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彼の事情と鮭のホイル焼き

 それからは私も冴子さんも黙り込んで、ただそれぞれの頼んだ飲み物を口にしていた。私は久々のホットチョコレートをすする。前までは甘ったるいものを口にするのはストレス解消だったのに、今はやけにその甘さが舌につく。

 浜坂さんと出会ってから、さんざん振り回されたと思っていたのに。彼の言動に振り回されながらもすっかり影響されてしまって、過ぎる甘さはおいしいと思えなくなってしまったんだなとしんみりとする。

 最後に冴子さんは言う。


「私は何度も言いますけど、本当に真夜とよりを戻したいわけじゃないんです。ただ、どうしてなにも言わずにいなくなってしまったのか知りたいだけで。鳴海さんはご存知ないんですよね?」


 なんとなく察することはできたけれど、これは本当に私が言うべきことじゃないため、浜坂さんにも冴子さんにも悪いけれど、口にすることはできなく、私はただ「ごめんなさい」と首を振ることしかできなかった。

 それに冴子さんは「そうですか……」とうつむいたあと、私に頭を下げた。


「本当に、私のわがままに振り回してしまって申し訳ありません」

「い、いえっ! 顔を上げてください!」


 会計して、何度も互いに頭を下げ合ってから別れる。

 どっと疲れてしまい、休みの日なのになにやっているんだろうという気分になりながら、私は家路に着く。

 普段使う駅に辿り着いたけれど、見慣れてしまった黒いコートの美丈夫の姿は見当たらない。真っ黒なコートで黒い髪でも、ぞっとするほど整った顔、石榴色の瞳は、誰よりも存在感を放っていた。

 あの人の姿かたちを瞼の裏に浮かべてから、首を振る。

 このままあの人は私の前からもフェイドアウトしてしまうんだろうか。そんな寂しい不安が胸に渦巻いたけれど、それを気にするのをやめたふりをして、のろのろとスーパーへと向かう。

 そろそろ冷蔵庫の中身を掃除したいなと、中に入っているものを浮かべる。きのこを冷凍させたままだし、そろそろ全部使い切ってしまいたい。最近は寒いし忙しいから、ひとり鍋ばかり食べていた。どうしてもひとり鍋だと豚肉や鶏肉ばかりになってしまうから、そろそろ魚を食べたいけれど、簡単なものがいい。

 そう思いながらちらっと野菜コーナーを眺めていたら、ミニトマトが目についた。私はそれをひょいとひとつ手に取って籠に入れてから、魚コーナーへと移動する。

 魚コーナーでは鍋に入れらえるタラやクエの切り身が売られているけれど、さすがに予算オーバーだなとスルーしていたところで、鮭の切り身が目についた。

 鮭は焼く以外にぱっと思いつかないけど……と、そこまで考えていたら、スーパーの店員さんの考えたらしいレシピの紙束が魚コーナーの手前にストックされているのに気付いた。何気なく一枚手に取って読んでから、私は勇気を出して鮭を手に取った。

 レジに通ってから、私はもう一度レシピを取り出して手順を確認する。

 なんでも家にある残り物野菜を使えば、野菜の水分とオーブントースターで簡単にできるというのが、ズボラ人間にとってはありがたかった。あと鮭の成分。


『鮭には体にいい脂がたっぷり。鮭に含まれるオメガ3脂肪酸はストレス耐性を底上げしてくれます』


 家に帰ってから、冷蔵庫の中身をあらためる。

 白ネギはそろそろ傷んでしまうから、これも食べてしまおう。根っこを切り落とすと、全て斜め切りにする。買ってきたミニトマトは半分に切る。続いてアルミホイルを取り出すと、その上に買ってきた鮭の切り身を載せる。

 鮭には塩コショウをしたあと、前に浜坂さんが買ってきて置いていったオレガノを振る。白ネギを散らしミニトマトも散らし、冷凍きのこを散らし、トースト用のチーズをちぎってかぶせる。さらにその上に白ネギの青い部分も散らしてから、アルミホイルをしっかり包んでから、オーブントースターに仕掛けた。

 チーズの溶ける匂い、鮭とオレガノの香ばしい匂いを嗅ぎながら、麺つゆを水で割って、ミニトマトと溶き卵を加えたスープをつくっているところで。

 スマホが点滅していることに気付いた。

 また冴子さんだろうか。私は不安げにそれを見る。まだオーブントースターが止まってないのを確認してから、手を拭ってスマホに手を伸ばす。


「あ……」


 それは浜坂さんからのメールだった。


【ずっと連絡が取れなくって申し訳ありません】


 相変わらずメールだと方言が取れているので、今の彼の表情がわかりづらい。私は震えながら、メールをタップしていく。


【仕事が原因でなかなかままなりませんでした。鳴海さんを不安にさせたと思います。このことで一度お話があります。長いこと放っておいたのに、今更と思いますが、もし話を聞いてくださるなら、予定を空けますので、お話する機会をください。】


 普段知っている浜坂さんとは違い、ずいぶんと余裕のない文面だ。関西弁でしゃべり、飄々としていて捉えどころのない人が浜坂さんだと思っていた。でも、この人は思っている以上に傷付きやすい人なのかもしれない。

 しょうがないなあ。そう思ってしまったのは、なんでなんだろう。私は一生懸命メールを打つ。


【仕事お疲れ様です。私も年末年始は大変でしたので、そちらの業界も本当に心労があったのだと思います。

 私のことは気にしないでください。会いたいとおっしゃるなら、来週でしたら予定が取れます。】


 私はライターの人の予定についてちっともわからないけど、前も缶詰が続いて連絡が断たれたことがあるし、浜坂さんがどう思っていたのか聞けるんだったら、もうどっちでもいい。

 フェイドアウトされてしまったらどうしようと思っていたから。

 私がスマホをドキドキしながら見ていたら、返事が返ってきた。予定だ。私はその予定に答えていたところで、チン、とレンジが鳴った。それをお皿に取って、アルミホイルを開く。

 スープとホイル焼きを持って、机の前に座ると、私はメールの返事をしてから、ゆっくりと鮭を食べた。

 心のもやもやした気持ちも、気付かないふりしていた小さなささくれも、単純なことで簡単に払拭できるんだから、現金なものだ。シンプルな味付けなのに、妙においしく感じるのは、きっとそういうことだ。


****


 約束した日は、私が早出で出た日の帰りだ。どこかで話を聞こうか、そう思ったけれど、結局は自分の家に呼んで話を聞こうとするんだから、本当にどうかしていると思う。

 駅の前に着いたけれど、見慣れた黒いコートの人は見当たらない。私は鼻が赤くなるのを擦って誤魔化しながら、周りを見回す。寒いし、日が落ちるのは早い。皆が皆、足早に駅から離れていくのを眺めていたら、心なしか心細くなってくる。

 約束の時間から、一時間くらい経ち、だんだん辺りが暗くなってくる。

 浜坂さん、まさか来ない気じゃ。一瞬そう疑惑がよぎるけれど、ぶんぶんと首を振って励ます。

 あの人、なにを考えているのかわからないのは、今更じゃないか。

 そう思って、肩にかけた鞄をぎゅっと握ったところで、こちらに走ってくる足音が響いてきた。さっき電車が停まったばかり。改札口を超えてきた黒いコートの人を見て、私は思わず目を見開いていた。

 息を切らして走ってきたのは、少しかいた汗で前髪を額に貼り付かせているのは、まぎれもなく浜坂さんだった。


「なるちゃん、すまんっ!!」


 こちらに頭を下げられてしまって、私は目を白黒とさせる。寒くって震えていたのに、今はその温度さえ忘れている。


「ああ、えらい冷えて! コンビニにでも行ってくれてたらよかったのに!」

「い、いえ……コンビニはここからだと遠いですし。でもお久しぶりです。えっと、遅くなりましたけど、あけましておめでとうございます……?」


 我ながら、久しぶりに会った人に言うことではないとは思う。でも。

 黒い髪には忙しかったとは思えないような綺麗な艶がある。石榴色の瞳は濁っていない。相変わらず端正な顔つきのこの人にもう一度会えたんだから、もうどっちでもいいやと思考を放棄してしまっているんだから、

 浜坂さんは脱力したように、肩を大きく竦める。


「はあ~……もう、なんやのん、なるちゃん自分、マイペースが過ぎるやろう? そこはもうちょっと怒ったりなじったりしてくれるほうが楽やで?」

「ええっと、聞きたいことはたくさんありますけど、怒ることは特にないです。はい」

「なんやのん、本当に」

「えっと、話をするんですよね? 私、今日は浜坂さんにご飯出しますから、行きましょう?」

「ほんっま、なるちゃんは。もうちょっと警戒せなあかんよ?」

「警戒できたらいいんですけど、浜坂さん私を警戒させてくれないんですもん」


 笑いながら、私は浜坂さんと一緒にスーパーで買うものを選びはじめた。

 今日はみぞれ鍋にでもしようと、大根にネギ、きのこ、豚肉を選ぶと、それを持って帰っていった。

 まだ鍋をはじめるには早いからと、冷蔵庫に買ったものを入れるだけに留め、代わりに緑茶を淹れて持って行った。


「あの、お話ですけど……」


 私が恐る恐る聞いてみると、浜坂さんは「せやなあ……」と頷いた。


「なるちゃんの聞きたいことには全部答えるつもりで来たけど。どれから聞きたい?」

「えっと……浜坂さんって、吸血鬼ですよね? 私の血、ときどき噛みついて吸ってますし」

「せやね。鏡にも写真にも写らんやろう?」

「はい……」


 ガラスの自動ドアにも、浜坂さんは映らない。私と一緒じゃないと自動ドアを通ることもできないのは、見ながら不便な人だなあと感じたものだ。

 誰もかれもが他人に対しては無頓着だから、写真が必要な書類でもない限りは、疑問に思うこともない。

 浜坂さんはゆっくりと湯呑を傾けてから「でもなあ」と続ける。


「むっちゃ不便やけど、ほんまにそれだけで、吸血衝動が出るようになったのはつい最近なんや。冴子……この間俺を殴ってた子やなあ。あの子と会ってた頃には、まだそんなんもなかったんや。うちも先祖には力が強いのがいたらしくって、目の合った相手を操ったり、眷属を増やしたりできた代わりに、夜以外は起きていることさえ叶わなかったし、宗教関連のもんには弱いし、流れている川を見ただけで発作が起こるから、そんなんやったらまともに生活できへんってことで少しずつ血を薄めてったらしいんやわ」


 それは前に吸血鬼のことを調べたときにも、出てきた情報だと思う。

 吸血鬼の弱点で、宗教に関するものとか、流れる水とか、にんにくとかは書かれていた。でも浜坂さんはにんにくも普通に料理の香りづけに使うし、昼間も普通に歩き回れるし、一般的な吸血鬼にできることがほとんどできない代わりに、吸血鬼の目立った弱点でも死ぬことはないんだろう。

 でも……この人。つい最近、なの? 吸血衝動は。

 浜坂さんはゆったりとした笑みを浮かべながら、言葉を続ける。その笑みは、ひどくシニカルに見えた。


「最初はわからんかったよ。なぁんか喉が渇くけどなんやろなあくらいで。こんな体質やから、うちの家のかかりつけの病院以外にはほとんど行けなかったし、今も病院は好かんよ。しゃあないから、手持ちの家庭の医学の本見て、見よう見まねで治療してみたけど、どれも意味がなくってなあ」


 浜坂さんが健康オタクだって揶揄されてるのは、それかあ。

 ずずっと湯呑を傾けてから、浜坂さんは続ける。


「でもある日、冴子を見てたら首に噛みつきたくって仕方なくなってなあ……。ある日、あの子が寝てるときに、首筋を噛んでもうてん……あの子は夢やって思ってたやろうけどな。本人は痛くって唸り声をあげてたけど、ズルズルと血ぃすすったら、ようやく喉の渇きが癒えた。水を飲んでも酒を飲んでも、どんな健康法やっても治らんかったのに、あっという間やった。嬉しかったのと同時に、むっちゃ気持ち悪くなってなあ……あの子の前から、逃げ出すしかできんかった」


 その言葉に、私は思わず自分の首筋に触れる。

 浜坂さんが噛んでも、傷はすぐに塞がってしまうし、牙に食らいつかれた痕すら残らない。だから冴子さんは気付かなかったんだ。

 やっぱりこの人……自分が吸血鬼だと認めたくなくって、逃げ出したんだ。


「自分のこれは、先祖返りやとはうちのかかりつけの医者に診てもらって教えてもろた。知ったときはぞっとしたわ。ただでさえ、普通に生活するには面倒くさい体質やのに、これ以上先祖返りしたら、完全に化け物になってまうって。せやから、一度は食事を断って死のうかなあ思てたんやけど。むっちゃええ匂いするから、ついふらふらとその匂いを追いかけてたらなあ……なるちゃんと会ってもうてん」


 そこで、私は浜坂さんと目が合う。

 この人、本当にどうしようもない人だなと私はぼんやりと思う。本当に端正な顔付きなのに、中身が全体的に残念だ。

 ヘタレなのに、情けないのに、おまけに人間ですらないのに。放っておけないと思ってしまうのは、私が男を見る目がないせいなのか。

 最後に浜坂さんは笑顔で締めくくった。


「この化け物出ていけ、顔を見たないって言ってくれてもええんやで? 吸血鬼は招待されたところにしか入られへん。なるちゃんやったら、追い出してくれても恨まへんから」

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