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雪解けとみぞれ鍋

 浜坂さんの言葉に、しばらく沈黙が降りた。

 下手なことを言ったら、冴子さんのときみたいに事情も説明もなしにいきなりいなくなられてしまうし、それは困る。

 だからといって、当たり障りのないことを言っても、今のよくわからない関係が続くだけだ。

 これだけ土足でさんざん踏み荒らされたんだから、いい加減はっきりしてほしい。


「なんというか、浜坂さん勝手ですよね」


 私がぽつんと言うと、浜坂さんは石榴色の目を丸くして、こちらを凝視する。それに私はにこりと笑う。

 本当しょうがない人だ。


「勝手に人のこと襲って、勝手に人の家に押しかけてきてご飯をつくり出したかと思ったら、自分は化け物だからと卑下して、出ていてとか言ってもいいとかって、決定権を私に丸投げするのやめてくださいよ。私だって困ってしまいます」

「なるちゃん……やっぱり怒ってる?」

「というより、これで怒らない人間がいるわけないでしょ。浜坂さん顔はいいしスタイルいいし料理できるのに、いろいろとこう、残念過ぎますよ」


 はっきりと口にしてみたら、浜坂さんってばしょぼん。という言葉が見えるくらいに落ち込んでしまった。

 本当のこと言っただけなのに、これじゃ私がいじめているみたいじゃない。

 それでも、言わないと。浜坂さんのリアクションを無視して、言葉を続ける。


「でも別に、嫌だから出ていってと思ったことは一度だってありませんよ。もし本当に嫌だったら、交番まで駆け込んでいます」


 吸血鬼に交番の意味があるのかどうかはともかく。それとも私が「出ていけ」ってその場で口にしてしまったら、吸血鬼のよくわからないルールでそのまま追い出されてしまうのかな。

 私がきっぱりと言い切ると、だんだんと浜坂さんは肩を震わせはじめた。そして顔をくしゃくしゃにして笑いはじめたのだ。

 さっきまで落ち込んでいたのが、もう笑ってる。


「ほんまに……自分面白いなあ……」

「わ、笑わせるためにしゃべってはいないですよっ! ただ、私は今の関係をはっきりさせたかった、それだけです」


 ただの都合のいい、捕食者と捕食対象というのが嫌になっただけだ。それに浜坂さんは「ああ」と笑う。


「せやなあ、なるちゃんがここまで一生懸命言ってくれたのに、答えなあかんね」


 そう言いながら、浜坂さんは私の手を取った。キーボードをずっと叩いていたせいなのか、浜坂さんの指先は、少し硬くなっていた。その手は私の手をなんなく引き寄せると、手の甲に唇を押し当てられる。もっとかさかさしているのかと思っていたら、思っているよりもしっとりしていた。


「すまんなあ……最初は、ほんまに美味そうやなあくらいしか思っとらんかった」

「……知ってますよ」

「ズボラやし、小心者やし、ええ加減やし、この子大丈夫かと思っとった」

「ズ、ズボラなのは否定できませんけど、そこまで言いますかっ!?」

「でもなあ……友達が悩んどったら解決はできんでも一緒になって悲しんだり怒ったりできて、懐に入れたもんにやたら情をなんのためらいもなく振る舞うところは、ええ子やねんなあって思うとったよ」


 それは褒め過ぎだ。私はそこまで大それた人間じゃないのに。浜坂さんは笑いながら、私の手首をきゅっと握る。私の手首に、浜坂さんの長い指は余ってしまう。そのまま細い手首をすりすりと撫でてくる。


「……ええ子やと思うたびに、逃げ出しとうなってたよ。こんなええ子に「化け物」とか「出て行って」と言われたら、立ち直れそうもないし。まるで普通の人間に戻れたみたいで、幸せやったよ」

「……もう、逃げるのやめてくださいよ。私、またあなたに逃げられたら、立ち直れそうもありません。泣きますよ? また血が不味くなりますよ? ストレスたっぷりで血がギトギトなりますよ?」

「せやなあ、なるちゃんがまた体壊したらあかんね」


 浜坂さんはそう笑いながら言うと、もう一度私の手の甲に唇を押し付けてから、ようやく手を離した。さっきまでさんざん握られていたせいで、妙に手が冷たく感じる。


「好きやで」


 そのひと言で、どっと顔は熱を持った。

 さんざん抱きつかれて血を吸われておいて、そのひと言でここまで恥ずかしくなるとは思わなかった。

 私は首を縦に振る。


「……はい」


****


 大根の皮を剥いて、すりおろす。みぞれ鍋のいいところは、おいしいポン酢さえ使えば、どんなに適当につくってもそれなりにおいしくなるところだと思う。

 大根の葉は入れる入れないを考えたら、明日のお弁当の具にでもしようと思って、取っておくことにした。

 私が鍋に大根おろしを入れている間に、浜坂さんは野菜を切ってくれていた。

 大皿に盛られている白菜は葉と芯がきっちりと分けられ、長ネギも青い部分と白い部分が分けられていて、私がいい加減にやるよりもよっぽどおいしそうに見える。


「そういえば、なるちゃんはみぞれ鍋のしめはなににするタイプ?」

「うーんと、雑炊ですかねえ。浜坂さんはしめ、他のもののほうがよかったですか?」

「うどんがあったらええと思うけど、今はないしなあ」


 みぞれ鍋に残った大根おろしにご飯を入れて、卵でとじたらさっぱりとした雑炊になる。ポン酢をちょっと垂らして食べるとおいしい。でもうどんでもさっぱりとしていておいしそう。でも冷凍うどんはなかなか買わないからなあ、残念。

 それに浜坂さんは「せやねえ」と笑いながら、お肉の準備をし終わってから、炊飯器のご飯を盛ってざるの上で洗いはじめた。

 カセットコンロを机の上に載せて、その上に大根おろしでいっぱいになった鍋を置き、火をつける。温まったところで、鶏肉のぶつ切りを入れて、鶏肉に火が通ったところで、野菜をほいほいと入れはじめる。

 大根のくつくつと煮えるのを眺めていたら、「なあ、なるちゃん」と浜坂さんに声をかけられる。


「そろそろ、その浜坂さんっていうの、やめん?」

「えっ? じゃあなんと呼べばいいんでしょう……?」

「初々しいといえばそれまでやけど、そこまで初々しい態度ばっかり続けられたら、手が出せん」


 そうきっぱりと言われて、私は「ぶっ」と顔を逸らして噴き出した。

 この人、ヘタレなのか肉食系なのか、はっきりとしてほしい。というより、そこまで開き直らなくってもいいじゃない。

 私はぷるぷると震えながら、ちらっと浜坂さんを見る。浜坂さんはにっこりと笑っている。目元とか口元とか、まるでいじめっ子みたいだ。私はそれにぷいっとそっぽを向いてから、声を上げる。


「言わせるものじゃないですか!」

「えー、俺はずぅーっとなるちゃん呼びやけど?」

「そもそも浜坂さん、なんで私の名前、最初っから知ってたんですか!?」

「血ぃ飲んだら、なんとなーくやけど、個人情報知ってまうねん。せやから、なるちゃんがむっちゃ不摂生やってのもそれで知ったんや」

「もう~……!!」


 言わせるものじゃないと思うし、そこまでいきなりぐいぐいと迫られてしまっても、こちらだって心の準備というものがあるから、落ち着いて欲しい。私はしおしおとしながら、言う。


「……慣れたらちゃんと言いますから、待ってください」

「せやね? まだ悪さはできんわ。そんな反応されたら」

「もーう、もーう……!!」


 ポカポカポカとできないのは、鍋がくつくつと煮えたぎっているからだ。私は器とお箸、お玉を持ってきてから、浜坂さんに突き出す。


「もーう、私のことからかわずに、取り分けてくださいよー!」

「はいはい」


 浜坂さんがにこにこにこと笑っているのに、この人にからかわれているなと思い知る。

 こちらだって、いっぱいいっぱいなのにと、その余裕が憎らしかった。

 くつくつ煮えている鍋に豚肉を入れて、さっと火を通す。薄いから比較的すぐに火が通り、豚肉に火が通ったタイミングでお玉でみぞれごとすくっていく。そこにポン酢をちょんちょんと足して、食べていく。

 みぞれ鍋のいいところは、脂っこい豚肉の脂も程よく落ちて食べやすくなるところだ。おまけに野菜もくたっとしているから、思っている以上に野菜があっさりと食べられる。最初に入れておいた鶏肉もいい仕事をしてくれて、おいしい。


「おいしい……」

「ほんま、ええ顔で食べるなあ。最初会ったときはもっと死んだ顔しとったのに」

「あれは……仕事で疲れていただけですよ」

「そういうことにしといたろか。血もだいぶ美味なってきたからなあ」

「え、そろそろ効果出てきたんですか?」

「自分、そこはもうちょっと怒ったり引いたりするところやで?」


 浜坂さんにピシャンと突っ込まれて、私はしゅんと肩を縮こまらせる。

 いつの間にやら、血を飲まれるのが普通になってしまっている辺り、本当に私はずいぶんと浜坂さんに染められてしまっている。

 ふたりでみぞれ鍋をたっぷりと食べたところで、ご飯を入れて、溶き卵を回し入れる。蓋をしてしばらく待っている間に、浜坂さんが「なあ」と声をかけてきた。私はきょとんとしていると、彼が物足りなそうな顔をしている。

 年末に噛まれて血を吸われて以来、そういえば血をあげていない。大丈夫なのかなと、私はそろそろと着ていたハイネックの襟首を引き下げる。


「あの、血がそろそろ必要ですか? 飲みますか?」

「……はあ。なるちゃん、さっきからそればっかやねえ」

「ええ?」

「そっちやなくて、こっち」


 くいっと肩を寄せられると、そのまま唇を奪われる。

 食べられると思ったキスは、これが初めてだった。私は一瞬呆けたあと、思わず浜坂さんの肩をバシバシと叩いていた。


「だ、から……! もうちょっと待ってくださいって言ったのに! 言ったのに!」

「せやかてなるちゃん。自分ほんま無防備過ぎて心配になるんやけどぉ! 俺みたいなんにほだされたのは、まあええとして。惚れてる男にひょいひょい首出したりどうぞって体出されたりすると、据え膳かと思うやろうが!」

「なんですぐそっち方面に行くんですか!? 怒りますよ!? そもそもまだ食事が終わってないじゃないですかあ!」

「男は惚れた女の前やったらそんなもんちゃうのん?」

「知りませんよっ!」


 ふたりでギャンギャン言い合いをしている間に、蓋が「その辺にしとけ」と言いたげにカタカタと鳴った。蓋を取ってみれば、ふっくらと卵が半熟。お玉ですくってポン酢をちょんとかけて、いただくことにした。

 浜坂さんが食べているのをちらっと見る。この人は私のことをさんざんおいしそうに食べると言っていたものの、この人も大概食事をおいしそうに食べる。今回は私がほとんどつくったのに。

 少し気をよくしながら、私は雑炊をすすり終える。お腹がいっぱいになったら、少しだけ気が大きくなる。


「なあ、なるちゃん」

「なんですか」

「血、吸ってええ?」


 さっきキスするよりも先に、吸っておけばよかったのに。そう思いながらも、私は襟首を引き下げて、うなじをあらわにした。


「どうぞ」

「ん……」


 普段は後ろから抱き着いて血をすする癖に、今回は正面から抱き着かれて、首筋に顔を埋められてしまった。いつもこんなことを平然としていたのかと、自分の鈍さに呆れかえりながら、いつものように歯を立てている浜坂さんの髪に指を滑らせていた。

 そのまま頭を撫でている間に、血の匂いも、痺れるような痛みも消え、ただ浜坂さんがさっき吸血した場所に舌を這わせている感触だけが残る。

 ……ちょっとだけ、長い。


「あの、浜坂さん。今日は長いんですが……」

「んー?」

「……待ってください、今日は待ってくださいって言いましたよね? まだ告白して、半日も経ってないんですけど」


 ぐいっと浜坂さんの髪を掴んで抗議すると、ようやく浜坂さんは首筋から顔を上げた。

 そして、こちらを見てにこりと笑う。


「自分、俺と一緒に住まん?」

「……はあ?」


 またも斜め右なことを言ってきたのに、私は襟首を正しながら目を白黒とさせる。ようやく浜坂さんが体を離して、頭を引っ掻いた。


「今回、なるちゃんをずいぶんと不安にさせたし、連絡も取れんかったから、弁明するまでに年をまたいでもうた。でも俺もスケジュールは不定期やし、なるちゃんの仕事のシフト制やったら、なかなかカレンダー通りの休みにはならんやろ。ならせめて、一緒のところに住んどったら、朝食と夕食だけは一緒に食べれるやろうと思ったんやけど。どうや?」

「まあ……たしかに私の予定なんてシフト表を出されるまでわかりませんけど」


 そもそも、この件は年をまたがなくってもよかったはずなのに、私が年末年始シフトが詰まり過ぎて予定を空けられなかった、浜坂さんが急な仕事が入って連絡つかなくなったというのがねじれた原因だ。なにも冴子さんの襲撃がなくっても、こじれていたと思う。

 でも……私、朝は本当に慌ただしいから、家で仕事する人と生活なんてできるのかな。私は少し正座でうつむいてから、口を開く。


「……これも、考えててもいいですか?」

「ん、ええよ。俺も待たせてもうたし。今度は俺が待つ番やね」


 そう言って頷いてくれた浜坂さんは、「それじゃ、そろそろ帰るわ」と立ち上がった。

 玄関まで出たら、驚くほど冷えていることに気付く。ドアを開けて、浜坂さんが「おっ」と声を上げるのに、私もひょっこりとつっかけで玄関まで出て気が付く。

 真っ黒な空に、白い真綿のような雪が舞っていた。


「今日は寒いはずやわ。雪なんて天気予報で言ってたっけ」

「……慌ただしかったんで、天気予報見てませんでした。浜坂さん、傘入りますか? あ、私の傘、赤いのしかないんですけど」


 私は傘立てに入れている傘を持ってくるものの、普段使っている傘は柄だけが黒く、それ以外は真っ赤なものだ。男の人がそれを差してて大丈夫かな。そう思ったけれど、浜坂さんは嬉しそうにそれを受け取る。


「ん、それなら今度返しに来るわ。同居の件は、また詰めて考えよう」

「はい……お休みなさい」

「お休み。ちゃんと戸締りしぃや」


 浜坂さんはそう言って微笑みながら、去っていった。

 ベランダからこっそりと窓を開いて下を眺めたら、白い雪の中、外灯に赤い傘がくるんと回っているのが照らされている。この人は、思っているよりもひょうきんな人だったんだなと、今更気が付いた。

 私は鍋の片付けをしながら、何気なく唇を撫でる。

 今日は本当にてんこ盛りだった。告白されたかと思ったら、キスされて、同居の申し込みだなんて。

 出会いは最悪だったはずなのに。身勝手な人に振り回されて、自分をさんざん変えられたと思ったら、今度はその人にやけに大事にされている。

 ライターの仕事はどんなものか知らないけど、仕事中は本当に連絡が取れないから大変なんだろう。私と過ごしてて邪魔にならないのかな。そう思ったものの、気持ちは傾きかけていた。

 今度物件を見に行こう。うちだとちょっとふたりで暮らすには手狭だし、浜坂さん家はどうだかわからない。そう心に決めてから、ふとスマホで検索をかけて知ったことを、もう一度検索し直していた。


 両想いのキスは、ストレスを減らしてくれるものらしい。

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