ししょー!
調理をすることにしたエンリケはキッチンに入り食材を確認する。
余っているのは、朝飯に処理した魚の身が僅かに着いた骨に小さすぎて使えないトマトや野菜達の茎。それに中途半端に余った小麦粉や片栗粉くらいである。
調味料は沢山あるので味付けには困らないはずだ。
「本当にこんなので料理が作れるのかい? どれもこれも使えない奴ばかりだと思うけど」
「いいや。そんなことはない」
確かに傍目からはゴミばかりだと思うがどれもこれもしっかりとした食材だとエンリケは思っている。
手を洗い、よし、と意気込む。
先ずは茎しかない野菜。見栄えやその固さから食べづらく敬遠されているが茎にこそ栄養がたっぷりある。エンリケは鍋に水を入れじっくり茹でる事で硬さをなくす。その後、水切りした茎を食べやすいようにカットし、お皿に移した後胡麻を擦り絡めたマヨネーズを小鉢に入れ添える。
野菜の盛り合わせはこれで良いだろう。
次に主食だ。さすがに山羊や牛ではないので野菜だけでは腹が膨れない。そこでエンリケが白羽の矢を立てたのは魚の骨だ。
魚は、種類によるが細かく砕けば骨も食える。肉もついているから食感も悪くないはず。そのまま細かく砕き、ひき肉にしたあと塩を小さじ半分いれ下味をつける。その次は小さすぎて使えなかったトマトを潰しておく。
フライパンに油を投入し、弱火で熱する驚いた事にキッチンに整備されていた炎を出す魔法具がある。アリアに聞くと冒険の最中に手に入れたらしい。次に小さくて捨ててあったニンニク、玉ねぎを加え、しんなりするまで炒めた後ひき肉をいれる。肉の色が変わるまで炒めた後、白ワインなどで香りづけし、最後に潰しておいたトマトを加えて蓋をして煮る。
僅かに香る良い匂いにリコが浮き足立つ。アリアも興味深そうに見ている。
待つ間に次は余っていた小麦粉(古くないのは確認済み)を水、塩、卵、オリーブオイルを入れてこねる。コシが出てきた辺りで今度は何度も平べったく伸ばす。本来ならばこねる辺りで寝かせるという過程を踏むのだが今回は時間がかかるということで省く。伸ばした生地を1〜2ミリに包丁で切ったあと、一分間だけ茹でる。
茹で上がった麺とトマトベースのミートソースを絡める。そう、エンリケはミートボールスパゲッティを作っていたのだ。おまけにサラダの盛り合わせを作ってまで。
「これは……ビックリしたよ。君は料理も出来たのかい?」
「医師であれば相手の体調に合わせた薬を処方するのは勿論のこと、そもそも何が原因でその症状が出たのかを把握する必要がある。その際に何らかの栄養が不足していれば、助言を与え、時には栄養のあるものを食べるように処方する。この程度、造作もない。それにさすがに本来のきちんとした料理には劣る」
「いや、捨てるしかなかった食材でここまでのものを作れる人はどれくらいいるだろうか。そう考えると客人さんも負けていないと思うよ」
アリアにはエンリケの料理が普段作られるものと負けず劣らず素晴らしいものに見えた。
「そうか」と呟き、スパゲティを三人分盛り合わせ、渡す。
リコとアリアは顔を見合わせた後フォークを持ち恐る恐る口に入れる。
「! お、美味しいであります」
「不味かったら料理の意味がないだろう。不味いのは薬だけで充分だ。……どうした、口に合わなかったか」
黙り込むアリアに視線を向ける。
次の瞬間、アリアはイリアン・パイプスを鳴らして立ち上がった!
「ーーあぁ、選ばれることなく失意の底に沈んでいたプリンセス! その手を拾い上げたのは同じく選ばれることのなかった王子。本来なら会うはずのなかった二人。しかし、二人は見事に逆境を乗り越え素晴らしい物に変化した! 正に運命。神様もその二人を祝福するだろう!」
「…...」
「こほんっ。失礼吟遊詩人としては感動をあんな風に話せずにはいれなかった」
僅かに頰を赤らめるアリア。
少ししか付き合いがないが段々とこいつの性格がわかってきたなとエンリケは思う。
その間もガツガツとリコはスパゲティを食べ、あっという間に完食し、満足げにお腹を叩く。
「ふぅ、満足満足であります。こーはいは料理も上手なんでありますなぁ。センパイとしては鼻が高いであります。...…何か忘れているような」
暫し頭をひねり、思い出す。
「はっ! しまった、先輩としての威厳を見せつけるつもりがついつい美味しい食事に甘えてしまったであります! 寧ろこーはいの有能さをまざまざと見せつけられたであります! こ、このままではまずいであります。なんとか、なんとかセンパイの威厳を取り戻さないと」
「う〜ん、一日中付き合ったけど諦めた方が良いんじゃないかな? 正直第三者の意見として大将に客人さんに勝てる要素ないよ」
「そ、そんなせつしょーな! リ、リコだって負けてないであります! このくらい簡単にできる!」
「殺生ね。あ、大将それは玉ねぎ…...」
「うわぁぁあぁ!! 目がぁ! 目が痛いでありますぅぅ!!」
勢い良くみじん切りをしたリコは玉ねぎの汁を目に浴びのたうちまわる。
呆れながら濡らしたタオルを渡す。
「ま、まずいであります。このままでは先輩としての威厳がなくなってしまうであります」
「うん、元々あったとは思えないけど。あ、おかわり頂けるかな?」
「お前はお前で自由だな」
「まぁね。自由なのが吟遊詩人だから」
そのまま最初の変な言葉はともかく、意外にも行儀良く食べるアリアを見ながら、皿によそう。
そしてエンリケ自身も自ら作ったスパゲティを口に入れ、腹を満たす。我ながらなかなか上手くいったと一人頷く。
その間もリコはブツブツと呟く。
「こうなったらじつりょくこーし! であります! 後輩、受けて待つであります!あ、タオルはありがとうであります」
エンリケが自らの食べ終わった皿を洗い、アリアも食べ終わった頃、リコが立ち上がりそう言ってきた。
「実力行使か。だが何をする? まさか殴り合いだとは言わないだろうな?」
「そんな風に物事を決めるのはせんちょーかビアンカ殿くらいであります。ふっふっふー、少し待つであります!」
そのままリコは外の甲板に出て行く。数分もすると戻って来た。その手には小さい穴があり、赤い玉が紐付いた十字の木の棒が握られ、やたらと顔に凄みがある猿が後ろにいる。
「これは紐付き玉と呼ばれる玩具であります。遠い東にあるといわれる国の伝統的なおもちゃってリコは聞いたであります。そしてここにいるお方にその道具の遊び方をリコに伝授してもらったであります」
「猿だけにさるお方ってことかな」
アリアがしょうもない事を言っているが無視し、連れて来た猿を見つめる。
「名前はさる吾郎。ふぁみりーの中でも年長者であります」
≪…...うぎ≫
重々しく頷くさる吾郎。顔は凄みがあるし、体毛も僅かに白みがかっている。雰囲気も歳を経た者特有のを纏っている。
「さる吾郎のおかげでリコはこれを自由自在に扱えるほどになったであります。さて、こーはい。勝負であります。この紐付き玉を使ってすごい技を使った方が勝利であります! 勝負は一回こっきり。では行くであります」
一方的に勝負内容を述べた後、リコは紐付き玉の玉を垂直に垂らす。
その顔はこれ以上ない真剣な表情、邪魔するのも憚られ、ゴクリと息を飲む。
≪……うぎ!≫
「ほっ!」
今だ、とさる吾郎の声に掛け声と共に紐付き玉を振るリコ。
ーー玉は見事穴の空いた所に先が入った。
「やったであります!! ふふん、どうでありますか! これぞリコとさる吾郎が長年の時を費やして習得した技、一本釣りであります!」
「……え、あ、今のが技?」
「そうであります!」
「まぁ確かに静止した状態からあの小さな穴に入れるのはすごい……けどこれ日常生活で何か役に立つのかな? というかこれ技を教えてもらってる大将の方が有利なんじゃ」
「さぁ、こーはい! やってみるが良いであります! といってもリコの勝ちはもはや確定! これで先輩としての威厳を取り戻すことが出来たであります!」
「うわ、卑怯。客人さんは一回もやったことないのに」
「卑怯とはなんでありますか! これもせんしゅつでありますよ!」
「戦術だよ」
その後も騒ぐリコを尻目にエンリケは手に持つ紐付き玉を見て懐古に耽っていた。
(まさかこんなところでけん玉を見ることになるとはな)
リコはこれを紐付き玉と呼んだが、これは紐付き玉ではない。正式名称はけん玉だ。そしてエンリケはけん玉を知っている。
先程リコが『一本釣り』と称した技も正式名称は『まっすぐ』である。確かに小さな玉の穴に棒を入れるのは難しいがそれでも難易度は下の方だ。
(ふっ、懐かしいな。あいつともこういった勝負をよくしたな)
負けず嫌いだったから何度も何度ももう一回と勝負を続けた。結局朝から夕方まで続いたこともあったなとエンリケは僅かに口元を緩めた。その様子にアリアが「笑った…...?」と呟いたがエンリケには聞こえなかった。
そして思い出に浸ったあとヒョイっと、いとも簡単に『まっすぐ』を成功させた。その後も小皿、大皿と続けて何度も乗せた後、時折グリップを捻りどうしたらそうなるのか横から上に玉を乗せたりと難しい技を繰り返した。
僅かに童心に帰ったエンリケはその後も技を披露する。
ふと気付けば三人揃って(一人猿だが)ポカンとした顔でこちらを見ていた。
そして羞恥の感情が込み上げて来た。さすがに三十路のおじさんがけん玉で遊ぶのは色んな意味で痛すぎる。
リコが詰め寄る。馬鹿にされると思いきや何故かキラキラと目を輝かせていた。
何故だろう。嫌な予感がする。
「し……」
「し?」
「ししょーと呼ばせてくれであります!!」
「は?」
「おや」
次の日。
「ししょー! ししょーー!! 床の掃除終わったであります!」
バケツと椰子の皮で作った雑巾を持って駆け寄ってくるリコ。その後ろには同じ格好のさる吾郎が続く。顔は喜色満面で尻尾があれば振り回しそうな勢いだ。
それを正反対の嫌そうな顔をしながらエンリケが振り返る。
「そうか、ご苦労だったな。なら次の仕事にいけ」
「もう仕事はないであります! それよりも掃除が終わったからししょーのあの技、教えてほしいであります!」
「くどい。昨日も言ったが俺は弟子を取らんし、お前も師匠などと呼ぶな。そもそもあんなので弟子入りを志願するなど何を考えている。分かったなら俺は今薬草の調査で忙しい。構って欲しければミラニューロテナガザル達にでも遊んでもらえ」
「そう言わないで教えて欲しいであります! ししょー。しーしょーぉー!!」
≪うきぃー。うーきぃーきぃー!!≫
「ぐっ、服を引っ張るな首が閉まるっ」
グイグイと力一杯エンリケの服の裾を引っ張るリコ。力加減を知らないのか、かなり本気で引っ張る。
びりっ。
裾が破けた。
≪うっきぃー!≫
≪むきぃー!≫
「ぬぉっ」
「お? ふぁみり〜たちもししょーに教えて欲しくなったでありますか? でもリコが先でありますよ!」
じゃれあうリコに触発されたのか他の猿達も仕事を置いて寄ってきた。
昨日の様々な猿の仕事改善のおかげで尊敬を勝ち取ったエンリケは一気に猿達にとっても上位の存在だと認められた。更にはファミリー内での権力の強いさる吾郎もエンリケをお師匠様と尊敬している為、今や大部分の猿がエンリケの言うことをある程度聞くようになった。
猿は社会構造について敏感で従順なのだ。猿にもみくちゃにされるエンリケ。また苦労が増えると頭を抱えた。
そしてその様子を遠目に眺めるリリアン、ビアンカ、コロン。
「ねぇ、ビアンカ」
「なんだ」
「リコって昨日まで自分の事先輩って呼ばせるって張り切ってなかった?」
「そうだな。自分もそのように記憶している」
「……なんで師匠呼びになっているの?」
「知らん」
「ぬぁーはっハッー! 仲良くなれて良きかな良きかな!!」
「良きかなって…...もう相変わらず能天気なんだから。そこがコロンの良い所だけど。それにしてもリコはどうしてあいつにあんなに懐いて…...そうよ、きっとリコがおバカなのに付け入ってふきこんだに違いないわ。あの子アホの子だもん。そんな子につけ込むなんて、やっぱり男なんて...…」
ぶつくさ言うリリアンの言葉を流しながらビアンカはふむと考え込む。確かに昨日見た限りあんな風にはなっていなかったはずだ。
そして一段上の甲板の手摺に腰掛けるアリアに目を向ける。
「アリア、お前はあの後二人と共にいたんだろ? 何かしらないか?」
「ん〜。そうだね、例えるなら鹿を手なづけようとした猿が実は鹿が虎で、肉を与えられて逆に手なづけられたって所かな。あるいは飼い犬に手を噛まれたって感じかな」
「…...相変わらず貴様の言うことは抽象的で的を射んな」
「吟遊詩人が婉曲な言い回しを出来なければ失格だろ?」
「ていうかアリア! あんた少しは働きなさいな! 昨日も仕事ほっぽって遊び呆けて、船に乗るんだったら少しは役に立つ事しなさいよ。コロンが良いって言っても船に乗る以上少しは協力を」
「おっと、ボクの頭に新しい曲のインスピレーションが湧いてしまった。早速楽譜に記す為に失礼するよ」
「あ。こら逃げるなぁー!」
「ししょー!」
≪うっきぃー!≫
「えぇい、鬱陶しい……!」
「ぬぁーはっハッー! 今日もいるかさん号は平和だな!」
コロンはエンリケとリコ、リリアンとアリアの様子を見ながらにっこにっこしていた。
みんなが仲良く騒ぐのを見るのが大好きなので。彼女はいつまでも楽しそうに笑っていた。
アリアとリリアンの追いかけっこが始まったあたりで付き合いきれんとビアンカはその場を離れる。そして扉に手をかけたところでビアンカは振り返る。
遠くにはリコと猿と戯れる男の姿が見えた。その姿は一見楽しそうに見えた。実際そうなのかもしれない。
だが彼女は分かる。彼の目の奥に見える闇を。決して見えることのない、深く暗い男の望みを。
「…...ふん、気に入らない」
憎々しげに呟き、彼女はリビングに入っていった。
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