の実、草の根、鳥、けものの肉も食しますが、足りません。殿からのお下げ渡しの物が無ければ、この郷の者達は生きて行くことは出来ないのです」

 確かに、祖真紀は朝鳥にそう言った。

『しかし、この馬草場をすべて畑にすれば、郷の食料を賄うことも出来るのではないか? 』 

 そう思った。

 蝦夷に馬は欠かせないのかも知れない。それは分かるが、しかし、人が生きて行く為の食料と引き換えにしても、これだけの馬を放し飼いにして置く必要はあるのか? 多少の広さを残して、後は畑にすることは考えなかったのだろうか? 残念ながら、千方には、そのくらいの考えしか浮かばなかった。

 もし、朝鳥が一緒にいたら、食料を供給する代わりに、秀郷が、この郷を軍事力として確保して来たことに気付いたことだろう。そして、それを千常が引き継いでいる。

「今は左程さほどお役には立ってはおりませぬ」

という祖真紀の言葉も偽りである。それだけの働きをしているから、秀郷、千常はこの郷に食料を供給し続けているのだ。うまやに繋いで置くよりは、放牧している方が、馬が元気なのは当然のことだ。そしてそれは、即ち戦闘能力の差となる。秀郷も千常も決してお人好しではない。

「この郷にこんなに広い牧が有ったとは知らなかった」

 千方は素直に驚きを口にした。

「じきに童達が戻って参りましょう。ここでお待ちなされ」

 鞣革なめしがわの袋を千方に渡すと、柵を閉めて古能代は去ってしまった。梅雨が明け容赦無い日差しが照り付ける中、青く生い茂った草をんでは時折走り廻っている馬達を見ながら、千方は竹筒の水を口にした。心地良い風が吹いている。

 古能代から受け取った革袋を開けて覗いて見ると、萱束かやたばのようなものが、いくつかと木のへらのような物、それに、先のとがった棒が入っている。もう一本はくしのように切り込みを入れたものだ。

 手入れをする為には、まず、くらくつわはずさなければならないが、取りえず中のひとつの萱束かやたばを取り出して、馬の背から腹にかけてこすってみる。しかし、馬は嫌がってか横に動いてしまう。うまやに繋いである馬と違ってどうも勝手が悪い。手綱たづなを持って引くと、顔は千方の方に向いたものの、馬体は角度を変えて千方から離れてしまった。その上、千方を見た馬の目がどこと無くしらっとしているように千方には思えた。そして、千方が位置を変えて馬体に近付こうとして手綱を放した瞬間、ぶっるるっと鼻息荒く頭を振ったと思うや否や、馬は草をんでいる仲間達の方に向けて走り去ってしまった。呆気あっけに取られた千方だったが、すぐに、追っても無駄と判断し、萱束かやたばを革袋に戻し、それを肩に担いで日蔭に向かって歩き始めた。

 その時、ひづめの音がし、童達七~八人が牧に入って来た。童達は千方に近付くと下馬し、頭を下げた。

「今、古能代様に、そこで会って、六郎様に馬の手入れを教えるよう言われました」

 そう言ったのは、犬丸だった。犬丸以外の童達の表情には何となく緊張感が漂っている。

「馬は? 」

 秋天丸が聞いた。

 千方は、黙って、草をんでいる馬達の群れの方を指差した。

 起きたことを察したのだろう。笑いを噛み殺した童が二人ほど居た。だが、笑ってはいけないと、無理に表情を作って笑いを噛み殺していた。

 その時、再び馬に飛び乗り「はっ」と軽く声を出して馬の腹を蹴った夜叉丸が、馬群の方に向って駆け出して行った。そしてすぐに、千方の馬の手綱を掴んで、引いて戻って来た。

 身軽に飛び降りると、ちょっと頭を下げ、黙ったまま手綱を千方に手渡した。犬丸のように愛想良くはないが、その行動で、夜叉丸は千方に好感を持たせた。

「済まぬ。失態であった」

 千方は頭を下げた。夜叉丸、それに童達も戸惑ったように一斉に頭を下げる。

 郷長さとおさでさえ土下座する殿様の弟が、自分達に頭を下げるなど有ってはならないことであったし、信じられないことだったのだ。

 何しろ、世間に於いては、もし道で貴人に出会った時は、庶民は道を避け道端にうずくまって頭を地面に付け、決して貴人の顔を見てはいけないという時代なのである。

 千方はそこまでの貴人では無いにしても、この郷から一歩も出たことの無い童達に取って、一番の権力者である郷長が土下座をしなければならない人の弟なのである。その上、父という人は、この下野しもつけばかりでなく、武蔵という国も治め、この郷の者達の祖先の地である陸奥国まで治めたことのある、とんでもなく偉い人だと言う。童達が戸惑うのも無理からぬことなのだ。


 千方が来る数日前、

「殿の弟君おとうとぎみが、この郷に来て三年ほど我等と共に過ごされることになった」 

と祖真紀から聞かされた時、歳も十四と聞いて

『面倒臭いことになりそうだ』

と皆思った。やたら威張り散らされたり、何だかんだと、き使われたりすることになるのではないかと心配したのだ。正直、来なければ良いと思った。

「特別な扱いは無用と殿は言われているそうだ」

 祖真紀はそう言った。しかし、そう言われても童達の気は重かった。

 ところが、実際に来てみると、千方に偉振る様子ようすは見られなかった。その時点で少しはほっとしたのだが、犬丸を除いては、挨拶しただけで、千方と話す機会は無かった。犬丸から聞いた限りでは、自分達と何ら変わりの無い童のように思えては来ていたのだが、それが今、実感として感じられた。それに、来て間も無く自分達と同じ物を着るようになったことにも好感が持てた。


「馬に嫌われましたか? 」

 さらに反応を探って見たくなり、秋天丸が思い切って尋ねた。

「どうも、そのようだ。こすり方が良くなかったのかな? 」

「この暑い中で擦られても、馬は気持ち良くは無いっしょう。水場の方に行きましょう」

「そうか! そう言われればその通りだ。馬の気持ちなど考えもしなかった。済まん、済まん」

 そう言って千方は、馬の横腹をポンポンと平手で二度ばかり軽く叩きながら笑った。


 大岩の陰に水場があり、木も十数本生えており日蔭ひかげを作っている。そして、すみには物置なのか、かやいた小さな三角屋根がひとつ。犬丸がそこに入って行き、沢山の古布を抱えて戻って来た。

 くらくつわを外してやると、それぞれが古布を取って、まずは馬体を丁寧に拭いてやる。千方も見様見真似みようみまねで同じようにする。それから、萱束かやたばのひとつで毛並を逆立てるように、下から上へ掻き上げる。

 どの萱束を使うのか分からず、他の童が使っている萱束と見比べて革袋の中を探っていると、犬丸が寄って来て、革袋の中に手を突っ込み 

「これです」 

と渡してくれた。

「それに、これも」 

と言って、犬丸はくしのような板切れも取り出し、千方に渡した。萱束に着いたごみあかを萱束から掻き落とすのに使うようだ。

 一旦、上に掻き上げた毛並を、今度は別の萱束を使って上から下にき下ろす。たてがみの手入れをし、四本の脚も同じように手入れした後、脚を曲げて自分の膝の上に置いてやり、先の尖った棒で、ひずめに着いた土を掻き落とし、間に挟まっている小石などを丁寧に取ってやる。

 その後、布を水に浸し絞って首の辺りに当ててやると、馬は気持ち良さそうに少し首をよじった。それから水辺に引いて行くと、旨そうに水を飲んだ。

『暑くて喉が乾いていたのなら、何故なにゆえ真っ直ぐにここに走って来ず、草をみに行ったのだろうか? 』

と千方は思った。そして、

『やはり、馬の気持ちは良く分からん』

と結論付けた。

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