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季節外れのスノーボール

 真夜さんほど料理の知識も健康トリビアも持っていない私は、少しは勉強したほうがいいかなと、本屋で料理の本を買うことが増えた。

 物色した中で、『誰でも簡単・ホットケーキミックスアレンジレシピ』というのを見て、「ほう」と思いながら買い、帰りにホットケーキミックスを買いにスーパーを覗き込んで絶句する。


「……ホットケーキミックスないじゃない」


 すっかりとなくなってしまい、それに引っ張られてか薄力粉も強力粉も捌けてしまった棚を見て、愕然とする。

 皆、考えることは同じらしい。

 仕方なく、切れてきた牛乳と野菜だけを買い足して家に戻ると、台所で真夜さんが鼻歌を歌いながらフライパンを振っているのが見えた。


「ただいまー……なにしてるの?」

「ああ、なるちゃんお帰りー。そろそろ使てもうたほうがええかなあと思って、整理しとった」

「整理って……」


 見たらタッパウェアに入っている粉。


「小麦粉?」

「んー、小麦粉は前に買ったばかりだから、もうしばらくは大丈夫やと思うけど、そろそろ米粉使てもうたほうがええかなと」

「米粉……」


 揚げ物をするとき、真夜さんは繋ぎや衣には小麦粉ではなく、米粉をよく使う。こちらのほうがべっとりとせず、冷めてもさくさくするかららしい。

 残念ながら私は、冷めるまで揚げ物を残したことがないから、その辺りの違いがわからない。


「そうだったんだあ……なんかお菓子つくりたいなあと思って、ホットケーキミックス買ってこようかなあと思ったら、売り切れてたの。皆同じこと考えてるんだなあとへこんでたの」

「ふうん……でもホットケーキミックスなくっても、米粉か上新粉にベーキングパウダーや卵混ぜたら、大概はできるもんやけどなあ」

「そうなの……?」

「たしかにホットケーキミックス使たら楽っちゅうのはあるんやろうけどなあ。ベーキングパウダーも砂糖も中に入っとる上に、小麦粉を漉してダマを取る作業をせえへんで済むっちゅうのは大きい。でもなあ、それ小麦粉やなくて米粉や上新粉に変えてもおんなじやで? こっちも混ぜりゃよくって、わざわざ漉す作業せえへんでええもん」


 上新粉っていうと、白玉つくるくらいしか思いつかなかったけれど、小麦粉から置き換えるとそんな利点もあったのかと思う。

 米粉は一瞬だけ流行った気がしていたけど、そのあとどうなったのかは知らなかったけど、今でも使っている人は使っているらしい。

 真夜さんはようやくフライパンを下ろして、ガスの火を止めた。フライパンの中にはくるみが入っている。どうも乾煎りしていたらしい。


「まあ、俺はクッキーとかつくるんやったら、米粉や上新粉でつくったほうが簡単にサクサクするからええと思うけどなあ」

「前から思ってたけど、真夜さん健康を気にする割には、意外と甘いもの食べるね?」

「原稿の合間はなあ。定期的に糖分摂らんかったら頭働かへんねん」


 納期明けは比較的甘いもの食べているものの、早朝にはジョギングをしているし、私よりもよっぽどバランスは取っているらしい。

 でも米粉に、くるみ。たしかにクッキーをつくるのにくるみクッキーは見るけど。

 私がきょとんとして見ていたら、乾煎りしたくるみを冷ましながら、ビニール袋に入れて蓋をした。


「あ、なるちゃん。暇やったら手伝って。そのくるみ、瓶で殴って」

「えっ」

「包丁使て親の仇のようにして潰してもええけど」

「瓶! 瓶で潰します!」


 くるみを延々と包丁で粉々にしてたんじゃ、腱鞘炎になる。絶対なる。私は慌てて買い物で買ってきた食材を片付けると、くるみを空瓶を使って潰しはじめた。

 私にくるみを任せた真夜さんはというと、砂糖を計量してボウルに入れはじめた。そしてそこに油を計量して加える。えー。


「バターじゃないんだ?」

「バターは扱い難しいねん。楽したいんやったら、フードプロセッサー使て混ぜりゃ、室温に戻す必要もあらへんけど、台所がむっちゃごちゃつくやろ? すぐつくるんやったら、バター使わんと油使たほうが後片付けも楽やし。あと、有塩無塩を考えんでええから、扱いが楽やねんな」

「……クッキーって、そこまで難しいお菓子だったんだねえ、やっぱり」


 高校時代にバレンタインデーに友チョコづくりをしようと張り切り、鉄の塊のような硬さのクッキーをつくって以来、私はクッキーをつくってはいけない人間だと思って手を出したことはなかった。

 簡単に見えるけど、やっぱりそこまで難しいんだとしょんぼりしていたら、真夜さんは「せやなあ」と頷いた。


「料理本やったら、簡単っていうレシピでもバターを室温に戻すとか、練るとか、気後れするようなことばっか書いとるしなあ。だからと言ってレンジでチンすると戻すどころかドロドロなるから短縮もできんし。ただ、基本的なレシピを踏んだらだいたい誰でも上手いもんはつくれるんやけどな。それ考えたら、油のほうが扱いやすいっちゅうのはあるかな」

「そうなんだ? あ、くるみ潰し終えたけど、これで大丈夫?」


 瓶で何度も何度も潰して、粉々にしたのを見せると、真夜さんはにこやかに笑った。


「ありがと。あとはこの中に入れて」

「うん」


 潰したくるみを砂糖と油に混ぜると、そこに計量した米粉を入れた。それをゴムベラで混ぜる。たしかに粉を振るう手間が省けると、すぐクッキー生地ができるなと感心していたら、「なるちゃん、オーブンあっためてー」と言う。

 何度かと聞いたら、「160度」と言う。結構低温で焼くんだなと思いながら、オーブンの予熱をセットさせると、その間に生地ができた。もっとバタバタするのかと思っていたけど、本当に早い。


「米粉と油のクッキーは、寝かせる手間がないのは楽やねんな。じゃ、これ丸めよっか」

「はあい。天板にクッキングペーパー敷けばいいの?」

「せやせや」


 頷いている真夜さんに納得しながら、私は天板にクッキングペーパーを敷いた。

 その上にクッキー生地を手に取って丸めたとき、なんだか見たことのあるものに気が付いた。


「これってもしかして……スノーボール?」

「せやせや。米粉クッキーはつくるのは楽やねんけど、くるみなりアーモンドプードルなりを足さんかったら、ガチガチに硬いクッキーになりがちやねん。その点、スノーボールやったら、食感が崩れやすいから、小麦粉でつくるよりも米粉でつくったほうが美味いし」

「なるほど……」


 最後の生地を丸めたところで、予熱が完了した。

 そのままオーブンでクッキーを焼いている間に、台所を片付けはじめた。

 漂ってくるくるみの匂いが香ばしい。

 焼けたものを見て、私は「うわあん」と手を伸ばそうとするのに「待ちぃ」と真夜さんが止める。


「焼きたてやったら、手で簡単に砕けんで。冷めるのを待ちぃ」

「えー……でも匂いが本当に……あっ、まだ粉砂糖って残ってたっけ!?」

「……自分、まさかこれにかけるん?」

「だって、スノーボールですし!」


 健康志向の人だったら、止めると思ったけど。真夜さんは呆れた顔をしただけでなにも言わなかったから、茶こしと粉砂糖の入ったタッパウェアを持ってきて、それを振りかけはじめた。

 ちょうど雪玉のような見た目になって満足したところで、まだ少し温かいスノーボールをひと口、口に放り込んだ。

 スノーボールは名前の通り、口に入れたら簡単に溶けるようにして消えてしまう。ちゃんと粉もくるみも使ってつくったのに、不思議不思議。


「おいしい~」

「そりゃどうも。でもなるちゃん、がっつき過ぎや。ちびちび食べようや。その勢いやったら一瞬でなくなってまうで?」

「そうなんだけど! ああ、米粉ってまだもうちょっとだけ残ってたよね。今度はココアを生地に混ぜてつくってもおいしいかも!」


 計量さえ失敗しなかったら、クッキーをつくるのに気後れしていた私でも簡単につくれるだろう。

 真夜さんは苦笑いしながら、ひと言言う。


「また明日にしぃや。簡単やけど、食べ過ぎたら腹に溜まんで」


 初夏に雪玉というのは、季節外れだけど。

 暑さも忘れてクッキーづくりに励むのも、乙なものだ。

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