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彼女の事情とホットチョコレート

 私は恐る恐るメールを見た。もしかして浜坂さん……とも思ったけれど、違った。見知らぬメールアドレスに、なんだと思って溜息をつく。

 これでスパムメールだったらさっさと消そうとしたけれど、書かれているメールの内容に思わず目を留める。


【洲本鳴海様


 先日はお見苦しい場面を見せてしまってすみません、はじめまして氷上冴子と申します。このメールアドレスは浜坂から伺いました。

 先日のお詫びに食事をごちそうしたいのですが、いかがでしょうか。

 もちろん無理だとおっしゃるなら返事はいりません。


 氷上冴子】


 氷上ひかみって覚えのない苗字だったけれど、冴子はたしか。

 浜坂さんを殴っていた人。あの人だ。

 はっきり言ってメールの文面は怪し過ぎるにも程がある内容だったけれど、だからこそあえて私のフルネームと自身のフルネームを公表したのだとしたら説得力がある。

 多分だけれど、お詫びの食事もそうだけれど、事情を説明したり話したりしたいっていうのが主な趣旨だろう。

 どうしよう……。私は文面を何度も何度も読んで、喉を鳴らす。はっきり言ってしまえば、無視してしまい、メールアドレスをブロックしてしまえばこの件はおしまいだと思う。

 でも……。浜坂さんの事情を知りたいし、私を献血パック扱いする理由も知りたい。冴子さんと少しでも話をすれば、わかるんじゃないだろうか。

 浜坂さんに聞けないからって、冴子さんに聞くのは卑怯だと思う。でも、でも。

 普段は飄々としている癖して、変なところで柔らかく傷付くのが浜坂さんだ。その人にわざわざ聞いて、傷付くところは、あまり見たくはなかった。

 私は勇気を出して、メールの返信を打ちはじめた。


【氷上冴子様


 はじめまして、洲本鳴海です。メール確認しました。

 わかりました、お話しましょう。ただ私は仕事の関係で年明けになるまで出かけられませんが、それでもかまわないでしょうか?


 洲本鳴海】


 メールはすぐに返信が来て、それから何度かやり取りをしてから、出かける予定が組まれていった。

 年明けを埋めている予定が、仕事に好きな人の元カノとの話し合いって、修羅場が過ぎるにも程があるけれど、いい加減目を瞑っていてもしょうがない。


****


 年越しには蕎麦をすすり、三が日をどうにかやり過ごしたら、冴子さんとのデートの日となった。

 休みボケになる暇もなかった私は、ずっと気怠いままの体を引きずって、待ち合わせ場所へと向かっていった。

 相変わらず浜坂さんは連絡が取れない。それが仕事のせいなのか、冴子さんとの修羅場のせいなのかがわからない。ただ一日の日課として、今日食べたものと彼の仕事を労う言葉だけは一日一回メールしている。

 これ、ライフログにしては味気ないし、メル友とするやり取りでもないし、なんなんだろう……。

 そう思いながら、私は目的の駅で待っていた。地下鉄の改札口の近くは、外よりもよっぽどぬくいものの、ホームに電車が滑り込んでくるときだけは風がかき混ぜられてずいぶんと寒い。

 私はホームから出てくる人たちを眺めていたら「あの、洲本さんですよね?」と声をかけられた。

 たしかにこの前、浜坂さんを殴っていた冴子さんだ。今日もハーフアップの髪形に、白いコート。前のときは修羅場のせいで殺気立った雰囲気を醸し出していたけれど、浜坂さんから離れてしまったら、ごくごく普通の人だ……気のせいか、私とそんなに変わらない雰囲気に見える。

 私はぺこりと頭を下げる。


「こんにちは、冴子……あ、氷上さん」


 いくらなんでも浜坂さんがそう呼んでいたからって、私が彼女を名前で呼んでいい道理はないと失敗したと思っていたら、冴子さんのほうからくすりと笑ってくれた。


「それなら、私のことは冴子でどうぞ。いきなり鳴海さんじゃ、失礼ですか?」

「い、いえ……! 先日は本当に申し訳ありませんでした!」

「いえ。こちらこそ本当に混乱していたとはいえど、申し訳ありませんでした。怖がらせるつもりは全然なかったんです」


 女ふたりがふたりでひたすら頭を下げ合っているというのは、ずいぶんとシュールな光景だと思う。こちらのほうにちらちらと視線が集まるのを無視しながら、私たちは顔を上げた。

 冴子さんは辺りを伺う。


「……こんなところで謝り合っていても仕方ありませんから、どこか店に入りましょうか」

「あ、はい……ああ。でも私。あんまりカロリー取るなと言われてて」

「……また真夜の悪い癖が」

「悪い癖、なんですか?」

「あいつ、健康オタクですから。人の食生活にまであれこれ口出しするの、相変わらずなんですね」


 そう言って顔をしかめる冴子さんに、私は思わず笑ってしまった。浜坂さんは、私の知らないところでも、相変わらず浜坂さんだったらしい。

 三が日が明けても、学生さんはまだ休みだし、サービス業以外のほとんどの業種もまだ冬休み中だ。どこの店も混雑している中どうにか入れたのは、浜坂さんだったら絶対に顔をしかめそうな、健康度外視のカロリー高めなお菓子や飲み物しかない店だった。わざわざそこを選ぶあたり、冴子さんもずいぶんと怒っているんだなあとぼんやりと思いながら、久々に入る可愛らしい女性受けするカフェのメニューを、楽しく眺めた。


「私の趣味に付き合わせてしまってすみません。もっと落ち着いたカフェのほうがよかったですか?」

「いえ。本当に久々に入ったので楽しみです。最近お菓子とか料理とか手作りばかりでしたから。手作りも全部手をかけてたら返ってお金も時間もかかりますよねえ」

「本当にあいつ、人に迷惑ばっかりかけて……! すみませんすみません」

「冴子さんが謝ることではないですよ。じゃあ私、このホットチョコレートを」


 チョコレートをミルクに溶かして、香りづけに黒コショウを振るっているというのがおいしそうだ。自分でつくるとなったら、ついついレンジで溶かして楽しようとするから、ミルクに膜が張って見た目が不細工になってしまう。

 冴子さんはミルクコーヒーを選んで、ウェイトレスさんに注文を取り付けてくれた。

 お冷を飲みながら、冴子さんは「あの」と口火を切った。


「……真夜とどう出会ったんですか?」

「ええっと……」


 まさか遅番の帰りに、吸血しようと襲われたなんて言えない。少なくとも、冴子さんは浜坂さんを吸血鬼だと知らないみたいだもの。私はできるだけ嘘じゃない言葉を選びはじめる。


「ちょっと買い物しているときに、不摂生が祟ってしまって怒られたんです。それから食事の面倒を見てもらっていました」

「あー……あいつ本当に相変わらず人に迷惑かけて……っ!」


 冴子さんがイラッとした声を上げるのに、私は必死で手をぶんぶんと振る。


「いえ、私本当にズボラが過ぎて、このまんまだと倒れてもおかしくなかったんで、生活を矯正してくれたのは全然かまわないんですよっ!」

「それものすっごく騙されていますよ鳴海さん! あいつにそんな甘いこと言っちゃ駄目です!」


 どうにも冴子さん、相当言われてたみたいだなあ。私は彼女の地雷に気を付けながら、恐る恐る聞いてみることにした。


「あの、浜坂さん。そんなに冴子さんの食生活に口出ししてきてたんですか?」

「してましたね。私、趣味がお菓子作りなんですけど、やれ白砂糖使うな、やれバターが多過ぎる、やれこの油はよくない、やれこの材料使ったほうがいいと、チクチクチクチクチクチクチクチク……」


 ああ、浜坂さんがお菓子作りにまで詳しかった理由は冴子さんの趣味か。お菓子は一部のものはレシピ通りにつくらないとそもそも膨らまなかったり食感がよくなかったりするから、浜坂さんの健康第一主義が悪い方向に働いちゃったんだなと納得する。

 でも私もだけれど、どうして冴子さんと出会って付き合いはじめたんだろう。


「でも冴子さんは浜坂さんとお付き合いされていたんですよね?」

「……まあ、そうですね……。元々仕事で出会ったんです。うちの会社の取材に来たライターだったんで、私が広報として彼の取材に応じて、そこからです。本当に健康オタクが過ぎるところを除けば、優しかったんで」

「わかります」


 あの人はいい加減に見えて、優しいんだ。そりゃ女性が放っておかない。冴子さんはどこか遠くを見るような目をしたところで、「お待たせしました、ミルクコーヒーとホットチョコレートになります」と、私たちの前にそれぞれのものと伝票を置いて、ウェイトレスは立ち去って行った。

 お冷のグラスから手を放して、久しぶりのホットチョコレートを堪能しようと口にしたとき、冴子さんはぽつんと言った。


「光アレルギーで全然一緒に写真撮ってくれないし、高所恐怖症だからと旅行にはなかなか行けませんでしたけど、できないことが多過ぎる奴です。でもできることだったらうんと優しかった」


 ……光アレルギーは、多分嘘だ。あの人、鏡にも写真にも写らないから、それを誤魔化すためだろう。旅行も、おそらくは写真が撮れないせいでパスポートがつくれないから、誤魔化すためだと思う。

 やっぱり冴子さんは、彼が吸血鬼だってことは知らないんだ。

 冴子さんは言葉を続ける。


「でもあの人、ときどきすごく具合が悪くなるみたいで、病院に行くように勧めても全然言うこと聞かなくって。健康オタクのくせに不養生って、おかしな話でしょう? そんなやり取りを何度も続けていたら、ある日突然連絡が取れなくなって。家に押しかけても引っ越したとか言われて、なにをやっても連絡が取れなくなってしまったんです」

「それは……」

「……私は、今更よりを戻したいって思ってるわけじゃないんです。ただ、どうしていなくなったのか知りたいだけで。今、幸せならそれでいいんです」


 冴子さんがそう言葉を締めくくって、コーヒーをすすり出す中、私は黙り込んでしまった。

 多分だけれど。浜坂さんは何度も吸血衝動があったんじゃないかな。冴子さんに頼めば多分血はもらえたけど、それができなかった……。恋人に自分が吸血鬼だと告白することも、それが原因で拒絶されるのも嫌だったから、離れたんじゃないのかな。

 私に対して吸血しても問題ないのは、私はあくまで献血パックで恋人でもなんでもないから。

 そう思ったら、口を開いていた。


「浜坂さんは、多分本当に、冴子さんのことが大切だから離れたんだと思うんですよ。冴子さんが悪いわけじゃないです」

「……でも、鳴海さん。あなたは今、真夜と一緒にいるんでしょう?」

「私と浜坂さん、周りからどう思われているのかわからないですけど、本当に付き合ってもいないんですよ。残念ですけど」


 悲しいかな。私があの人と離れないようにするには、自分の血をあげるしかできないんだ。もし気持ちを伝えてしまったら、あの人が罪悪感を感じていなくなってしまう気がするから。

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