『七不思議』
何時もの諦観したような瞳の中に、呆れを含んだ色合いでこちらを見るエンリケ。リリアンは、自らが驚いてへたり込んでいるのも忘れ、人がいた! と目を輝かせるもそれをバレないように誤魔化す。
「あ、あんた無事だったの!? よかっ……じゃなくて、ふ、ふんよく生きていたわねっ!」
「まぁな。それでもう戻っていると思ったのだが……ふむ、その姿を見るに迷子か?」
「ふんっ! 迷ってなんかないし勝手に勘違いしないでくれるかしら! 私はコローネ達の所に帰るんだから」
「そっちは全く別の方向だぞ」
「……」
へたり込んでいたのを誤魔化すように勢いよく立ち上がりスタスタと急んでいた足をピタリと止める。そのまま振り返りツカツカとエンリケに近寄り胸ぐらを掴む。その目は半泣きだ。
「えぇ、そうよ。迷ったわよ! 悪い!? 馬鹿にしたければすればいいじゃない! あぁぁ〜航海士ともあろう者が本業で道に迷うなんて笑い話だわ! アリアに言えばさぞ愚か者の話として唄われるでしょうね!」
「悪くなどない。寧ろ何の知識もなく入ればここではそれが当たり前だろう」
「うぅ、アンタに慰められるなんて屈辱よ」
恥ずかしいやら情けないやら。項垂れるリリアンに、エンリケは凡その事情を察する。
やはりというべきか、リリアンはエンリケを置いていった可能性が高い。最初の一言が無事だったの、ということは何か魔獣が出てきて逃げたという訳ではないのだろう。
自発的に置いてきたという証明だ。
別にエンリケはそれを責めるつもりはない。元々彼女の
に勝手に入ったのはこちらなので、別にこうして生きてる以上何か言うつもりは毛頭なかった。
まぁ、次怪我したら多少痛みの強い薬で治してやろうと思ったが。
とにかくこの場では、エンリケは変に慰めては火に油を注ぐだけかと判断しわざと挑発し発破をかけることにした。
「やれやれ、このくらいで気落ちするとは。《いるかさん号》の副船長であり、航海士でもある奴が聞いて呆れるな」
「なっ、う、うるさいっ。それにアンタだって迷子じゃない」
「迷子ではない。今正に帰ろうとしたに過ぎん。その過程で偶々、そう偶々お前を見かけただけだ。てっきり返っていると思ったから、もしや泣きそうになっているのかと思い、態々見にきてやっただけだ。まぁ、懸念通り貴様は泣いていたが」
嘘である。
エンリケは此処ではコンパスなど何の役にも立たないのを知っている。
そしてリリアンは、コロンやリコのような直感型ではなく、理論型なので必ず地図やコンパスで行き先を決める事を知っている。
そういう奴ほど、この島では迷子に陥りやすかった。
「泣いてなんかないし! ないったらないわ! あー、ちょっと今目にゴミが入ったから目を掻いてるだけよ! 拭ってるんじゃないんだから!」
「そうか。まぁ、この辺は花粉も多いからな」
「そうよ! 私は花粉症なの!」
明らかに嘘だと分かるがエンリケは突っ込むようなことはしない。
ぐしぐしと涙を拭った後、リリアンはいつもの気の強そうな顔に戻る。
「あんたさっき自分は迷子じゃないって言ってたけど、なら自分がいる位置と《いるかさん号》の場所がわかるっていうの?」
「あぁ」
「やっぱりね、嘘に決まって……え?」
「分かっていると言っている」
「うそ!? 本当!?」
驚愕と共にリリアンの顔にあるものが宿る。
それは《いるかさん号》に戻れるかもしれないという希望だった。
「なんでわかるのよ? この島、何故だかコンパスはぐるぐる回ってちっとも役に立たないし、目印としていた幹に巻いたロープもいつの間にか消えていたりするのよ?」
「そんなこと知っている。それでも俺は帰れると言っている。それはこの島の特殊性ゆえにわかることだ」
「特殊性?」
「そうだ。つまりこの島は島に非ず。巨大な植物の集合体だ」
「何言ってるの?」
「話は最後まで聞け。そんな阿呆を見る目で俺を見るな」
眼鏡を親指で押し上げつつ説明する。
「この世を航海する海の海賊達には7つの噂がある。一切の船が消息を絶つという《絶無の黒海》、海を漂う死者の船《バス・ダッチマンの幽霊船》、突然海賊船に降り立つ《天より来たる異邦人》、あらゆる島を食らったという《嗤う島喰い》、見たことのない技術と数多くの資源が眠るという大陸《黄金大陸》、海の底にあるという人魚の宝《海底の宝石箱》。そして、沢山の船乗り達が見た、到着したというのに決して同じ所には存在しないという《幻島》」
通称『大海の七不思議』。
船に出るものならば一度は聞いた事はある話であり、大航海時代の今なおこの七つの不思議は解明されていない。
リリアンはむっとする。
「それくらい知ってるわ。常識よ」
「そうだ。そしてその一つ《幻島》がこの島だ」
「はぁ!? そ、そんなの信じられないわ……!」
「お前はコンパスを持っていたな。だが一切反応しなかっただろう。当然だ、この島には方位磁針を狂わせる特殊な磁気を放つ植物がある。それによりまず方向を失う。一度入れば植物で遮られ、方位も分からなくなる。更にはこの島は植物だらけで目印らしい目印もないからな。リコのロープを巻いていたが、これがまた厄介なことにこの島の植物は常に凄まじい速度で成長する。貴様の見失ったロープは恐らく巻いた位置より遥か上方にあるだろうな」
エンリケの語る内容にリリアンは開いた口が塞がらない。
確かにそれなら納得出来る。いや、感情は全く納得していないが理性ではエンリケの言う事が一理あると同意している。
確かに島ならば地磁気がある。強烈な地磁気であればコンパスが狂うのもやむなしだろう。
だが、それは島ーーつまりは鉱物が存在する場合だ。植物が地磁気を狂わせるだなんてリリアンには思えなかった。
「信じてなさそうだな。経験不足というやつだ。磁気を狂わせる植物など昔から存在している。そうだな、なら一つとある話をしてやろう。エルフという種がいた。俺も見た事はないが奴等は見た目麗しい姿と長寿である事から多くの愚か者たちが、彼らを手にしようとし、住むと言われる森へと侵攻した」
「昔からロクな事しないのね……」
「だが、軍は森に入ったっきり誰一人として戻っては来なかった」
「は?」
「全員森の中で餓死か、獣に食われた。全くもって救いのない話だな。奴等はエルフの元に辿り着けもせず、森を彷徨って壊滅したのだ」
コンパスが狂い方向を失い、更には植物に囲まれ自らの位置すらもわからなくなった。
戦う事なく、兵士達は森の大自然に呑まれた。
以来その森は《彷徨う死の森》とされ、入ることを禁じられたという。
エンリケの話を聞いたリリアンはそんな事が……と珍しく冷や汗をかいている。
ーーだが、その話には続きがあった。エンリケは知らなかったが、その後偶然森を出たエルフの一人が人間の手によって殺された。
浮世離れしているエルフであるが、同族意識はかなり強かった。報復として付近の都市そのものが植物に覆われ、やがて森の一部となり地図から消えた。そこは偶に訪れるトレジャーハンター達によると、僅かに人工物の痕跡があるだけの森となったらしい。
人が作り上げた都市を簡単に自然に葬る。
それほど植物とは恐ろしいのだ。人間が作り上げた人工物など、容易く呑み込まれるだろう。
「そうして方向を失った所に植物は常に成長し、島は形を変える。故に、あらゆる上陸した人間はこの島に呑まれる。《幻島》の由来である、同じ場所に存在しないというのは、この島自体が植物の集合体で常に海流によって移動するからだ。そう、名付けるならば《彷徨い蠢く植物島》とでも言うべきか」
「……なるほど、それで地図には記載されてなかったのね。あの看板も呑まれるってのは森に呑まれるって意味だったのね」
リリアンの理解は早い。
この島の素性が地図に無かった理由。
看板の意味。
植物であるが故の成長による形の変化。
それらが全て《幻島》が《幻島》である由縁であると分かった。
だがそうすると一つ疑問が残った。
「ってちょっと待ちなさいよ。なんであんたその事を知ってーー」
「置いていくぞ。この島の植物は成長速度が異常に早い。同じ風景など二度と存在しないからな。自らC・コロンらを探すのならば好きにしろ」
「ちょっ、待ちなさっ、ひうっ!」
慌てて追いかけるリリアンに反応したのか草むらから鳥が飛び去っていった。
「掴まれると動き辛いのだが」
その言葉にハッとする。いつのまにか自分はエンリケの腕を掴んでいた。
「か、勘違いしないで、これは決して怖くて掴んだ訳じゃないわ。盾……そうアンタを盾にしているのよ。良かったわね、こんな可愛い女の子の守れるなんて男として誉れあるとは思わない?」
「……」
「まっ、ちょっと、待ってよ。ごめんって、無視しないでよっ。ひうっ。あ、歩くの早いわよ。少し遅くしなさいよ。全く女の子の扱いがなっていないんだからっ」
慌てて謝罪しながらリリアンはエンリケの後を追いすがる。
ここでまた一人になるのは嫌なのだ。
二人は暗い森の中を歩き始めた。




