デートと柳川鍋
クリスマスソングのせわしなさから一転、一日過ぎたらショッピングモールのBGMはもう正月を意識した和風の曲へと切り替わっている。
クリスマスが終わったらもうちょっと落ち着くと思っていたけれど、既に中高生は休みに入っているせいか、ショッピングモールの中もなかなか慌ただしい。
でも私の連勤も今日で終わり。私はぐったりとしながら家に帰ろうとしたとき。スマホが点滅していることに気付いた。何気なく手にして、私は「あっ……!」と息を飲んだ。
一緒に着替えていた人たちが怪訝な顔でこちらを見たのに、私は「すみません!」と会釈をしてから、震える手でスマホをタップした。
来ていたのはメール。名前はちゃんと【浜坂】と登録してある。
【仕事終わりました。これで今年分の仕事は終わりました。
なるちゃんは連勤が終わりだと思いますが、明日は空いていますか? もし用事が入っていたのなら悪いです。
約束どおりデートしましょう。】
その文面のところどころのおかしさに、私は吹き出しそうになりながら、手早く着替えてスマホをタップする。
敬語なのに私の呼び方がなるちゃんとか、デートの誘い方の仰々しさとか。
会えなくって寂しかったのが私だけじゃなかったらいいのに。そう思いながら、私はメールを送信した。
【お久しぶりです。浜坂さんは体を壊していませんか? 缶詰状態でちゃんと食べていましたか? 明日は空いています。おいしいものを食べに行きましょう。】
元々が私の血が「不味い」上に、ズボラ加減をさんざん叱られたところからはじまった関係なのに、今だけは逆転しているような気がする。
疲れてくたくたになり、もう家に帰ったら泥のように眠ろうとしか思っていなかったのが、少しだけしゃっきりとした。
明日着ていく服を見繕って、浜坂さんに会わない間も元気だったと伝えよう。
おかしな関係だとは思う。未だに私たちの関係ってなにかと聞かれても、答える言葉が見つからない。浜坂さんが私を捕食対象くらいにしか思っていないなら仕方がないけど、勝手に想っているくらいなら、別に構わないと思っている。
しばらくしたら、待ち合わせの場所と時間の候補が来たから、それに返信してから、私は帰路に着いた。
明日になったら浜坂さんに会えると思ったら、年の瀬の冷たい風も、嫌なほどに目に着くひとりで見るイルミネーションも、つらいとも怖いとも思わなかった。
それに……。私はちらりと小さな紙袋を見た。
クリスマスなんて終了してしまったけれど、買ったプレゼントがある。
ただの好意が重荷にならないように、でも消え物でも寂しいと、さんざん悩んだ末に選んだのは、浜坂さんの仕事だったら邪魔にならないだろうと、皮の手帳カバーだった。
これを渡すタイミングがあればいいんだけどと、ぽつんと思った。
あまり表に好意を出しちゃいけないというのは、少しだけつらい。
****
赤いコートに黒いカシミアのマフラーを合わせる。下は白いセーターに黒いロングスカート、ブーツという、無難過ぎる格好だ。
いつもの駅前は平日だけれど、人の行きかいが活発だ。多分学生が既に休みに入っているせいだろう。
クリスマスはとっくの昔に終わったというのに、モールで飾り付けられた木々の下で、私は震えていた。
いつものように真っ黒な格好で来るんだろうか。私はそわそわしながら待っていると、「なるちゃん」とすっかり聞き慣れてしまった声を拾った。
浜坂さんだ。いつも着ている黒い化繊のコートではなく、今日着ているのはシックなカシミアのコートだ。ただでさえ整っている容姿なんだから、こんなシックな格好をされてしまったら、自分が不釣り合いに見えそうで、思わず尻込みしていたら、浜坂さんのほうから大股で寄ってきた。
この人、本当に缶詰明けなんだよなあと、まじまじと見てしまう。
黒い髪は艶々したままで、傷んだ箇所が見当たらない。肌も冬場だというのに血色がいいし、瞳は相変わらず石榴色だけれど、目は充血ひとつ知らない。
この人、仕事はきっちりこなすけど、健康管理を怠らないんだなとついつい感心してしまう。私の脳内を知ってか知らずか、浜坂さんは優しく声をかけてくる。
「久しぶり。元気しとったか?」
「あ、はい……ようやく連勤が終わったので、ちょっと肩の荷が降りたところです」
「でもなるちゃん。またストレス溜めとったやろ? 口の端」
浜坂さんに指摘されて、私はギクリとする。
口の端が切れてしまっているのだ。繁忙期の終わりのほうだと、夜に薬を塗ってもなかなか治らず、どうにか予約を入れてもらった皮膚科で「ヘルペスですね」と言われてしまう。
ストレスや疲労で免疫力が落ちると、こういう風な形で出てきてしまうことがあると、お医者さんにも言われてしまった。最初に発症したときは嫌な思いをしていたけれど、仕事なんだから繁忙期なんだからと、今は諦めてしまっている。
それに浜坂さんは困ったように目尻を下げる。
「すまんなあ、あんまり連絡よこさんと」
「いえ、メールくれたじゃないですか。充分ですよ」
「ちゃんと食べとった? またズボラしてへん? 冬場で雑なことしたら、体調にホンマに関わるからな?」
「前よりもきっちりしてますよ。久々に会ったのにお母さんですか」
「えー。俺、なるちゃんの親になった覚えはないで?」
いつものように軽口を延々と続けながら、浜坂さんはちらっと駅前の時計塔を見る。
「まあ、こんなところで立ち話も難やし、歩こうか。前になるちゃんの言うてた店っていうの、行ってみたいしなあ」
「はい。電話で問い合わせたんで、お昼に着けば大丈夫ですよ」
「なんや、ずいぶん気に入ったんやねえ。妬けるわ」
そうからかい気味に言われて、私は思わず笑顔をつくった。
浜坂さんが言っていることが、冗談なのか本気なのかがよくわからなかったせいだ。
思えば、いつも駅前から帰るのがデフォルトだったから、一緒に電車に乗るのも遠出するのも初めてだったと、今更思う。
乗るのは各駅停車だったから、そこまで人が混んでいない。ゆったりと電車の手すりに捕まりながら、目的の駅に向かった。
前に教えてもらった道を、浜坂さんと進んでいく。住宅街を進む路地で車道側を歩いてくれる浜坂さんが頼もしくて、そのまま歩いて行ったら、本当に民家に溶け込んでいる店に辿り着いた。
浜坂さんは面白そうに目を細める。
「ほう……ホンマに人ん家みたいやなあ」
「私も初めて来たとき、びっくりしちゃいました。行きましょう」
そろっと開けてみたら、年の瀬とはいえど一応平日。普段だったらランチに来てそうな主婦層もおらず、前に見かけた店長さんが「いらっしゃいませ、席はお好きなところにどうぞ」と笑顔で会釈してくれた。
それに浜坂さんがどこの席がいいかと尋ねると、「カウンターで料理見たいなあ」と言うので、ふたりでカウンターに座る。
「それじゃ、なに食べよっか」
「あ……今日って、温かいものを食べたいんですけど、なにがありますか? 鍋っぽいものがいいんですけど」
私が店長さんに尋ねてみると、店長さんが上品な雰囲気で答えてくれた。
「今日のお勧めは柳川鍋ですが。うなぎと牛肉とどちらがよろしいですか?」
「えっ、うなぎ……ですか?」
思わず浜坂さんを見ると、浜坂さんは興味深そうに「へえ……」と笑った。
「じゃあうなぎで」
「かしこまりました。お連れさんはどうしますか?」
「ええっと……じゃあ、私も」
「少々お待ちください」
そう言いながら、店長さんが調理に取り掛かる背中を見ながら、私は目を白黒させて浜坂さんを見る。浜坂さんはのほほんと笑っていた。
「うなぎの旬は冬やで? 元々土用の丑の日は、「う」の付く料理を食べたら体にええって言われとう。この時期になったらうなぎが売れんから、土用の丑の日にかこつけて売ったら、気付いたらうなぎは夏に食べるもんってなっただけやねえ」
「あ、そうなんですね……知りませんでした」
そもそもうなぎなんて、外で食べようと思いつかない限りまず食べないから、旬のことなんて全然頭から消えていた。
でもうなぎって、スタミナを付けるために食べるイメージがあって、そもそも血がどろどろしている人間が食べていいようなイメージが、失礼ながらない。そこんところはどうなんだろうと思って、私はまじまじと浜坂さんを見ると、浜坂さんはのんびりと言う。
「うなぎは体にええで? まあ、元々食べるもんって、よっぽど偏ってなかったらなに食べてもええんやけど、なるちゃんはズボラが過ぎて栄養が偏ってるのをやめえって言うてるだけで」
「うっ……今はそこまで偏ってませんしっ!」
「まあ、夏に食べるもんってイメージが付いてるせいで、スタミナ食って言われがちやけどなあ……うなぎは元々疲労回復に効くから夏も食べえって言われてるだけやし、カロリーだって肉よりもよっぽどあらへんで」
「え? うなぎって、そんなに疲労に効いたんですか?」
「最近は高なってるから、外食やなかったらまず手を出そうとは思わんけどなあ。疲労回復に効くのはビタミンやけど、うなぎは魚類の中でも突出しとるよ。ただうなぎだけやったら、どうしてもビタミンCや食物繊維は摂られん。せやからうなぎは本当やったらうな重よりも柳川鍋みたいに野菜と合わせて食べたほうがええねえ」
「なるほど……そうだったんですねえ」
ビタミン群も摂り過ぎたら体に毒だけれど、なさ過ぎても体に悪い。特にビタミンCの場合は体に溜め込むことができないから、定期的に摂らないと駄目なんだっけか。
私が店長さんを眺めていると、用意しているうなぎは既にかば焼きにして切ってあるものを使うらしい。そしてうなぎと一緒に調理する野菜。使うのはゴボウに長ネギみたい。
ゴボウはささがきにして水に入れてアク抜きをする。長ネギも斜め切りにして水にさらす。それでからみは消えるはず。
わかっていても、自分でやるとなったら億劫になってしまう作業を、店長さんは丁寧にしていく。
それにしても、浜坂さんは本当に食べることに詳しい。思えば私の血が不味い理由も味見しているとはいえど特定するし、食生活の矯正までする人だからなあ。この人の書いているものは、ルポライティングみたいでどうも料理や栄養のことが関わるとは思えないんだけど。
聞いてみていいのかな。私はちらっと浜坂さんの横顔を見る。
浜坂さんの石榴色の目は、真剣な顔で店長さんの作業を見ていた。流れるような作業は惚れ惚れするし、出汁がコトコト音を立てて温められる様は、お腹を刺激してくれる。
……今聞いちゃったら、野暮な気がする。私は聞くのを諦めて、店長さんの作業を見るのに戻る。
出汁で煮られたゴボウにネギ、その上に乗せられたうなぎは卵で閉じられ、最後に上に三つ葉が乗せられた。
店長さんがカウンターに土鍋をふたつ並べてくれる。
「はい、柳川鍋ふたつお待ちどう様」
「あ、おいしそう……いただきます!」
「おおきに」
ふたりで箸を付ける。
卵でとじられたうなぎはほっくりとしているし、出汁にゴボウの旨味とネギの甘さが混ざって本当においしい。
体にいいのかどうかはわからないけれど、ただ目を細めて「おいしい」と声を上げてしまうものだった。
浜坂さんはというと、こちらも目を細めて「美味いなあ」ともりもり食べている。
店長さんがにこにこと見守られて、食べている間ひと言もしゃべらなかったんだから、私たちも現金なものだ。
お腹がいっぱいになったら心も満たされ、冬の寒さで縮こまった体も温まる。手を合わせて「ごちそうさまでした」とお礼を言うと、浜坂さんにお礼を言われた。
「おおきに。ええ店に連れてきてくれて」
「えっと……知り合いに教えてもらっただけですよ」
「ここらは美味い店多いけど、なかなか開拓が進まんかったからええんよ」
そう言われると妙にくすぐったかった。
いつだってこの人からはもらってばっかりだったから、初めてなにかをしてあげられたと手ごたえを感じたからだ。