拾参 郷人として
千方は衝撃を受けていた。大人の朝鳥に勝てないのは仕方無いとしても、秋天丸でさえも、自分より明らかに強い。まして、夜叉丸はどれほど強いのか?
草原に在った時、千方は童達の中では、群を抜いて強かった。それは、豊地が心血を注いで稽古をつけていたのだから、当然と言えば当然なのだが、二つ、三つ年上の子にさえ負けたことはなかったのだ。
しかし、朝鳥との稽古を見ていて、秋天丸とやったら負けると思った。それは、千方に取っては重大な問題だった。
夕餉の席で兎の肉を食って見せたくらいでいい気になっていた自分が、浅はかに思えた。乗馬や半弓では敵わないと思っていたが、太刀打ちまで敵わぬとあれば、一体どうやって威厳を示せば良いのか。侮られてしまうのではないか。そう思うと不安になった。
「なかなか面白く拝見させて頂きました。秋天丸、良い稽古をさせて貰ったのう」
そう言いながら、祖真紀が近付いて来た。
「あと僅かだったのに」
残念そうに秋天丸が言った。
「戯け。朝鳥殿に礼を申さぬか」
秋天丸は朝鳥に向かって、ぺこりと頭を下げた。
「いや、こちらこそ、面白い稽古が出来申した。普段、誰が稽古をつけているのか」
「時々、倅めが見ているようですが、あとは童らで適当にやっております。剥きになり過ぎて、時々怪我も致しますが、幸い死んだ者はおりませぬ」
「なんと、死んだ者はおらぬとは、死人が出ても不思議では無い程の荒稽古をしていると言う意味か? 」
「滅相も無い。童は良く怪我をするという程の意味で御座いますよ」
「そうか、倅殿が観ておるのか」
「千寿丸様は中々のもので御座いましたな」
千方に気を使って祖真紀が話題を千方のことに移した。
一瞬、どう反応して良いか分からなかったが、
「いや、散々だった。それより、秋天丸は素早いのう」
気持ちを隠して、千方は余裕の笑みを浮かべて祖真紀に答えた。
「体が小さいので、己が他人に勝れるのはそれだけだと思っております。そして、それを必死に磨いております。小さいからこそ素早く動ける。己の弱みを強みに変えてしまいおりました。負けん気も強う御座います」
「うむ。童ながら天晴れな覚悟じゃな」
朝鳥が感心した様子で言った。
それが、耳に入っているのかいないのか、秋天丸は、まだ悔しげな表情のままだ。
千方は、はっとした。褒め言葉を期待している己が居ることに気付いたのだ。素直に恥ずかしいと思った。
”弱みを強みに変える” 祖真紀の言葉が心に残った。
「ところで、千寿丸様、お召し物が大分汚れてしまいましたな。お着替えは? 」
祖真紀が尋ねた。
千常に殴られた時、そして今、倒れた時に着いた泥は払ったが、染み付いた汚れは残っている。
「おお、そう言えば、このような仕儀になろうとは、麿も思うておりませんでしたので、お着替えなど全くお持ちしておりませぬ。いかが致しましょうか? 」
と朝鳥が言ったが、どこかわざとらしさを千方は感じた。
「ここの童らと同じ物を着ろと言うことであろう」
「ほう。成る程。そう言うことで御座いますかな。では、済まぬが長、用意しては貰えぬか」
「実は、既に用意しております。朝鳥殿の分も」
「ひとが悪いのう。始めから分かっておったのか」
朝鳥は、自分も気付いていながら、そう言った。
「むさい物では御座いますが、後で舘に届けさせましょう」
「そうか、頼む。宜しいな千寿丸様」
「嫌と言ったらどうする」
朝鳥を困らせてみたくなった。
「ふ、これは…… 。どう致しましょうかな。ふっはっはっは」
「中々、千寿丸様を掌で転がすのは難しくなって来たようですな。朝鳥殿」
祖真紀が愉快そうに言った。
「掌で転がすなどと、そんな恐れ多いことは考えておらぬわ。何を申すか。麿は、ただ、ひたすら千寿丸様を、殿のご期待に添える男にお育て申そうと思っているだけじゃ」
「それで、蛇の話で麿を脅したのか」
そう言った千方は、にやりとした。
「さて、何のことやら、最近、物忘れがひどうござましてな。とんと覚えておりませぬ」
やはり食えぬ男だなと千方は改めて思った。
「分かった。今度お会いしたら、兄上にそう申し上げておこう。朝鳥は、三年どころか二日で呆けたとな」
と言って、『どうだ』とばかり朝鳥を見る。
「お、お待ちを、千寿丸様もおひとが悪い」
「その方ほどではないわ。第一、この先、いつ兄上にお会い出来るかも分からぬではないか」
「恐れ入ります。この朝鳥、いささか千寿丸様を見損のうておりました」
「童と思うてか? 」
「は? まあ、そのようなことで…… 」
「これ、童ども! こちらへ参るが良い」
祖真紀が声を掛け、童達が寄って来た。
「改めて、千寿丸様にご挨拶致せ」
「チェンジュマルチャマ、こんにちは」
まず、千寿丸に声を掛けたのは、三歳ほどの女童だった。女童は、そう言ってペコリと頭を下げた。その回わらぬ舌と、可愛らしい仕草に、千方は元より、そこに居た全員が、温かい笑みを投げた。
「はっはっは。千寿丸じゃ、宜しくな。しかし、言い難そうじゃな。六郎で良いぞ。武蔵の草原の者達も大方そう呼ぶ。皆もそう呼ぶが良い」
「ろくろう?…… なんか…… ふくろうみたい」
と言ってきゃっきゃと笑う。
他の童達も一斉に笑った。
「これっ」
祖真紀も笑いながら、形だけ嗜める。
「そうか、梟か? 夜目が利くようになれば良いのう。そちの名は何と申す」
「雛、雛じゃ」
「そうか。雛か。朝鳥の雛か? 梟の雛か? 」
「? ? ? 」
雛は、意味が分からず、キョトンとしている。
「そのようなこと、こんな小さな童に言うても、通じる訳が御座いますまい」
朝鳥が呆れたように言った。
「雛に先を越されたぞ。皆もご挨拶致せ、早う」
「六郎様、宜しくお願げえします。竹丸と言います」
長身の、しかしもっさりとした童だ。
「吾は芹菜。犬丸の姉じゃ」
十五~六だろうか。気が強そうで、当時としては、もう大人だ。
「芹菜は男のような女子ですわ」
そう犬丸が言った途端、芹菜の手がぱ~んと犬丸の頭を払った。
「いってえ! 何する。やっぱり男じゃ」
「汝は男のくせに、へらへらし過ぎじゃ」
「これ、これ、兄弟喧嘩はよせ。芹菜、こなたはもう子を産んでも良い歳ではないか。犬丸と喧嘩ばかりしておると、男に相手にされんぞ」
祖真紀の言葉に、ここぞとばかり犬丸が悪乗りをして、
「そら、言われた。相手にされん。相手にされん」
「男など嫌いじゃ」
そう言うと、芹菜は、ぷいと横を向いて、そのまま立ち去ってしまった。
「犬丸、汝もいい加減にせい」
祖真紀に言われ、犬丸はぺろりと舌を出した。
祖真紀に促され、他の童達もそれぞれに挨拶した。
鷹丸、鳶丸の兄弟。旋風丸らが居た。
「いや、麿の方こそ、宜しく頼む。世話を掛ける。犬丸、姉に、もそっと優しく致せ」
「向うが優しく無いだけです。吾は何も…… 」
「ところで、長。命や古能代殿は蝦夷風の名だが、童らには、大和風の名を付けておるのか? 」
朝鳥が祖真紀に尋ねた。
「はい。十年数前に皆でそのように決めました。この郷がどう成って行くか、我等はどう生きて行くのが良いか。童らの行く末など、皆で話し合った結果で御座います」
「十数年前と言えば、将門の乱の頃か? 」
「はい。そうでした。…… 思うていたよりも、ちと早う御座いますが、この郷のこと、我等のこと、お話致しましょう。千寿丸様、いや、六郎様とお呼びした方が宜しゅう御座いますかな。宜しければ六郎様もお出で下され」
千方が、すぐに着替えたいと言い出した為、女を祖真紀の住まいに走らせ、舘に衣類を届けさせることになり、千方は一旦、舘に戻った。
千方が離れている間に、祖真紀と朝鳥の間では、こんな会話が交わされていた。
「汗を掻かれたのでは? 」
「ふっ。命の目は誤魔化せんな。見ての通りじゃ。最初の二度突きには冷や汗を掻いたわい。秋天丸は元より、千寿丸様いや六郎様もなかなかのものじゃ。始めは、小手先で遇うつもりでおったのよ。たかが十四の童じゃ、何ほどのこともあろうかとな。まして、大事にされ我儘放題に育って来たお子じゃ、芯は脆いと思うておった」
「でも御座いませぬようで」
「会うたことは無いが、豊地と言う御仁、中々にやりおる。倅殿もな」
「ふふ、倅のことはさて置いて、豊地様とやら、余程、辛抱強いお方のようですな」
「会うて見たいものじゃ。長、ひょっとしたら、吾ら長生きをすることになるかも知れぬぞ」
「末が楽しみになって参りましたかな」
「ふふ。六郎様には言うでないぞ」
「畏まって候。鬼の朝鳥になるおつもりかな? 」
「いや、嫌味な爺で良いわ」
「そう言えば、お互い、髪に白いものが混じる歳。自分で何をしようと言うよりも、いつの間にか若い者に期待を掛けるようになり申したな」
「いや、麿は、ここに来るまでは、まるで、そうは思うていなかった」
「そのようで。無茶をして、殿をはらはらさせていたようで御座いますな」
「申すでない。麿は年寄になどなりたくは無かったのじゃ。考えても見よ。段々体が利かなくなり、目も耳も衰え、歯も抜けて物も食えなくなって、床の上で、あと何日生きられるのかなど考えながら生きているなど、考えるだけでも空恐ろしいわ。気が小さいでな」
「ほう? 」
「ならば、斬り死にする方が良いであろう。相手が腰抜けで無ければ、痛いと思う間もなくあの世に行けるわ。そう思うておった…… だが、六郎様をお預かりして、ちと変わって来た。先が見たいと思うようになったのよ。今日また、更にな」
「ひとは望を持たなければ、命を粗末に致します。望があれば、例えどんなことをしても生きたいと思うもので御座いますな」
「ふん。言葉だけ聞けば綺麗事のように聞こえるが、今の麿には、素直に頷ける言葉じゃ。…… ところで長。隠し事は良くないぞ。殿も、この朝鳥に隠し事は要らぬと仰せられていたと申したではないか」
「せっかちなお方じゃ。夫婦でさえそう簡単には行かぬことで御座いますぞ」
「いい歳をして、建前と本音くらい弁えよと言いたいのか? 」
「どう致しまして。我等、一蓮托生で御座いますからな」
ふたりがそんな話をしている間に、着替えた千方が戻って来た。茶の貫頭衣に七部丈の半ズボンのような簡易な袴、足には足の裏前半分しかない草鞋という姿だ。色の白さと整った顔立ちを除けば、全く郷の童と変わらない。
「どうか? 似合うか」
なぜか千方は気に入っている様子だ。
「寒うは御座いませぬかな? 」
祖真紀が尋ねた。
「大事無い。こう見えても丈夫な質じゃ。だが、踵が、ちと痛いのう。ま、そのうち慣れるか…… 」
「血豆の二、三回も潰せば、足の裏も丈夫になりましょう」
と朝鳥。
「他人事ではないぞ、朝鳥。その方も同じじゃ」
「生憎と、麿の足の裏の皮は、元々厚う御座いましてな」
「厚いのは面の皮の方であろう」
「言われ申したな。朝鳥殿」
と祖真紀が笑いを漏らす。




