不穏
船での生活とは案外暇なものである。
変わり映えしない風景に、やることといえば風の動きに合わせて帆の角度を変えたりするのみ。本来ならば海流の様子など流されないか、方向がずれていないか羅針盤をつぶさに見る必要があるが龍という大型魔魚に牽引されている《いるかさん号》では自ら泳ぐため、流される心配がない。これだけで普通の船でしなければならないことの3割はなくなる。
勿論海賊や魔魚が襲ってくることがあるがそれは稀だ。広い海でそれらと出会う確率はかなり低い。勿論魔魚がずっと襲いかかってくる海域もあるがそれは今の所通っていない。だから航海が順調の場合、ほとんどの場合好きに時間を潰すことになる。
「むぐぐぐ……ほっ!」
難しい表情をしたリコがけん玉の玉を掴み、振るう。けんの部分は大きく弧を描いた。
リコが挑戦しているのは『飛行機』と呼ばれるけん玉の技の一つだ。玉を掴みけんの部分を弧を描いて一周させ玉に入れる中々に難易度の高い技だ。
案の定けんは玉に入ることなく失敗する。
「あー、また失敗したでありますー!!」
「力を入れすぎだな。遠心力がかかり過ぎている。さて、これで10回全て失敗だな」
「そ、そんなぁ! ししょー、もう一回! 一回だけお願いするでありますー!」
「断る。さて、約束通りこれを片付けて貰おうか。おっぽ、ケイト、連れて行け」
≪うききー!≫
≪うっきー≫
「ふぇ、う、裏切ったでありますか二人ともー!」
イヤイヤと首を振って抵抗し、エンリケの腰に捕まるリコを連れ出そうとミラニューロテナガザルのおっぽとケイトが引っ張る。しかしリコも離さない。さながら綱引き合戦だ。コートが伸びるだろと拳骨でもしようかと考えていると
「一体何を騒いでいるんだい?」
「何々面白いこと?」
騒ぎを聞きつけたアリアとクラリッサが寄って来る。エンリケは作業が進まんと思いながらも振り返る。するとアリアはいつも通りだがクラリッサは腰の辺りを囲う水で形成された球体があった。
「クラリッサ・ルル。それはなんだ?」
「あ、これ? 《水浮き輪》って言ってこれさえあれば私も陸で移動することができるんだ。最も自由に空は飛べないし、水場が近くにないといけないし、使える時間も長くないから街中で使おうとは思わないけどね」
「普通浮き輪は漁師の子どもが、海で溺れないようにと作られた物だと聞いたけど、泳ぎの得意な人魚族がそれをつけるのは、ふふっ、面白いものがあるね」
「あ、なに〜? 陸で溺れるってばかにしているの?」
「ごめんごめん。そんな意図はないよ」
軽口を叩き合うアリアとクラリッサには微塵も険悪な様子は見られない。仲が良さげに見えた。《奏唄人》と《人魚》である二人は『歌』という共通の話題を持つだけに趣味が合うのかもしれない。
二人の間柄は例えるならばコロンとリリアンのような仲なのかもしれない。
「それで、何を騒いでいたんだい?」
「こいつがわがままを言っているだけだ」
「だってししょーが全くリコに技を教えてくれないんであります! 遊んでもくれないし、暇だったんであります!」
「だが俺は暇じゃない。だがどうしてもとうるさいから手始めに『飛行機』を成功させて見せろ。そしたら今日一日付き合ってやると言った。そしたら」
「見事に失敗したと」
「リコっち、バカなの?」
「うぅ、聞いた時は簡単だと思ったんであります……」
エンリケが簡単にやってのけたこと。それに10回も回数に余裕があることで当初は余裕余裕と高を括っていた。が、失敗を重ね、それが更に焦りを呼び...と悪循環に陥っていた。その様子に二人はくすくすと笑う。
「とう! 何やら面白そうな話をしているな私も混ぜろ!」
上の手摺からジャンプしたコロンがそのままエンリケの背中抱きつきながら話に加わってきた。
「おい、何故俺にひっつく必要がある」
「ぬぁーっはっハッー! いいじゃないか、私とお前の仲だろう?」
「知らん。関係など、船長と船医、それだけだ。さっさと降りろ」
「照れるな照れるな。それで何の話をしていたんだ?」
「それはね……」
アリアが説明するとコロンは納得したように頷く。
「ふむふむなるほど。どれかしてみろ。私もやってみよう」
「コロっち出来るの?」
「ふっ、なめるなよ。私は偉大な海賊コロン・パイオニアだぞ。この程度のお遊戯どうということはない!」
「おぉー、さすがせんちょーであります!」
自信満々なコロンがリコからけん玉を受け取る。 そのまま真剣な表情になるコロンに皆静かになる。
「それ!」
ビュンッと音が鳴り、コロンの手がブレる。勢いが強すぎるのではと思うと、振ったはずの手元からけん玉が消えていた。
何処へと一同が目を向けると空に飛んでるけん玉が見える。
くるくるくるくる。
ぽちゃん。
けん玉が海の中に落ちた。
「……お?」
「「「あ」」」
「あぁぁぁぁぁー!!!」
リコの絶叫が響き渡る。
慌てて海に取りに行こうとするリコをおっぽとケイトが止める。
≪うききー! うきー!≫
≪うききっ≫
「は、離すでありますっ、はなすでありますー!! あれは、リコの宝物であります!」
「あー、はいはいお姉さんが取ってきてあげるからおとなしくしてなさいな」
クラリッサがすぐさま海に潜り、けん玉を拾ってくれた。
「ありがとうであります、クラリッサどの。うぅ、よかったぁ。本当に良かったであります」
「あー……っと、すまなかったなリコ」
「ごめんで済んだらけいさくはいらないであります! 前々から思っていたでありますが、せんちょーは全てにおいて大雑把であります!」
「なっ、そこまで言う必要ないだろう。私だって悪気があってしたわけじゃないぞ!」
「悪気がなければ全てが許されると思うでありますか!? だったら犯罪なんて起きないであります!」
「そんなこと言ったらリコだって勝手に私の宝部屋に入って物を壊したことあるじゃないか!」
「その事はもう許してもらったであります! 蒸し返すなんておとなげねーな、であります!」
「お、大人げないとは何だ! 私はせんちょーだぞ!」
「役職で偉さを象徴するなんてもっとおとなげねーな、であります!」
「何をー! だいたいリコはそれ以外にもーー」
アリアはボソッと「けいさくじゃなくて警察だよ」と冷静に突っ込むも二人の言い争いはヒートアップして行く。だがあまりにも内容が稚拙すぎる。三人は生暖かい目で二人の喧嘩を見守る。
二人は額をくっつき合わせ互いに睨む。そして決着がつかないと思ったのかこちらを向き
「「どっちが悪いと思う(でありますか)!?」」
「……俺からしたら『50歩100歩』だ」
「『どんぐりの背比べ』とも言えるね」
「え、えと……あ、『鯵の縞模様の見比べ』ね!」
つまりどっちも変わらない。
その評価を受けて二人は肩を落とした。
☆
「また楽しそうにしてる……」
五人が集まる甲板。それを遠くから見つめる人物がいた。リリアンである。
彼女は話の輪に加わることなく、リビングがある建物の陰で様子を見ていた。
彼女の目線はコロン、そしてエンリケに移った時、言い知れぬ感覚が胸に湧き起こった。
リリアンはコロンが《いるかさん号》を駆り、海に出る前からの友達である。だからコロンについては最も自分が知っているとの自負もある。実際彼女はコロンが《鬼人族》であることを唯一知る人物だった。
そう、だったのである。
港町での宴の後。
本船に追いついたリリアンは目の前でコロンに言われたのだ。エンリケにも自らの持つ秘密を話したと。そして彼はそれを受け入れてくれたと。
笑顔のコロンの対し、リリアンは無表情になった。すぐさま取り繕って笑えたのは奇跡と言っていいだろう。
彼女の頭に浮かんだのは、何故。
それは二人だけの秘密だったのに。
何でその秘密をバラしたの。何でそんなに嬉しそうなの。何でアイツはそのことを受け入れられたの。
リリアンの胸の奥に黒い何かがふつふつと浮かぶ。
それは嫉妬。憤り。恨み。そして独占欲。
コロンのことをわかっているのは自分だけと思っていたが故の感情であった。
副船長と航海士という役割を持つとはいえまだ20に満たないリリアンにはその感情を抑え込もうとするのは難しかった。だからこうして距離を取って見るしかない。
近づかないのは信用していないからと言うのもある。
「でも最近じゃオリビアもあいつに対して少し信頼を寄せている感じがするのよね」
オリビアの過去は把握している、それだけに男性不信とも言える彼女が何故あそこまで接する事ができるのかが分からない。当初こそ陰で見守るようにしていたが、今ではそれはいらないとさえ言われた。
彼女が変わったのはあの港町からだった。一緒に買い物に行った際何かあったのかもしれない。
そしてエンリケを受け入れているのはオリビアだけではない。リコも、ティノも、アリアも、クラリッサも彼のことを受け入れていた。
自分以外のみんなが。
「なんでみんなそんなに簡単に信用できるのよ……分からない、分からないわ」
「ーー同感だな」
「っ、ビアンカ」
いつの間にか背後に音もなくビアンカがいた。いつも通り、凛とした様子で此方を見ていた。
「いつから聞いていたの?」
「悪いが最初からだ。そのことについては謝罪しよう。それお前もアイツが気に入らないようだな」
「えぇ、そうよ! コローネってば以前にも増してアイツのことばっかり事あるごとに語るの! 寝るときまでアイツの話を聞かされる私のきもちわかる!? 折角の貴重な私の癒しの時間なのに何でそんなときまでアイツの話を聞かなきゃならないのよ!」
「む、む? あ、そ、そうか。自分にはよく分からないがそう言うのならそうなのだろう」
「はぁ……はぁ……それでお前もってことはビアンカも?」
「そうだ。アイツはきな臭い。過去も不鮮明、何を考えているのかもわからん。これで気にいるわけがないだろう。それでどうするのだ?」
「どうするって、何よ?」
「ふっ、とぼけるな。リリアン、お前はアイツを追い出したいのだろう?」
「っ、そ、そんなことは」
「ないと言えるか? 全く? 自分にはそうには見えないがな」
ビアンカのはっきりとした物言いにリリアンは口を開こうとするも何もいえなくなる。全くない、とはいえないのだ。例え彼がいなければ《不退転な猛牛》に負けた可能性があるとしても、心の奥底ではそう思ってしまう自分がいるのだ。勝手だとわかっているが。
「もし追い出すのならばそうすればいいだろう。なぜしない?」
「……無理よ、皆アイツを信用しているわ。……コローネも。最初の頃ならともかく今はそんなの無理よ」
「そうか? 港でそこらの暴漢どもに金を積ませて襲わせたり、この船で信用を失墜させるようなことを意図的にでも起こせばいいと思うがな」
「でもそれはいくら何でも」
「追い出すのに情けなどいらない。中途半端に情をかけて戻ってきてみろ。奴は何故そうなったのかを語るだろう。その時誰が非難される?」
「そ、それは……」
己がしでかした事がバレ、コロンに失望される目で見られるとなると、身体中に寒気が走った。
「或いは、秘密裏にでも殺せばいい。死人に口無しだ」
「なっ、そんな殺すだなんて」
でも、それならバレることはないと囁く自分もいる。リリアンはそんな自分が怖くなった。
そして同時に思った。自分はともかく、なぜビアンカはこうもして彼を追い出そうとしているのか。
「ねぇ、ビアンカはどうしてそんなにアイツを気に入らないの?」
「どうして、どうしてだと? ふん」
ビアンカは鼻を鳴らし、此方を見た。
いつものように射抜く、猛禽類に似た白い目。だが何故かリリアンには黒く澱んでいるように見えた。
「存在すべてが気に入らんのだ。あの男の姿も、存在も、生き様も、全てだ。全てが憎い。殺したくなるほどに」
リリアンは一瞬身震いした。
ここまで敵意を露わにするビアンカを見たことがなかった。
いったい彼女の何が彼に対しここまで憎悪を掻き立てるような事があったのだろうか。
ビアンカはその後トレーニングをすると離れて言った。
一人残されたリリアンは楽しげなみんなの声と冷えた風が吹き込む中、
「……追い出すのに、情けはいらない……」
ビアンカが言った言葉をうわごとのように繰り返していた。




