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気分転換と血流

 結局夕食もつくって、浜坂さんは帰っていったけど。

 私は首筋を洗面所に行って鏡を見た。初めて血を吸われたときと同じ。首筋には蚊に刺された痕みたいなものすら残さず、噛まれた痕跡はどこにもなかった。

 血の匂いはしたし、噛まれて痛かったはずなのに。これは浜坂さんが持っている、目を合わせたら身動きが取れなくなったり、鏡や写真には映らないのと一緒で、なにかしらの作用があるのかしら。そう思いながら、私は噛まれたはずの部分を抑えた。

 あの人は優しいし、私だけでなく花梨ちゃんの話も親身になって聞いてくれて、力を貸してくれる。おいしいご飯をつくってくれて、私に振る舞ってくれている。でも。

 私と浜坂さんの関係って、すっごく微妙な。

 吸血鬼と献血パックの関係って、他に例えればなにになるんだろう。捕食者と捕食対象とか、肉食動物と草食動物とか、なんだか対等じゃないものばかりが頭に浮かぶ。

 友達ではないし、知人にしては私もあの人が吸血鬼でライターやってるということ以外なにひとつ知らないし、同棲もしてないし、だからと言って距離感は近過ぎるし……。

 ……考えれば考えるほど、歪な関係だなと思って、溜息をついた。

 私はあの人の献血パックなんだから、おとなしく血だけ吸われてればいいんだ。献血パックに意思はないから、どんな扱いをされても文句は言わない。言ってはいけない。

 ……ただ、なんの関係もない赤の他人として、関わらなければよかったなんて、思いたくなかっただけだ。


****


 次の日、私はスイートポテトをおやつに、お弁当に昨日の夕食であるきのこたっぷりの肉豆腐と小松菜の煮浸し、黒ゴマご飯を詰めて、仕事に出かけた。

 ずいぶんと荒んでいた花梨ちゃんは、今日は少し落ち着きを取り戻している。


「おはよう、今日は体調大丈夫?」

「ああ……なるも。本当にごめんね。うざいメッセ送って」

「愚痴くらいは聞くから別にいいよ。今日はおやつもあるから、お昼に食べよう」


 私がそう言うと、花梨ちゃんは目をじっと細めた。……なんでそんな顔をするの。


「やっぱりあれでしょ、なる。男できたでしょ」

「へえ……?」


 ぱっと浜坂さんが頭に浮かぶけれど、ぶんぶんと首を振る。

 本当の私と浜坂さんの関係なんて言ってしまったら、警察に通報されてもおかしくないし、どうにか一般社会に溶け込んでいる浜坂さんのおかしい部分が露呈してしまうのは可哀想だ。

 でも花梨ちゃんがじっとりとした目のまま、こちらを見てくる。


「今までズボラで売ってきた子が、急に健康に気を使いはじめたり、料理に凝りはじめたりしたのを見たら、普通になんかあったって思うわよ」

「……いや、私もアラサーだから、そろそろ健康に気を使わないとまずいなと思っただけで。本当に付き合っている人はいません。はい」

「ふうん……まあそういうことにしといてあげるけど」


 私は必死で誤魔化しているのに観念したのか、花梨ちゃんのほうから引いてくれて、心底ほっとする。

 この間からのポイントキャンペーンから、今度はショッピングモールの誕生祭のバーゲンで、今日もあちこちから電話や店舗への電話の中継などが殺到し、てんてこ舞いになる忙しさだ。

 私たちがぜいぜいと電話を続けて、終わったのは既にお昼の時間からだいぶ過ぎた頃だった。

 ぐったりとしながら休憩室に行き、お弁当を食べる。花梨ちゃんもこの間はつくる気力すらなかったというのに、今日はきっちりつくってきているということは、ストレスの原因だった婚活のほうはどうにかなったんだろうか。

 ふたりでお弁当を食べ終え、おやつとしてスイートポテトを分けたら、花梨ちゃんは「あー、おいしい」ともりもり食べるので、ちょっとだけほっとする。


「花梨ちゃん、その……大丈夫? あの、メッセにあった」

「ああ、婚活? 本当に悩んだんだけどねえ。体を壊してまでやることなのかって考えて、結局相談所やめたんだよね」


 そう言ったことに、私はほっとした。

 でも……ずっと結婚のことを考えていたんだから、どうするんだろう。私もスイートポテトに手を伸ばしていたら、花梨ちゃんは指先をウェットティッシュで拭き取りながら続ける。


「だから、ちょっと教室に通うことにした。そこで見つかったらいいんだけど。自分も本当に見る目ないから、また変なのを引っかけないか心配」

「あら、習い事? なにをやることにしたの?」

「料理教室。ベタ過ぎるけどねえ……最近ストレス発散で料理教室に通う人も増えてるから。そこでガツガツしてない人が見つかればいいんだけど、上手く行くかなあ」


 少なくとも。前の結婚相談所は明らかにおかしかったから、そこよりはまだマシそう。きっちりしてる子だから、本当にいい人が花梨ちゃんを見つけてくれるといいんだけど。

 私は「頑張ってね」と小さく言うと「じゃ、なるは?」と笑顔を向けられる。


「朝は逃げられたからねえ。結局あんたの最近の動向を駆り立てるのはなんで?」


 ……まだ続いてたんだ。その話。

 私は視線を泳がしつつも、花梨ちゃんの話を聞き出したあとなのに、自分がなにも語らないのはフェアじゃないよなと、観念して口を開く。


「これ以上今の生活続けてたら倒れるからやめろって、怒られて料理を習ってるの」

「あら、どこの教室?」

「教室とかじゃないんだけど……ライターさん。面白い人」


 私がぽつぽつと言うと、花梨ちゃんはにこにこと笑う。

 ……面白い話なんて、なにひとつしてないと思うんだけど。


「付き合ってはいないけど、料理は教えてくれるんだ。ふーんふーん……」

「本当に、花梨ちゃんの考えるようなことはなにもないからね」

「はいはい、そういうことにしといてあげる」


 彼女にさんざんにやにやされたのに、私は必死で否定するものの、どこまで信じてくれたのかはわからない。

 まあ、私にキレることなく弄り倒せるくらいには元気になったということで、こちらがほっとしておくことにしよう。


****


 仕事が終わった頃には、すっかりとくたびれてしまっていた。今回は店舗との中継がやたらと多かったのは、数量限定の商品に対する問い合わせだと思う。

 ぐったりとしながら、ふらふらと駅に辿り着いたとき、いつもの真っ黒な格好で駅の近くのフェンスにもたれながら、小さなタブレットを操っているのが見えた。前にスマホを使っていたのと同じく、仕事をしているんだろう。

 私は少しだけ距離を取って、彼の仕事の風景を眺めた。切れ長な目を縁取るまつ毛が意外と長く、石榴色の目が伏せられてタブレットの画面に向けられている。しばらく操っていたそれにスマホを取り出し、なにやら写真を撮ってから、作業は終わった。多分バーコードを撮って文字を吸い出したんだと思う。

 ようやく顔を上げた浜坂さんは、少しだけ目を丸くしたあと、目を細めた。


「なんや、なるちゃん。声かけてくれたら切り上げたのに」

「こんにちは。いえ、人の仕事を切り上げさせるのはちょっと」

「真面目やねえ。フリーランスは自己責任やから、責任取れんようなことはせえへんよ」


 そう言いながら、スマホとタブレットをジャケットにしまい込むと、ゆったりと歩きはじめる。

 最初は違和感しかなかったのに、気付けば当たり前のように一緒に歩いて、一緒に買い物をしてから、一緒に家に帰って料理をしている。

 この関係に名前を付けるとしたら、本当になんなんだろうと私が悩んでいたとしても、浜坂さんはなにも言うことがないから、私もなにも言えなかった。

 ただスーパーにのんびりと歩いて行きながら、籠を持つ私に、浜坂さんは言う。


「昨日味見たけど、あれやねえ」

「え? あ、はい」


 最初にボロクソに私の血を駄目出しされたけれど、昨日も不味いと言われてしまったことを思い、私は浜坂さんを見ると、浜坂さんはガリガリと頭を引っ掻く。


「血流が乱れとるねえ」

「はあ……血流ですか?」


 病院で測るようなことなんて、血の味だけでわかるもんなんだろうか。私がポカンとしてると「難しい話ちゃうよ」と浜坂さんはひらひらと手を振る。


「ここで言う血流っちゅうのは、血圧の話ちゃうよ。漢方の考え方やね。漢方で言うところの血流っちゅうのは、血液に栄養とか酸素、エネルギーが運ばれる力のことを差すんやけど、血流が乱れとると、その力が落ちるっちゅうことや」

「……私、浜坂さんに食事指導してもらって、前よりもだいぶマシになったと思っているんですけど、まだ駄目だったんですか?」

「なるちゃん、自分。もしかして接客業?」

「ええっと……直接は接客してないですけど、電話で取次はずっとしてますね」

「対人仕事っちゅうのは、なさ過ぎても困るんやけど、あり過ぎてもストレスの素やからねえ。多分それでストレス溜まって血が滞っとう。漢方の考えやと、それは気滞言うて、なかなか血が流れんことを言うんや。ちょっとストレス発散するようなものを選んで食べよか」


 そう言って、浜坂さんはいろいろ見始めた。

 今は柑橘類のシーズンだから、あれこれ売っている。浜坂さんはその中から柚子を選び、野菜は今時珍しい葉っぱ付きの大根を丸ごと一本を手に取る。続いて鶏肉ミンチを選ぶ。


「あのう……これは?」

「気滞には柑橘類やけど、これでメインつくるのはなかなか難しいから、香りづけに使おうと思って。肉味噌やったらたくさんつくっておいたらなるちゃんも弁当に持っていけるやろ」

「あ、おいしそうです」

「感覚でええけど、あんまりストレス溜まっとるときは、スパイス摂り過ぎはあかんで? あと生野菜も今はちょっと控えて、少しでええから火を通しぃ」


 体を温めたほうがいいけど、スパイスはやめたほうがいい。

 少し矛盾しているような気がするけど、体にあまり刺激を与えるなという意味だったらなんとなくわかる。

 でも大根を丸ごと一本なんてどうすればいいんだろう。大根を私がまじまじと見ていると、浜坂さんは笑う。


「大根の葉はいろいろ使えるから、小さく切って取っておきぃ。味噌汁の具にもなるし、炒めればこれもふりかけになるし。大根も部位によって漬物、煮物、なんでも使える」

「私ひとりなのに、全部使いきれるかなと心配になりました」

「葉物はひとり暮らしやったら傷むからと気にするけど、最近なるちゃんはひとりで弁当つくったりしてるやろう? 明日の弁当のぶんもまとめて料理してると思ったらええよ」


 そんなもんかな。今日はいつもよりも重いなと思いながら、袋をぶら下げて帰っていった。

 帰ったら、浜坂さんは早速大根の葉と根を切り分けて、大根の葉をざく切りにしてしまった。

 大根も葉の根本と根の部位を切り分けて、桂剥きしていく。


「知っとると思うけど、大根は根の部位のほうが辛くて、根元のほうが甘い。煮物に使うのは根元のほうが美味いし、漬物は根のほうが甘すぎないからええで。大根おろしの場合も、辛いほうが好きなら根を使えばええし、甘いほうがええなら根本を使えばええ。まあ、火を通せばどっちも同じなんやけどなあ」

「大根の甘い辛いは知ってましたけど、使い分けまで考えたことなかったです。煮ちゃえばどっちも同じかなと……」


 私が恐々と感想を言うと、浜坂さんは「相変わらずやなあ」と呆れた顔をしてくる。……今度から、せめて漬物つくるときくらいは使い分けるから問題ないもの。そもそも、普段は部位を切り分けているのしか買わないから、細かいことなんて考えないし。

 そして柚子は皮を削って、果汁は搾る。さすがに全部は使わないみたいで、半分は切ってラップでくるんだから、私がなにかに使えばいいんだろう。

 味噌と柚子の果汁、柚子の皮にみりんを混ぜて、炒めて火の通った挽き肉をそれで味を付けていく。

 隣で大根は分厚い輪切りにして、軽くお湯をくぐらせたら、そこに肉味噌をたっぷりとかける。


「ほんまはこれ、昆布出汁で炊くんやけど、ないもんなあ……」


 そう言って私をじっとりと見る浜坂さんに、私は抗議の声を上げる。


「だって、ひとりだと昆布なんてどうすればいいのかわかんないんですもん!」

「まあ、今はだしパックもええのん多いし、それ買ってりゃ不自由ないもんなあ……で、味噌汁はできた?」

「あ、はい」


 浜坂さんがふろふき大根をつくっている間に、私もお味噌汁をつくっていた。浜坂さんがいちょう切りにしてくれた大根をだしパックと一緒に煮て、沸騰してきたところでだしパックを取り出したら、そこに味噌を溶いて、大根の葉っぱを入れた。

 大根の味噌汁にふろふき大根の肉味噌かけ。柚子の匂いが香ばしい中にさわやかなアクセントになって、おいしそう。

 最後に浜坂さんは大根に柚子の皮と果汁の余り、はちみつで揉みこんで浅漬けをつくってくれたから、最初から最後まで大根たっぷりだ。

 炊飯器のご飯と一緒に、それらを食べると、思わず目を細めてしまう。


「おいしい~、本当においしいです」

「これ、そんなに難しないで? 次からは自分でつくりぃや」

「わかってますよぉ。でも、不思議ですね」

「んっ?」


 そこまで言って、私は押し黙ってしまった。

 さんざん、花梨ちゃんにも言われたし、私も思ってしまったけれど。

 まるで彼氏にご飯をつくってもらっているみたいだ。そう思ったけれど、それを口にしてしまったら、今の関係が壊れてしまいそうな気がして、私は言い出せなかった。


「大根尽くしですけど、味付け変えたらなんとか消費できそうです!」


 代わりに言った言葉に、浜坂さんは「せやねえ」と目を細めて笑っていた。


****


 浜坂さんは今日も私に噛みつくことなく、「ちゃんと戸締りして寝えや」と声をかけて去っていったあと、私はひとりでスマホで浜坂さんの名前で検索をかけていた。

 あの人が写真に写らないというのは本当なんだろう。彼が手掛けたという仕事で、ひとつも彼の写真らしいものは見つからなかった。

 浜坂さんの存在自体が困るせいなのか、今時珍しくSNSのアカウントすら見つからず、流麗な文章ばかりが目に入った。

 あの人のことを知りたいと思っても、彼の仕事成果以外はなにも出てこない。

 そのことが寂しくて、今の気持ちが不毛で、私はただ膝を抱えて文章だけ読んでいた。


 ……吸血鬼を好きになっても、しょうがないのにね。あの人が私に優しくしているのは、献血パックだからだっていうのに。

 言葉にしてしまえば簡単になくなってしまう、そんな関係だ。

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