貧血とレバー
次の日、遅番だからと普段だったらゆっくりめに起きるところを、いつも通り起きて、冷凍させていたきのこを取り出す。
浜坂さん曰く、「自然解凍せんとそのまま調理しぃ。ドロップしたら栄養抜けんで」と教えてくれたから、これをそのまま調理することにした。
フライパンにごま油を敷いて、そこに冷凍きのこをひと掴み入れて、炒める。香りが立ってきたら大体解凍が完了しているらしいから、そこに麺つゆで味付けをすることにした。これをご飯に炊き込むんだからもうちょっと甘いほうがいいかなとみりんも足してみたけど、これでいいのかな。
「あれだよね、炊き込みご飯の素だよね」
炊き込みご飯っていうと、具材を小さく切って、出汁取って、それを生米と一緒に炊飯器に仕掛けるという印象があり、「手間」と思っていちからつくるのは躊躇してしまうけど、浜坂さんから教えてもらった方法だったら、お米を洗って、きのこを炒めることさえ億劫がらなかったら、いちいち出汁取る必要もない。きのこ自体は昨日浜坂さんが私のズボラを看破して細かくしてくれているから、これ以上小さくする必要もないし。
お米を洗っていつも通り炊飯器にお米と水を入れ、炒めたきのこを入れたら、あとはそのまま仕掛ける。
思えば。トーストとご飯っていう楽な朝ご飯ばかりつくっていた人間が、早起き……そうはいってもただ早番と同じ時間に起きただけだけど……して、ご飯をつくりはじめるとは進歩したものだ。
浜坂さんから苦い顔で「自分、それは自画自賛することちゃうで」と突っ込まれそうなことを思いながら、卵焼きと澄まし汁をつくることにした。
卵焼きもめんつゆで味付けし、済まし汁もめんつゆをお湯で割って少しだけ冷凍きのこを入れたものだ。浜坂さんから「ひと掴み分以上食べるな」と注意されてるから、本当に浮き身になる程度だけ使うことにした。
きのこまみれなのもなんだから、もうちょっとカット野菜について勉強したほうがいいかな。私はそう思いながら炊飯器を見たら、もうちょっとで炊き上がりなのにほっと息をついた。
そういえば……。昨日も普通に帰っていった浜坂さんを思い浮かべる。
あの人、浮かない顔してたなあ……。
まるで吸血鬼になりたくてなった訳じゃない、みたいな。スマホで吸血鬼のことを調べても、本当にホラー映画以上のものなんて出てこなかったし、ましてや現代を生きる吸血鬼の生きる知恵なんて出てこない。
あの訳のわからない人のこと、もうちょっと知ったほうがいいんじゃないかと思うのは、私がうっかりあの人に献血パック扱いされているからなのか、単純に餌付けされているからなのかが、自分でもよくわからない。
そう思っている間に、いい匂いが漂ってきた。ご飯をかき混ぜれば、きのこと出汁のいい匂いが鼻を通っていく。
私はそれをお茶碗によそって、今日の朝ご飯にした。残ったやつはおにぎりにして持っていこう。
****
今日はショッピングモールはポイント倍増デーなせいか、ポイントに対する問い合わせやら、モール内店舗に対する問い合わせやらがずいぶんと多い。
電話応対でヘロヘロになったところで、ようやく休憩に入ることができた。
「疲れたぁぁぁぁぁぁ……」
「お疲れー……」
私は持ってきたおにぎりをもぐもぐと食べていたら、花梨ちゃんのご飯に目が入った。
遅番の場合は、本当に間食程度しか持ってこず、早番のときみたいにお弁当がないのがほとんどだけれど。それでも花梨ちゃんはいつもだったら手作りのおやつを持ってきているのに、今日はパンとサプリメントをペットボトルの水で流し込んでいる。
「どうしたの? 寝坊しておやつ作り忘れたの?」
「なるじゃあるまいし、寝坊なんてしませーん……まあ嘘だけどね。生理で起きられずに、当番はじまるギリギリまで寝てたの」
「あらあ……大変だねえ」
生理は軽い人と重い人がいる。
私の場合は浜坂さんいわく「血がドロドロ」している割には、長くもないし重くもない。せいぜい一週間なんとなあく面倒臭いだけだ。
でも花梨ちゃんは健康にも気を使っているけど、生理が重いみたい。腰が痛い痛いと言っているし、この時期はやけに滑舌が悪くなるから、オペレーションのサポートに回ってもらって電話を取らないようにしてもらっている。
「あんまり具合悪いんだったら、休みの日に病院行かないの?」
「前にあんまりひどいから婦人科で診てもらったけどね、本当になんにもなかったの。ただ冷え性でひどくってなってる可能性があるから、それ対策はしろって言われてる。生姜もしょっちゅう食べてるんだけどねえ……」
「そっかあ……あんまりひどい場合は言ってね。できる限り負担かけないようにするから」
「ありがとう……」
普段は気丈な花梨ちゃんが弱っていると、こちらだって参ってしまう。
上司が女の人だったらもっと理解があるだろうに、男性だと生理が重過ぎてこの週はシフトに入れないって理解もしてもらえないもんなあ。なによりもこちらも言いづらい。
その日はどうにか騙し騙し花梨ちゃんに負担をかけないようにして、ポイント倍増デーを乗り越えた次第だ。
電車を降りて、すっかり人気の捌けたホームを見回す。昨日の今日だけど、浜坂さんはいるのかな。そう思っていたら、「なるちゃんー」と声をかけられて振り返った。
もう人がいないから、この整った顔の人と一般人の私が見比べられることもないから気が楽だ。私はぺこりと頭を下げる。
「こんばんは、遅くなりました」
「かまへんかまへん。仕事はどこも大変なもんや」
そう言ってからからと笑う。この人はライターをやってると言っていたけど、私が仕事している間に書いているんだろうか。前にスマホを触っていたのを思い浮かべるけれど、いまいちこの人が仕事をしているというのに実感が伴わなかった。吸血鬼が町中にいるというだけでも、充分おかしな話なんだけれど。
私はきのこの炊き込みご飯がおいしかったこと、久しぶりにご飯の朝ご飯だったことを伝えながら、ふと思いつきで口にしてみる。
「あのう、変なこと聞いていいですか?」
「んー? 俺に話せることやったらなんでも」
「えっと……吸血鬼って、貧血の人からは血を吸えないんですか?」
「ん、ちょっと待ちぃ? まさかなるちゃん、俺が血ぃ吸ってから体調悪いとか、そんなん?」
普段は飄々としている人なのに、私が「貧血」と言った途端に慌てふためくのに、私は拍子抜けしてしまった。
問答無用で私の血を吸ったくせして、変なところで律儀な人だ。
慌てている浜坂さんに、私はぶんぶんと首を横に振る。
「私じゃありませんよ。ただ、知り合いで貧血がひどい子がいて。体調、すぐ崩すんです。浜坂さんって血液サラサラにする料理には詳しいですけど、貧血のことはどうなのかなと」
「あー、よかった……なるちゃんは無事なんやね。よかったよかった……」
そこまでほっとされてしまうと、これは喜ぶところなのか、失礼だと怒るところなのか、判断に困る。
でも、私の質問に浜坂さんは考える素振りを見せる。
「せやねえ……貧血は具合悪なるからようないわ。冷えは万病の素やし」
「あ、それは知り合いも言ってました。冷えが原因で貧血で、貧血が原因で冷えの悪循環だって」
「んあー……そりゃ厳しいわ。その子ちゃんと生活してるん?」
「むしろ私よりきっちりしてる子なんですけどねえ……私はズボラで血がドロドロだけど、別に貧血にはならないですし」
「んー……せやったら問題は食よりは別なとこにあると思うけど……まあ考えよっか。そういやなるちゃん。次の休みっていつ?」
「はい?」
なにを言っているのこの人は。
私は思わず浜坂さんを凝視した。今までは夜遅くに家まで送ってくれるから来ていただけで、何故休みの日にまでこの人を呼ばなきゃいけないのか。
……どんなに夜遅くになっても泊まらない、変に律儀な人だけど、休みの日にまでわざわざ呼んだら、まるで付き合っているみたいで嫌だ。
「なるちゃん?」
私がうろたえているのをよそに、浜坂さんはどこまでいってもマイペースだ。……私だけか、動揺してたのは。
どうにかいつもの調子でしゃべろうと、私は自分のシフト表を頭に思い浮かべる。
「明日は休みですよ」
「そっかそっか。なら明日、一緒に料理しょうか」
「はあ……?」
なにを言っているのこの人は、二度目。
私がもごもごしている中でも、浜坂さんはマイペースに笑っていた。
「俺も味付けは自分量やし、味見してくれたほうがええ。貧血に効くレシピをなるちゃんが教えたったらええやろう?」
「あ、はい……そういうことなら」
いつも具合が悪そうな花梨ちゃんを思うと、たしかに放っておけないよなあと思う。
でも……浜坂さんの言う、料理のこと以外が原因じゃないかって指摘もあるんだけど。
うーん、私だと花梨ちゃんと近過ぎて客観的に考えられないや。これも料理するときに、浜坂さんにこっそり質問しておいたほうがいいか。
夜遅くでぐったりしている私に、浜坂さんはコンビニのカットキャベツにホタテの水煮、夏から放っておいた素麺で温麺をつくってくれた。カット野菜ってこうやって使えばいいのかと、今更ながらわかったような気がする。
****
休みの日に、浜坂さんを家に呼ぶのもなあと思ったけど、よくよく考えれば今更だったと考え直して、いつもの駅前で待ち合わせをした。
思えば朝に浜坂さんに会うのは初めてで、吸血鬼なのに大丈夫なんだろうかとちらっと見たけれど、ただいつもと違って色付き眼鏡を付けているだけで元気そうだった。
「一応確認やけど、なるちゃんの知り合い。好き嫌いある?」
「好き嫌い、ですか……」
花梨ちゃんの好き嫌いを考えるけど、あの子は本当に季節のものを取り入れてご飯をつくってるし……でも、よくよく考えると自炊してたらわざわざ自分の嫌いなものなんてつくらないかと思い直す。
だとしたら、飲み会で食べてないものだけど。
うちの上司に誘われて焼き肉を皆で食べるときも、あの子は野菜と一緒じゃなかったら絶対に食べなかったし、タレの味付けを嫌がって塩で食べてたなあ……。
「脂肪を摂り過ぎるのを嫌がってたくらいで、タン塩、レバー、ハート……なんでも食べてましたよ?」
「うん、だとしたら普通にレバーはいける口なんやね?」
「そりゃまあ……私は苦手ですけどねえ」
「あや、なるちゃんがあかんのん」
そういえば、レバーは貧血にいいから食べたほうがいいとは、どこでも言われる。私はレバーのぐちゅぐちゅした食感や苦さが苦手だし、なによりもレバーの処理が苦手で自分家で食べようと思ったことがない。
……貧血だからって、レバー食べようとか言うのかな。この人は。
私がふるりと震えているのに、浜坂さんは笑う。
「やっぱり苦手なもんはあるもんなあ。野菜は苦手なもんある?」
「野菜は特にないですけど」
「じゃあそこまで気にならんようにしよか」
レバーのあの苦みを抑える方法ってあるのかな。私は怪訝なものを見る目で、浜坂さんと一緒にスーパーに入っていった。
スーパーの手前の野菜コーナーで浜坂さんが手にしたのは、ニラ。
「なるちゃん、昨日のカットキャベツまだ残っとる?」
「あ、はい。ひとり分って言いますけど、なかなか生だけで食べませんし」
「ならキャベツは今日は買わんとこうか」
半分のキャベツに伸ばした手を引っ込めて、代わりに取ったのは生姜、長ネギ。トマトも買ったけど、これどうするんだろう。
そのまま肉コーナーに行って手にしたのは、鶏レバーに鶏ミンチだった。あと餃子の皮を手に取る。
これって……。
「餃子……ですか? レバーも具なんですか?」
「せやせや。餃子は血液ドロドロなるからあんま食うなって声もあるけど、野菜は油と一緒に摂らんかったら回らん栄養もあるし、肉は野菜と一緒に食べると、そこまで血を濁らせん。野菜を多めに入れたら、案外食べられるもんやで。ビールのあてにして必要以上に食うから、あかんってだけで」
「なるほど……」
たしかに餃子をつくるときは、実家でもうんと野菜を入れていた。おまけに鶏ミンチだから、案外ヘルシーなのかもしれない。ただ……気になるのは存在感のあるレバー。
これ、本当に味が隠れるのかなと、ついつい心配になってしまうんだ。
帰ったら、浜坂さんは早速レバーの処理をはじめた。水で洗ってから、牛乳に漬けておく。匂い消しらしい。
その間に、野菜を洗って刻みはじめた。ニラもキャベツもみじん切りにしたら、ボウルにどっさりと入れる。私はそれをまじまじと見た。
「これ、浜坂さんも食べるんだったらともかく、私ひとりじゃ消費しきれませんよ?」
「ん、残った餃子のタネはチャーハンの具にしたらええよ?」
「それにしても多過ぎですよ」
「多くっても、火ぃ通したらかさが減るしなあ」
長ネギも緑の部分までみじん切りにし、生姜は皮ごとおろし器ですり下ろしたあと、一部はボウルに投入したあと、小さめのフリーズパックに入れてしまった。
「全部まとめてすり下ろしたのに、使うのこれだけですか?」
「生姜はまとめてすり下ろして、残りは凍らせておけばええんや。ほんまは使うたびにすったほうがええんやけど」
「ズボラですみませんでしたっ!!」
家に上がり込んで四日目で、さすがに私のズボラ具合がわかったみたいだ。恥ずかしい……。
そうこう言っている間に、牛乳に漬け込んだレバーを取り出し、牛乳を捨ててレバーの水分もキッチンペーパーで拭き取ると、それをがんがん包丁で切りはじめる。
「ほれじゃ、ボウルに鶏ミンチも入れてー」
「あ、はい。調味料はなに入れたらいいんでしょ?」
「酒に醤油、ゴマ油かな」
調味料は本当に普通の餃子と変わらないなあ……。私は恐々と浜坂さんが包丁で叩きまくっているぐちゅぐちゅのレバーを見ながら思う。
レバニラ炒めが鉄分摂るのにいいとは言うけど、家でつくるとなったら躊躇する。ましてやぐちゅぐちゅのレバーは、なにも知らないで見たら軽くホラーだ。これ本当においしいのかな。
そう思いながら、言われたとおりに鶏ミンチを入れたら、調味料も加える。浜坂さんはそこでようやくレバーを入れて、あんをかき混ぜはじめた。鶏ミンチが入ったせいか、思っているよりも普通の餃子のあんみたいになってきたところで、ふたりがかりで餃子の皮で包みはじめた。
「普通の、餃子ですよね……思ってるより」
「なんや、俺がもっとキワモノ食べさす思ったん?」
「もっとレバーを押すのかと思ったんですけど」
「そりゃレバー好きな子はええけど、苦手な子に無理さすんはなあ……」
浜坂さんが本当に早く餃子を包んでしまうから、私がもたついている間に、あっという間に餃子は焼くだけになってしまった。
本当にちょっとだけ残ったあんは、私の晩ご飯のチャーハンの具になったけど。まだ不安なんだけどな、これおいしいのかどうか。
焼くのは本当に普通で、フライパンにお湯を入れて蒸し焼きにしたあと、皮が透けたところでお湯を捨てて皮がパリッとするまで焼くという、シンプルなもの。
焼き上がるまでに、浜坂さんは麺つゆをお湯で割って、それに溶き卵と賽の目切りにしたトマトを加えてスープにしてしまった。
レバー餃子に、トマトと卵のスープが、今日のお昼ご飯となったわけだ。
うちにはラー油もないし、餃子はポン酢醤油で食べることにした。匂いを嗅いでみるけど、やっぱり普通の餃子の匂いだ。別に生臭くもえぐさもない。
恐る恐るポン酢を付けてから、ひとつ食べてみる。
「……おいしいです」
レバーのえぐみと鶏ミンチの淡泊さを足したら、返って鶏ミンチにコクをプラスしている味になっている。おまけに、思っているよりも野菜が多い。
おまけにスープもあっさりしているから、一緒に食べると口の中がさっぱりする。
今日は珍しく浜坂さんも一緒に食べてくれたのは、さすがに餃子が残っているせいだと思う。
「これでビールあったらええけど、食育中の子とビール飲むのはなあ」
「ええ、買ってきますか? 最近あんまり飲んでないので寄ったらどうなるかわかりませんけど」
「自分、ほんまに自分大事にせなあかんよ?」
浜坂さんは渋い顔で餃子を食べるのに、私はなんとも言えなくなってしまった。
とにかく、このレシピは花梨ちゃんにも教えておいてあげよう。私はレバー餃子のレシピと味の具合をアプリで送る。
それにしても。前に浜坂さんが言っていた花梨ちゃんの事情ってなんだろう。
「あの、前に浜坂さん。私の知り合いが別の事情があるんじゃないかって言ってましたけど」
「言ったなあ……これは血がドロドロの場合も貧血も共通やけど。血ぃ滞らせるのはストレスやで。なるちゃんもお疲れ気味のときは顔色化粧やったら隠せんこと気付いとる?」
「えっ!?」
私は思わずばっと顔に触れるけど、浜坂さんはハハハと笑う。
「今日は休みやし、顔色ええから大丈夫やろ。なるちゃんの知り合いもストレスの元あるんやったら、それを潰すのが先やろうね。それとなく話聞いたりぃ。それだけでストレス軽なる場合もあるし」
「そう……ですかねえ」
「心配して解決方法探したる子がなに言うとるん」
その言動になんとなくくすぐったくなりながら、私はふと思う。
「あの……私の血って、今でも不味いんですかねえ?」
「三日三晩で血ぃ全部変わったら楽なもんやろ」
「そうですね……ははは」
この人になにか返したいなと思っても、血以外にないことに気付いてしまったけれど、それをやんわりと断られてしまったら、こっちもどうすればいいのかわからない。