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疑惑と困惑とパンケーキ

 食事が終わったあと、ふたりで繁華街を歩く。そういえばゆったりとウィンドウショッピングをするのも久しぶりだった。


「最近、服とかも見てる暇がなくって……せめて福袋くらい買いに行く余裕があるといいんですが」

「あー、三が日は全部仕事で埋まってもうたんやっけ?」

「休みを取るのが下手ですよねえ……そうなんです」

「まあ福袋みたいに上手くいくかはわからんけど、欲しいもんがあったら、ひとつくらいやったら、おごったってもええよ?」


 その言葉に、私は驚いて浜坂さんを見る。浜坂さんは小首を傾げて「どないしたん?」と言う。

 ……一応デートなんだけれど、デートらしい雰囲気にはちっともなっていなかった。その中でそんなことを言われてしまったら、意識してしまうのに。私は悶々とするのを必死で首を振って振り払い、笑顔を向ける。


「そんなこと言っちゃ駄目ですよ、別に付き合ってもないんですから」


 自分で言っていて切なくなってくるけど、この状況で言うのはおかしいから。私は必死でそう言い繕うと、浜坂さんはじっとこちらを見たあと、目を細めた。


「せやなあ……」


 そう噛みしめるように言うので、反応に困る。え、まるで私が悪いみたいじゃない。私は慌てて言い募る。


「い、いや。強引に血を吸われてますけど、私が誰とも付き合ってないからいいようなもんで、私が誰かと付き合ってたり、浜坂さんが誰かと付き合ってたら、互いの相手に失礼じゃ、ないですか……ほら、血を吸われてますし」


 支離滅裂だけれど、捕食者と捕食対象の関係に、どう名前を付ければいいのかは、未だにわからない。そもそも名前を付けるような関係でもないような気がするし。

 あ……。そこまで言って気が付いた。浜坂さんはしばらく缶詰だったのに、血を吸わなくっていいんだろうか。たしかにストレスは溜まっていたけど、今はそれなりに元気だし、特に貧血でもない。


「あ、そうだ。浜坂さん、ずいぶんと血を吸ってないですけど、大丈夫ですか? あの、吸いますか?」


 我ながらどんなアピールの仕方だとも思ったけれど、仕方がない。浜坂さんは私がマフラーをほどこうとする手を掴んで制止させると、「はあ……」と長く息を吐く。


「あかんで、なるちゃん。なんでそんなん言うん」

「え? でも、私……」

「……血は吸いたいよ。そりゃ吸いたくて吸いたくてたまらんけど、まだ吸わんでも大丈夫やし、もうちょっとムードを気にしいや。ムードで味が全然変わるんやから」

「そうなんですか……?」

「自分、摩天楼が見えるバーでアホみたいな猥談されたり、飲み屋で馬鹿騒ぎ聞こえるような場所でプロポーズされたり、そんなんされたら嫌やろ? ムード、って必要なもんや」

「はあ……」


 わかったような、わからないような。

 でも浜坂さんが困惑しているのを見ていたら、自分がしようとしたことはずいぶんと無神経なことだったらしい。それは、反省したほうがいいんだろうな、多分。私はそう納得してから、「すみません」と頭を下げてから、ふたりで移動していく。

 さすがに女物の服屋で高いものを買ってもらうのは申し訳ないし、靴や鞄だと箱や紙袋がかさばる。なにだったら浜坂さんに「ください」と言えるだろう。

 何軒かの店を通り過ぎてから、ふとアクセサリーショップがあることに気付く。そこはカップル連れが多く、店員さんとなにやら話しながら、買っているのが目に留まる。買っているのはペンダントにネックレスに……指輪。

 ……重い。さすがになんの関係なのかわからない人に買ってもらうには、荷が重過ぎる。さすがにやめよう。うん。

 私はアクセサリーショップから足早に立ち去ろうとしたとき、「なあ、なるちゃん」と声をかけられて、思わず足を止める。


「はい?」

「なんなん、あれが欲しいん?」

「はいぃー?」


 だから、なにを言ってるの。この人は。私は顔に熱を持たせて、ちらっとウィンドウ越しに店内を見る。ピンクゴールドの指輪に、ハート型のペンダントトップ。緩やかなチェーンのネックレス……。

 さすがにひとつだけプレゼントで買ってって、こんなの付き合ってもいない人に頼んでいいものじゃない。

 私が固まっているのに、浜坂さんは「ふむ」と形のいい顎を撫でてから、私の腰をくいっと引き寄せた。って、なに。


「そんじゃ、どれがええのん?」

「な、いいですよ……! さすがに高いですしっ!?」

「そこまで嫌がらんでもええやろう? 厄除けに買うても罰は当たらんやろ」

「厄除けって……誰のですか?」

「もう変な吸血鬼に絡まれんようにな。だったらシルバーがええか」


 そのひと言が、ちくりと胸を刺した。

 この人、もしかしなくっても……。私との関係を清算しようとしている?

 いや、それも変か。私のことを襲ったけど、そのあとは本当になにもなかった。せいぜい血を吸われるくらいで……。

 この人は、今の私たちの関係があまりにも健全でないことに、せめて私にいい思い出だけを引き渡して、そのまま立ち去ろうとしているんじゃ。

 なんなんだ。それって、ものすっごく勝手じゃない。私の中に土足で上がり込んできたと思ったら、綺麗なもの楽しいもの素敵なものを渡すだけ渡して、渡した本人が立ち去るなんて……。

 そんなの。そんなのって……。

 そこまで思ったら、私は浜坂さんが回した腕を、ぎゅっと掴んでいた。浜坂さんが私を見下ろす。


「なるちゃん?」

「プレゼントは……もうちょっとだけ考えさせてください。本当に、いいですから」


 もしこのまま立ち去るんだったら……私は浜坂さんを許せない。だから、不健全だとしても、今の時間を延長することを選んだ。

 それにしばらく浜坂さんは石榴色の瞳でこちらをじっと見てきてから、私に回した手を下ろした。代わりに、私の手を包んでくる。


「せやなあ。時間はまだあるし。なら、他の店に行こうか?」

「あ、はい……!」


 ふたりの時間の延長をしても、どこまで伸ばせるのかがわからない。ただ手袋越しであっても、この大きな手の人のことを忘れられる自信が、私にはない。


****


 本屋で栄養学の本……できるだけめくりやすい薄いものを一冊買った。浜坂さんは仕事用らしく、薄い類語辞典を一冊買っていき、文房具屋を巡る。浜坂さんが万年筆を気にしているのを見て、この人へのプレゼントは万年筆でもよかったなと今更思う。

 しばらく歩いていたら、小腹も減ってきたけれど、どうしたもんか。そう思っていたら、浜坂さんが「おっ」と足を止めた。


「喫茶店入る? んまいらしいけど」

「え? 前もさつまいもだったら食べさせてくれましたけど……甘いもの外出で食べてもいいんですねえ?」

「もちろん、毎度やったら反対するけどなあ。ただなるちゃんはストレス溜めやすいから、ガス抜きせんかったら体に悪いからなあ」


 そう言いながら、足を向けてくれた。ほとんど女性客だらけな中でも、平気で入っていく浜坂さんが頼もしい。幸いちょうど入れ違いにひと組お客さんが帰っていったから、待ち時間が三分ほどで済んだ。店員さんが和やかな雰囲気で「こちらの席どうぞ」と案内してくれた席に座る。

 私はメニューをまじまじと見ると、最近はアレルギー対策や外国のお客さんも増えてきたせいなのか、原材料を全部書いていることに驚きながら眺めていたら、ひとつ不思議なものを見つける。


「このパンケーキ、バナナと卵とメープルシロップしか使ってないですけど……」


 目に留めたのは、最近流行りのふかふかした分厚いパンケーキではなく、薄いものが何枚か重なった、オーソドックスなパンケーキ。それがバナナと卵だけでできているとはなかなか信じられなかった。

 浜坂さんはそれを見て「あー……」と頷く。


「なるちゃん知らん? グルテンフリーダイエットしてる人やったら知ってるみたいやけどねえ、バナナ潰して卵と混ぜただけのパンケーキってのがあるんや」

「それって、おいしいんですか……?」


 思わず声をすぼめて、浜坂さんに聞く。ちょうど隣に「お待たせしました、バナナパンケーキです」と、発見したメニューが運ばれていくのが見える。

 それをおいしそうに食べている人をちらちらと見てると、浜坂さんは笑う。


「そんなに気になるんやったら、頼んでみぃや。綺麗につくるのは手間かかるけど、ただつくるだけやったらそこまで難しないから、つくったってもええけど」

「えっと……じゃあ頼んでみて、好みだったら」


 私はバナナパンケーキにミルクティーを頼むと、浜坂さんはトマトジュースを頼むので、思わず吹き出しそうになった。

 他のメニューは米粉を使ったメニューが充実していて、こちらもおいしそうだ。アイスクリームはライスミルクでつくっているから、こちらも罪悪感なく食べられそうな印象。


「いろんなものがありますねえ」

「せやねえ。ただ食べへんっていうんじゃ味気ないから、代わりにこんなん出せますこんなんつくりますって提案することで、食べる罪悪感を減らしとるんやろうね」

「食べるときにそこまで考えたことありませんでしたよ」

「自分中心に考えたらそんなもんやろ」


 そんな話をしている間に、店員さんがやってきてくれた。


「お待たせしました。バナナパンケーキがひとつ、ミルクティーがひとつ。トマトジュースになります」

「おおきに」

「ありがとうございます」


 店員さんが並べてくれたプレートの上に、バナナパンケーキが載っている。メープルシロップが添えられていて、普通の薄いパンケーキがあって、匂いを嗅いでもよくわからない。

 私はメープルシロップを回し掛けして、恐る恐るナイフを入れると、それをフォークで口に入れた。

 ……おいしい。バナナだけで充分甘いし、なんでこんなに薄いパンケーキになっているんだろうと素朴な疑問は沸くけど。おいしい。


「美味かった?」

「……おいしいです。不思議ですねえ、バナナ潰して卵混ぜたらパンケーキになるなんて」

「せやねえ」

「あ、ひと口どうですか? トマトジュースだけでしたら難ですし」


 私はひと口大にパンケーキを切って浜坂さんに差し出すと、浜坂さんが珍しく目をあちこちへと移した。

 あれ、そう思っていて気が付いた。フォークはひとつしかないし、それを差し出しているわけだから、これ間接キスか。

 私は馬鹿か。そう思ったけれど、引っ込めてしまうのもおかしな気がして「どうぞ」と繰り返すしかできなかった。

 浜坂さんはしばらくパンケーキとフォークを見ていたけれど、観念したように口を開いて、それを咀嚼した。


「……ん、美味いなあ」

「そ、そうですよね! あ、私。浜坂さんにプレゼントがあったんですよ! いつもお世話になってますから!」


 気恥ずかしさから逃げるようにして、鞄を漁り、ようやく紙袋に入ったプレゼントを差し出すことができた。

 それを見て、浜坂さんはまたきょとんとした顔をする。


「なんやなるちゃん。デートやからって、今日はいくらなんでも張り切りすぎやろ」

「なんでそうからかうんですかあ。ただ、本当に久しぶりだったんで……」


 私が口をごにょごにょさせると、浜坂さんは笑いながらそれを受け取ってくれた。紙袋の中の包装紙を見る。


「好きな文具メーカーのやつやわ。俺、趣味の話なんて一個もしてんのにようわかったねえ」

「そうだったんですか……よかったです」


 単純に、もらった名刺の紙がずいぶんと手触りがよかったから、もしかしたら文房具にこだわりがある人なのかもしれないと思っただけだったんだけれど。それで手帳カバーだったのは安直かもと思っていたけど、返ってよかったのかもしれない。

 私が隣にいてもいなくっても、手帳カバーを傍に置いてもらえるなら、それでいいや。私は笑った。


「おおきに。でもほんま、今日はなるちゃんにもらってばっかやわあ」

「そ、んなこと。ないですよ。本当に。いつもいつも、私がもらってばかりですから」


 私はこの人に血以外あげられてなかったから、これでよかったんだ。

 これで来週からの忙殺されそうな忙しさとも、戦えると。


****


 喫茶店から出たら、そろそろ空に赤みが帯びてきた。そろそろ帰らないといけないと思うと切ないけど、「まだ帰りたくない」と言える関係でもないから、このまま駅まで向かおうと思っていた中。

 浜坂さんが私の腰にくいっと腕を回してきた。


「……浜坂さん?」

「……あー、トマトジュースで誤魔化してたけど、そろそろ限界やわ」


 もしかしなくっても、血が吸いたいんだろうか。夜だったら人気なんてほとんどないから問題ないけど、ここは繁華街な上に、まだ日が落ちてない。

 やばいやばいやばい。私は「ちょ、ちょっと路地に行きましょう? 路地まで大丈夫ですか?」と慌てて浜坂さんの腰に手を回し返す。

 一歩路地裏に入れば、さっきまで耳にしていた喧騒がひどく遠く感じる。私は慌ててマフラーをほどくと、コートをずらしてうなじを見せる。外気の冷たさでぶるりと震えていたら、浜坂さんが背後から私のうなじに歯を当ててきた。

 噛まれて、痺れるような痛みが走り、血の匂いが漂ったのも一瞬。噛まれた痕にざらりとした感触が一瞬したあと、「もうええよ」と浜坂さんの低い声が聞こえた。


「あの……もう大丈夫ですか?」

「おおきに」


 血の味はどうでしたか?

 そう聞いてもいいんだろうかと思って眺めていたら、浜坂さんは私の頭を子供を撫でるみたいに掻き回してきた。


「なんや、やればできるやん。血、だいぶマシになっとった」

「マシ……ですかあ、おいしくはないんですねえ」

「前が不味すぎたんやわ」


 ぴしゃりと言われて、思わずしゅんとなる。

 でも、私の健康状態も、ストレスに苛まれている状況から考えれば、大分改善されたということだろう。それにほっとしながらマフラーを巻き直したら、浜坂さんがすっと目を細めた。


「ほんま、おおきにな。なるちゃん」

「……いいえ」


 この人、本当にしょうがないなあ。私はそう思ってしまう。この人、今の関係にちっとも名前を付けてくれないけど、本当に優しいんだからどうしようもない。

 私はまだなにかを言おうかと言いあぐねている間に。

 ドンッという音が響いた。思わずぎょっとしたのは、浜坂さんの背中が思いっきり殴られたからだ。

 目を吊り上げているのは、真っ黒な髪をハーフアップにした、白いコートを羽織ったごくごく控えめな雰囲気の人。浜坂さんに鞄をぶつけて殴ったその人は、彼を真っすぐ見て声を上げた。


「真夜! やっと見つけた……!」


 ……誰? 一瞬そう思ったけれど、その人の声を耳にしたら、その疑問は飲み込んでしまった。その人の声は震えていて、彼女の目尻には涙が溜まっていたからだ。

 この人……浜坂さんのことを、知っている人だ。

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