尾行
雑多な生活音が無秩序に騒音として騒ぐ中で、心地良い穏やかな音楽が聞こえてきた。
絶えず騒がしい場所の中に場違いな程、綺麗な旋律。
思わず、歩いている人が足を止める。
そこにいるのは不思議な少女であった。色彩豊かな衣装で身を包み、見る角度で瞳の色が変わる不可思議な瞳を持っていた。
容姿だけでも目を惹くのに、奏でられる音楽に民衆は引き寄せられた。
やがては彼女を中心に円が出来上がる。
長く続いた演奏。それもやがて終わる。
不可思議な色合いの持つ瞳を微笑ませながら少女がお辞儀する。
「これで本日の演奏は終わりだよ。どうもご静聴に感謝を」
わっと拍手が湧き起こる。
置かれた瓶に人々が銀貨や銅貨、中には金貨を投げる者までいた。
その後、人もはけて椅子の上に座りながら奏唄族の少女は瓶の中身を改める。
「やっぱり、路上で弾くのは良いね。稼ぎが良い。おや、金貨もあるじゃないか。羽振りの良い客でもいたのかな?」
ほくほく顔で金貨銀貨銅貨を確認するアリア。ふんふふ〜んと鼻歌を歌いながら、いそいそとお金をしまっていく。
瓶を入れ、落とさないようにぎゅっと鞄の口を閉じる。
「うんうん、これなら良い手入れ道具が買えそうだ。こないだの嵐でちょっと痛んでしまったからね。少しばかり手入れ道具を補充したかったんだ」
アリアは自らの持つイリアン・パイプスを優しく撫でる。奏唄人にとって楽器とは自らの半身に近い。だからこそ、その手入れには気を抜かない。
「さて、これからどうするかな。昼食には早いし、かといって一人でこれ以上出歩くのもお金がある今は危険か……っと。おや? 」
ふと人混みの中に見知った顔を見つける。眉間に皺の寄った不機嫌そうな灰色の髪の男。
遠目にだがたしかにあれはエンリケだった。周りは知らない男が一人いた。彼らはそのまま何処かへ歩き去っていく。
「ふむふむ、誰とでも行動する訳でもなく、更には周りには知らない人がいる。これは事件の香りがするね」
吟遊詩人としての嗅覚と奏唄人の聴覚が、これは楽しいことだと囁く。
「ふふっ、ボクの名は探偵アリア♬フィールド! 解けない謎はない。真実は常に一つ!」
「そうなのか? 自分はてっきり吟遊詩人だと思っていたのだが」
ピタリとノリノリの口頭を止める。
そのまま油が切れた歯車のように振り返るとそこにはビアンカがいた。
「は、白翼。いつからそこに?」
「ふむ、自らを探偵と言った所からだ」
「あぁ、やめてくれ。恥ずかしくなってくる……」
「恥じることはないだろう。それが貴様の生き様なのだから胸を張れ。それで今、あの男がどうとやら言ってなかったか?」
珍しく恥ずかしくなり帽子を深く被り顔を隠すアリアを考慮することなく問い詰めるビアンカ。
「あ、あぁ。さっき客人さんが見えてね。知らない人と一緒だったからつけてみようと思ってね。けど、白翼もいるならやめておくよ」
「……いや、行くぞ」
「え?」
「あの男が知らん人間と共にいるなど何か企んでいるのかもしれん。ならばそれを暴く必要がある。言い出したのは貴様だ。まさか嫌だとは言わないよな?」
その目は険しく、アリアは頷くことしか出来なかった。
エンリケは待ち合わせ場所へと向かうと、そこにはリューグナーがいて案内すると言われた。
「本当にこっちで良いのか?」
「あぁ、我々の隠れ家は複数あるからな。謝礼はそこで払う事になっている」
リューグナーはこっちを見ずに話す。
エンリケはその様子にさして機嫌を悪くすることなく後に続く。
やがて、表町から裏町と呼ばれる所に入った。
ロレンが根城としていた場所よりも治安が悪く、雑にボロ布を被せられただけの死体が放置してあった。どうにも陰鬱とした、生温く嫌な空気が流れている。
その雰囲気をエンリケも感じ取る。念の為、コートの中に手を入れ準備しておく。
リューグナーはある程度進み、止まった。
「着いたのか?」
「あぁ。ここで良い」
ずらりと10人近い男たちがそれぞれ武器を構えエンリケを囲む。誰もがカタギの人間ではない。
(やはりこうなったか)
エンリケは眼鏡をかけなおしつつ、一応尋ねる。
「一つ聞くが、これはボンターテの指示か?」
「いいや、関係ない。これは俺自身の報復だ。お前のせいで、コロナス様はもう終わりだ。確保され、計画も大幅に狂った。このまま行けば何れ奴との取引もバレる。そうなれば俺たちも終わりだ」
「あぁ、なるほど。お前らはそっち側の人間だったという訳か。パルダガスを蹴落とし、その地位を奪うために」
つまりは反パルダガス。
それがリューグナーの正体であった。
「本当に耄碌したか、あの爺ぃ。だがお前達とてこの俺を殺すということはどういう事かわかっているのだな? 大した忠誠心だ。余程そのコロナスは魅力溢れる男らしい」
「いいや、確かに俺たちは親父……パルダガスに反旗を翻した。だが、それはコロナスの為じゃない。もっと上だ」
「何?」
「お前に語る必要はないがな。とにかくコロナス様が捕まれば《ボンターテ》での俺の居場所はもうなくなる。ならせめてもの報復として貴様を殺す。それが我々の望みだ」
「ふむ、それは困るな」
エンリケはコートの中身の注射器を左にいた二人に投げつけた。いきなりの攻撃に反応が遅れ、注射の針が刺さる。
瞬間、刺さった二人が膝から崩れ落ちた。
注射器の中身は全て即効性の痺れ薬であった。倒れた二人の方向へ駆け抜け、包囲を突破する。
「ぐっ、殺せ! 絶対に逃がすな!」
背後より怒声があがる。
エンリケは振り返る事なく逃走する。
矢が飛んできて、エンリケの肩をかする。
「ちっ」
肩を抑えつつ、近くにあった樽などを蹴飛ばし障害物をつくる。しかし、リューグナーらも手練れなのか殆ど間を置かず躱してついてくる。
再び前を向き、舌打ちする。
目の前は行き止まりだった。
「よくもやってくれたな。だが、これで終わりだ」
「ふんっ、驕るなよ小僧が。勝ち誇っているが、まだ殺した訳ではないだろう」
「ほざきやがれ! すぐに殺してやる! いけッ!」
男の一人が硬い棒のような武器を使って真上から殴ってくる。エンリケはそれを両手を交差して受け止めた。おおよそ人を殴ったとは思えない硬音が鳴る。
「なんだ!? 中に鉄板でも入ってるのか!? んっ!?」
エンリケが懐から何かをばら撒いた。男はその粉を吸ってしまった。
「ぐぎゃぁぁぁぁ!! 目がっ、鼻がっ、鼻がぁぁぁあぁ!!」
瞬間男は鼻と目を抑えてのたうち回る。その尋常ではない様子に他の構成員が二の足を踏む。
「殺すならば、そちらこそ覚悟をしておけ。俺は強くないからな。だから、精々貴様らが後遺症に悩まされるくらいの抵抗と土産を置いていってやろう」
エンリケは《サンターニュ》で指名手配されている。
『毒針鼠』という異名。
それはエンリケを手出ししようとすると、死に物狂いで自身の持つ毒物を使って反撃してくるからだ。
エンリケは強くない。
例え"硬金"の武術を扱えようとも、達人ではないので全身そのものを一度に拘束する事が出来ない以上複数人に囲まれればいずれ拘束される。
だが"硬金"を覚える前からエンリケは『毒針鼠』の異名を得た。
それは昔からエンリケ自身は強くないのに、こちらの被害が加速的に増えていくからだ。
だからこそ、エンリケは危険視された。
その豊富な医療知識で生かすも殺すも彼次第であり、自身が死にそうになるとあらゆる毒物で自身が負傷するのも顧みず、撒き散らしてくる。
その殆どが後遺症が残る。治す術も本人しか知らない。
それはあまりにも厄介であった。
男達は迂闊に攻められなくなった。
当然だが、この時代後遺症が残ればそれだけで自身の命運が尽きると言っても良い。金は欲しいが、命はもっと惜しい。
膠着状態に陥り、睨み合う両者。
「慌てるな! なら離れて矢で殺せば良い! ……おい!? 聞いてるのかさっさと」
リューグナーが命じたにも関わらず動かない部下に痺れを切らして振り返ると背後の男達が皆突然糸が切れたように倒れていた。
「どうした!? ぐっ、なんだこの音は……!」
何やら奏でられる音。意識とは別に身体中の力が抜け何人かの男が倒れ臥す。
ぐらりとリューグナーも来るが、何とか耐える。
更に上から何か白い女が現れたと思うと残った男達も瞬く間に制圧する。
「なっ!? 誰だ!?」
「名乗る必要も、義務もありはしない。ただ沈め」
強力な曲刀の柄による突き。
鳩尾に入ったリューグナーは吐血する。
「ちくしょうっ……! 俺は、こんな肥溜めみたいな所じゃなくて……もっと、成り上がりたかっ……!」
リューグナーはそのまま気絶した。辺りには男達が全員倒れ臥す死屍累々の状態となった。
「何故お前らがここにいる?」
空から現れたのはビアンカ。
途中で奏でられた音楽はアリアによるものだった。
「助けてもらって太々しい態度だな、貴様は」
「やぁ。ふっ、これは運命さ。風の妖精がボク達に囁いていたんだ。『汝、風の導きに応じよ。さすればーー』」
「偶々偶然コイツがお前を見かけただけだ」
「ちょっ、そんな身も蓋もない言い方」
「ん? 事実だろ?」
「そうだけどさぁ……もっとこう、雰囲気というかさ」
「何の話だ。しかし風の妖精などお前は時々ノワールみたいなことを言うな」
「いや、実際妖精は実在するから。ボクらの語りにも、伝承にもその存在は確認されているよ。ボク自身は見たことないけど」
至って真面目に語るアリアに対してビアンカは半信半疑だ。
「まぁ、良い。しかし無様だな、キチンと体を鍛えないからそうなる。よほど恨みでもかったか」
「そうだな。恨みは恨みでも逆恨みだ。それに数の差もあったしな。不覚を取ったのはまた認めよう」
「その程度、気合いでなんとかしろ」
「脳まで筋肉で出来ているのかお前は。いや、鳥は確か空を飛ぶために軽量化を図る一環として骨の骨密度を下げているらしい。お前もまた、空を飛ぶための軽量化の為に、脳の容量が少ないと見える」
「なんだと?」
「ちょっ、なんで二人揃って喧嘩腰なのかな!?」
剣呑になる二人を宥めるアリア。
瞬間、険しい表情でビアンカが路地の角を睨んだ。
「誰だ!?」
やがて路地からまたも二人を先頭に複数人が出てくる。
「ひょほほ、おやおや心配は杞憂じゃったようだの」
「無事か、先生」
現れたのはロレンとセリュー。更にはボンターテファミリーの構成員ら複数。
(……五人だとはわかったが、あの爺いの存在は分からなかった。何者だ?)
「待て」
するりと警戒の間をぬって現れた二人と複数の男にやはり新手かと構えるビアンカを制する。
「問題ない、味方……といってよいかわからんが、知り合いだ」
「何だと?」
「それで? お前らは今更何の用だ?」
「リューグナーが怪しい動きをしていると、コイツから連絡が入った。そんな話は聞いていなかったから、もしやと思い来てみれば……ばか者め。ボスを裏切るなど」
怒りと何処かで悲しそうな目でリューグナーを見た。実際幼い頃からパルダガスに拾われて以来一緒だったのでセリューは様々な感情が渦巻いている。
その様子を見ていたアリアがやや遠慮がちに手をあげる。
「あのー……誰?」
「ただのしがない情報屋じゃよ。アリア♬フィールド」
「ボクの名前バレてる!?」
「そりゃ、酒場や路上であれだけ伴奏していれば有名になるじゃろうて。それでそちらはビアンカ殿だな」
「……」
「おっと剣を構えようとするでない。儂はただ名前を言っただけじゃ」
「情報屋、余り余計なことを言うな。だからお前はいらぬ恨みを買うのがわからないのか」
「ふむぅ、若人を揶揄うのは老人の数少ない楽しみであるんじゃがのぉ」
セリーの叱責にひょほほと笑う。
残念とばかりに肩をすくめるが反省をしているようには見えなかった。
エンリケが話を元に戻す。
「それで今更何をしに来た? 注意ならもう事が終わったから何の意味もなさないぞ」
「いや、本当ならばリューグナー達が先生に手を出す前に止めるつもりだったんだが、見ての通り間に合わなかった。それにこんな、恩を仇で返すような真似をして本当に申し訳」
「謝罪などいらん」
「分かっています。だからこそ、ケジメをつける」
何をする気だと睨む。
「どうかこれで許してほしい」
腕を縛ったセリューはそのまま自らの小指を切断しようとした。エンリケはすぐさま自らの腕を剣とセリューの小指の間に突き入れて、剣撃を"硬金"で弾く。
「やめろ。医者の前で態々傷を作ろうとするな。それにお前がそんなことをすれば俺があの爺ぃに怒られるだろ」
「だけどっ」
「良いから剣を戻せ。でないとそのまままたへし折るぞ」
「わ、わかったからまたへし折るのはやめてっ!」
泣きそうな顔をしてセリューがククリ刀を納める。
一連の流れを見ていたアリアはほっとしていた。
「よ、よかった……いくらなんでも鮮血沙汰は余り見たくないからね」
(何だ? 今あの男はどうやってあの剣を防いだ? 素手だぞ?)
安堵するアリアに、どうエンリケが防いだのか猜疑心を強めるビアンカ。
「それで話は終わりか? 終わりならさっさと帰れ。報酬は後日また受け取る。今は機嫌が悪いからな」
「まぁ、待たれい。伝えることはまだある」
「お前がか? ロクでもない事でないだろうな」
「ふむぅ、まぁ、良い事ではないのう」
ロレンが髭を摩りつつ、真剣な眼差しになる。
「要点だけ伝えておこう。お主の仲間、オリビア・コンソラータが<サルヴァトーレ>に攫われたぞ」
宜しければブクマと評価の方よろしくお願いします!
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