未だに夜は明けず
その後もエンリケとリリアンは歩き続ける。
時折鳥のような鳴き声が聞こえ、その都度リリアンは身体をビクつかせながら、エンリケの服の裾を掴む。
「さっきアンタ帰るって言っていたわよね? どうやって帰り道分かるの?」
「いくら植物が成長しようと元の土台となった所は変わらん。謂わば根に当たる部分だな。あの大きな木を覚えているな? あれを中心に木の根が放射状に外側へと伸びている。そこを辿れば自ずと目的の場所、最悪でも海岸には戻ることが出来る」
エンリケは時折しゃがみ、足場の根を確認しながら迷いなく歩く。その足取りには迷いがなく、リリアンは少しばかり心の余裕が出来た。少なくとも今の自分じゃ足取りに迷いがあっただろう。
「はぁ……こんなことになるなんてきっとコローネも心配してるわ」
「そうだろうな。もしかすると今も探しに森に突撃しようとしているかもしれん。この島で夜に突っ込めば二次災害になりかねん。オリビアが止めてくれているのを願うしかない」
「そうよ、コローネは昔からそう。自分の好きなようにして自分が怪我をした時には大丈夫って全く気にしないの。なのに、仲間の危機には直ぐに駆けつける。本当ばかなんだから」
口ではバカにしながらも、その顔は少しだけ誇らしげだった。
余裕が出来たからか、いつもの調子に戻ってきたなとチラリとエンリケは確認し、話を続ける。
「そうだろうな。ブラジリアーノに俺が壁にめり込まされた時もあやつはまだ薬が抜けきっていないのに立ち上がろうとしていた」
「は? めり込み……アンタよく生きていたわね」
「身体の頑丈さだけには自信はある。体力の方は年相応に衰えてきているがな」
「そういやアンタ何歳なのよ?」
「今年で三十半ばか。悪いが貴様の国の年表と俺の国の年表が一致しているかもわからんからな。正確な年齢はわからん」
「ふぅん。因みに私は18よ! アンタと違って若いんだから」
「ほぼクラリッサ・ルルと同じか」
「え? 人魚と人間の成長速度は違うし多分あの子、私たち言った年齢よりも若いわよ。会った時もあの姿じゃ無かったし。多分私たちに換算したらリコと近いんじゃない? それにしても色々と差が出てるけど」
「……何?」
衝撃の事実。
確かに人魚族や魚人族は成長が早いと聴いた覚えがある。
エンリケは帰ったらその辺りをクラリッサに問い詰めてみようと決意する。そういった所がデリカシーがないとオリビアに言われているのだが、この男全く懲りていない。
それにしても、とエンリケは思う。
「……本当にC・コロンは俺たちを探していると思うか?」
「いるわ、確実に。だからこそ、可及的速やかに私たちは船に戻る必要があるのよ」
「二次災害を防ぐ為にか。お前が此処にいるとなるとブレーキ役が存在しないからな。夜になっても森に突撃する姿が目に浮かぶ」
「うっ、わ、わるかったわよ。軽率だったわ」
コロンを止めるのはリリアンだ。
オリビアもまた止めてくれるだろうが望み薄だろう。
ふとエンリケは気付く。
周囲には自分達以外誰もおらず、話を聞かれる心配はない。ならばずっと問いかけたかった事をこの少女に聞こう。
「丁度良い、リリアン・ナビ」
「何よ?」
「お前にとってC・コロンは何だ?」
先程とは違う声色の問い。
エンリケは歩みを止め、ジッとリリアンの目を見ていた。彼女の瞳の奥にある真意を確かめるように。
リリアンもそれを感じた。
何か重大な事を聞かれているような、そんなもの。
いつも無気力で、何処か諦観や達観したようなエンリケが、嘘は許さないと灰色の瞳でこちらを見ていた。
それに少しだけ気圧されながらもリリアンははっきりと答えた。
「何って、親友よ。それがどうかしたの?」
単純明快、たった一言の答え。
それを聞いたエンリケは暫し瞑目する。
「……そうか。なら大事にしろ。親友とは何物にも変えがたいものだからな。喪ってしまえば、もう取り返しはつかない」
そして何事もなかったように歩き出す。
万感のこもった言葉にリリアンはほんの少しばかり気にかかったが蝙蝠が飛び立ったり蛇が現れたりと直ぐに余裕が無くなり、すっかりその事を忘れてしまった。
暫く二人は暗い夜道を歩き続ける。
しっかりとした足取りのエンリケと比べてリリアンの足取りはギクシャクしていて遅い。
「ねぇ、ま、まだ着かないの……?」
「少し静かにしろ。魔獣に鉢合わせないように避けたりしているのだから時間がかかる」
「うぅ……わかってるわ。わかってるけど……」
リリアンはよっぽど怖いのか、ぎゅーと擬音がつくほどにエンリケの腕を掴む。もはや体裁を取り繕うどころでないらしい。
コートが皺になったら困ると思いつつも、指摘すれば面倒くさいことになると経験からわかったので、あえて何も言わない。
「にゃっ、ななな何か音がしたわ!」
「ただの枝を踏んだだけだ」
「ひぃっ! ぬめって! ぬめってしたぁ!」
「苔だ。いちいち騒ぐな」
「わぁぁ、なんかあそこで白い影が!」
「月光が木に遮られながら僅かな光で光って見える葉が、揺らいでそう見えただけだ。ただの錯覚だ。騒ぐな」
リリアンは事あるごとに怯え、騒ぎ立てる。余程暗闇が苦手らしい。
だが騒がれるのを聴かされる方はたまったものではない。その度にいっそ気絶させた方が静かになるのではと思う心を自制し、森を進む。
リリアンと合流した時より目的地には近づいたが、いまだに《いるかさん号》の船は見えない。
ちらりと背後のリリアンを見る。彼女はかなり疲弊していた。
「少し休憩するか。先程から歩いてばかりだったからな」
「そうね。それにしても、あぁぁ……喉乾いたぁ……」
「散々に喚きたてるからだ。少しはおとなしくすることは出来んのか。体力を温存しろ。何時もの態度は何処にいった」
「うぅ……うるさいぃ……」
「……重症だな、これは」
ぺたんと、根っこに座って項垂れる様子に予想よりも追い込まれているとエンリケは感じた。
少しばかりまずい。
リリアンの体力も心配だが、もし仮にこの場で魔獣に襲われたら戦えるのはリリアンだけだ。もし彼女が疲弊しているせいで負けたら、その時点で二人は仲良く魔獣の腹の中だ。
ならばこの場は彼女の体力を戻すのが先決だろう。
そう判断したエンリケは、植物が詰まったリュックから果物を取り出し彼女に放り投げる。
「ほれ」
「えっ、わわ。いきなり投げないでよ。……な、何これ?」
「《サラマン・グラヴィオーラ》だ。赤い竜の鱗のような見た目をしているが、簡単に剥がせる。あと、内部には硬い種があるから噛まないようにしろ。歯が欠けてマヌケな面を晒したくはないだろう」
「うっさいわね! ……本当にこれ、食べれるの?」
「こういったジャングルでは希少なえぐみのない果実だ。まぁ、少し酸味はあるが。それでも水分を取らないよりマシだろう」
エンリケはするすると皮を剥き、現れた赤い果肉に齧り付く。それを見ていたリリアンが、慎重に鱗に似た皮を剥いて、恐る恐る口をつける。
「……おいしい」
確かに少し酸味があったが、それは林檎と何かを混ぜたような甘酸っぱさだったので全く問題にはならなかった。
気付けば無心で食べていた。勿論、中央にある種は噛まないように気をつけて。
食べ終わる頃には喉の渇きはなくなっていた。ほぅ、と息を吐くリリアン。すると突然首に何かが落ちる感覚がした。
「にゃっ!?」
「今度はなんだ」
「何か首についた! やだぁ、やだぁ! 」
「落ち着け、今見てやる。……これはヒルか」
うねうねと黒いブヨブヨとした生物。血を吸うヒルがリリアンの首に吸い付いていた。
「ヒル!? ヒルってつまり虫のこと!? もうやだぁ! 」
「待て、無理に取るな。傷口が広がって血が止まらなくなる。それにそもそもヒルは虫ではない。環形動物といって」
「どうでも良いわよ! ならこのままにしてろっていうの!?」
「少しは待たんか。これだから最近の若者は……」
ぶつくさ言いながらエンリケは鞄を漁り、青色の植物を取り出す。それを手の平にたくさん乗せ、リリアンに向き直る。
「よし、首を差し出せ」
「な、何をするつもり!?」
「傷口を広げずにヒルを離すにはヒル自身が離すようにするしかない。幸いヒルは環形動物。外部からの刺激に弱い。この島に生える植物は塩分を含むものが多いのでな。絞ってかければ驚いて勝手に逃げる」
「な、なるほど……。変なことしないでよ?」
「あと5年歳をとってから言え、耳年増」
「なっ!? ちちち、違うもん! じゃなかった、違うし!」
「わかったからさっさと首を差し出さないか、傷口が大きくなるぞ」
「ひっ、わ、わかったわよ……」
傷口が広がることを恐れたリリアンが恐る恐る背を向き、エンリケにうなじを見せる。エンリケは血を吸うヒルに向かって手に持つ葉を思いっきり握った。
うなじに滴り落ちる液体。
「んっ……!」
リリアンから声を押し殺した息が出る。
ヒルが驚き、吸うのをやめたのを見計らって掴み、その場に捨てる。
「まだ動くな。ヒルによって血が暫く凝固しないからな。ばい菌が入らないように消毒とガーゼをする必要がある」
「わかってるわよ」
「ならば良い」
その後、手慣れた様子で治療を完了するエンリケ。
リリアンはあまりの手際の良さに驚くも、それよりもヒルが離れたことへの安堵が優った。
「うぅ、酷い目にあった……」
「そんな軽装で森に入るからだ。長袖にしておくべきだろう。その分汗をかくから水分補給をこまめにする必要があるが。それよりもさっさと行くぞ」
「えっ? も、もう?」
「さっきの騒ぎで魔獣が聞きつけてないとも限らない。休憩も出来ただろう? なら早く移動するに限る」
「あ、待ってよ!」
リュックと鞄を手に、歩き出すエンリケ。その後を慌てて追いかけて腕のコートを握るリリアン。
最早自然にリリアンはエンリケのコートを掴んでいた。
「……アンタは全然怯えないのね」
エンリケの歩みには恐れがない。
それがリリアンには羨ましく、頼もしかった。
「大の大人が夜に散策するのに一々臆してられるか。世の中には魔獣や凶悪な犯罪を起こす輩がいる。そちらの方が身近だし、恐ろしい。俺は何人もそんな奴らの被害にあった患者を診た」
「確かにそうだけど……亡霊とか、幽霊とか出るとか思わないの?」
「ふんっ、俺は自分の目で見たものしか信じんからな。だから例の七不思議の亡霊も今は信じていない。ただの嵐が何かでボロボロになり破棄された船が偶々そう見えただけだろうと思っている」
「そう……。私は信じているわ」
「意外だな。貴様はそう言うのは信じない性格だと思っていたが。だから夜も得意と思っていた」
「良いでしょ、別に。……夜は好きじゃないのよ」
夜は嫌いだ。
自分一人だけが取り残されたように感じる。
自分はノワールと違い、夜が得意なわけじゃない。
だからこうして隣に人がいるのは安心感を覚える。
(って私は何を思ってるよの!?)
頼もしいと思ってしまう自分に、なんてアホなことを考えているんだ! とリリアンはブンブンと顔を振る。その際にツインテールが凄まじい勢いで左右に揺れ、エンリケはこいつ頭大丈夫かと憐憫な目でそれを見ていた。
それに……
(………私はコイツを置いていこうとしたのよ。そんな資格、ない)
そう、悪いのは全て自分なのだ。
自分の迂闊な行動と浅い考えが今日の結果を生み出した。
それなのに、自分はエンリケに頼ってしまっている。
情けないやら、罪悪感やらでリリアンの心はぐちゃぐちゃになる。
記憶が蘇る。
豪華な衣服に包まれた父が、同じく立派な仕立てを着ている子どもを抱き抱えていた。
それを遠くからリリアンは見ていた。
リリアンの服は、父親が抱き抱える異母兄弟のものと比べて明らかに質素であった。
だがそれは当然だ。
メイドと当主の間に生まれた、謂わば妾の子だ。妊娠が発覚した時、手切れ金を渡された後に追い出され、やがてリリアンが生まれた。その後色んなところを転々としつつ十年が経って母親が病気で養子として引き取られた。
父親は言った。
『お前は不本意だが私の娘だ。だから、私に従え』
父親が引き取ったのはリリアンへの情でも何でもなく、ただいずれ何処かに嫁がせる駒にしようとしたからであった。
引き取られたリリアンだが当然、義理の母は良い顔はしなかった。姉弟達も殆どが汚いものを見る目でリリアンを見ていた。使用人達も必要最低限に世話するだけで余り関わろうとはしなかった。
そんな場所にリリアンの居場所があるはずがない。
だから家にいるのが嫌で、抜け出した事がある。その時見た大海に私は感動した。
青く澄んだ空に、何処までも続く海。そこに光り輝く太陽が反射していた。
そして、そこに居たのがコローネだった。
当時、あそこには鬼の子がいると言われていたのをほぼ家に軟禁状態のリリアンは知らなかった。
最初はツノのあるコローネに怯えていたけど、次第に一緒に遊ぶようになった。
コローネの師匠にも会った事がある。
あの時は心底驚いたものだ。でも、そのおかげでコローネも私も海の偉大さ、広さを知った。
その後師匠がいなくなった後、コローネは言った。
『ぬぁーはっハッー! 決めたぞリリー! 私は海に出る! そうして師匠より先に海が丸い事を証明してやるんだ! だからリリー! 一緒に行こう! 私は、リリーの力を貸して欲しい!』
必要とされたのは初めてだった。
心が熱くなるのを感じる。
だけど、それでもリリアンは最初は首を振った。
この時になってもリリアンはまだ父親が自分を愛してくれるんじゃないかと思っていたのだ。
ある日、父親が言った。
『お前を嫁がせる』
妾の娘であるリリアンは貴族に嫁がせる事は出来ない。だから、当時国から私掠船として許可を得ていた力を持つ人に嫁がせて関係を持とうとしたのだ。
相手はいやらしい目でリリアンを見ていた。
やだと言ってもやめてくれない。
いやと暴れてもそれ以上の力で抑えつけられる。
その時、助けてくれたのもコローネだった。
何処から現れたのか、錨で窓ガラスを割って男を吹っ飛ばして私を助けてくれた。
その時、リリアンは決めた。コローネに着いていこうと。
最後にケジメとして家にあった《凍てつかせる氷鳥銃》を手に、父親を威嚇で撃った。
そうやってリリアンは……私はコローネと一緒に海に出た。
だから夜は嫌い。ずっと一人の夜を思い出すから。
男も嫌い。信じても裏切られ、あの日の夜を思い出すから。
だけど、今。私は男に頼り、そして守られていた。
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