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藤原千方伝・坂東の風  作者: 青木 航
幼年編 第一章
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拾壱 将門を殺した男

 本陣は鶴翼かくよくの後方に置かれていた。兵は三百。鶴翼の陣の中央には、秀郷ひでさとの長男・千晴ちはるに千人の兵を預けて配し、突撃の際、将門の矢面となり易い右翼には、三男・千国ちくにと四男・千種ちたねそれに五男の千常にそれぞれ五百ずつの兵を与えて計千五百を配した。

 そして、左翼には、貞盛の弟・繁盛しげもり率いる八百に二百の与力を着けて配し、その外側に藤原為憲ふじわらのためのり率いる五百の兵を配している。

 本陣の三百はただ後方に構えているだけではなく、五十名ほどを残し、後は、破られそうな所に駆け付ける遊撃隊的な役割を負わせてある。

 朝鳥あさどりは単騎中央へ、続いて、貞盛さだもりは十名ほどの郎等を率いて左翼へと、それぞれ前線に向かって駆け着けて行く。

 維幾これちかは秀郷の態度にむっとしながらも、言葉を返すことが出来ず、ただ苛々おろおろするばかりだ。

 その時、一直線に中央に向かって突進していた将門が突然右に方向を転じた。龍が大きくその首を右に振った。中央の千晴隊に、続いて貞盛隊に矢を射かけながら平行に進み、左翼端の為憲隊の守る辺り目掛けて突き進んで行く。

 まさか、自分たち目掛けて襲い掛って来るとは思っていなかった為憲隊に動揺が走り、負け癖の付いている彼等は脆くも崩れた。

 秀郷は本陣に居る遊撃隊二百五十をすぐに左翼に放ったが遅かった。

 為憲の兵達は、迎え入れるように将門軍が突き進む道を開け、突き抜けた将門軍が反転して襲い掛かって来ることを恐れて、将門を追おうとする味方の軍の方に向かって逃げ始めたのだ。

 まず、貞盛隊と逃亡兵達の流れがぶつかり混乱する。遊撃隊、千晴隊は、それを避けて将門を追おうとするが、貞盛隊の中からも逃亡しようとする者が出始め、混乱が広がって千晴隊の行く手を阻む。

 そうしている間に、手斧ておのを振り回しながら将門が、混乱の中心を目掛けて突進して来る。迎え撃とうとした騎馬武者が二人、三人と将門の手斧の餌食となって落馬する。将門に続く郎等達も屈強で、次々と味方が倒されて行く。

 貞盛は兵を励ましながら、混乱を潜って将門に近付こうとするが、近付けない。

 その中で、将門の郎等の何人かを倒し、将門に近付き一撃を与えたのは、遊撃隊を率いる、信濃国しなののくに佐久さく郷司ごうし望月三郎兼家もちづきさぶろうかねいえだった。秀郷とは以前から親交が有り、挙兵に際し、遥々駆け着けていた。兼家は太刀で将門のかぶとを打ったが、落馬させる程の衝撃を与えるには至らなかった。しかし、将門の兜の向きがずれた。

 逃亡兵達が、今度は空いた北の方に向かって一目散に逃げ始めたのだが、その数は見る見る増えて、恐怖心が伝染したのか、千晴の隊や、千国、千種、千常の隊からも逃亡兵が出始める。もはや、陣を組み直すことは不可能な状態となった。 

 陣形を整える為の太鼓たいこかねの音が空しく響き、声を枯らして叱咤する将達の叫び声も乱声に掻き消される。

 又も突き抜け、上りに掛かった辺りで、少し距離を取って陣を組み直した将門軍が、再び矢を放ち始めた時、連合軍は遂に崩壊した。

 殆どの兵が勝手に退却を始めたのだ。いや、将門軍の矢頃を逃れる為、一目散に逃げ始めたと言った方が正確だろう。

 混乱する連合軍を見下ろしながら、将門は兼家の一撃にりずれた兜を荒々しく脱ぎ捨てた。 

 その所作が荒々し過ぎたのか、兜だけでなく、その下に被っている折れ烏帽子えぼしまで脱げそうになった為、将門はそれも脱ぎ捨てた。戦場ならではのことで、平安の男に取って、人前で被り物を脱ぐなど、日常では有り得ない行為だ。はずみでもとどりが切れ、まげが崩れて髪が乱れ、大童おおわらわとなって垂れ下がる。

 郎等が代わりの兜を差し出そうとするのを、

「要らぬ」

と遮り、

「者共、敵は混乱している。勝ち戦じゃ。命を惜しむな。掛かれ~! 」

げきを飛ばした。

 再び将門軍の突撃が始まった。解けた髪を振り乱して、やはり将門が先頭を切って迫って来る。

「うぬ。くそっ! 退け~! 」

 このままでは、兵の殆どが逃亡して、二度と戻って来ない。もはや立て直すことは不可能と観念した秀郷は、遂に退却の号令を発した。兵達は四散し、将と郎等達は秀郷と合流する為に本陣を目指す。

 各隊の将達は悔しがりながらも撤収に掛かる。

 それを見た将門は、かさに懸かって猛追撃を開始した。

「だから、言わぬことでは無い」

 そう漏らした維幾を、秀郷は一瞬キッとにらんだが、すぐに騎乗し逃走に掛かった。

「くそっ。くそっ! 」

と叫びながら駆けた。耳元を矢がかすめる。

 追い風を受けての逃走だから、疾駆していても顔に当たる風圧は感じない。

 ところが、暫く駆けているうちに、急に顔に風圧を感じるようになった。しかも、冷たい。

 その時、背中に軽い衝撃を感じた。カチッという音がして後ろから飛んで来た矢がよろいの背で弾ける。風圧に寄り矢の勢いが殺されているのだ。


「風が変わった! 」

 秀郷は歓喜した。

「止まれ! 踏みとどまれ~! 風が変わったぞ。者共、踏み止まって射返せ~! 」

 周りを見回すと、千晴を始めとした息子達。貞盛、繁盛、兼家、それに朝鳥などの郎等達が集まって来ていた。それでも、百騎に満たない。

 敗走していた連合軍の残軍は踏み止まり、馬を返した。そして、一斉に射始める。

 将門軍は皆強く手綱を引き、馬を止める。横に広がってこちらも一斉に射始めるが、それまでとは違い。秀郷側の弓勢ゆんぜいは強く、将門側は弱い。連合軍の矢は風に乗り、将門軍の矢は風に戻される。

「聞け~! 藤太秀郷とうたひでさと! 」 

 将門が大音声だいおんじょうで呼ばわった。

 秀郷は右手を挙げた。

「やめよ! 射ることを止めよ! 」

 双方の矢の雨が止む。

「何用か! 朝敵・小次郎将門! 命乞いのちごいなら聞かぬぞ」

「何を抜かすか、卑怯者め。命乞いをするのはその方であろう! 一旦はこの将門に名簿みょうぶを捧げながら、虚を衝いて謀叛を企むなど許しがたい。成敗せいばいしてくれるわ! 」

「謀叛人はうぬじゃ! このもとみかどは只ご一人いちにんしか居坐おわさぬ。勝手に新皇など僭称しおって。謀叛人は己だ。この秀郷が、朝敵を討つ為にあざむいたことに気付かなんだ己を愚かと思うが良い」

「何~い。盗人ぬすっとにも三分さんぶの理とは良く言うたものじゃ。藤太、許さぬ! 」

 将門は風に乱れたザンバラ髪を振り払い、弓を郎等に渡して、太刀を抜き放った。

「小次郎! 己はこの平太・貞盛が討つ! 覚悟せよ! 」

 秀郷の脇にくつわを並べて貞盛が叫んだ。

「はっはっはっは。誰かと思えば、臆病者の常平太じょうへいたか? 信濃で、陸奥で、良くも逃げ延びたと褒めてやろうぞ。今度も逃げ足は速かったのう。のこのこと出て来居きおって。従兄弟のよしみ、見逃してやるから、さっさと消えせろ! 都にでも落ちて、遊女あそびめとでも戯れておれ。それとも、やっとつわものの気概を取り戻したか? 」

「我が父・国香くにかを討ったこと、忘れたか! 己を討つこの日の為に、命、永らえて来た。父の無念も我が恥辱も今こそ晴らしてくれるわ! 」

 言うなり、貞盛が弓を引き絞った。

 それを見た敵も味方も弓を構える。双方一斉に放った。貞盛の矢が一瞬早く放たれ、続いて、互いの矢が飛ぶ。

 だが、風に逆らった将門方の矢の勢いは弱く、貞盛らの矢は疾風はやての如く走った。

 将門が太刀で矢を払った。…… と思えた瞬間、馬上からその姿が消えた。

 どっと雪崩なだれ落ちた将門の姿を、敵も味方も、一瞬信じられないと言う想いで見詰めた為、矢の雨が止んだ。

 将門の郎等達が馬から飛び降り、落ちた将門を取り囲んだ。将門は横たわったまま動かない。

「射よ! 射続けよ! 」

 秀郷の叱咤の声に我に返った連合軍の矢の雨に、将門を守るべく太刀を抜き放って構えたその郎等達が矢を受けて次々と倒れて行く。そして、僅かに残った者達は遂に逃走を始めた。

「追え! 一人残らず討ち取って手柄とせよ! 」

 そう叫ぶと、秀郷は自ら先頭を切って将門の許に駆け寄った。

 兵達は将門の残党を追い、下馬した秀郷は、いきなり倒れている将門の頭を踏ん付け、刺さった短めの矢を抜き、辺りに散らばっている矢の中に、抜いた矢を放り込んだ。

 それから、毛抜形太刀けぬきがたのたちを振り上げて、まきでも割るように、将門の首を打ち落した。

「皆、聞け~っ! 謀叛人・平将門は、左馬允さまのじょう平朝臣たいらのあそん・太郎貞盛殿が射落とし、押領使おうりょうし、この藤原朝臣ふじわらのあそん・太郎秀郷が首討った。大勝利である。謀叛人・将門は潰えたのじゃ、ときの声を挙げよ! 」

「うお~! 」

と言う歓声が上がり、続いて

「エイエイ、オー! 」

と言う鬨の声が繰り返された。

 その鬨の声を聞き付けて、逃げ散っていた味方の兵達が、褒美のおこぼれにあずかろうと徐々に集まって来る。

 しかし、その流れとは逆に、その場から立ち去って行く五人の郎等姿の男達が居た。先頭を行く眉が太く鼻の大きな若者は、その手に半弓を携えている。

 将門の首は、敵と正対していたにも拘らず、なぜか左のこめかみに穴がき、そこから血が流れ出ていた。


『そうか。蝦夷えみし風体ふうていでは無く、他の郎等達と同じ格好をしていたので気付かなかったのだ。確かに、あのいくさの折、古能代に会っている』

と朝鳥は思った。

『しかし、何故なにゆえ? 』


「将門の乱の折、北山のいくさで、麿は古能代殿と良く似た男を見掛ておる。あの戦に加わっておったのか? 」

  祖真紀に問うた。

 朝鳥の言葉に祖真紀は反応しなかった。何か他のことに気を取られているような素振りで、聞こえなかったかのように、朝鳥の言葉を無視した。

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