トマトと酒盗のパスタ
【ええ、パスタ売ってないの?】
【うん。うちの近所のスーパーは全滅してる】
花梨ちゃんに前に夏みかんもらったお礼をしようとアプリでしゃべっていたら、その話題になった。
彼女はポンとメッセージを返してくれる。
【輸入食品屋さんは? あそこ、結構普通にあるけど】
【えー……そういえば、そこは見たことないような】
【輸入食品屋はそりゃ輸入が仕事なんだから、普通にパスタもあるはずだけど。見てきたら?】
【うん……ありがと、地元でもないか探してみる】
教えてもらった通り、輸入食品屋さんに出かけたら、久々にたくさんパスタが並んでいるのを見かけた。ついでにザルいっぱいにトマトがあるのを見かけ、これも買って帰ることにした。トマトはほぼ毎日食べているから、なんらかの方法ですぐ消えるだろう。
「ただいまー。今日ようやくパスタたくさん売ってるのを買えたー」
「んー、お帰り。はあ、ようやく買えたんや」
「うん、教えてもらった店だったら、山盛り売ってた。これでようやくパスタが食べられる! ついでにトマトもたくさん売ってたし、これでパスタつくれるよね」
「ふうん……」
真夜さんは私の買ってきたパスタとトマトをまじまじと見る。特にトマトをまじまじ見て「これ、結構熟れ過ぎて実ぃ割れそうやし、早めに食べなあかんねえ」と言った。
たくさんトマト売っていると思ってはしゃいだから、あんまり考えていなかった。よくよく見れば熟れたトマトは、熟し過ぎてはちきれそうになっている。
「うーん、ならトマトソースつくって、余った分は冷凍させとけばいっか。にんにくオイルはうちにあったから、それで炒めたらいいかな」
「せやなあ……あ、そういえば」
真夜さんは物置までスタスタと出向くと、小瓶を持って帰ってきた。【まぐろの酒盗】と書かれているのに、私は「ひゃっ!」と言う。
「こんなのどうしたの……?」
「こんなのって。仕事先からもろてん。今、酒飲めんし、酒のあてには使えんけど、そのまんま食べても辛いから食べられんと思って、どうしようと置いとってん」
「私、酒盗とかって食べたことないんだけど、そもそもこれってなんなの……?」
中にはピンク色のぐちゅぐちゅしているのが見えるため、なんだこれというのがある。そもそもチーズや味噌、醤油以外の発酵食品とは無縁で生活してきたから、余計に得体の知れないなにかに見える。
真夜さんは「んー……」と言う。
「元々は魚の内臓の塩漬けやねえ。塩辛をもーっと発酵させたもん、って言えばええやろうか」
「塩辛……私、塩辛って生臭くって苦手なんだけど」
好きな人は好きなんだろうけど、私はどうにも苦手で、好き好んで食べようと思ったことはない。それに真夜さんは「せやねえ」と頷いた。
「酒盗は、食べとったら辛くてなんぼでも酒が進むって意味で、酒盗やから。呑兵衛はこれくらいの生臭さも酒のあてとして好きなんやけど、酒飲まんかったら、ただ生臭いだけやしなあ」
「……でもこれわざわざ引っ張り出したってことは、料理に使うんでしょ……?」
台所が生臭くなるのは、すごく嫌なんですけど。私が警戒して小瓶をちらちら見てたら、真夜さんは「あはは」と笑う。
「でもこれ、別名で和製アンチョビとも言われてて、旨味の塊やから、量をほんまに加減したら、ええ具合になんねんな。買ってきたばっかりのトマトもええソースなるから、これでパスタソースつくろか。なるちゃん。パスタ茹でてー」
「あ、はい」
私は警戒して小瓶を見ながらも、鍋に水を張ってお湯を沸かしはじめた。
真夜さんはさっさとトマトを串切りにして、フライパンにオリーブオイルを入れて、ガーリックパウダーを炒めはじめた。そこに、先程の酒盗の小瓶から、スプーン一杯ほどすくって、フライパンで炒めはじめる。
最初に嗅いだにおいは案の定、生臭くって鼻が曲がりそうだったけど、すぐにガーリックパウダーと混ざり合って、いい匂いへと変わっていった。
あ、あれ……? なんかこの匂い嗅いだことある……?
私が目をパチパチさせて見てたら、真夜さんが言う。
「ほら言うたやろ、和製アンチョビやって。イタリアンでよう嗅いどる匂いちゃう? イタリアンはよくベースにガーリックオイルとアンチョビ使てるから」
「私、アンチョビってよくわからないけど……」
「あれはカタクチイワシの塩漬けやね。イタリアではそれをベースにソースつくるから。日本人好みにつくるときは塩辛や酒盗使たりするなあ」
そう言いながら、串切りトマトをそのまんま放り込んだ。缶詰のトマトじゃなくって、熟れたトマトだったら充分おいしいソースになる。油と酒盗をトマトに絡めるようにして炒め、少しずつ木べらで潰していったら、おいしそうなソースになってしまった。
そうこうしている間に、お湯が沸いたから、私も急いでパスタを茹でる。
茹で上がったところで、真夜さんはソースの中にパスタを絡めて、お皿に盛りつけてくれた。
見てくれだったら、本当に完全に普通のトマトソースだけれど。私はまじまじ見ながら、それをフォークに絡めて食べた。
……おいしい。あの生臭かったにおいはどこへやらで、トマトに完全に隠れてわからない。
「驚いた。おいしい」
「ん、せやねえ。好みで粉チーズや黒コショウ振ってもええけど、今日はこのまんまでええかなあ。トマト、熟れ過ぎた奴はトマトソースつくって冷凍させとこか。これでしばらくトマトソースつくらんでもええやろ」
「うん。でも酒盗ってトマトと相性いいのはわかったけど、他はどうにかならないの? その……開けちゃった以上は食べ切らないと駄目だし」
臭いし、塩辛いんだったら、そのまんま食べたら絶対に体に悪いと思うし。
真夜さんは「せやねえ」と頷く。
「あれも発酵食品やから、発酵食品と相性ええで。それこそチーズとか。あと芋」
「芋って、じゃがいもとか?」
「なんでやろうねえ。タラモサラダに隠れる程度に入れたら美味いねん。今度タラモサラダでピザつくるときにでも、隠し味に入れて焼こうか」
そりゃじゃがいもとたらこをマヨネーズで混ぜたら、なんか知らないけどおいしいけど、そこに隠れる程度に酒盗を入れるというのは、あんまり想像ができなかった。
真夜さんはにこやかに笑う。
「まっ、塩分はむっちゃ多いから、ほんまにほどほどに出汁や隠し味程度に使うのがええんちゃうかなあ」
「うん。でもタラモサラダのピザはちょっと楽しみにしてる」
「責任重大やねえ」
特に苦もなく真夜さんに笑いながら、私はまたパスタをくるんと巻いて食べた。