会えない時間とあんかけうどん
クリスマンソングが耳に触る。そう感じるときは、だいたい疲れているときだけれど、本当にそのとおりだと思う。
バーゲンセールの問い合わせに、福引の予約の問い合わせに加え、ポイントキャンペーンに関する問い合わせや、ポイントをクーポンへ換券する方法などまで飛んでくるから、私たちは今日も食事の時間がずれ込んでしまった。
「……疲れた」
私たちが休憩室に付けたのは、既にお昼から二時間も過ぎた頃。もうちょっとで私たちの帰る時間だというのが忌々しい。
花梨ちゃんはちょっと怒りながら弁当を食べている。
「一部はサイト見れば書いてあることじゃない。どうして調べずに電話で聞きに来るの。スマホくらい家にあるでしょ」
「許してあげなよ。パケ代が怖くって未だにインターネット使わないお年寄りだっているんだから」
「今はほとんどガラケーよりスマホのほうがシェア取ってたと思うんだけどねえ……」
私はもぐもぐとお弁当を食べていたら、その中身をちらっと花梨ちゃんが見る。
「なあに? 知り合いと喧嘩したの?」
唐突に言われて、私は箸を止める。
「なんで?」
「いや、またなるの食事が雑になってるなあと思ったから」
私はそれでお弁当の中身を見る。きのこの炒め物に、大根の浅漬け、サバの缶詰と生姜の炊き込みご飯。前の菓子パンとペットボトルのお茶と比べれば、各段にレベルアップしたと思っていたけど、それでも雑なのかあ……。
「してないよ?」
「そう? 前はもうちょっとだけ彩りがあったと思うんだけどなあ」
「うーん……単純に今、忙しいから」
「ありゃりゃ。会えてないの? 連絡もせず?」
「迷惑かけるようなことはできないよ……」
浜坂さんが具体的にどんなものを書いているのかは知らない。ただ仕事で忙しい人に、メールで「寂しい」と送るのは失礼過ぎる気がして、もらった名刺のアドレスには、未だになにも送ったことはない。
私がうだうだ言っていると、花梨ちゃんが笑う。
「どんなに忙しいときだって、休憩時間は取るはずだよ。アプリを連打したらさすがに迷惑だろうけど、休憩時間にメールひとつを送るくらいだったら大丈夫でしょ」
「そうかなあ……」
「大丈夫だって。でもそういう話が全然なかったなるから、そんな話を聞くのは新鮮だわねえ……」
そうひとりで盛り上がっている花梨ちゃんに、私は苦笑いを浮かべるしかできなかった。まさか言えない。そういう関係ですらないんだって。
休憩が終わったら、あとは一時間は座り込まないといけないので、食事が終わったあとゆっくりと屈伸運動をしていたら、花梨ちゃんがぱっと言った。
「まあ、あんまり不安なんだったら、一緒にご飯でも行く? 話くらいは聞くよ?」
「……本当に、花梨ちゃんが面白がるようなことなんて、なにもないよ?」
「いいじゃない、単純に私が外でご飯食べに行きたいだけなんだから、付き合いなさいよ」
そんなもんか。
私はそう納得した。
でも体にいい外食ってなんなんだろう……? そうふと思った。
****
仕事が終わって、ぐったりとしながら私たちは着替える。
「じゃあなにか食べたいものある?」
「んー……あんまり血が濁らないもの?」
「前に言ってた、不摂生を怒られたっていうの気にしてるんだ?」
「それが原因でご飯つくってもらってたくらいだから」
「ふーん。だったら元の木阿弥になったら駄目だねえ」
どうも花梨ちゃんの中では、浜坂さんは健康オタクな心配性彼氏というカテゴリーに入れられているような気がする。
健康志向なのは単純に不味い血が駄目なだけなんだけどなあ。それはグルメっていうカテゴリーに入れてはいけないような気がするから黙ってるんだけど。
ワンピースの下にスラックス、上にコートといういで立ちに着替え終えたら、隣で花梨ちゃんはセーターにスカート、上にコートという格好に着替え終えていた。まとめていた髪をほどきながら、花梨ちゃんは「うん」と頷く。
「じゃあおいしい野菜料理の店に行こうか。創作料理がメインのおいしいところがあるよ」
「意外だね……花梨ちゃんは外食嫌いかと思ってたのに」
「ストレス溜まったら、おいしいものを食べに行くわよ、私だって。それじゃ行こうか」
普段降りる駅とは逆方向に向かい、住宅街へと降り立つ。民家と店が交互に並ぶという変な街並みが続く中、本当に民家にしか見えない場所の扉に、花梨ちゃんは手をかけた。
「え、ここ本当に店?」
「この辺りって民家多いでしょ? あんまり宣伝し過ぎたら近所迷惑になるから、本当に知る人ぞ知る店なんだよねえ。ネットやテレビの広告も断ってるから、本当に知る人しか知らない感じなの。看板もないでしょ」
なるほど、完全に口コミ頼みなんだ。私がついていったら、割烹着を着た上品な女性が「いらっしゃいませ」と頭を下げてくれた。
花梨ちゃんは「お久しぶりです、ふたりお願いします」と言うと、女性が「お好きな席をどうぞ」と答えてくれた。
カウンターに椅子は五つ、奥にふたり席がふたつ。たしかにこんな店が宣伝されてしまったら、店内はてんてこ舞いになって回らなくなってしまう。
花梨ちゃんは「カウンター行く?」と言うので、私は頷いてついていった。
「今日はおすすめありますか?」
「本当に寒くなってきましたから、今晩はあんかけうどんはどうですか?」
女性は湯呑をふたつカウンターに置きながら勧めてくれる。
その言葉に私は目をぱちくりとさせた。
あんかけはおいしいけど、片栗粉でとろみを付けないといけないし、あんかけのためだけに片栗粉を買うのもためらって、うちだとつくらない。
それに花梨ちゃんは「うーん、どうする?」と聞くので「うちだとつくれないから食べたい」と答えたら、花梨ちゃんはふたつ注文してくれた。
「なる……最近料理するようになったみたいなのに、なんで家であんかけもつくれないの」
「え、だってうち。片栗粉ないし……」
「片栗粉以外でもとろみってつくれるよ? 小麦粉だってつくれるし、なんだったらかぶでだってつくれるよ?」
「え、そうなの?」
「まあ片栗粉みたいにしっかりしたもんじゃないけどねえ……」
店長さんらしい女性は、私のとんちきな言葉を馬鹿にすることなく、笑みをたたえて料理をはじめている。
白菜の芯、にんじんは短冊切り、葉はざく切り、しいたけは石付きを取って薄切り。生姜は千切りにして、豚肉はひと口大に切っていく。
てっきり味付けはあとですると思ったけれど、豚肉はボウルに取って先に下味を付けはじめた。見た感じ、醤油にみりん、酒みたいだ。
ぱっと壁を見てみると、お品書きは特に書いていない。私が花梨ちゃんを見ると、花梨ちゃんは湯呑を傾けていた。
「ここって、メニューは特にないのよ。イタリアンのときもあるし、フレンチもある。生クリームの多いこってりしたものっていうより、南フランスの家庭料理って感じの」
「へえ……」
あの割烹着の店長さんがつくってくれるのかと思ったら、それは意外だ。
ちらっとカウンターの向こうを見たら、下味を付けた豚肉から火を通しはじめた。豚肉に火が通ったらボウルに戻し、代わりに野菜を炒めはじめる。野菜がしんなりしたら豚肉を再び鍋に入れ、水と出汁を加えて煮はじめ、そこに塩で味を整えてから、水で溶いた片栗粉を回しがけして、とろみをつけていく。
うどんを軽く湯がいたら、そこにさっきつくった野菜たっぷりをあんを回し掛けてくれる。
ぷん、と漂う野菜と豚、出汁のふくよかな匂い。家庭料理なはずなのに、手の込んでいるとわかるのは、出汁の匂いのせいだと思う。
「お待たせしました、あんかけうどんです」
カウンターにことんと置いてくれたのを、箸を取ってそれをすする。
おいしい。野菜もたっぷりだし、出汁のふくよかな匂いの中に生姜がぴりっと味を引き締めてくれて、いくらでも食べられそう。本当だったらここに一味唐辛子をかけたらもっとおいしいんだろうなと思うけど、浜坂さんから言われた「あんまりスパイスを取らないように」という注意書きを思い出したら、迂闊にカウンターの脇に置いてある唐辛子の便に手を伸ばせない。
花梨ちゃんは平気な顔で、唐辛子に手を伸ばして振りかけてから食べている。
「うん、おいしい。いっつもズボラしてコンビニのカット野菜をそのまんまあんかけにしてるけど、やっぱり野菜たくさん使って煮てからのほうがおいしいわ」
「ひとりでだったらなかなかこの量使ってつくるのは勇気いるしねえ」
「そうねえ、あんかけうどん、あんかけそば、あんかけご飯、あんかけパスタ……下を変えても味は同じだしねえ」
多分これだったら、浜坂さんも文句は言わないんじゃないかなあと私はぼんやりと思う。生姜のおかげか、指先もぽかぽかと温まってきたのを感じながら私が思う。
ここの店だったら、浜坂さんと来てもいいのかなと思って、店の装幀を見回していたら、花梨ちゃんが悪い顔をして笑っているのが見えた。
「……デートで来れるといいよねえ。休みの日だったら、口コミのデートの客で入れないこともあるから」
「な、んでそう言うのっ。本当にそんなんじゃないから」
「はいはい。私はそんな人がいて羨ましいけどねえ」
花梨ちゃんはそう言いながら、あんかけうどんを食べる作業に戻っていく。
本当……一緒に食べられたらいいのに。そう思いながら、私もあんかけうどんを食べる作業に戻っていった。
****
家に帰ってから、私はあの紅色の名刺を引っ張り出してきて、恐々とメールアドレスをスマホに打ち込む。
仕事の邪魔はしない。寂しいとか打たない。私は恐々とメールをタップする。
【お疲れ様です、今日は知り合いにおいしい店を紹介されました。浜坂さんも気に入ると思いますから、今度一緒に行きましょう。】
簡素過ぎるメールができたのに、私は何度も何度も読み直す。
別に彼女でもなんでもないから、アプリのメッセみたいに記号を使うのはためらわれた。でもビジネスメールほど固くはないし、彼女みたいに気安くもない、世間話みたいな感じ。
これなら大丈夫かな。私はドキドキしながら、送信ボタンを押す。
……自分は中学生かなにかか。メール打つだけでこんなに時間かけて。アプリだったら気安くタップできるのに、なんでこんなに時間がかかっているんだろう。私はそう思いながら、立ち上がったとき。
メールがもう帰ってきたことに気が付いて、慌ててメールを見た。
【お疲れ様です。体を壊してませんか? またストレスを溜めていませんか? 自分は大丈夫なので、どうか心配しないでください。
仕事が終わったら、一緒に食事に行きましょう。】
そのメールを読んで、私はおかしくなってごろんごろんと絨毯に転がってしまった。
「……メールでだったら、方言が取れてるんだ」
当たり前すぎる発見に、もっと早くメールを送ればよかったと後悔した。
大丈夫、仕事の邪魔にならない程度にだったらメールは送れるから。あまり気安くならない、ビジネスメールにならないメールだったら、送っても平気だから。
そう自分に言い訳したら、なんだか安心できた。