散歩とタンポポコーヒー
五月も後半戦に差し掛かり、雨の日も少しずつ増えてきた。それでも日が出ているときは比較的さわやかな日も多くて、このところ習慣になっている真夜さんとの散歩にもちょうどいい頃合いだった。
「この時期はやっぱり花が見頃だねえ……」
まだ早朝で人気のない道で、近所迷惑にならないよう囁く。
民家の庭からぽっこりと淡い紫色のライラックが顔を覗かせていた。
「せやねえ。春本番やったら花粉が多くって大変やけど、今やったらちょうどいい頃合いやね。それにしても。なるちゃん結構植物に詳しいほう?」
「うーん、そこまで詳しいとは思ってないけど、綺麗な花は植物図鑑で見ながら名前を覚えたなあ。って、真夜さん。私のこと食い意地張ってて食べること以外興味ないって思ってるでしょ?」
「ははは……そこまで単純とは思てへんよ」
「ぶう……ならいいんですけどぉー。あ、タンポポだ」
ちょうど売りに出されているらしく、敷居を張り巡らされている先には、タンポポが群生して咲き誇っているのが見えた。
黄色い淡い色が朝日に照らされて、普段は可愛いと思うタンポポも少しだけ神々しく思える。
その中で、白い綿毛がひらひらとはためいているのが見えた。
「さすがに綿毛を摘みに行っちゃまずいよね」
「それはやめときぃ。人ん家の土地や」
「そりゃそうなんだけど。あ、タンポポと言ったら」
ときどき耳にするものの、未だに試したことがないものがある。
「タンポポってコーヒーになるって聞いたんだけど」
「そりゃまあ……昔はコーヒー豆も貴重品やったから、タンポポの根ぇ引っこ抜いて、それ焙煎しとったっちゅう話やけど」
「うーん、ノンカフェインなら飲んでみたいなあとも思ったりするけど、この辺りだと売ってるところあるのかなあ」
「やっぱりなるちゃん、色気より食い気やねえ……」
くっくっくと喉で笑われてしまい、私は憮然とする。
「いや、コーヒーの代わりになるならいっかなあくらいで、そんなに好き好んで飲んでみたいって訳でもないんだけどさあ」
「せやねえ。ただ、まあ。タンポポコーヒーっちゅう名前でタンポポの根っこでコーヒーつくれるみたいに謳っとるけど、コーヒーみたいな香ばしさとか期待したらあかんで。どっちかっちゅうと漢方薬とかハーブティーみたいなもんやと思ときぃ」
「ふうん……飲んでみないとわかんないから、なんとも」
空き地を通り過ぎるときに、もう一度タンポポを見た。もうそろそろ季節も変わるから、そろそろタンポポも店じまいだろう。
また来年と思いながら、私は真夜さんと一緒にその道を通り過ぎて行った。
****
買い出し当番の真夜さんが出かけている間、私は家の掃除をしていた。掃除機をかけ、かけ終わった場所をさらにモップ掛けしているところで、「ただいまー」と真夜さんが帰ってきた。
「お帰りなさーい」
「この間言うとったやろ? タンポポコーヒー買うてきたんやけど」
「あれ。どこで売ってるのかわかんないから、この辺りだったら売ってないのかなあとばかり思ってたんだけど」
「結構自然食品店で売ってんねんなあ。どうする? 飲む?」
「うーんと」
掃除道具を片付け、真夜さんの買ってきたものをしまい込みながら言う。
「飲んでみたいけど、前に真夜さん言ってたじゃない。あれってコーヒーより漢方薬とかハーブティーみたいなもんだって。あれっておいしく飲めるもんなの?」
「せやねえ。ちょっと考えなあかんかも」
そう言いながら、本当に買ってきたタンポポコーヒーを見せてくれた。
見てくれだけだったら、よくわからない。
お湯を沸かして、その間にうちで使っているコーヒーのドリッパーを用意する。フィルターペーパーを敷いたところで、タンポポコーヒーの粉を入れ、沸いたお湯を注ぐ。ここまでだと、普通のコーヒーの淹れ方とおんなじだ。
漂ってきた香りは、たしかにコーヒーっぽいけど、なんかコーヒーよりも薄いような。というより。
「……麦茶の匂いがする」
私の言葉に、真夜さんは「ぷはっ」と噴き出した。
「せやねえ。タンポポコーヒー、これ飲んで麦茶みたいやって言う人もおんねんなあ」
「やっぱりそうなんだ。もうー、先に言ってよー。漢方薬とか脅かされて、いったいどんなもんが出てくるんだって、提案して早々後悔したんだからー!」
真夜さんの背中をバシバシ叩くと、真夜さんは「すまんすまん」と言って、出てきたタンポポコーヒーをカップに注いでくれる。
見てくれだけだったら本当にコーヒーと区別が付かないし、匂いだけだったら普通に濃く出し過ぎた麦茶だ。真夜さんはミルクポットに牛乳を注ぎ、黒砂糖の塊も少しだけ用意してくれる。
「黒砂糖なんだ?」
「んー、苦手な人もおるしなあ。俺は別に牛乳と飲んだらええと思ってるけど、なるちゃんはどうやろうなあと思て」
「ふうん。やっぱり苦手な人もいるんだね。それじゃ、いただきまーす」
まずは牛乳なしで飲んでみる。飲んでみると、たしかにこれ、完全にコーヒーって味ではない。でも最初に漢方薬とかハーブティーとか脅かされていたせいか、そこまで癖が強いとも思わなかった。
「なんというか。小さい頃食べた草の匂いがする」
「自分、なに食べとんねん」
「いや、幼稚園で配られてたんだよ。食べられる植物の本。それで書いてあるものを摘んで食べたことがあるけど、それみたいな匂いがする。あくまで匂いだし、別に味はそこまでまずいとは思わなかったんだけど」
やっぱり使っているのがタンポポの根っこのせいか、どことなく野性味のある匂いがほんのわずかに混ざるけど、私はそこまでまずいと思わなかった。でもたしかにこの匂いで嫌気が差す人はいるだろうなあ。
ストレートで一杯飲み終えた私は、もう一杯分、今度は真夜さんに教えられた方法で飲んでみる。黒砂糖を溶かし込んでから、ミルクポットの牛乳を注いでみる。これならば見てくれは完全にカフェオレで、さっきまでしていた野性的な匂いも牛乳のおかげで完全に隠れた。
恐る恐るそれを口にしてみる。
「あれ、こっちのほうがおいしい……」
カモミールティーもミルクティーにして飲んだりするけど、それよりも程よい濃い味がする。こちらもカフェオレっていうほどコーヒーっぽくはないけれど、強いタンポポの主張が完全に隠れてしまっているから、飲みやすい。
「せやねえ。ノンカフェインコーヒーとして、麦茶をむっちゃ濃く淹れて、それを牛乳で割って飲む方法もあるけど、あれ時間かかるし。もしタンポポコーヒーになるちゃんが慣れてくれたら、俺も助かるんやけど」
そりゃなあ、と思う。
ただでさえ夏場の台所は、水を飲みながら料理しないと熱中症になるんじゃないかというくらい、暑いんだ。麦茶を濃く炊くとなったら、私の健康を心配している真夜さんのほうが倒れちゃう。
「普段通りの麦茶でいいから。もしコーヒー飲みたくなったら、タンポポコーヒーで我慢するから」
「あー、おおきに。なるちゃん」
自分の分のタンポポコーヒーを飲み終えた真夜さんは、私の腰に手を回してくるのに、私はそのままでいた。真夜さんはそのまま私のうなじにグリグリと額を押し当ててくる。
「真夜さん、今日は風通ってるからって、暑い」
「あー……すまん」
「どうしよ、血飲む?」
今、血を飲ませても大丈夫なのかな。そうぼんやりと思う。
「やめとく。なるちゃんになんかあったら俺が嫌や」
そうきっぱりと言い切る真夜さんに、私は「ふはっ」と笑う。真夜さんは少しだけむっとしたように唇を尖らせた。
「笑いごとちゃうやろ」
「わかってるってば。ただ、真夜さんってば、本当に過保護だったんだなあと思い知っただけ」
「当たり前やろ。自分だけちゃうし」
そう拗ねたように言い切る真夜さんに、私はますます笑ってしまった。