裏街
新しい筆者の作品『こちら冒険者ギルド、特殊調査官! 貴方に魔獣の情報をお届けします!』を投稿しています。よろしければ、ブクマと評価よろしくお願いします。
《サンターニュ》は、今の時代において最も繁栄している港街と言っても良いだろう。
訪れる大量の船、齎される数々の異文化の調度品、莫大な金銀財宝、あらゆるものが此処には集う。
しかし、如何に大航海時代を象徴する港街であろうと必ずある場所というのがあった。
煌びやかな表街と違い陰鬱な雰囲気が漂う此処は裏街、或いは貧民街とも呼ばれる所であった。
ここにあるのは時代に乗り遅れた過去の建築物や乗る事の出来なかった、或いははぐれ者だけ。管理する人間がおらず、荒廃した家々が立ち並び、途中に同じくボロい布や木を立てかけて家とする人々だけがいた。
誰もが暗い顔をし、明日をも知れぬ日々を過ごし、犯罪が横暴する。喧嘩、暴行、殺人など日常茶飯事で、一部では粗暴な海賊達の裏取引場所として利用される裏街は、《サンターニュ》の兵士であろうと用意には此処には来られない。
入り組んだ道は《俊走竜ヴァロニクス》であろうと立ち往生してしまうのだ。また、一部の兵士は金と引き換えに犯罪行為を見逃してすらいた。
そんな中、壊れかけの建物を背に、地べたに座って物を売っている一人の老人がいた。
「誰かぁ、物はいらんかねぇ?」
彼の名はゴーイ・モノ。
燻んだ髪に白髪が入り混じり、痩せた頰には垂れ下がった馬の尾のような髭が伸び、ボロいローブを身に纏う様は浮浪者であった。
彼は地面に粗雑に商品を置いてあるも、どれもこれもそこらで取れるものだったり、価値がないものばかりだった。
「あ〜……誰か買わんかぁ? 買っておくれぇ」
道行く人に話しかけるも誰も相手にしない。彼らもまたゴーイと同じような格好で、物を買う余裕などないのだ。
ゴーイは周囲の人々を観察するように見、時折声をかけるも相手にもされない。
そんな中、近付く一人の人影があった。灰色の髪の、不機嫌そうな男。誰を隠そうエンリケであった。
「火鼠の干物1つ、葵陽花の茎を1束、酒乱しめじを乾燥させたものを6個、あとこのボロいナイフを3つ貰おうか」
「あぁ、ついでに酸レモンの種はいらんかぇ?」
「そうだな。5つ貰おうか」
淡々と互いに言葉を交わす。
側から見ればただの買い物にしか見えないが、皺々の顔の瞳の奥が、妖しく光った。
「う〜ん、店の中を確認するからアンタも着いてきてくれんかのぅ?」
「わかった」
ゴーイは背後の家にエンリケを案内する。誰も二人を気にするものはいなかった。
扉が閉まった後、ゴーイはエンリケへと振り返る。
「さて、何用じゃ? 古き暗号を知る者よ」
雰囲気が変わる。
痴呆の老人の装いが消え、狡猾かつ老獪な雰囲気の漂う者に変わり、その目は鋭く、値踏みするようにエンリケを見ている。
「御託は良い。さっさと本題を入るぞ、ロレン」
その言葉に、ゴーイはーーロレンは態とらしく目を丸くする。
「ひょ? 儂はお主の事は知らぬが。そもそもロレンじゃないぞ。儂の名はゴーイ・モノじゃ」
「ふんっ。演技もそれくらいにしたらどうだ。貴様にとって俺は恩人といっても差し支えないはずだぞ。……右手の小指の様子はどうだ? 壊死していて、俺が切らねば貴様は右手そのものが腐り落ちていたぞ」
その言葉にゴーイは微かに目を見開く。
「……これはこれは、どうしてか生きておられたのか『毒針鼠』殿」
「『ドブネズミ』と揶揄される貴様にだけは言われたくはない」
「ひょひょ、ロレンの名も、異名も懐かしいのう」
ロレンは白い髭を撫でりつつ笑う。
エンリケがロレンを探し求めた理由。
それはロレンは《サンターニュ》を知り尽くした情報屋だからだ。それも裏に道に通じた。
先程のゴーイ・モノとは偽名だ。だがロレンも偽名だろう。
実際の本名は誰も知らないのだろう。本人もまた語る気がないのか、そもそも名前など重要視していないのか。
どちらにせよ、それは大した事ではない。今名乗る自身の名を、ある意味本当とは言えないのだから。
「いやはや十年ぶりか。お主も老けたの。最初に会った時気付かなんだ。じゃが、些か不用心じゃな。今もお主とあの『兇猛王』の手配書があるんじゃぞ?」
「貴様に気付かれなかったんだ。それに10年の歳月は長い。記憶も摩耗するのであれば、俺を俺と判断できる者はルスコールの者ぐらいだが、奴らは既に壊滅した。ならば憂いなどない」
「まぁ、そうかもしれんが。お主の人相も変わったものじゃのう。まるで目つきの悪い藪医者……ん? いや、待て。お主の目にあるのはそれだけじゃないな。これは無関心か……? むぅ、わからん」
「……」
ロレンは僅かに話しただけでエンリケが以前と変わった事に気付こうとしていた。内面を探られるのは嫌いなので、さっさと話を進める事にする。
「この街も変わった。前に訪れた時よりも見たことのない建物が増え、多種族の姿も見られるようになった。これが年月が経つということなのだろうな」
「そうじゃろそうじゃろ。海の上で過ごすお前さんらには実感しにくいと思うが、陸の上で過ごす我々は齎される物資と技術によって日夜進歩し続けている。栄えるものもおれば、逆に衰えていくものもな」
「やはり、色々と裏の方でも変化が起きているのか。当然か、表の方でも起きているのだからな」
「その様子だと、気付いた事がありそうじゃな」
「あぁ」
エンリケは本題に入る。
態々この老人を探した理由を。
「ボンターテの影響が落ちている。この裏街の一帯もかつては奴の影響化にあって、活性化していたのに今や見る影もない。表通りと違って陰鬱な雰囲気に満ちている。俺はある目的があり、その為には船大工が必要だ。だが今の街の船大工は金ばかり取り信用ならん。……癪ではあるがあの爺の修理屋がこの街では最も信用できるのにだ。しかし、街を歩くがあまり見かけない。一体何があった。あの爺が死んだとでも言う気か?」
「その通りじゃよ。奴は死にかけている」
死んではいない。
だが死にかけている。
その言葉にエンリケは眉を顰めた。
「どういうことだ。あの爺がそう簡単にくたばるものか。いや、もしや暗殺でもされかけたか? だが、用心深い奴がそんな足元をすくわれるとは思えん」
「ひょひょひょっ、それには金がいるのう」
「くれてやる」
情報屋のロレンは金がなければ動かない。
リリアンから街に行く時に予め渡された金を無造作にロレンへと放り投げる。彼は雑に放り投げられた金を大事そうに、慣れた手つきで確かめる。
「む、これはこれは。一貫性のない金じゃな。模様も見たことない国のも混じっとる。まぁ、溶かせばどれも同じか。……よし、わかった。教えてやろう。ボンターテの首領、パルダガスじゃが、あやつは今謎の病に侵されておる。そのせいで、今は表舞台に立つことも難しく治療に専念しておるという訳じゃ。未だに病は治っておらん。そのせいか奴を見切ったものもおり、部下の統率も殆ど取れて居らぬ。今奴の元におるのは忠誠心のある者と恩義に報いようとするものだけじゃな」
「なるほど、その忠誠心のある者の中に船大工はいるのだな?」
「おるぞ。最も向こうも色々と嫌がらせを受けて殆ど開店休業状態らしいがな」
「殆どはもう一つのマフィア、サルヴァトーレに覆えしたという訳か」
「まぁ、賢い選択じゃな。誰が見てもボンターテは落ち目じゃ」
ロレンから見てもそうなのなら、ボンターテは相当まずい状況なのだろう。良くも悪くも、パルダガスはカリスマがあり、彼を中心にボンターテは形成されている。
彼が死ねば瓦解する可能性が高い。だからこそ、今の内にというわけだ。
「とにかく、奴は今死にかけておる。向こうもそれがわかってか、警戒心が強い。恨み辛み……まぁ、逆恨みじゃが。とにかく殺そうとする奴らが後を絶たないからの。お主も今近づけば無傷ではおれんぞ」
「どの道近付かねば会うも何もないだろう。向こうから会ってくれる訳でもあるまい。それじゃ、邪魔をしたな」
「あいや、待て。本当に行く気か? 儂の話を聞いておったか? 今近づけば殺されかねんぞ」
「言ったであろう? 奴に用があると」
「だからじゃ。何故お主一人で行く必要がある。『兇猛王』と一緒に行けば良いじゃろう。お主らはいつだってそうして来たではないか」
「あいつは死んだ」
「は?」
「死んだ」
ロレンは初めてその表情を崩した。
どこまでも無気力に、淡々としたエンリケの様子に、何かに気付いたようにハッとする。
「お主……だからか、そこまで死に急ぐのは」
「話は済んだな。だったら俺は行くぞ」
「待たぬか。全くせっかちじゃのう。少しは老人の話を聞け。……仕方あるまい、仲介もしてやる。お主の居らぬ10年の間でこの街もかなり変わった。パルダガスの元々居た場所は既に引き払い奴は別の場所へと居場所を移しておる」
「なに? 何が目的だ。金はないぞ」
「いらぬよ。貰った量が多いからな。その分だ。儂は対価にはちゃんとした働きで返す男じゃ」
「危険になれば真っ先に逃げるのだろう?」
「とうぜんじゃ、生きてこそじゃからな。ワシの異名を知ってるじゃろ? 裏町をちょろちょろと逃げ回る事など実に容易い」
ひょひょひょと笑うロレン。
彼はそうやって命を狙われた時、逃げ続けてきた。
だからこそ、彼は『ドブネズミ』の異名を持つのだ。




