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吸血鬼さんの献血パック

 朝、寒い中窓を開けると沈丁花の匂いがすることに気付いた。日も前よりも少しずつ長くなってきたし、花見にはまだまだ早いだろうけど、春が少しずつ近付いてきているのがわかる。

 空気を入れ替えてから、私はベッドに眠っている黒い頭を見る。

 真夜さんが死んだかのように眠っている。眠っているときは肌の白さと髪の黒さのコントラストもあり、本当に死んでいるんじゃないかと心配になり、ときどき生きているかと口元や鼻先に手をかざしてみるけれど、きちんと呼吸しているのでそのたびほっとしている。

 昨日も忙しかったみたいで、夜中まで部屋にこもってモニターに噛り付いてキーボードを叩いていた。お疲れ様と思いながら、私は寝室を出て、洗濯物を洗濯機に入れる。

 なんだかんだ言って、一緒に暮らそうという話をして、いい物件を見つけるまでに半年ほどかかってしまった。

 ふたりで見に行った物件の条件は、ガス代の金輪が三つ以上あるところ。それと部屋が多くって、収納がたっぷりとあるところ。真夜さんの仕事の関係で、寝室は分けたほうがいいんじゃという私の提案は、真夜さんの「嫌や」のひと言であっさりと却下された。

 こうしてふたりで生活をはじめて、私が忙しいときは真夜さんが、真夜さんが忙しいときは私が家事をやって、うまいこと回っている。

 一緒に暮らしてみてわかったのは、真夜さんは健康オタクではあるし、ときどき唐突に健康うんちくを並べることはあるけれど、出したものは普通に全部綺麗に食べてくれるということ。「偏らずになんでも食べたほうが体にええに決まっとるやろ」と、今までのうんちくはなんだったんだということを平気でぶん投げてくるけれど、それがかえってしょうもない喧嘩をせずに済んでいるんだからほっとしている。

 洗濯物をもうちょっとしたら回そうと算段を付けてから、台所へと向かう。

 今日は遅番だからゆっくりとご飯を食べられるけど、なにをつくろう。冷蔵庫を見ながら考える。そういえば、旬のものだからと買ってきて食べていなかった菜の花があることに気が付いた。

 菜の花はベーコンと合わせるとおいしいし、本当だったらパスタにしていただきたいけれど、真夜さんがまだ寝ているからなあ。

 考えた末に、置いていても大丈夫そうということで、前に自分用に買ってきたマフィンでサンドイッチにすることにした。菜の花は下茹でして水を切り、ベーコンはキッチンペーパーで挟んでレンジでチンして油を切っておく。

 マヨネーズとマスタードを混ぜておく。

 マフィンを半分に切ってオーブントースターで焼いて、焼き上がったところで、マヨネーズソースをマフィンの切り口どちらにも塗っておく。塗り終わったらベーコンと菜の花を乗せて、黒コショウを振ったらふたつを合わせる。


「うん、それっぽくなった」


 菜の花の苦みはベーコンのジューシーさと相性がいい。本当だったらニンニクの香りをプラスしたらもっとおいしいんだけど、私、午後から仕事に出るものねえ。

 ついでにスクランブルエッグもつくってしまおう。卵と牛乳、塩コショウを混ぜて、フライパンでぐるぐる回せば終わり。オムレツみたいに形を気にしなくていいから気楽。これはケチャップかけていただこう。

 出来上がったものをお皿に載せて、悦に入りながらお湯を沸かしていたところで、キィーと扉の開く音が聞こえた。

 振り返ったらまだパジャマ姿の真夜さんが立っていた。


「ああ、おはよう」

「おはよ……なんや、朝から偉いバタバタ音してたけど……」

「旬だからと思って買ってた菜の花、もうそろそろ花が咲いちゃうから食べちゃおうと思って……他につくる予定があった?」

「うんや……しばらくまた部屋にこもらなあかんしなあ……残念やけど、しばらく料理でけへんもん」

「あらら、また仕事増えた?」

「ちょーっち、なあ」


 料理できなくってストレス溜まっているみたいなのを気の毒に思う。

 私は「飲み物どうする? トマトジュース飲む?」と聞くと、まだ眠そうな顔をしながら、真夜さんは頷いた。

 ペットボトルのトマトジュースをコップいっぱいに注いであげたら、真夜さんは嬉しそうに飲んでくれた。

 最初は朝一番にトマトジュースを摂るというのに「吸血鬼……」と思ったけれど、私が朝一番にコーヒーを飲むと伝えたら、渋い顔をされてしまった。


「朝一番にカフェイン摂るのはやめときぃ。朝一番にカフェインを摂り続けると、カフェインが効かんなるよ」

「はあ……」

「トマトジュースが嫌やったら、せめて白湯にしぃ。それかぬるい水」

「ぬるい水はおいしくないんで、白湯にしときますよ」


 ときどきチクチクと文句を言われるものの、受け入れられるものだったら受け入れる、受け入れられないものだったら受け入れないとしていったら、上手くいっているから、これは別にかまわない。

 トマトジュースを飲み終え、流しに洗いに向かう真夜さんは、私がお皿に載せているマフィンサンドを見た。


「はあ……これかあ、菜の花使うた言うてたんは」

「本当はパスタつくりたかったけど、真夜さん寝てるから」

「別に自分で茹でるから、置いててくれたらよかったんに」

「朝と夜は一緒に食事したいって言ったのはあなたでしょうが」


 私がプスーッとして言うと、真夜さんはふっと笑う。


「せやね。じゃあいただこか」

「はい」


 マフィンサンドにスクランブルエッグにトマトジュース。私は未だにそのまんまのトマトジュースは飲めないから、レンジでチンして少し温めてから飲んでいる。

 それをふたりで向かい合いながら食べる。真夜さんは和食のほうが好きで、私は洋食のほうが好き。出てくる朝ご飯もそれなりに違うから、それはそれで面白い。

 今はうちは年度末だからバタバタしているし、それは違う業界だけど真夜さんも同じらしい。


「なあ、なるちゃん」

「あれ、おいしくなかった? 私、真夜さんほど料理上手くないから……」

「いや謙遜せんでもええよ。なるちゃんはやらんだけで自分思てるよりも料理上手いで? そうやなくて」

「はい」


 さくっとマフィンサンドにかぶりつきながら、私は真夜さんがなにを言いたいんだろうと考えあぐねていたら、真夜さんはようやく口を開いた。


「あー……これは帰ったら言うわ」

「え? うん、わかった。今日はちょっと遅くなると思うけど。真夜さん食事つくれそう? 駄目だったら簡単なものつくるけど」

「今日のノルマを超特急で終えたらなんとかなるやろ。俺がつくるから、なるちゃんはいつも通り帰っといで」

「うん」


 相変わらずというか。この人の秘密主義は同棲しはじめてからも変わらないな。私はそう思いながら、食事を済ませた。

 家事を終えてから、家を出ていく。なんかあったのかな。最近忙しそうだけど、定期的に血は飲んでいるから、元気そうだとは思うけど。私がズボラで健康に無頓着だけれど、真夜さんのほうが健康のほうに舵を取ってるからバランスは取れていると思うし。

 もやもやした気分のまま、仕事へと向かう。

 年度末のセールのせいで、ショッピングモールのほうもせわしない。今日も問い合わせをさばかないといけないと思うと、ちょっとだけ憂鬱だ。


****


 仕事に着いたら、有給消化帰りの花梨ちゃんと一緒のシフトになった。

 花梨ちゃんと来たら、また艶々している。婚活パーティーで馬の合う人を見つけて、そのままゴールインしたのだ。変な結婚相談所に入ってしまったがせいで、さんざんな目にあっていたから、その出会ったいい人とはそのまま仲良くやっていて欲しい。

 更衣室でポンとお土産を渡されながら、花梨ちゃんに手を合わせられる。


「本当に、新婚旅行で休みを潰してごめんね?」

「ううん。花梨ちゃんも有給溜め込んでたから。私も引っ越しのときに充分休みをもらったし」

「そりゃそうなんだけど。そういえばあんたの言ってた同居人とはそのあとどうなの?」

「うーん、どうもこうもないよ。今日も仕事で缶詰だし」

「ああ、フリーランスだからだっけ?」

「年度末だったら駆け込み仕事が多いとは言ってた」

「ふうん」


 わかったようなわからないような返事をする花梨ちゃんに、私は「そういえば」と聞かれる。


「今日は忙しいのに食事つくってくれるって言ってた」

「えっ……!」


 花梨ちゃんが口元を抑えるのに、私は「ん?」と顔を上げる。真夜さんが料理好きなのはいつものことだ。ただ忙しい中で料理している時間なんてあるんだろうかと心配になっただけで。

 私はのんびりと「あの人、昨日も夜中まで仕事してたのに、大丈夫なのかなあ……」とぼやくのに、花梨ちゃんは軽く私の肩を抱いてきた……って、なに?



「家に帰ったら、なるは絶対に驚くと思うけど、驚き過ぎちゃ駄目よ? もし察してもちゃんと驚いてあげて」

「え? 私驚いたらいいの? 平静でいればいいの? というより、私が家に帰って驚くってなに? あの人、多分浮気はしないと思うけど」

「浮気しないって信頼している相手なんだからいいじゃない」

「だから、花梨ちゃんはあの人がなにしてるのか想像つくの?」

「というより、ここまで状況証拠並べられているのにわからないなるのほうがすごいわ」


 花梨ちゃんにそう指摘されてしまっても、全然わからない。

 今日の朝ご飯は私の好物だけれど、別に真夜さん文句は言ってなかったし。でもあの人和食のほうが好きだからなあ。

 今日の夕飯は真夜さんがつくってくれるんだったら、明日の朝は和食出してあげようか。仕事の手伝いは、私にはできないから。せめて家事の負担を減らしてあげればいいのかな。

 そう思いながらも、ひとまず仕事が待っている訳だから、全部棚上げしてしまうことにした。

 全部帰ってから考えよう。そう思った。


****


 今日は問い合わせに加え、事務仕事が入ったせいで、すっかりと遅くなってしまった。真夜さんにメールは送っておいたけど、機嫌を損ねてないといいなあ。

 アパートのほうに足を運びながら、流れてくる匂いについつい首を傾げてしまった。うちのほうから、生クリームのいい匂いがする。

 今日の夕飯は真夜さんに任せてきたけど、うちに生クリームはなかったはず。朝に冷蔵庫開けているから。だとしたら、忙しいはずの真夜さんがわざわざ外に買い物に行っていたことになるわけで。

 あの人、仕事思っているより早く終わったのかな。それともなにか無理してる?

 朝、なにか言いかけていたし、なにを言われるんだろう。私は全然わからないという顔をしながら、家の鍵を開けた。


「ただいまー」

「ああ、なるちゃんお帰り。今日は食事どれだけ食べれる?」

「夜遅いんでそこまで食べられないんだけど、あの。この匂いは……?」

「うーん、なるちゃん残業にならんかったらもうちょっとええもん出せたんやけど」


 そう言いながらリビングに入り、私はその様子に目が点になった。

 赤いバラの花が生けられ、テーブルにはわざわざテーブルクロスまでかけられていた。並んでいる食事は、クリームシチューにサラダ。クリームシチューの上のほうにはタケノコが見えるし、サラダには手作りじゃないとあり得ないような大きさのクルトンが振りかけられている。どう考えても私の好みな上に手が込んでいるけど。

 別に今日は私の誕生日でもないし、真夜さんの誕生日でもなかったはずだ。だとしたら、この状態はなに?


「あの……今日ってなにか記念日があったっけ? 私たち、出会って一年はとっくに過ぎてるし、同棲もまだ一年経ってないし」

「んー? まだなんの記念もあらへんよ?」

「なんかの記念日になるの……?」


 私が恐る恐る聞いてみたら、真夜さんはにっこりと笑った。


「もうちょっとしたら、互いに暇なるやん」

「まあ、そうだけど」


 突然の言い方に、私はきょとんとしながら頷く。

 単純に今の忙しさがおかしいだけで、通常運転に戻るだけなんだけれど。私が首を傾げていたら、真夜さんはちらっと私の手に視線を送る。

 え、別に荒れてはいないと思うけど、なに? 仕事の関係で爪にはなにも塗ってない、せいぜいやすりで磨く程度のものだ。私がますますわからないという顔をしていたら、真夜さんが言う。


「……買い物に行きたいなあ思て」

「買い物? ええっと、記念日となんの関係が」

「ふたりで行かな意味ないやろ。あー、せやった。なるちゃん鈍い子やった」


 ガリガリと頬を引っ掻く様に、私はむっとする。この人、自分のことは棚に上げてる。私がむっとしているのをスルーし、真夜さんは口を開いた。


「指輪や、指輪。なるちゃん、指のサイズちっとも測らせてくれんから、俺が選ぶ訳にもいかんし。だから一緒に見に行こうって言うてるんや」

「指輪……指輪!?」


 その言葉で私は目を見開く。さすがにその意味くらいはわかる。私は思わず、ぶんぶんと首を振った。


「あの、これってつまりは……けっ」

「あー……別にこんなアホなプロポーズする気なかったんやけどぉ?」


 そう言ってそっぽを向く真夜さんに、ようやく私はさんざん花梨ちゃんに突っ込まれたことを思う。

 ああ、そうだ。これはいくらなんでも私が鈍過ぎる。拗ねたように唇を尖らせている真夜さんに、私はパンッと手を叩いた。


「や、やり直しましょう! プロポーズ、やり直し!」

「えー……? もうなるちゃん、俺がすること知っとるやろう?」

「じゃあ私をまた驚かせて! あと考えていたプロポーズのセリフ、聞きたいし!」

「えー……」


 少しだけ目を細めたあと、意を決したように、真夜さんはひょいと花瓶に生けていた赤バラを一輪手に取った。バラは親切に、棘が全部切り取られている。


「なるちゃん、病めるときも、健やかなるときも、俺が灰になって消え去るときまで、なるちゃんの血が枯れ果てるときまで。一緒にいてくれはりますか?」


 そう言って、ひょいとバラを差し出された。

 その言葉におかしくなり、私は背中を丸めてしまった。

 これじゃプロポーズを飛び越して、結婚の誓いの言葉だ。私はバラを受け取ると、とうとう声を上げて笑い出してしまった。

 それに真夜さんは不貞腐れた顔をする。


「せやから嫌やったのに」

「……はい、一緒にいます。でも灰になって消えないでください。せめてベッドで眠ってください」


 私の言葉に真夜さんは目を瞬かせると、少しだけ意地の悪い顔をしてみせた。


「わからんでぇ、俺が吸血鬼やバレて、異端者狩りが来るかもわからんし」

「下手な脅しは通じないから。こんなところに健康オタクな吸血鬼がいるなんて、私しか知らないでしょ」


 いつも通りに軽口を叩き合っていたら、途端に気が軽くなった。


 思えば変な出会いだった。

 吸血鬼にいきなり血を吸われたかと思ったら、自己管理の甘さを説教された挙句の果てに食育されて。その食育してきた吸血鬼とこうなるなんて思いもしなかった。

 吸血鬼の献血パック扱いされるなんて不名誉な扱い受けてると思ったけれど、こんなことにならなかったらそもそも出会わなかったから、今はその出会いに感謝しよう。

 私は、吸血鬼の献血パック。

 そして今は同棲相手。そのあとは家族だ。


<了>

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